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Blackish Dance  作者: ジュンち
98/227

98話 俯瞰

高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。

 地下道に入ったヒデは四人のあとを追った。キョウなら十分通れる高さだろうが、ヒデは少し頭を低くした姿勢で通らざるを得なかった。森から続いたような独特な自然の匂いがこもっている地下は、床、壁、天井全てが土のままで、ところどころ木で補強されている。今しがた通って来たばかりの背後には闇が広がるばかりで、明かりと言えばシドが持っている小さめの懐中電灯だけだ。

 暗闇は時間間隔を狂わせるのか、数分にも数十分にも思えるような長い道のりを歩いたところで、やっと外へと続くはしごに辿り着いた。

 先頭のシドが一人はしごを上がった。ぽっかり口を開けたままの穴の外は遠くはっきりと見えはしない。しかし屋根が見えることを考えると、ミヤの言うとおり、そこはどうやら室内らしかった。

 しばらく待機していると、シドが再びはしごを降りて地下へと戻って来た。はしごを降り切らないうちに外の様子を伝え始めた。

「この出入口を隠すためだけに建てられたような掘立小屋に出る。ミヤは扉の前に見張りがいると言ったが、わざわざ扉から出てやることもないだろう。天井と壁の隙間から外へ出られた。キョウ、ついて来い」

 シドの後に続いて、地下から地上、そのまま屋根に上がったキョウはぐるりと周囲を見回す。小柄なキョウですら、歩くたびに屋根が小さく悲鳴を上げるように軋む。ぼんやりしていると踏み抜いてしまいそうだ。

「ケイさん、見えますか?」

『あぁ。そこが黎裔(レイエイ)のほぼ真南に位置する。那由他が普段生活していると思われる場所はそこから北東、直接距離にすればおよそ十町、十五分ほどだ。ちょうど今キョウが見ている方角だな』

 ケイが見つめるモニターの映像が上下し、キョウがうなずいていることがわかった。そして次にシドが映し出される。いつも自分が見ている高さとは違う角度から見上げるシドの様子は新鮮に見えた。

 シドはケイではなく、地下で待機しているヤンに向かって話しかける。

「ここの見張りを始め、裔民(エイミン)とやり合うつもりはない。黎裔(レイエイ)での面倒ごとは極力避ける。那由他の所へは屋根伝いで向かうのが一番いいんだろうが、このトタン屋根の強度では心許ない。地上から向かったほうが早そうだ。黎裔(レイエイ)は電気もなく、夜は暗闇だろう。日が落ちるまで待つ。俺はここに残る。以上」

 そう無線が切られると、一分と経たないうちにキョウが地下へと戻ってきた。地下の暗闇に残されていた三人は声をひそめてはいるものの、我先にと質問をぶつける。あと少しで謎に包まれた黎裔(レイエイ)だというのに、こんな景色のない地下で「待て」の状態では気がはやるのも無理はなかった。

 勢いに押されつつ、キョウは「僕もしっかり見たわけじゃないから」と苦笑い気味に答えた。痺れを切らしたように、ヤンははしごを上り始める。

「シド、俺もそっちに行く。先に見ておいても損はしねぇだろ」

 シドの無言を肯定ととらえるヤンはさっさとはしごを上り切った。その姿がすっかり見えなくなってからチャコも立候補するが、ヤンに「定員超過だ」とあっさり断られた。

 屋根に上ったヤンは、想像よりもはるかに劣悪な貧民街に眉をひそめ、渋い顔をする。

「外界と隔絶されたから、こんなことなってんのかな」

 しゃがんで、遠くを見るように手をかざしたヤンはそうボヤく。家とは言い難いような建物が所狭しと並び、山と言って差し支えないほどのゴミが目視できる。今まで経験したことのないような悪臭も、今が冬だから多少抑えられているのだろう。もし再来することがあるなら次も冬であれと願った。

「元々貧民街だ。壁ができたところで大差ないだろう」

「だな。けど、何か、蜉蒼(フソウ)のことを許すつもりもないし、敵だってこともわかってるけど、何て言うか、出自は同情する」

 腕組みをしたままのシドは、屋根に胡坐をかいたヤンを見ることもなく、遠くを黙って睨み続ける。

「那由他が言ってたんだよ。『お前らは恵まれてるくせに』って。俺は自分が恵まれてるとは思ってないけど、最低限の衣食住が保障されてるなら、裔民(エイミン)にとってはそれだけで恵まれてるんだろうな」

 ただ不愉快な風が髪を撫で通り過ぎていく。ヤンはそれきり黙った。この建物があるのは人通りが多い場所のようで、絶えず雑踏の騒音が聞こえている。さすが人口が最低でも十万人と言われているだけあるなと、自分の声を掻き消してくれていた喧噪に少しだけ感謝した。


 しばらく時が流れた。元々長かった影が更に長さを増したころ、ヤンはシドに交代を告げて立ち上がった。何も持たない自分よりもキョウがここにいた方が得策だと今更ながら気付いたからだった。何度か屋根を軋ませたところでシドが口を開く。

