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忘界のロア  作者: 河伯ノ者
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第二話

 視界を染める赤色の肉の壁。それは見ているだけで精神を不安定にしてしまう程、狂気的で冒涜的だった。


 柔らかで不安定な肉の床は歩くだけで多くの体力が奪われてしまう。


 まだ、そう長く歩いていないというのに息が切れる。


 変わらない視界はまるで無限の廻廊を歩かされているかのような錯覚さえ感じてしまう程だ。


 いや、そもそも生きているのだろうか?


 あの瞬間、世界が塗りつぶされた瞬間に自分は何者かに捕食されてしまい、意識の身を残した死体へと成り替わったのではないだろうか?


 生きていたとして、ここから無事に出ることができるのだろうか?


 精神が黒く塗りつぶされるように、気力も体力も全てを奪われていく絶望感がツァラの脳を侵し始めていた。


 彷徨う死体のような心は、狂気の世界で死にゆく彼への祝福にも思える。


 もう休んでしまおうか?


 それは甘美な誘惑に他ならない。


 何を頑張る必要がある?


 それは癒し手の囁きに他ならない。


 どうせ、人は死ぬ。その後で、また生まれればよいだけではないか?


 心に染み出した甘い毒が彼を深淵へと誘う。


 まずは足が止まった。次に、彼はその場に倒れ込む。柔らかな肉の床は彼を優しく包み込む。それはまるで母の膝の様に暖かだった。


 生まれ直そう。人は死に、そして生まれ直すものだろう?


 そうだ、生まれ直していいのだ。


 ツァラの体が徐々に肉の床へと沈んでいく。バイザーの奥で瞳を閉じる彼の表情はとても穏やかに思える。


 さぁ、生まれ直すのだ。


 


「ツァラ、どうしたんだ、応答してくれ!」


 達磨のように太った大男、ジョン・タイターは通信不能に陥ったツァラトゥストラとの交信を何度か試みた。レーダーの反応は変わらず、彼が入った部屋の地点に残っている。


 しかし、彼への通信は全く行うことができない。


 つい先日、謎の大量発生をした異跡群。ツァラが派遣された病院は大きさこそかなりの物だったが、魔素濃度などの点から見ても危険性は低い部類だったはずなのだ。


 しかし、その目論見とは大きく外れ、通信不良に見舞われている。


 その上、現在地が一向に変わらないことを考えると、侵食型の異変か精神ハックを受けている可能性が高い。最悪、彼がこのまま廃人になる可能性もある。


 ジョンに求められるのは迅速な対応と現状の把握だ。


 ひとまずツァラのバイタルには異常はない。が、緊急事態は緊急事態だ。打てる手を打っておくべきだろう。


「こちらジョン、第三階層の異跡を調査中の局員との通信が出来なくなった、至急応援を要請する。繰り返す……」


 本部への支援要請。これで待機中の局員がすぐに向かってくれることだろう。


「ツァラ、無事でいてくれよ……」




 悲鳴のように耳をつんざく警告音でツァラは目を覚ます。状況を確認する為、体を動かそうとするが動かない。


 既に半身が肉の床に呑まれている。このままでは肉の床が全身を呑みこむだろう。


 強い焦燥感を感じるものの、ツァラは極めて冷静であった。


 魔素濃度は十分、これなら威力にも期待できるだろう。ほぼ自爆のような手段だが、考えている時間がない以上やるしかないだろう。


「展開プレイ、守護者の盾イージス!」


 床が光り、ツァラの体がはじけ飛ぶ。


 床の中に展開されたのは魔素で構築された魔導盾。あらゆる攻撃を弾く盾を使うことで自らの体を弾き飛ばしたのだ。


 天井に打ち付けられ、床に転がるツァラ。


 防護スーツのおかげで大した怪我はないが鈍い痛みが全身に走る。


 全身のチェックを行う。先ほどの衝撃で魔素の貯蔵タンクの一つが破損したようだ。それ以外に目立った外傷や損傷はないのは救いだろう。


 ともすれば、あのままこの異跡に呑まれていた可能性すらあるのだから。


「やはり通信はできないか、あまり長居するのも禁物だな」


 ツァラは進み始める。何処に向かうかなどは考えていないが、恐らく考えても無駄だろう。建物が生きているのだから、構造そのものが変わっている可能性すらある。


 精神状態はさほど変わりはないが、痛みのおかげか先ほどよりはマシに思えた。


 頼りになるのは赤ん坊の声だけだった。いつまでも聞こえてくる声を頼りにツァラは進み続ける。


 そして、ついにツァラは階段を見つけた。


 肉の残った骨で作られた手すり、照明は臓腑でできている。


 上階に続く階段を覗くと天井は肉で覆われており進むことはできない。下に行くしかないようだ。赤ん坊の声もそちらから聞こえている。


 肉の階段を一歩ずつ降りていく。踊り場を折り返すと下の階の様相が見え始めた。


 相も変わらぬ肉の世界。


 しかし、違うのはその中に動くものがいるということだ。


 痩身の人型がユラユラと揺れながら同じ方向に向かって歩いている。


 その体は骨と肉でできているのかという程細く、顔に当たる位置には目も鼻もなく穴が開いているのみだった。体の一部がキラキラと煌く鉱石となっており、その部位は個体によって異なっている。


