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挿話 第一王子の後悔、そして(後)

 親衛騎士であり親友でもあるリッドの従兄弟が第二クラスに居たため、彼女の様子を探らせようと思っていたが、わざわざ命じるまでもなかった。

 話を聞こうと昼食時に呼び出すと、たった一日半なのに、知らなかった彼女の顔が次々と語られた。


 少し人見知りだが友達想い。気さくで穏やかな性格。真正面から話しかければ、どんな家格の相手でも、素直に何でも答えてくれるという。

 授業では習わないような知識も豊富で、冗談もよく口にする。独特なスカートのデザインは、ハンマーを持ち歩くために彼女が自分で考えた。そしてそのハンマーは、彼女が編み出した『無属性魔法』で操るための遊び道具であり、何よりも大切な宝物。

 知らない情報が次々と飛び出す。俺の知っていた彼女とは、まるで別人ではないか。


「殿下。殿下も今一度、しっかりと彼女に目を向けるべきでは?」


 さすがのリッドも困惑の色を隠せずに進言してきた。女は恐ろしい、とリッドが呟いていたが、それよりも俺は自分の目の節穴さが信じられなかった。


 翌日、徹底的に彼女の姿を追った。気付かれないように彼女の様子を探り、自分の授業も初めて抜け出し実習授業も含めて観察すると、話に聞いた通りの令嬢がそこに居た。

 友人たちとじゃれあい、朗らかに笑い、魔法でハンマーを操って器用に遊ぶ。ゲームもする。

 そして、第一クラスの令嬢たちと廊下ですれ違う瞬間だけ、見慣れた仮面のような微笑に戻るのだ。


 俺の胸は訳がわからないほどの苦しさと、虚しさに締め付けられた。

 何故彼女は、その顔を俺に見せてくれなかったのだろうか。

 何故俺は、見ることができなかったのだろうか。


 リッドの従兄弟が言っていたではないか。彼女は、話しかければ答えてくれる。

 もし俺が最初に、いや、いつでも、興味を持って彼女に訊いていれば。無属性魔法が使えることも、ハンマーがどれほど大切かも、不思議なドレスを着ている理由も、すべて答えてくれただろう。

 俺が興味を持たなかっただけだ。

 興味も関心も尊敬も……愛情も。与えられたものを受け取ることが当たり前だったから。


 しかし彼女は、彼女の興味だけは、俺が自分から求めなくてはならなかったのだ。

 これまでの彼女が俺に微塵も興味がなかったことは、もう理解できていた。だが、今になって彼女が新しい友人たちに心を開いたように、俺もまだ間に合うはずだと思った。


 彼女のことをもっと知りたい。そして彼女の関心を手に入れ、自分だけのものにしたい。婚約者としてそれは当然の権利だ。

 俺はここへ来てようやく、初めて彼女に恋をしたのだった。


 冬至祭の日がきて、俺は浮かれていた。ドレスアップした彼女は今までで一番美しく魅力的に見えた。

 いつも不思議な趣味だとしか思わなかった独特なデザインのドレスの意味が、今ならわかる。そういえば、しばらく前に会った母が、社交界で公爵令嬢のドレスが斬新だと良い話題になっていると話していたのを思い出す。

 細い腰に添えた手に力が入らないよう、気を遣うのに必死だった。


 浮かれてはいたが、今までの無関心な俺とは違う。

 いつも通りよそ行きの笑みを浮かべる彼女をよく観察すると、疲れのようなものが見て取れた。こんなにも表情がわかりやすいのに自分は見逃していたのかと思うと、また嫌になる。

