16 遊ぶ人間の矜持
「そんじゃま、今日はサクッとやりましょうかね、お兄さん方」
「お友達の前でサクッと泣かせてやるぜー」
あれよあれよと準備を整え、テーブルについた男の子はガラの悪い男たちと花数え札を初めてしまった。
ゲームは賭け事によく使われるルールのもののようだけれど、わたくしはあまり詳しくないので、見ていてもよく分からない。パシパシと軽快に札を入れ替えては、たまに勝敗が決しているのか、各々が悔しがったり喜んだりして、今度はコインの交換をする。
次第に差が付いてきて、男の子のコインが空になると、彼は舌打ちしながら乱暴にコインを追加してゲームを続けた。悪いお兄様方はホクホク顔だ。
もしかしてこの子、ものすごく弱いのでは?
と考えてしまったところで、わたくしはあることに気が付いた。とても微弱な魔力がテーブルと、周りの人間の間に張り巡らされている。
それとなく視線をルーデンス殿下に送ると、殿下も気付いていた様子で、困惑したような視線を返してくる。魔力のない平民の男たちは全く気が付いていないようだけれど、その発生源は間違いなく、小さな男の子だった。
「くそ、また負けた」
男の子は何度目かわからない悪態をついて手札を場に投げた。持って行かれたコインを眇めた目で眺めて、さらにコインを追加しようと懐を探る。
そこで、男の子の椅子の背に手を掛けたルーデンス殿下が、固い声で言った。
「あの、僕にもやらせてください」
男たちが一斉にルーデンス殿下に注目する。男の子は怪訝そうに殿下を見上げた。
「僕もやりたい。ダメ、かな……」
男たちの威圧にも負けず主張を取り下げない殿下をしばし眺めた男の子は、やがて小さく息を吐くと、おとなしくその席を殿下に譲った。
わたくしはハラハラしながら成り行きを見守ることしかできない。まさか殿下も良くない遊びを覚えてしまったのだろうか。いよいよ豪遊の噂が現実に?
「いくら賭けんだ? お坊ちゃん」
新鮮な子ガモに札を配りながら下卑た笑いを浮かべる男たちに対し、ルーデンス殿下は普段のちょっと頼りない雰囲気が嘘のように、背筋を伸ばして真っ直ぐに相手を見据えている。テーブルの下で握るこぶしが震えているのがわたくしからは丸見えだけれど。
「何も賭けたくありません」
「あぁ? ふざけてんじゃねぇぞ」
「勝ち負け以外、何も賭けたくありません」
男たちが凄んでも、殿下は主張を変えなかった。ほんの一瞬、殿下がちらりとこちらに視線をよこす。
その瞳の中に、なにやら確信めいた光が見えた気がした。
これはもしや、さっきわたくしが自分の遊びへのこだわりを話したりしたから、彼の考えに何か影響でも与えてしまったのだろうか。大変光栄なことだけれど、それは今貫くべき理想ではない。どんどん悪くなる空気に、わたくしの冷や汗も止まらない。
そんな場の空気を打ち壊して救ってくれたのも、あの男の子だった。
「あっははは! 面白い! 君、そんなに頑固な奴だったのか」
お腹を抱えて笑った男の子は、迷いなく懐からコインを取り出してテーブルに置いた。
「いいよ、じゃあ俺が賭ける。この子の勝利に掛けてやるよ」
すこし多めのコインを認めて、男たちはそれ以上の追及を止めた。
殿下が驚いたような、非難するような顔で男の子を見ると、男の子はいたずらっぽく歯を見せて笑った。
「まぁ、期待しないけど、頑張ってよ」
「……うん。君のために、本気で頑張る」
殿下は口を引き結び、大きく頷いた。
それから幾度も札が巡り、コインが巡り。
やがて出来上がったテーブルの上の状況に、男たちは唸り、わたくしと男の子は震えていた。
「ウソだろ……つっよ……」
男の子が呟く声に全面的に同意する。
わたくしには細かい盤面はわからないけれど、頭を抱える男たちの様子と、男の子の前に出来たコインの山で状況は一目瞭然だった。
「おじさん、今のその札」
迷いのない殿下の宣言で、指名された男が引いたばかりの札を苦々しげに場へ捨てる。隣にいる男の子が男たちに聞こえない声量で「マジかよ……イカサマも潰してやがる……」と呟いている。マジですの……?
「よし。今度も僕の勝ちだね」
手札を放る男たち、積み上がる男の子のコイン。
静かに男たちを見据える殿下とは対照的に、男たちの雰囲気は苛立ちに満ちているのが素人目にもよくわかった。男の子のコインは、今日の賭けで失った分をすっかり取り戻してお釣りも出せるほどの有様だ。
男たちは剣呑さも隠さずたばこを灰皿に押し付け、コップの酒を呷り、膝をゆさゆさ揺すって殿下を睨んでいる。
「さぁ、次は?」
今にも殿下に飛び掛かってくるのではないかと思えるほど膨らんだ威圧感に、わたくしはとうとう我慢できなくなって殿下に声を掛けた。
「ここまでにして差し上げましょう」
緊張のあまり抑揚が消えて平坦になったわたくしの声は、張り詰めた空間にやけに冷たく響いた。言葉の選択も間違った気がする。なんですの、この謎の強者感。
とはいえ年端もいかない少女の声に、男たちも多少は冷静さを取り戻したようだった。相対している存在が、彼らを食らう猛獣ではなくただの子供だということを思い出したのかもしれない。
男たちは全員気が抜けたように深く椅子の背に寄りかかり、溜め息を吐いた。
「やめだやめだ。これ以上やったら素っ裸にされるぞ」
「久々におっかねぇモン見ちまったぜ……」
「はっ、だから言っただろ、痛い目見るぜって」
なぜか偉そうにしながら、男の子は取り戻したコインをいそいそとしまい込んでいた。そして、集中が切れて放心したように座っていたルーデンス殿下の肩に、気安くポンと手を置いた。
「さてと。気が済むまで遊んだな。約束通り上まで送ってやるよ。そろそろ君らの連れも心配してるだろう」
「あっ、そうだった」
はっと肩を震わせて席を立つ殿下。その場を離れようとしたけれど、ふと足を止めてテーブルの男たちに向き直ると、赤い頬でこう言った。
「あの、対戦、ありがとうございました。とても……とても、楽しかったです」
それを聞いた男たちは、揃って一気に十歳は老け込んだかと思うほどげんなりしていた。
隣で必死に笑いをかみ殺した男の子は、わたくしと殿下の背を玄関のほうに追いやりながら、いつの間にか厨房のカウンターにもたれて様子を見ていた店主に声を掛けた。
「じゃ、また来るよ」
「その坊ちゃんはもう二度と連れてくるなよ。それと……」
店主はそこでいったん言葉を区切り、重々しい口調で続けた。
「これは親切心で言っておくが、帰り道には気をつけろよ」
「……わかってるよ」
そんな会話にうすら寒いものを感じながら、わたくしたちは無事に出口の扉をくぐった。




