33 未来をあげる
「……決めました。その話、喜んでお受けします」
「そう言っていただけると信じておりました」
お兄様は覇気のある笑顔で言った。
「どうか、くれぐれも、我が妹をよろしくお願い申し上げます。もし今後妹が悲しむようなことがあれば……たとえ殿下と言えども『絶海』の底を見ることになりますぞ」
「それも承知の上です」
「ふっ……やはりお会いして正解でした」
なんでしょう、二人ともにこやかなのに目が据わっていて怖いですわ。
まあ、政略で決まっていたわたくしの結婚相手を、第一王子殿下からしたら仮想政敵に穏便に挿げ替えようという高難易度のミッションに挑むことになってしまったのだから、大変なことだ。
わたくしのワガママも来るところまで来ましたわね。
どちらからともなく差し出した手で固い握手を交わした両者の間には、共に一蓮托生の運命を背負う絆が生まれたようだった。
「重ねて、くれぐれもこのことは内密に。コドラリス先生にだけは話を通してありますゆえ、情報を共有なさって構いません。詳しい話は、追って詰めていくことにしましょう。私はもうここへ来ることは適いませんが、定期的にお手紙を差し上げます」
話を纏めに入ったお兄様に、わたくしは大事なことを確認した。
「お兄様。公爵家が『ルー博士』の事業を欲するなら、他のみなさんにもお話しして許可を得るのが筋ですわ」
「そうだな。彼らも一年生から秘密を守り通した仲間だったな。お前たちの絆を信じて、話すことを許そう。彼らの家も、最優先で味方に引き込むように尽力しよう」
いくらルーデンス殿下がリーダーとはいえ、ここまで『ルー博士』を育て上げたのはみんなの力だ。
お兄様の言質も取ったので、事後報告になってしまうけれど、きちんと説明することができそうだ。
冬休みの間の手紙のやり取りでは「公爵家に考えがある」程度しか書くことができなかったから、驚かせてしまうかもしれない。
それでもみんな卒業後の殿下の身の振り方を心配していたのは事実なので、悪いニュースではない……と思いたい。
「では、あまり長居もできませんので、本日はこれにて……そうだ、あと一つだけ」
みんなで席を立ったところでお兄様が、期待を込めたまなざしでルーデンス殿下を見た。
「他家を納得させるためにも、あなた様にはその才能をさらに示していただく必要があります。まだ『ルー博士』の正体を明かすのは避けていただきたいのですが、後のために分かりやすい実績はいくらあっても困りません」
「実績……つまり、『ルー博士』として何かもっと目立つ活動をしろと?」
殿下が問うと、お兄様は深く頷いた。
「左様です。そうですな……例えば、春の花祭りの時期に行われる『展覧祭』は、在校生だけでなく保護者の貴族も学園に多数訪れるいい機会です。そこで注目を得ることができれば、カイラー通りでの実績も併せて、『ルー博士』の名は社交界に大きく響くことでしょう」
展覧祭というのは、毎年春に学生たちが企画する学習発表会のような位置づけのイベントだ。
この時ばかりは学園が一般開放され、魔法や武術の公開試合に、演劇や音楽の発表会もある。
学生たちが自ら見繕った領地の特産品を一堂に集めて紹介する商談会も大きな目玉だ。保護者の現役貴族も多数集まるため、領地の経済がここで動くことすらある。
展覧祭は学生それぞれが自分の得意なこと、興味があることを発表できる貴重な機会であり、誰もが楽しみにしている一大イベントだった。
ちなみにわたくしは毎年、第一王子殿下の研究発表を資料集めやスケジュール調整などの裏方で最低限手伝って、あとは当日の見物専門だ。積極的な参加はしたことがない。
けれど、その展覧祭に『ルー博士』として参加できるならば……これほどワクワクすることはありませんわ!
「……それくらいできなければ、僕の利用価値は無いということですね」
張り詰めた空気を纏わせたルーデンス殿下には返答せず、お兄様は口元を持ち上げる不敵な笑みを浮かべただけだった。
「今後のご活躍、心より期待申し上げます。ああ、見送りはいらないよカレッタ。それでは、またいずれ」
にこにことわたくしに手を振りながら、お兄様は資料室を出て行った。
お兄様の足音が聞こえなくなったかと思うと、ルーデンス殿下はどさりと大きな音を立てて倒れ込むように椅子に座り込んだ。
驚いて見やれば、黙ったまま椅子の背に体重を預けて天井を仰いでいる。その顔は今まででも見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。体は腰が抜けたように脱力しきっていて、まさにゆでだこ状態だ。
「だ、大丈夫ですの……?」
「ダメかも……」
「お、お気を確かに!」
おろおろと様子を窺うしかできないでいると、殿下はぷるぷる震える両手をゆっくりと持ち上げて、天を仰いでいた顔を覆った。その下から、ぶつぶつと掠れた呟きが漏れ出てくる。
「え? つまりどういうこと? 僕カレッタと結婚するの? それで『ルー博士』も続けられるの? こんなことあっていいの? 夢?」
「申し訳ありません、いきなりで驚かれたでしょう……内容が内容だけに、事前に相談するわけにもいかず……」
突然押しかけてこんな話をして、殿下の将来を盾に無理やり頷かせたようなものだ。
「もし不本意な交渉でしたら、今からでも撤回してくださって構いません。冷静によくお考えになって……」
「違う、不本意なんかじゃない! 幸せすぎて……怖くて」
身を起こしてようやく顔を見せてくれた殿下は、真っ赤な顔のまま、今にも泣きそうに表情を歪めていた。
わたくしも隣の椅子を寄せて再び腰かけて、目線を合わせて言った。
「怖がる必要なんかありませんわ。全てはルディ様の行いの結果です。あなたの才能も、わたくしたちの夢も、こんな小さな学園だけで終わらせたくないのです。あなたはもっと自由に……幸せになっていい。いえ、幸せになってほしい」
「君の人生を利用することになっても?」
「利用ではなく協力です。親友冥利に尽きますわ」
殿下が目に湛えていた涙が、はらりと一筋零れ落ちた。
「君は……本当に……」
続けていくつも溢れてきた涙を、ルーデンス殿下は乱雑に服の袖でぬぐった。
震える息を整えるように一度鋭く吐き、ゆっくりと顔を上げると、その濡れた瞳には射抜かれそうなほど強い光が灯っていた。
「僕はずっと、自分の将来のことを考えるのが怖かった。自分の希望なんて何一つ叶わないと……いつまた全てを奪われても仕方がないと諦めていた。でもそれは今日で終わりだ。僕はもう、未来を諦めない。怖がったりしない。僕が一番尊敬する親友が……君がくれた未来だから」
真っ直ぐに差し出された決意の表明に、わたくしの胸は打ち震えた。
殿下がそっとわたくしの手を取る。その手を慈しむように両手で包むと、優しい口調で殿下は言った。
「僕がもらう幸せを、同じだけ全部君に返すことを誓うよ。僕も、君には幸せになってほしいんだ」
はにかむように笑って、殿下は「ありがとう、カレッタ」と付け足した。
押さえつけられているわけでもないのに、彼の視線から目が離せない。自分がどんな顔をしているかわからなかった。高鳴り続ける心臓の鼓動が彼に悟られていないことを必死に願うばかりだ。
そういう顔はテトラ嬢に向けるべきですわ! わたくしをオトしてどうなさるの!
文句を言おうかと迷った瞬間、外の廊下を歩いてくる親友たちのにぎやかな声が聞こえてきた。わたくしたちは何故だか妙に焦った気持ちで、慌ててお互いに距離を取ったのだった。




