97話 彼我(ひが)の境
紙一重の、選択。
キョウの穏やかな寝息が聞こえる中、ミヤの話はまだ続いていた。シドは端から聞く気もなかったようで、早々に寝入っていた。
「ここからは旧帝国軍の失態になるから話すのも気が引けるが、しないわけにもいかないだろう。『風真』についてだ」
この名前は既死軍にいれば誰でも耳にしたことはある。情報の多少はあるが、風真が蜉蒼を率いる人間だということは全員が理解していた。
「風真と言う名の元を辿れば、旧帝国軍、第二次世界大戦時の風真煌暉大尉に行きつく。現在の風真も風真煌暉大尉の血縁者だとすれば孫か、ひ孫ぐらいにはなるだろう。風真は一度は死んだと聞いてはいるが、どうも那由他の話を聞く限りでは、今も存在しているようだ。ただ、名前だけ引き継いでいる可能性も大いにあるから、詳細は不明だがな」
ミヤを一旦中断させ、ヤンが授業よろしく手を挙げる。
「なぁなぁミヤ。旧軍の大尉ってどんぐらい偉いんだ?」
「そうだな、前線に出てる最高位だと思ってくれればいい。偉いというか、武勇に優れていた、もしくは陸軍士官学校、今の帝国軍大学校の成績優秀者という感じだな。風真大尉は後者だったと思われる」
ヤンは納得したようにうなずき、ミヤの話を待った。旧帝国軍については歴史の授業で習うことだが、満足に学校教育を受けていないことはそれぞれが自覚していた。それを取り戻そうとでもするかのように聞き入っている。
「第二次世界大戦の戦局は知っていると思う。帝国は最終的に勝つことは勝ったが、他国との同盟や支援があってこそだ。いくつかの植民地も奪われたまま終戦を迎えた。だからこそ、軍の再編が行われた」
「それと風真、何が関係あんねや? 貧民街と軍の大尉って関係なさそうやけどな」
「第二次世界大戦は辛勝だった。それゆえ大局を見極められず、敗戦色が濃厚になった一時期、脱走兵が黎裔に逃げ込んだことがある。その脱走兵を率いていたのが風真煌暉大尉だ」
思いもよらなかった展開に、三者三様の驚きを示す。誇り高き帝国軍人、ましてや大尉まで成り上がった人間が、ヒデたちからしてみれば奇行にも近い行動をなぜ取ったのか、全く理解できなかった。
「風真大尉の出身は黎裔から一番近い集落だった。当時から既に黎裔は世間から隔絶されていたようだが、近隣であれば何かしら噂ぐらいは聞いたことがあっただろう。風真大尉は自分の部下数十人を引き連れて脱走した。当時も今と変わらず、脱走兵は重罪人。死あるのみだ。討ち死にも死刑も恐れた結果だろうな」
まるで自分の部下の失態であるかのようにミヤは眉間にしわを寄せている。この一件さえなければ、蜉蒼は生まれていなかったかもしれない。蜉蒼の暗躍に頭を悩まされている帝国軍や既死軍にしてみれば、悪い芽を摘めるときに摘んでおけなかった旧軍の体制は非難に値する。
今まで黙っていたヒデだったが、ミヤの最後の言葉に反応した。
「大尉にまでなった人が死を恐れるなんて、そんなことあるんですか?」
「さっきも言ったが、風真大尉は陸士上がりだ。陸士では優秀で、もちろん前線で指揮を執るのも見事だったと言われている。ただ『命を賭してまで戦いたいか』『帝国に命を捧げられるか』と問われると、答えは『否』だっただろうな。風真大尉は戦時中、一度軍内裁判にかけられている。詳細は割愛するが、軍を非難したとか、戦意を喪失させる発言をしたとか、そういうものだ」
「裁判にまでかけられたのに、処分はなかったんですか?」
「記録には厳重注意及び数か月の減給としか残されていない。戦況と能力を考えると、降格、除名するには至らなかったんだろう。今となっては真相はわからんがな」
「今ならどうなりますか?」
「即刻更生施設送りだな。酷ければ軍事監獄に入れられる。俺はどちらも行ったことがあるが、まぁ、きっと地獄のほうがマシだろうな」
「何や、ミヤもブチ込まれたことあるんか?」
けらけらと茶々を入れるチャコに、腕組みをしたままのミヤはせせら笑うように「何言ってるんだ」と口角を上げた。その目はいつもよりも冷ややかで、人間味のない色をしている。
「俺はブチ込む側の人間だ」
しばらくしてミヤの話が終わると、手持ち無沙汰になったチャコとヤンも夢の世界に連れて行かれた。結局、到着まで起きていたのはミヤとヒデだけとなった。ミヤは再びシドの隣に座り、腕組みをしたまま一点を見つめていた。
移動器を降りて地上に出た一行は、ミヤの案内とケイの無線で迷うことなく黎裔との境に到着した。鬱蒼と生い茂る森の中に突如として現れたコンクリート製の壁が「それ」だった。周りの木々から突出している人工物は天を突くというほどでもないが、見上げると圧迫感を感じる。自然の中にある人工物は嫌でも違和感を放つ。