 ツァラはその人型の後ろを歩いていく。


 気付いていないのか、そもそも敵意がないのか、ツァラが近づこうとも彼らがツァラに構わず歩いている。


 人型の一体が個室へと入る。


 そこにいるのは二頭身の太った小人のような存在だった。金属の球体の体に金属の足を持ち、肉の触腕が付いている。顔はとても簡素で目に当たる部分はカメラのレンズのようなものが付いていた。


 人型はソレの前に来ると小さな丸椅子に座り、小人と対面する。


 雪だるまのような見た目のそれは、その触腕を動かして彼らの体から鉱石を取る。その後、何やら注射器のようなものを使って液体を打ち込むと体についた口で鉱石を食べ始めた。


 人型は立ち上がり、踵を返してきた道を引き返していく。


 奇妙な光景だった。機械的に行われるこの行為は、どの部屋でも行われており、次々と人形達が鉱石を小人に差し出している。


 中には頭や胴体もなく足だけで歩いているものもいる。


 ツァラが気付いたのは、奥に進むほど体を構成する鉱石の部分が大きくなっていることだ。


 最初は体の一部だったのが、奥に行けば行くほど両腕になったり、両目になったりしている。


 小人もそれに応じるかのように大きさが変わってきている。


 廊下の終わりが見えてきた頃には、全身が鉱石の人型が現れ始めた。


 彼らは小人(最早、人と変わらないが)の前に来ると、自らその腹の中へと入っていく。


 小人はごみを捨てるかのように腹から骨のようなものを吐き出すと、それを廊下に投げ捨てる。


 ツァラはついに廊下の最奥にある扉の前へと立つ。


 それは今までの扉と違い、金属質でかなりの大きさの扉だった。


 巨大な扉を押すと、ソレは重い音を立てながら開いていく。地下へと続いている階段。その内側に入ると扉は自動的に閉まっていく。


 扉の内側は変わらずの肉の世界だが、先ほどまでよりも床が固く歩きやすい。これならスパイクは不要だろう。


 扉を押したり引いたりするが動く気配がない。どうやら引き返すことはできないようだ。


 ツァラは覚悟を決めて階段を降り始める。まるで王の墓にでも向かうかのようだとツァラは思った。


 そして、その考えは正しかったと実感することになる。


 階段を降り切った先に会ったのは大きな、とても大きな広場だった。


 その中心に鎮座するのは、先ほどまでの人型の2倍は大きな躯からだを持つ痩身の王だった。


 肉の椅子に凭れかかり、朽ちた草の茎のような髪を生やしている。人型との違いは歯がしっかりとあることだろう。相も変わらず髑髏しゃれこうべのように骨と皮しかない肉体は最早憐れみすら覚える。


 その体には何本ものチューブが差し込まれており、常にそのチューブから何かを送り込まれているようだった。


 髑髏はツァラに気が付いたかのように、その細い腕を、足を動かし始める。


 近くにあった何かの液体が入った袋を下げた金属柱を手に取ると、痩身の髑髏はゆっくりと立ち上がってそれを振り上げる。


 もう片方の手で振り上げた金属柱を掴むと唸り声にも似た咆哮をあげた。


 そして、金属柱をツァラに向かって振り下ろす。


 ツァラは間一髪でそれを避けるが、痩身の髑髏は叩きつけたそれを、そのままツァラの方へと振り抜いた。


 自身の体よりも大きな金属柱はツァラの体を軽々しく飛ばすには十分すぎた。


 ツァラは壁に打ち付けられ、ゴミのように転がる。


 痛む体を押さえて、ツァラは急いで立ち上がる。痩身の髑髏は追撃を加えようと再び金属柱を振り上げていた。


 ツァラは腰に携えた鞘に拳銃を差し込む。


「起きろ、フェンリル!」


 自身に向かって振り下ろされる金属柱。


 ツァラはグリップを起こすと鞘からソレを引き抜いた。


 金属柱は弾かれ、痩身の髑髏は体制を崩した。


 彼が引き抜いた拳銃は彼の身長をも越えるほどの大きな剣の姿をしていた。片刃のグレートソード。刃の反対側には銃身が付いている。これが、これこそが彼の武器、『魔導銃剣フェンリル』である。


 痩身の髑髏は体制を立て直すと、重い足音を立ててツァラの方へと向かってくる。


 ツァラも反撃開始とばかりに近づいていく。


 痩身の髑髏はその大きな手でツァラを叩き潰そうとする。が、ツァラはブースターを使い回避する。


 当然、それを追うように薙ぎ払おうとする痩身の髑髏。ツァラは飛び上がりその攻撃も難なく回避した。


 そして、その足元に着地したツァラはフェンリルを振り上げて、その足を切りつける。が、切った個所は瞬時に塞がっていく。その箇所は他の人型にもあったような鉱石へとなっていた。


