29 答え合わせ
何はさておき医務室にルーデンス殿下を放り込むと、わたくしは先生やみんなを呼ぶのに駆けずり回った。
集まったプリステラ嬢とアローナ嬢はわたくし同様大泣きして、つられてわたくしもまた泣いて、ロージーはベッドの枕を魔法も使わず振り回して殿下の頭を殴っていた。往復で。
ようやく行方不明者だった自覚が出てきたらしいルーデンス殿下はひたすらみんなに謝り倒していた。
そんな阿鼻叫喚がひとまず落ち着いたところを見計らって、殿下の容態について話をし終わった医務官様に席を外していただいてから、コドラリス先生が口を開いた。
「それではルディ君。答え合わせをしましょうか」
疲れ切ったような、呆れたような様子で、コドラリス先生は言った。
「まずは君の証言を聞きましょう。この十日間、君はどこに居たんですか?」
「どこ、と言われると難しいけど……ずっと、暗いところに居たよ」
ベッドに上体を起こしているルーデンス殿下は、考え込みながら答えた。ご自分の膝を抱く両腕にぐっと力が篭る。
「体は動かない……というか、体があるのか無いのかもよく分からなかった。頭はずっと眠くて、ろくに何も考えられなかった。ひんやりしてて、ふわふわして気持ちがよくて……このまま寝てしまったら、自分は溶けて消えてしまうんだろうなと思った。それが時々急に怖くなって、ほんの一瞬だけ意識がはっきりするんだ。多分、学園の中をあちこちさまよってたと思う」
「そんな状態から……どうやって助かったのですか?」
話を聞いて怯えていたみんなを代表して、アローナ嬢が恐る恐る尋ねる。
すると殿下は、ふと穏やかに笑ってわたくしの顔を見た。
「近くにカレッタがいるのに気が付いたんだ。……その。その時のカレッタが。僕を置いてどこか遠くへ行ってしまうような気がして。『行かなきゃ!』って思って……必死で飛び出したら、外に出られた」
そう言って、ルーデンス殿下は今まで見たことがないような、溶けそうな瞳で笑った。
「カレッタのおかげだよ。ありがとう」
わたくしは驚きを通り越して呆然としてしまって、いいえ、と口の中でもごもごと返事するのがやっとだった。
コドラリス先生の次の質問が、そんなわたくしを現実に引き戻した。
「では、そもそもどうしてそうなったのかは覚えていますか?」
「うん。部屋に居た時、床から伸びてきた黒い何か、たぶん……『自分の影』に引きずり込まれた」
「そのきっかけに心当たりは?」
「あるよ。あの時僕は、本当に馬鹿だったけど……とにかく本気だったんだ」
核心を濁した言い方に女性陣からは疑問符が浮かんだけれど、そういえば彼が姿を消す直前、何かに悩んでいたことを思い出した。事情を聞いていた先生とロージーは特に追及することもなく黙っていたので、その悩みに関係することなのだろう。
ルーデンス殿下は確信を持った声で先生に尋ねた。
「先生。あれは、僕の魔法なんでしょう?」
「ええ。正解です」
溜め息交じりに、先生は答えを発表した。
「ルディ君。君の本当の属性は土ではなくて、『影属性』です」
「影属性……」
あまり実感がなさそうに殿下はぼんやりと繰り返した。
わたくしたちも首を傾げる。聞いたことがない属性だった。
「古い文献を探ってようやく出てくる、非常に珍しい属性です。一般的な属性魔法とはかなり性質が異なるらしいのですが、ろくな研究記録も残っていないので、一概に説明するのも難しいです。ただ、簡単に言えば文字通り『影』そのものを自在に変化させ操る属性のようですね」
聞いた殿下は片手を持ち上げて、ベッドに落ちる自分の影をしげしげと眺めている。
コドラリス先生は説明を続けた。
「中でも目立つ記述が残っていたのが、影に自分の体を沈めて身を隠す『影潜り』。……つまり、今回の騒動は、君が無意識かつ衝動的に、その影潜りを発動してしまったというのが全ての真相です。どうやら、影魔法の中でも特に多くの魔力を必要とする最上級の魔法のようですね」
「あれが、影魔法……」
わたくしは床から生えてきたルーデンス殿下の姿を思い出した。確かに他の魔法とは一線を画している属性のようだ。
ロージーが呆れた顔で殿下に突っ込みを入れた。
「お前、なんで今まで自分で使ってて気付かねーんだよ!」
「だって、神官様に土属性って言われてたし……僕もそのつもりで地面操作してたし」
「おそらくルディ君もそう思い込んでいたから、影が触れている地面を操っているように感じていたのでしょう。明るい場所でも人間の足元には必ず影ができていますし、そもそも私たちも、普段そこに影があるかどうかなんてあまり意識していませんからね」