真っ昼間だというのに、木々が空を狭めているからか、どこか陰気で薄暗く感じる。
ミヤは壁を軽く叩き、最後の説明を始めた。
「黎裔とこちら側を隔てる最後の壁だ。高さは三十尺、混凝土でできていて、上部には有刺鉄線に電気が流れている。混凝土は通常であれば百年は劣化しないと言われている。だが、さっきも言った通り、この壁ができてから既に八十年近くが経過している。劣化したどこぞから裔民が抜け出ていてもおかしくはない。これは修繕を後回しにしていた国の怠慢でもあるな」
自分自身に言い聞かせでもするように、ミヤは壁を見上げる。四階程度しかない高さは心許なく思える。しかし、それ相応の情報や人脈がなければ、黎裔内部からこの壁まで辿り着くことはできない。この任務が無事に終われば壁の見回りと修繕を具申してみるかと脳内で書類にしたためる文章を練り始めた。
キョロキョロと見回したチャコが不思議そう、というよりも怪訝な顔で口を開く。
「ほんで、ここが黎裔の入り口なんか?」
「那由他が使った出入口、というのが正しいだろう」
「けど、何もないやんけ。大々的に壁が崩れとるわけでもないし」
「ここは地下通路だ。ただ、チャコが言うように、壁に穴が開いてる場所もいくつか確認している」
「何や、自分で見たような言い方やな」
「ご明察。一度下見に来ている。中までは入ってないがな」
静かな森の中に驚きの声が短く響く。しかし、ここがどこであるかを一瞬のうちに思い出し、それぞれが口を押さえた。
「実際に裔民がここから出て来るところも見ているし、そいつらから地下内部の情報も聞き出した。ここは空き家の室内に繋がっている。蜉蒼の人間が管理しているらしく、部屋の外から施錠されていて自由に出入りはできない。内側から扉を叩けば開けてくれるようだから、適当にやってくれ」
ミヤと鉢合わせた裔民の行く末は誰も聞きはしないが、同じ想像をしていた。この辺りの土の下にでもいるのだろう。だが、誰もそれを口にはしなかった。
「俺はここまでだ」
その言葉に、空気感が変わる。今から本番だとでも言うように、全員の目が真剣さを帯びる。
「ルキのところでも言ったが、中では別行動をさせてもらう。お前らが黎裔で何をしようが、どうなろうが、俺には関係ない。黎裔では帝国の法律も常識も一切通用しない。やり遂げろ。俺からは以上だ」
それぞれがうなずくと、ミヤは地面に触れる。ちょうど壁に大きな亀裂が走っているところの土を払うと、大人一人がやっと通れそうなほどの木製の扉が現れた。これが地下へと続く入り口だ。おもむろに持ち上げると、湿った不愉快な空気が押し出され、シドたちは顔をしかめた。しかし、臆することなくシドを先頭に、キョウ、チャコ、ヤンがはしごを降りていく。
「ヒデ」
ヤンに続こうとしていたヒデはミヤに呼び止められ、そちらを向く。わざわざ自分だけ声をかけるのはどうしてだろうと、返事をする代わりに小さく首を傾げた。
「俺は風真大尉を擁護するつもりは一切ない。士道不覚悟であったことは間違いないからな」
ミヤは「だが」と続け、一度視線を落とす。しかし、何を言い淀んでいたのか、すぐに視線を戻した。
「戦争は例外なく人生に影を落とす」
いつか同じ言葉を聞いたなとヒデはミヤを見つめる。他の四人はヒデを待つことなく既に地下へと姿を消している。二人きりの空間で風が木々をざわめかせる音だけが聞こえる。
「ミヤさん、何で今、そんなこと」
「軍人というのは文武両道に秀でていて当然だ。だが、その苛烈さゆえに精神を病む人間が多いのも事実。俺は帝国軍人として、風真大尉の行動自体は軽蔑するが、戦局さえよければ救えたんじゃないかとも思う」
それまで険しい表情をしていたミヤだったが、ふっとその表情を和らげた。その顔はヒデに安心感を与えた。いつか、こんな顔のミヤを見たことがあるように思えた。それが先月だったのか、一年前だったのかは定かではない。
「だからこそ、お前は強くあれ」
ミヤが何を言いたいのかははっきりしない。それでも、言わんとしていることは伝わった。ヒデは真っ直ぐミヤを見据えてうなずく。
「わかりました。行ってきます」
白い制服を翻し、ヒデは四人の後に続いて地下への入り口を下りて行った。
入り口を閉めたミヤは前髪を掻き上げ、空を仰ぐ。晴天のはずなのに、狭い空はそれを感じさせない。空に向かってため息をつくと、白い息がふわりと霧散していった。
「強くあれ、秀」




