22 人の印象は二秒で決まる
「初めまして。ネオン子爵家の養女、テトラと申します。至らない未熟者ですが、精いっぱい頑張ります。どうぞよろしくお願いします!」
まず最初の予想外は、彼女が第一クラスに編入してきたことだった。
最近まで平民として暮らしていて、滞在していた子爵家でも付け焼刃の教育しかできなかったことをプリステラ嬢を通して聞いていた。それが、学園に四年も通っている姉を差し置いて第一クラスにやってきたのだ。
動揺するクラスメイトの空気を察したのか、たまたま担当だったコドラリス先生が詳細を説明する。
「彼女は編入試験で非常に優秀な成績を収めました。さらに魔力回路の儀式を最近受けたばかりにも関わらず、操作の技術が非常に高いです。そこで、最初の定期考査まで、第一クラスの水準について行けるか様子を見ることになりました。これは職員会議での正式な決定です。みなさん、彼女と仲良くしてあげてくださいね」
最後の一言は念押しだろう。
プリステラ嬢にどことなく似た、ふわふわした雰囲気のかわいらしい少女は、緊張した面持ちで教室を見渡していた。やがてこちらを向いたとき、かちりと視線が合う。
親しみを込めて微笑もうとすると、その前に彼女の表情にはサッと怯えの色が過った。
……え? わたくし、ガンなんか飛ばしていませんわよ?
こちらも戸惑ってしまい、苦笑いのような表情になってしまう。
彼女はすぐに視線を外して、指示された前のほうの席にいそいそと着席した。
わたくし、そんなに怖い顔をしていたかしら。クラスでは基本すまし顔をしているし……怯えさせてはかわいそうなので、もう少し気を付けよう。
まだ予想外は続く。
講義が終わった最初の休憩時間、テトラ嬢は真っ先に、後ろ隅っこのわたくしの席まで挨拶にやってきたのだ。しかも、その表情は友好的どころか、死地へ向かう新兵のように強張っている。
「ご機嫌麗しゅうございます、カレッタ・ラミレージ公爵令嬢様。義姉がお世話になっていると聞き、ご挨拶に上がりました」
言い慣れない文句を丸暗記してきたような拙さで、彼女は丁寧な挨拶をしてくれた。
わたくしも席を立って、彼女の緊張を解せるように、落ち着いて礼を返す。
「ご丁寧にありがとうございます、テトラ・ネオン子爵令嬢様。お姉様とは大変仲良くさせていただいておりますわ。あなたが学園に慣れたら、今度、お姉様も交えて、一緒にゆっくりお茶をいただきましょう」
「はい、光栄でございます」
初対面の挨拶として間違っていないはずだ。わたくしはとてもにこやかに話している。社交辞令どころか本心しか話していない。なんならお姉様と同じように手を握りたいほど友好的だ。
……それなのになぜ、彼女はこんなにも眼光鋭く見返してくるのだろうか。
いたたまれなくなったわたくしは、我慢できずに逃げを打つ選択をした。
「ですが、テトラ様。この教室にはわたくしよりも先にご挨拶をするべき方がおいでですわ」
そう言って、やんわりと第一王子殿下の席へ手を向けて示す。テトラ嬢の席と近い前のほうだ。当の王子殿下は自分の席で、無表情のままじっとわたくしたちの様子を見ている。
「あっ、その、申し訳ありません! 失礼いたしました!」
彼女はまた顔色を悪くして、慌てて王子殿下のもとへ挨拶に向かった。
拙いけれど、わたくしの時よりは多少口に馴染んだらしい挨拶を受けた殿下は鷹揚と頷いて、彼女へ短い激励の言葉を述べた。
挨拶を終えた彼女は明らかにほっと肩を落として自分の席に戻っていく。
そばの席の令嬢たちが数人、励ますようにその周りに集まって行った。ちらちらとわたくしに嫌な視線を向けながら。
あー、これ。終わった。もう無理なやつですわ。
その直感は間違いではなく、数時間のうちにわたくしは転入生に高圧的に接したという汚名を着させられることとなった。
さらに午後、魔法実習の授業。
さすがにテトラ嬢の様子が気になったのと、もう一つのある理由から、今日は真面目に見学するつもりでいた。
テトラ嬢のそばについている令嬢たちが、わくわくを隠し切れずにはしゃいでいる。
「今日は『絶海の貴公子』様の特別実習ですわ!」
これが真面目に見学する理由だ。サボっていたら後が怖い。
なんと、とっくに卒業したはずのお兄様は、まだ研究生の名目で学園に残っている。
卒業後は第一王子殿下の補佐官として王宮に仕官することが決まっているのだけれど、当の殿下が卒業していないので、なるべく近くに控えていたいと王宮を説得したのだ。
その真相は、ばれたらまた面倒なので秘密だけれど要するに、妹が心配で離れたくないというお兄様のワガママだった。
今は学園と王都を行き来しながら仕事をしている。学園でも類を見ないほど優秀な魔法使いだったため、時間があるときはこうして特別講師として在校生の授業を見ることもあった。
その本音は……以下略。わたくしはお兄様が恐ろしいですわ。早く誰かと婚約してほしい。
「今日もかわいいねカレッタ。元気にしていたかい? お昼はしっかり食べた?」