いつかの、初めて殿下がトランポリン魔法を使った路地を思い出す。慌てていたので意識していなかったけれど、あそこも確かに陽の当らない薄暗い路地だった。
言われてみれば、そうとしか思えない殿下の魔法の癖が次々と思い浮かんできた。
「なるほど、それなら魔法弾が撃てないのも納得だな。影だけ飛ばすって想像つかないし」
「真昼よりも夕方のほうが操りやすかったのもそれかぁ……影の面積増えるよね」
「温度や湿度の関係だと思っていましたよね。あとは土の配合とか」
「あの、影というならもしかして、ルディ様の存在感や魔力の気配が異様に薄いのも……?」
アローナ嬢の鋭い指摘にみんなハッとした。先生が大きく頷いて肯定する。
「ええ、私もそれで確信を持ちました。影潜り級の魔法を使わない限り、魔力の気配が非常に薄いのも影属性の大きな特徴です。そして存在感の薄さは、これもまたルディ君が無意識に、自分の気配を消す魔法を使っていたということです。文献には『影消し』と記述されていました」
説明を聞いて、殿下は頷きっぱなしだった。
「確かに、外を出歩く時は『誰にも見つかりたくないなー』って念じながら歩いてたよ」
「だいたいルディ様ほどの美男子が、今まで誰の目にも留まらずにいることのほうが異常でしたわ」
「私も、ちょっとそれは不思議に思ってました」
そこは気にしたことがなかった、と白状するのは同じ令嬢としてやめておきますわ。
「そうか……僕は影属性だったのか……」
うずうずした様子でルーデンス殿下は自分の影を見つめた。その影が不意にゆらりと不自然に揺らぐ。
「あっ、本当だちょっと動かせそう」
「待ってくださいルディ君、今は我慢して!」
それを慌てた様子でコドラリス先生が止めた。
「今、君は魔力がほとんど欠乏している状態です。それ以上使ったらまた昏倒しますよ!」
「ルディが魔力使い切るって……影魔法ってそんなに消耗激しいのか?」
ロージーが顔を引きつらせると、先生は小さく首を振った。
「いいえ。過去の影魔法使いは彼ほど膨大な魔力は持っていませんでした。でも考えてみてください。ルディ君は十日間飲まず食わずでずっと影の中に居たのです。これは推測ですが、影潜りを使い続けながら、他の魔力もおそらく自分の生命機能の維持に使っていたのではないかと。そうでもないと説明が付きません」
それを聞いてわたくしははたと気が付いてしまう。
「で、では、もう少しルディ様の発見が遅れていたら……」
先生以外の全員の顔から血の気が引いた。言わなきゃよかった。
「影の中で死んだらどうなるのかな、ロージー……」
「知らねーよ自分に訊けよ……永遠に床にこびりつくんじゃねーの?」
「うわぁ……影だけにならなくてよかったぁ……」
全員で心を一つにして、わたくしたちは盛大な安堵の溜め息を吐き出した。
「さて。ルディ君の無事は確認できましたから、行方不明事件はひとまずこれで一件落着としましょうか」
コドラリス先生が、みんなを見渡しながらそう言った。
「本当はまだまだ確認することも、やらなくてはいけないことも山ほどあるのですが……まあ、それは明日からのルディ君本人の仕事です。冬休みは返上だと思ってくださいね、ルディ君」
「う、はい……」
観念したようにルーデンス殿下は身をすくめた。なんだか一年の時の冬至祭を思い出す。
「今動くのは辛いでしょうから、今夜はこのまま医務室でお世話になりましょう。ご令嬢方も、今日はもう寮に帰りなさい。彼のことは私に任せて、安心して冬休みを楽しんでくださいね」
「はい、先生」
安心したら、どっと疲れが込み上げてきた。
口々に殿下へおやすみの挨拶をして、わたくしたちは医務室を出ていくことにした。
「ルディ君、食欲はありますか?」
「そういえば、お腹すいた……あと凄く喉が渇いてて。何でもいいからたくさん飲みたい」
「では、私は軽食と飲み物をもらってきます。後でもう少し詳しい話を聞かせてもらいますからね。ロージー君、しばらく付いていてあげてください」
「りょうかいでーす」
先生も一緒に連れ立って、医務室を出た。
さっきまで疲れ切った雰囲気だったけれど、今はすっかりもとの穏やかな表情に戻っていた。
「先生、まるで兄弟の世話を焼いているようですわね」
アローナ嬢がくすくすと笑って茶化すと、先生はしみじみとして言った。
「もう付き合いも長いですからね。昔はもっと大人しかったのに、いつの間にやら手のかかる子になって……」
やれやれとかぶりを振る姿も、どことなく嬉しそうに見えた。