 ならばとその鉱石にフェンリルを振り下ろすが、その刃は弾かれツァラは体制を崩してしまった。


 その瞬間、髑髏の足が迫ってくる。


 回避もガードも間に合わなかったツァラは再び、吹き飛ばされて壁へと叩きつけられた。


 攻撃しようと瞬時に治り、鉱石の体になるのでは倒しようがない。


 痩身の髑髏は再びこちらへと向かってくる。


 バイザーからは各部位に追った損傷を知らせる警告が表示されている。これ以上攻撃を喰らえば、防護スーツが破れ、高濃度の魔素に体を晒すことになるだろう。


 痩身の髑髏は最初と同じように金属柱を振り上げて、ツァラへと振り下ろす。


「モード、ブラスター!」


 ツァラはフェンリルを構える。彼の声に反応し、フェンリルの銃身が伸び、グリップが倒れた。


 ツァラは引き金を引く。


 圧縮された高濃度の魔素がエネルギーとなって、その銃身から放たれる。


 痩身の髑髏の体を吹き飛ばすほどの威力を持った一撃。金属柱はおろか、その体さえも失った痩身の髑髏は倒れ伏した。


 ツァラは奥へと向かおうとゆっくりと立ち上がる。


 が、次の瞬間、痩身の髑髏の体は見る見るうちに、鉱石を生やしその体を再構築する。その速さは凄まじく、ものの数秒でその体を作り直してしまった。


 ツァラはフェンリルを構える。しかし魔素の残量は先ほどの所為でほとんどない。先ほどのように吹き飛ばすのは不可能だろう。


 痩身の髑髏の体の再構築が終わった後、その体から鉱石が剥がれ落ちて、元の姿へと戻ってしまった。


 その時だった。何処からともなく先ほどの通路で見た小人たちがやってくると、その鉱石を集めている。既に痩身の髑髏は体を取り戻したというのに小人たちがいる所為か動く気配がない。


 ツァラは強い光を感じ、ふと上を見る。


 広場の上の方にガラス張りの部屋がある。そこには白い光の体を持つ何者かが三体ほどいた。暗闇の双眸でこちらを見るソレをツァラは睨み返す。


「なるほどな、こいつは傀儡か」


 恐らく、この巨躯の怪物を飼いならし、これから生成される鉱石を集めていたのだろう。


 永遠に生き長らえさせることで、痩身の髑髏から鉱石を搾取し続ける。それこそがこの異跡の正体なのだろう。


 ツァラは小人の一体へと近づいていく。


 そして、フェンリルでその金属の体を貫く。金属の切れ目からは白い光が漏れて消えていく。どんな反応をするかと思い、上を見てみるが光の存在の様子に変わった様子はない。なるほど、これに意味はないようだ。


 ツァラが様子を窺っているうちに小人たちが去ってしまったようで、痩身の髑髏が動き始める


 先ほどと同じようにゆったりとした動きで近づいてい来る痩身の髑髏。


 ツァラは考える。この巨躯の怪物をどうやったら倒せるのか、そも倒せないとしたらどう逃げるかと。


 痩身の髑髏の動きは単調だ。が、問題はその巨躯だ。迫る攻撃を避けるだけでも労力がかかる。


 再び振り上げられた手のひら。


 ツァラは走り出す。振り下ろされる手を潜り抜け、足の間をスライディングですり抜ける。


 痩身の髑髏の背中には何本ものチューブが刺さっている。このチューブは何なのだろうか?


 もしやと思い、ツァラは椅子から延びるチューブを切り払う。


 上を見ると光の存在が強く揺らめいている。その姿は見るからに焦っているように見えた。どうやらこれは正解のようだ。


 振り返る痩身の髑髏の動きが心なしか緩慢になったように思えた。


 迫りくる痩身の髑髏は両の手を上げて押しつぶそうとそのまま走ってくる。


 幼い子供のような動き。しかし、その巨体を避けることできない。


 痩身の髑髏が椅子を押し倒すように倒れ込んだ。


 盛大な破壊音。舞い上がる土煙。


 その巨躯の下、ツァラと痩身の髑髏の間には光る壁があった。ぶつかる瞬間、『守護者の盾』を展開していたのだ。


「もう休め、死したる怪物よ」


 フェンリルに補助用の魔素貯蔵カートリッジを装填する。


 グリップを倒したフェンリルを痩身の髑髏に向け、その引き金を引いた。


 先ほどよりは細い、しかし威力は確かな一撃が放たれる。


 痩身の髑髏の体は再生しようと鉱石を構築するが、その鉱石は失った部位を補うことなく、全身を覆っていく。全身が鉱石へと変わった痩身の髑髏は、その体を四散させた。

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