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忘界のロア  作者: 河伯ノ者
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第一話

 罅割れた霞んだ色のタイルが、外からの光に照らされている。

 剥がれた壁紙やタイルがハウスダストとなって灰の様に舞い上がる。屋内は静寂と暗闇が広がるのみで、かつての栄華は欠片ほども感じられない。

 廃墟と呼ぶに相応しいそれは、しかしながら浮かび上がってまだ数日と経たない代物だ。この廃墟は空虚ではあるものの廃墟ではない。

 その空虚で物悲しい施設の中で佇む人物が一人。

 黒いぴっちりとしたアンダースーツの上に軍服を着込み、顔にはフルフェイスマスクを装着している。その背には魔素浄化装置が搭載されており、魔素濃度の高い環境でも活動ができるようになっている。

 バイザーに映る魔素濃度は適正値を下回っている。ここでならばマスクを外しての活動も可能だろう。

 マスク側面のヘッドセットのスイッチを押すとバイザーが分割され、マスクと共にヘッドセットの中へと収納される。

 その下には、歳にして十五歳前後と思われる黒髪の少年の顔があった。

 釣り上がった目尻、透き通るような白い肌、その整った顔立ちにはまだ幼さが残っており中性的な印象すら覚える。それはその肩口まで伸びた髪の所為でもあるのだろう。

 彼は深く深呼吸をすると再びヘッドセットのスイッチを押し、マスクを展開する。

「……やはり、空気が汚れているな」

 そう呟いた瞬間、ヘッドセットからノイズが走る。

『そりゃRMCに比べたらどこも汚れてるっしょ。今いるところの顕現年数は五百年程度、顕現強度はリアルだ、カビやら埃まで顕現している徹底ぶり。おかげで魔素が薄いから魔機マギの出力も半分以下だろうね、今回のやることはわかってる、ツァラ?』

 ボヤくような声の中にスナック菓子を食べる音が混じる。ツァラと呼ばれた少年、ツァラトゥストラは眉を顰め舌打ちをした。

「ジョン、お前また食料に手を出したな? 次やったらその腹を裂くと言ったはずだが?」

『御生憎様、これは僕が趣味で育てたポテトで作ったものだ、君の分も用意してあるから帰ってきたら食べるといい、エレミア達も喜んでくれたよ』

 ジョンのスナック菓子を食べる音に嫌気を覚えながらツァラは通信を切る。

 「他人の作ったものなんて誰が食うものか」

 吐き捨てるように発した言葉は誰の耳にも届くことなく消えてゆく。

 ツァラは闇の底を見るような目で辺りを見渡す。等間隔に並んだ安っぽい椅子。その奥には大きな受付台が見える。コルクボードには古い文字が書かれたマット紙が草臥くたびれた姿で鎮座していた。

 こうしていても時間の無駄だ、とツァラは建物の中を進むことにした。

 ひとまず扉の無い左側の通路を進んでいく。廊下には明かりという明かりはなく、外から射す光だけがその場を照らしていた。

 廊下の左側にはスライド式の扉が並んでおり、それぞれの扉の上にはその部屋を示すであろうプレートが飾られている。

 一つの部屋を開けるとそこには少し高さのある固そうな青いベッドと机が置かれている。奥には何やら大き目な棚があり、その中には化学薬品のようなものが入った瓶が並んでいた。どうやらここは医療機関かそれに連なる研究施設だったようだ。

 ナノマシンによる定期健診もない時代には、こうやって人の目による診察が行われていたのだろう。ツァラにしてみれば、人に体を触れられるなど寒気がするだろうが、そうしなけば病気や怪我を把握できなかったのだ。

