35 人の印象は二秒ふたたび
わたくしのアイデアをとっかかりに、さらにみんなで意見を出し合い、ひとまず大まかな方向性が決まった。
今年の展覧祭はとても面白いことになりそうだ。今夜はワクワクして眠れないかもしれない。
長い会議も、気付けばもう夕食の時間が間近になっている。
今日はそろそろお開きに、という雰囲気になっていたところ、おもむろにルーデンス殿下が話題を切り出した。
「実は今日、もう一つみんなに聞いてほしいことがあったんだ」
作業机の上を片付けていた手を止めて、みんなが殿下のほうを見る。
注目を集めた殿下は言った。
「僕が影潜りしてしまった日の少し前、僕は、プリステラの妹に会っていたんだ」
「まぁ、テトラに?」
あの日の話だ。
思わず体が強張ってしまったわたくしだったけれど、おっとりと反応を返したプリステラ嬢に視線を向けていた殿下には気付かれなかった。
ロージーは殿下の意図を探るように茶化さずじっと様子を窺っている。
「あの頃、みんながテトラ嬢の話で持ち切りだったから、どんな子か気になってね。定期考査明けの放課後に呼び出して、会ってもらったんだ」
「あの子ったら、ルディ様にお会いしたなんて一言も言っていませんでしたよ」
妹の無礼に怒ったように答えたプリステラ嬢に、殿下は苦笑いしていた。
「やっぱり。しょうがないよ。随分怒らせてしまったみたいだから」
「怒らせた?」
「怒ったというか、嫌われたというか……とにかく、まともに話ができなかった」
アローナ嬢と一緒にわたくしも首を傾げる。あのわたくし以外には優しそうなテトラ嬢が?
姉であるプリステラ嬢も驚いた様子で、殿下に訊き返した。
「あの子が? その、失礼ですが、ルディ様はいったい何を言ったのですか?」
「何が悪かったのか、僕もよく分からないんだけど……」
弱り切った様子で頭を掻きながら、殿下は経緯を説明した。
「僕、みんな以外の人と話すことってほとんどないから、緊張してね。でもどんな子なのか知りたかったから、ゲームで遊ぼうと思って。二人で遊べる簡単なやつを持って行ったんだ。呼び出しに応じて来てくれた彼女も緊張していたようだったから、さっそく遊ぼうと誘ったんだけど……」
自分で新しい関係を作るのが苦手な殿下らしい発想だ。仲良くなりたいからとゲームに誘われれば、悪い気はしないだろう。
けれど、殿下は困ったように眉尻を下げて続けた。
「でもそのゲームを見せて説明した途端、物凄い剣幕で怒りだしたんだ。急に雰囲気が変わってびっくりしたよ」
「あの子が……どんなふうに怒ったんですか?」
「お姉さんの前では気を遣っているのかもしれないから、知らないふりをしてあげてほしいんだけど」
プリステラ嬢が心配そうに尋ねる。答える殿下も気まずそうだ。
「何ていうか、凄く口調が乱暴になってね。ロージー、いや、カイラー通りのおじさんたちが怒鳴る時みたいな荒っぽい口調だったよ」
「平民の言葉遣いということですわね。思わず古い癖が出てしまったのだとしたら、相当頭に来たということでしょうか?」
テトラ嬢をよく思っていないアローナ嬢ですら心配そうだ。
そこまで豹変するなんて、いったい何が逆鱗に触れたのだろうか?
「ルディ様、何のゲームを見せたんですの?」
「ああ、あれだよ。『太陽と月』」
そう言って殿下は収納棚に置いてあったそのゲームを指さした。
折り畳み式の固い革の盤と、こちらも革でできたコイン大の駒がセットになった盤上遊戯だ。簡単な二人対戦用のゲームである。携帯性を考えて作った作品なので、殿下が持って行くのに不自然な選択ではない。
ひと月近くも前のことなので、殿下はじっくり思い出しながら状況を整理した。
「ええと、確か……このゲームをどこで手に入れたのか訊かれたから、自分で作ったって答えたんだ。そうしたら、急に彼女の態度が豹変した。いろいろ言われたんだけど、よく分からない言葉ばかりで、なぜ怒ってるのか理解できなかったんだ。僕も驚いてしまって、意味を訊くに訊けなくて」
『太陽と月』はまだ低学年のころ、わたくしが提案してルーデンス殿下にデザインしていただいたゲーム。
収納棚にあるのは試作品で、革駒の切り出しも焼き印も、殿下が面白がって手ずから作業してくれた一点ものだ。
そのルールは、両面にそれぞれ太陽と月が描かれた駒を裏返しあって盤上の陣地を取り合うというもの。
……つまり、前世の世界にあったリバーシゲームそのものだった。
胸がざわつくのを感じて、わたくしは殿下に尋ねた。
「なんと言われたのか、思い出せますか?」
「えっと……そう、『テメェもテンセイシャだったのかよ』だ。テンセイシャって何だろう?」
あまりの口の悪さに絶句するプリステラ嬢たちとは別の理由で、わたくしは絶句した。
テンセイシャ。……転生者?
声に出したら芋づる式に思い出したようで、殿下は言われた言葉をつらつらと並べていった。
「それと『オセロはニホンのゲーム』だから、僕のことを『元ニホンジン』だろうって言っていたよ。それから僕とカレッタは『悪役』で、特に僕は『ラスボス』っていうやつらしい。僕が裏で糸を引いて、カレッタを誘導して『フラグ』を壊してたんだろう、って責められた」
遠い昔に別の世界で耳にした言葉が、目の前の殿下の口から次々に飛び出してくるのを、わたくしは支離滅裂な夢でも見ているような気持ちで聞いていた。
「何のことかわからないし、そんな心当たりは無いって答えたんだけど、聞く耳すらもってくれなくて。『しらばっくれんじゃねーよ。どうせテメェも同じだろ、あの悪役令嬢のこと――』……いや、まぁ、これは今は関係ない。なんでもない」
殿下が不意に顔を赤らめて、そこだけ中途半端なところで止めたけれど、気にしている場合ではなかった。
「『この世界の主人公はアタシなんだ。アタシが幸せになるゲームを邪魔すんな』。彼女はそう言っていたよ」
彼女、テトラ嬢は、わたくしよりもずっとはっきりと、前世の記憶と人格を持っているに違いなかった。
 