「はい元気です。では今日も見学させていただきますね」
「つれないところもかわいいね。お兄様は張り切って授業するから見ていておくれ」
わたくしが近くにいるとお兄様の理知的で堂々としたイメージが崩壊するので、早々に定位置のベンチへ退散した。
五年生にもなると、魔法実習は実践的な内容になる。最近は少人数でチームを組んだ対戦形式が主だ。
もちろんわたくしの魔法が実戦向きでないことを知っているお兄様は、何の疑問も持たずにわたくしの見学を許可している。
まさか、妹が『無属性魔法』の使い手であることをクラスの誰も知らないなどとは、まったく気が付いていないようだった。
「さて。今日も模擬戦を行う予定だが……そこの君、初めて見る顔だな?」
「はい! 今日から転入してきました、テトラ・ネオンです」
「ふむ。ネオン子爵家の養女だな。私はディカス・ラミレージだ。研究生の身分だが、時折こうして実習を担当することがある。知り置いていてくれ」
初対面では威圧感を感じさせることも多いお兄様(おおやけのすがた)なので、朝から緊張しているテトラ嬢が怖がらないか心配だった。
けれど、テトラ嬢の表情は余裕がありそうだ。恐ろしさよりもキビキビとしたかっこよさが勝ったのだろう、見惚れているようにも見えた。
「それではまずは一班と二班、配置について。用意。始め!」
そうして、実習が始まった。
お互いの陣地に立てた旗を守りながら、相手の陣地に攻め込む試合形式だ。今日は障害物がほとんどない、平地での白兵戦を想定した設定なので、個人の魔法の力量がよくわかる。
一対一のチーム戦を他の生徒が観戦し、一回ごとに反省や気付いたことを話し合い、最後にお兄様が講評を付けていく。時たま改善案のお手本を見せたりすると、繊細な技巧の魔法を簡単そうに繰り出すお兄様に令嬢たちはうっとりしていた。
テトラ嬢も非常に驚いた顔をしていた。まるで大きな目が零れ落ちてしまいそうなほど……そこまで驚くことかしら?
「よし、次だ。……ああ、君の班か。優秀な転入生のお手並みを拝見するとしよう」
お兄様、そういうプレッシャーをかけるようなことは言わないで差し上げて。
せっかく馴染んできていたテトラ嬢もその言葉でまた緊張してしまったのか、お兄様の様子をうかがいながら俯きがちに口にした。
「あの、わたし……魔力量が、そんなに多くなくて……」
「なんだ、そんなことを気にする必要はない」
「え?」
なにやら、テトラ嬢にもコンプレックスがあるらしい。けれども、お兄様に限って言えば、そんな劣等感は些細なことだった。この魔力素寒貧のわたくしのお兄様ですもの。
「魔法は魔力量よりも、どう使うかだ。自分の魔力量でできることを把握し、日々研鑽し、最大限に活かすことを考えろ。それこそが、君にとって強力無比の武器となるだろう」
「は、はい」
「少し時間をやろう。不安があるなら、班の仲間ともう一度配置を相談するといい」
お兄様の熱血指導に若干戸惑った様子を見せつつ、テトラ嬢はチームメイトと相談を始めた。
生徒たちに見えないように振り向いて、わたくしにウインクするお兄様が申し訳ないけれどちょっと鬱陶しかった。早くお嫁さんを見つけてほしい。
テトラ嬢は、とても珍しい植物属性の魔法使いだった。自称少ない魔力量ながら、彼女は繊細なツタ植物を操って、自陣の旗を見事に防衛していた。
彼女の気質が反映されているのか、出てくる植物には綺麗な花が咲いている。花びらを散らせながら可憐に戦う姿はとても絵になっていて、観戦している令息たちもうっとりだった。
それにしてもあの複雑に動くツタ、攻撃してもらってハンマーで叩いたら楽しそう……。
それからは特筆することもなく、無事にすべての対戦が終わった。
講評まで終えたお兄様はご機嫌で今日の授業のまとめに入った。
「皆、見事な戦いだった。君も、初めてにしては上出来だ。優秀だという評判は認めよう」
「あ、ありがとうございます。まだまだですが……」
「己の能力を過小評価するのは命取りだが、君の謙虚さは美徳だな。気に入った」
ストレートな誉め言葉にテトラ嬢は驚いたようだ。ずっと強張っていた表情がみるみる明るくなる。
お兄様がここまで生徒個人、しかも女子を褒めるのは珍しい事なので、わたくしも他の生徒も、お?これはもしや?と思わず前のめりになった。
「君のような子なら安心だ。クラスメイトとして、ぜひ我が妹とも仲良くしてやってくれ。誤解されやすいが、とても可愛い、良い子なのだ」
テトラ嬢もクラスメイトも、表情がすんっと消えた。わたくしもすんっと消した。
どうやら個人的に気に入ったのではなく、妹のクラスメイトとしてふさわしいか判定していたらしい。
大事なところで妹のろけを発動してきたお兄様の顔を見たくなくて、あと注がれる冷たい視線もかわしたくて、大好きな資料室の窓を見つめた。無愛想な態度に見えるかもしれないけれど、今更だ。
誰でもいいから縋り付きたいこんな時に限って、ルーデンス殿下は窓辺に居なかった。