 ツァラは扉を閉じて廊下の奥への探索に戻った。

 奥まで行くと上下階に向かう階段とその横にはトイレが設置されている。地下を覗いてみるが今以上の暗がりが広がるのみでまともに進めそうにもない。

 上は五階まで、地下も考えるなら計七階建てであると入口の見取り図には書いてあったが、この規模の建物の探索となれば一日では立ち行かないだろう。

「ジョン、アーティファクトの情報は掴めているか?」

 ツァラが通信を繋ぐと再び菓子の砕ける音が聞こえてくる。

『それがわかっていたらもう伝えてるさ、その《《異跡》》がデカすぎるからか知らないけど至る所に反応がある。どうやら残っている思念がだいぶ強いみたいだ』

 現代に呼び起された異跡と呼ばれるイレギュラー。過去の人類の思いによって世界に顕現するソレは大きさに関わらず、アーティファクトと呼ばれるものを内包している。

 アーティファクトに決まった形はない。それがどんなものであるかは、その異跡によって異なり、場合によっては異跡そのものがアーティファクトである可能性すらある。

 先の見えない探索に頭痛を覚えながらもツァラは階段を登っていく。

 踊り場から見上げた先は先ほどよりも明るい廊下だった。登り切った先を見ると先ほどまでとは違い、廊下の両側を部屋という部屋が埋め尽くしている。

 そして、先ほどまでは聞こえてこなかったものが聞こえてくる。

 耳障りな声、それは赤子の泣き声であった。遠くではあるものの、どこかで赤子が泣いている。

 無論、本当の赤子が泣いているはずはない。生産研究所で産み落とされた人間は一人ひとり管理されているのだから、異跡にいること自体あり得ないのだ。

「ジョン、どうやらこの異跡は子供を産む施設だったようだ」

 ツァラの言葉にジョンはしばらく沈黙する。

『君、それ本気で言ってるなら過去のことを知らなすぎるよ。そこは病院だよ、昔は男女の性交渉による妊娠を経て分娩されていたんだ。家族っていう単位で人が生活していたのさ』

「何故だ、わざわざそんなことをするなんて非効率じゃないか? 人間が欲しいなら研究所に依頼すれば欲しい性能の人間が作れるだろ?」

 ヘッドセットからはジョンの呆れた溜息が聞こえてくる。

『研究所が出来たのは人類衰退期だよ、その施設はもっと前にあったモノだ。それにそういう営みがあったのはもっと別の理由だよ、まぁ説明しても君は理解しないだろうから気にしないで』

 変なことを言う、とツァラは思ったが、そういうものなのだと呑みこむことにした。ジョンがこういうことを言うときは大体、自分には理解不能なことなのだから聞いても意味がない。

 赤子の声は途絶えることなく、どこからともなく聞こえてくる。異跡を進めばその正体に辿り着けるのだろうか?

 廊下を進むとカウンターのある少し広めの場所へと出た。カウンターの奥を覗くと事務室のようになっており、古いデスクトップパソコンが何台か見える。無論、劣化していることを考えると記憶装置のデータも残っていないだろう。

 小さめの鉄扉のドアノブを引くが鍵がかかっているようで開かない。仕方ないので魔導小銃でドアノブを数発撃ち破壊する。錆びついたドアノブは簡単に頭を落としシリンダーを覗かせる。ラッチケースも同じように破壊すると扉が動いた。

 中に入り、机の中を覗いたりしてみるが目ぼしいものは何もない。無駄骨かと肩を落としたツァラの目に飛び込んできたのは床に半分ほど埋まった一枚の書類だった。

 おそらくこの病院が顕現した時に、うまく生成できなかったのだろう。

 ツァラはしゃがんで紙に触れるが、床に埋まったそれは床と同じ材質になっているのか破くこともできない。

「これ、解読できるか?」

 ツァラが送って数秒後に翻訳された状態の画像データが帰ってきた。どうやら死亡届のようだ。

『ほとんど埋まってる所為かな、読める部分だけの解析だから文章はおかしいけど、誰かが死んだときにもらう書類みたいだ。こんなのデータにすればいいのにね』

 ツァラは断片のみの情報を読み進める。

「死んだのは赤ん坊のようだな」

 赤ん坊は母の腹の中で死んだ。

 外界を知ることもなく、およそ自我と呼べるものすら持たなかった生命が死するということには流石のツァラも下唇を噛んだ。

『感傷的になる気持ちはわかるよ、親って概念をよく知らない僕らでも、やっぱりこういうものを見ると悲しくなるのは、僕らの遺伝子がそういうことを覚えているからなんだろうね』

 ツァラは立ち上がり部屋の出口へと向かう。

 扉を押し、部屋を後にしようとするツァラ。

 しかし、彼は目の前の光景に息を呑んだ。

 

 視界一面に広がる壁は先ほどまでとは打って変わり、白さもなければ朽ち果てた色もない。そこに広がるのは拍動する赤い肉の壁であった。

 ツァラは思わず振り返る。部屋を侵食していく肉の壁は浮き出た血管と粘性のある液体を纏いながら現実を呑みこんでいく。光を失い、足場も肉に覆われていく。

「ジョン、聞こえるか。何が起きている!?」

 ツァラは混乱し叫ぶがノイズが聞こえるだけで返答は帰ってこない。通信不能に陥ったツァラは何度も試みるが、ついにジョンの声が返ってくることはなかった。

 ひとまず視界の確保をする必要がある為、ツァラはマスクを操作してライトを点ける。視界に広がる世界は赤く染まっていた。

 そして、木霊する赤子の泣き声は先ほどよりもひどく、そして大きく聞こえる。

 足場も肉となり、粘性の液体が酷いためスパイクを展開し、少しでも歩きやすさを確保したが足の裏から伝わってくる拍動が妙に生々しくて不快だった。

 まるで怪物の胃の中だ、とツァラは眉を顰める。

 この異跡における異常事象に混乱したが、現状これ以上の異変は感じられない。ツァラは深呼吸を繰り返して、自分の中に冷静さを取り戻していく。

「ここから先は本物ってことか」

 バイザーのモニターが示す魔素濃度は異常値を示している。

 異常な肉の大地を踏みながらツァラは異跡の中を進むのだった。

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