01 思い出はいつの日もピチピチ
庭園の池に珍しい魚が入れられたというので、ばあやにせがんで連れてきてもらった。
池の畔にしゃがみ込むと、落ちないようにと後ろからばあやにガッチリと両脇を固定される。
持たせてもらった魚の餌をパラパラと撒けば、黒い体の大きな魚がわさわさと寄ってきた。
魚はお父様のふくらはぎくらいの大きさで、水鳥の嘴のように平たく長い口をバクバクと開いて、必死に餌に食いついた。
次々やってくる姿がなんだか怖くて、ぼんやりとこう思った。
(とびかかってきたら、ハンマーでたたかなきゃ)
ハンマー?
わたくし、どうしてそんな乱暴なことを考えているの?
あら? もしかして、私……。
それがわたくし、カレッタ・ラミレージ公爵令嬢が前世の記憶を取り戻した瞬間だった。
自分の記憶とはいえ、最初はずいぶん他人事のような気がした。
こことは違う異世界の、日本という平和な国で暮らした女性だったのだ。
平民の中流家庭で生まれ育って、家族にも友人にも恵まれて、向いてはいないが頑張れる仕事に就いて、結婚して子供も孫も生まれて、歳を取ってもわりと元気で。
それなりに苦労はしたが、取り立てるような悔いもない幸せな人生だった。
最後は突然胸が痛く苦しくなって……きっとそのまま死んだのだと思う。
まるで他人の一生を纏めた私小説本がそのまま頭の中に現れたような、でもその物語の主人公は何よりも共感できて、まるきり自分のことに思えるような……奇妙な感覚だった。
その物語の中で、ひときわ強烈に訴えかけてくる記憶があった。
物事にあまり頓着しないマイペースな性格で、手を出す趣味はどれも長続きしない質だった前世の私が、特に深い理由もないのに何故か唯一執着していた趣味、とあるゲームの記憶だ。
いや、きっと、私の全ての情熱がそこだけを向いていたから、他に興味を割く必要がなかったのだと思う。
ゲームの名は、『ピチ♪ピチ♪アタック!』。
表現技術の粋を集めたビデオゲームでも、ファンを取り込み夢中にさせる骨太ストーリー作品でも、ましてや革新的な映像体験アトラクションなんてものでもない。
それは、古くからどこのゲームセンターにも必ずと言っていいほど置いてあった定番アーケードゲーム。
機械仕掛けで、穴から次々と出てくる人形を柔らかいハンマーで叩くだけのシンプルなゲームだ。
『ピチ♪ピチ♪アタック!』は海の生き物をテーマにしている。
登場するのは海に囲まれた日本という島国ならではの個性的なお魚たち。
バージョンによって多少の違いや増減はあるが、初代から続く基本の攻略対象は左からシャコ貝、タコ、サメ、マグロ、イセエビの五種類だ。
波立つ海面を模した筐体からピチピチ飛び出す海産物をビシバシ叩くゲームだった。
筐体の手前に描かれた小魚ちゃんが奴らに食べられないように守る……というストーリー設定があるにはあったが、ほとんどのプレイヤーはおそらく誰も気にしていなかっただろう。
それほど一目瞭然で、幼児から高齢者まで誰でも遊べるゲームだった。
思い返す、ピチピチと歩んだ生涯。
幼いころ、父の点数に勝てなかったことが悔しかったのをきっかけに、見かけたら必ず海産物と一戦交えるのが前世の私の習慣となっていた。
青春時代には同じゲームセンターで可愛く写真が撮れる機械がピチピチの若い女子の間で大流行していたが、当時あれを一回撮る料金で五回もピチピチできたのだ。
なので私は当然ピチピチを選んだ。
点数パーフェクトを迎えたのもその頃だった。若さとは宝である。
初デートでは得意になって鍛えた腕前を披露したものの、相手の顔は覚えていないがドン引きされたのは覚えている。
異性よりも先に魚と一線越えた仲になっているのをアピールしてもしょうがなかったと反省している。
まあ、後の夫には大ウケしたので、結局は相性という奴だろう。
生まれた子供にも教えようとしたがあまり興味を持ってもらえず、英才教育は失敗に終わった。
やがて時代が移ろう間に、製造元の倒産やら、耐用限界のためにその個体数は徐々に減っていき。
絶滅が示唆されていた晩年には、ついにネット上でささやかな保存会コミュニティを立ち上げ。
全国の有志(数名)から寄せられた情報を頼りに遠方のピチピチを求めて遠征旅行などもしていた。
まさしく前世の私のライフワーク。
うん、思い出した。大切ないい思い出だ。
生まれ変わっても思い出せたことを神様に感謝しなければならない。
これだけは忘れないようにしっかりとノートに書き残しておこう。私は記憶力はそんなに良くない。
他にも、楽しかった思い出は覚えている限り書いておくことにした。
だいたい面白いと思って好きだった遊びのことばかりだ。長続きはしないけれど、面白いことは大好きだった。
前世は楽しい人生だったなぁ。
今度は公爵家なんて裕福な家に生まれたし、前世以上に楽しく好きなように生きたいものだ。
そんなことを思いながら前世の一生を紐解いているうちに、ふと何かが引っかかる。
なんとなくこの世界が、そして自分の『カレッタ・ラミレージ公爵令嬢』という名前の響きが、どこかで聞いたことがあるような……。
あら? 何だったかしら、ゲーム? アニメ?
前世の若い頃、乙女なゲームや小説にほんの一時期はまって数作触れた中に、似たような名前があった気がするんだけれど……。
まあ、前世の、しかも異世界の架空のお話ですもの。今のわたくしには関係ありませんわね。
そんなことより『ピチピチ』に思いを馳せて過ごしましょう!
※改行追加・後半部改稿(2023.4.7)