 俺の隣で他の生徒と手本のような挨拶を交わしていたが、彼女はほとんど上の空だった。


 そこへ、第二クラスで特に仲が良いという、柔らかい雰囲気の令嬢が挨拶にやってきた。

 夜会の場なので態度は行儀の良いものだったが、令嬢の視線は明らかに彼女を気遣うような色を帯びていた。


「殿下、ご機嫌麗しゅうございます」

「ああ。君は第二クラスの。彼女が世話になっている」

「私の方こそ、カレッタ様には良くしていただいており光栄です。殿下にも、第一クラスで私の妹が大変お世話になっております」

「妹? ああ、君があの転入生の義姉か」

「はい。何分教育の足らぬ愚妹です。ご迷惑はお掛けしておりませんでしょうか?」


 転入生は彼女がクラスを去った後も、真面目に勉学に励んでいた。愛想もよく、周りに好かれやすい質で、男女問わず好感度が高かった。

 貴族の作法がまだ未熟なため一部の高位貴族の令嬢には嫌われているようだが、本人も必死に食らいつこうとしており、擁護する者のほうが多い。彼女とは正反対の令嬢だった。


「いや、問題ない。君の義妹はよくやっている」

「そう言っていただけますと幸いです。何か粗相がございましたら、すぐに申しつけください」


 ふわりと微笑む令嬢。この令嬢も、俺と彼女の前とでは態度が違うのだろうな、と取り留めもなく考えてしまった。


 挨拶が途切れたタイミングで、彼女に話しかける。もう無関心でいるのはやめようと決めたばかりだ。

 元気がない原因を聞き出そうとしたが、明確な答えは教えてもらえない。仕舞いには体調が悪いので一人だけ先に帰るとまで言い出した。

 関心を向ければ俺にも応えてくれるかと思っていたが、想定以上の壁の厚さを感じて焦ってしまう。気が付くと俺は、彼女を連れて会場を抜け出していた。


 誰もいない回廊に彼女を連れ出す。

 月明かりに照らされる彼女の顔は人形のように美しかった。

 想いを告げると、零れ落ちそうに見開かれる水面のような目。

 彼女が困惑しているのも、自分が自分を抑えきれなくなっているのもよくわかった。

 衝動に身を任せてしまいそうになった、その時。

 聞いたこともない男の声が、彼女に代わって俺の横面を叩いた。


 それから起こった出来事は、衝撃が続くばかりで、すぐには受け止めきれなかった。

 理解できたのは、全てが手遅れだったという事実だけ。

 彼女が必死になるのも、抱きしめるのも、心配して泣くのも、代わりに怒りを爆発させるのも、俺ではなかった。何もかも遅かった。もうすでに、俺のものではなくなっていたのだ。


 初めて見たあの男が、俺の異母弟だという。確かに俺と顔立ちだけはよく似ていたが、色彩も雰囲気も真逆で、暗い森の中に生えた若木のようにひょろりとしている頼りない印象だった。

 それでも、その顔を見上げる彼女の瞳には見たことのない温かさが滲んでいて。

 俺が手に入れようとしていたものが、すでにあの男のものであることをそれだけで思い知らされた。

 俺が無関心でいる間に、関わるはずのなかったあの男が、いつの間にか俺から掠め取っていたのだと。


 薄暗い廊下に消えていった二人の背を見送ったまま、俺は長いこと放心していた。

 受けた衝撃の大きさに、名前を付けられる感情が湧いてこない。腹の底で渦巻くどす黒い何かが喉を灼き塞いでいるようだった。

 冬至の夜の風に体がどんどん冷えていくのにも構わずその場に立ち尽くしていると、不意に、後ろから優しい声が聞こえた。


「そちらにいらっしゃるのは、殿下ですか?」


 条件反射でのろのろと振り返ると、そこに立っていたのは、例の転入生の令嬢だった。


「殿下! お顔が真っ青です! いつからこんな寒い場所に……おひとりですか?」


 転入生は俺の顔を見て驚いたように駆け寄ってきた。

 供も付けていないことを指摘されたというのが頭ではわかっていたが、その何気ない問いかけに胸を抉られるような心地がした。


「何かあったのですか?」


 俺の異様な様子に、転入生は心配そうに尋ねてきた。何も答えられず取り繕うこともできず、これでは肯定しているのと同じだ。

 転入生の表情が、俺を安心させようとする微笑みに変わる。


「もし、よろしければ……わたしに話していただけませんか? 話して楽になることもあります。もちろん秘密はお守りします」


 転入生の柔らかい声が、するすると俺の胸に染み込んでくるようだ。息苦しさがわずかに和らぎ、つかえていたものが大きな溜め息となって外に出た。

 誰でもいい、今だけは、誰かに寄りかかってしまいたかった。


「すまない。……少し話を聞いてくれるか、テトラ嬢」

「もちろんです。あなた様のお心を少しでも軽くできるのなら、わたしはなんだってしますよ。だから安心して話してください、サフィエンス殿下」


 彼女から親しげに呼ばれた自分の名に、思いがけず心臓に熱が灯った。


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