「今年の祝詞(しゅくし)は、ヤンだったらしいな」

 突然の言葉にヤンは一瞬動きを止め、振り返った。

「ミヤから聞いた。俺もやっとお役御免だ」

「今年だけだろ。またシドに戻る」

 シドの視線はヤンを見ることはない。数歩戻ったヤンは肩を並べて同じ方角に目を向ける。

「俺はシドがいい。来年もその先も、ずっと。けど、なぁシド。聞いていいかわかんねぇんだけど」

 一旦口をつぐんだヤンは唇を噛む。

 ヤンがシドの境遇を知っているはずはない。しかし、何か異変を感じているのか、それともただの偶然なのか、続けた言葉にシドは静かに息を吸った。

「シド、どこか遠くへ行くのか?」

 吸った息を再び静かに吐き出すと、動揺することもなく、同じ姿勢を保つ。これから先、この黎裔(レイエイ)での任務が終わったあとのことはシドにもわからなかった。このまま既死軍(キシグン)(イザナ)として残るのか、それとも、元帥の息子として連れ戻されるのか、はっきりとした未来は見えていない。ミヤやケイの腹の内は決まっているのかもしれないが、今はそれを知るすべはない。

 返事がないことが当然であるかのようにヤンは話を続ける。シドが聞いていようが聞いてなかろうが、関係なかった。黎裔(レイエイ)という不思議な雰囲気が、少しだけヤンを感傷的にさせていた。

「俺さ、シドに出会ってなかったらとっくに死んでたと思うんだ。あの時、俺はもうフェンスに足までかけてた。だから何のためらいもなく飛び降りてたに決まってる。けど、せっかく上ってたのにさ、ルキに引きずり下ろされて頭も打つし、気も失うし、散々だったな」

 ヤンはふっと笑う。もう何年前のことかは定かではない。ただ、その光景ははっきりと覚えていた。

「俺をこの世に引き留めたのは、俺を引きずり下ろしたルキじゃない」

 今よりも少し背の低い自分とシド、(イザナ)の制服を着たルキ、薬臭い病院の屋上、静かな真夜中、煌めくビルの明かり、全てが昨日のことのようだった。

「俺を生かしたのは、シドだ」

 そんな一連の思い出の中でも決して忘れることはない、人生が終わる瞬間、走馬灯のクライマックスとして見るであろうシーンが、まるで映像を再生でもしているかのように頭の中に見えていた。

「生きろとか、死ぬなとか、そんな言葉、あの時の俺には届かなかった。けど、シドだけは『生きていい』って言ってくれた。だから、今も、俺は」

「お前の生死など、俺の知ったことではない」

 やっと口を開いたシドがヤンの言葉を遮った。その表情は先ほどから少しも変わらず、視線も遠くを見据えたままだ。その心中は何年共に過ごそうとも推し量ることはできなかった。少し喋りすぎたなとヤンは自嘲気味にため息をつく。

「わかってるよ。俺のところに来たのはただの任務で、シドの言葉にも深い意味はないって、わかってる。けど、それでも、シドに生かされたって、思わせてくれよ」

 恐らく、(イザナ)の中では一番多くシドと共に任務をこなしてきただろう。顔を見ずとも、シドがどんな表情をしているかはわかるような気がした。全てを自分の都合のいいように想像しているだけかもしれない。もしそうであったとしても、ヤンにとってはそれが真実だった。

「さすがに、そばにいてくれとは言わない。けど、既死軍(キシグン)にはいてほしい。シドが既死軍(キシグン)を離れたら、俺の生きてる意味がなくなる」

「俺の人生は既死軍(キシグン)のものだ。俺に決定権はない」

 自分に言い聞かせでもするかのように、シドはそう言いながら僅かに拳を握った。既死軍(キシグン)として正しい思想、正しい発言だ。しかし、年末の一件以来、はっきりと自覚した本心との齟齬を感じているのも確かだった。

 相変わらずのシドらしい言葉にヤンは少しうなずくと、踵を返して地下へと戻っていった。空にはいつの間にか昼と夜の境目が訪れている。

 シドは少し移動して屋根から顔を出し、下を覗いた。ミヤからの情報通り、自分がいる掘立小屋の入り口には見張り役が一人座っていた。薄暗いからか、武器らしいものは持っていないように見えた。暗くなり始めた黎裔(レイエイ)は視界が悪く、徐々に出歩く人も減っていく。そろそろ行動を開始するころかと、頭を任務に切り替えた。

 そうこうしているうちに、次に現れたのはキョウではなくチャコだった。ぽつりぽつりとついている電灯に、「俺らんとこより発展しとるやんけ」と、電気の通っていない堅洲村(カタスムラ)とを比較して小さく笑った。

「そろそろ行くんか?」

 シドは返事をする代わりに、空を見上げた。夜の帳が下り、星々が輝き始めているが、月はまだ出ていない。自家発電設備でもあるのか、チャコの言うとおり数か所には電気が灯っていた。しかし、それは問題にするほどの個数でも明るさでもない。

 この任務の指揮は全て自分にかかっている。ケイが取り戻してくれた日常を二度と手放すつもりはなかった。自分が歩んできた道には起点から既に屍の山が築かれている。そして、目の前に続く平坦な道にも、終点まで数多の屍が転がることになるだろう。それがシドにとっての日常だ。

 シドは空を見上げたまま、口を開く。

「那由他のもとへ向かう。経路はケイに、最後尾はヤンに任せる」


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