96話 封殺
理想の歴史から、排斥されたもの。
ヒデは緊張した面持ちでルキの事務所へと続く階段を上がっていた。ケイから次の任務は黎裔だと聞かされた時は大して驚きもしなかった。しかし、ケイの宿に呼び出され、そこがどのような場所か事細かくイチから説明を受けてからは気が重かった。今もなお胃がキリキリと痛むような気さえする。
「黎裔」と呼ばれる貧民街が帝国に存在するのは既死軍に来てから、というよりも最近知った。既死軍の中でも黎裔の存在を知らないままの人間はいるらしい。
独自の統治体制を持っているそこは外部からの干渉を一切受け付けず、世界最強と謳われる帝国軍すら介入は容易ではない。しかし、全貌がわからない黎裔は蜉蒼の本拠地があるだけでなく、様々な犯罪の温床となっている。
そんな場所に今から行く。一番の目的は蜉蒼に繋がる情報を得ることだ。それができなくとも、黎裔の情報が僅かでも得られれば御の字ということだった。
しかし、「僅かでも」という割には、シド、ヤン、チャコという誘の中でも戦力、洞察力、決断力に長けた人選をしているんだなとヒデはケイの思惑を少なからず感じた。
事務所のドアを開けると、相変わらずルキとヤンが言い争っている見慣れた光景だった。ヒデは邪魔にならないように来客用のソファを少し入り口側に移動させ、その端に座る。
ぼんやりと眺めている内に、その横にはキョウが座り、しばらくするとチャコも腰を下ろした。試合の観戦でもするようにチャコが野次を飛ばし、キョウがどちらに向けてとも言えない声援を送る。その様子は緊張感の欠片もなく、ヒデもいつの間にか二人と同じように笑っていた。
ちょうどヤンの平手打ちがルキの頬で快音を鳴らしたところで、入り口から声がした。
「平手打ちは当たる場所によっては鼓膜が破れるから気をつけろよ」
そんな物騒な助言をしたのは、珍しく襟付きの黒いシャツを着たミヤだった。カタスムラにいるときは浴衣や着流しなどを着ている姿しか見たことがないヒデたちにとって、その私服のような洋装は新鮮だった。後ろには既死軍の制服を着たシドがいる。二人が一緒にいるのを見たルキは「ミヤ~見てたんなら助けてよ~」と腑抜けた笑顔を作った。
哀願を無視したミヤはヒデたちの向かいのソファに座り、「それで」とルキを見る。ルキを打ち負かしたヤンは満足げにミヤの隣に座り、シドは入り口近くの壁にもたれて腕を組む。
「ケイとルキさんが調べた情報はここにあるのが全部だよ~。まぁ、みんなもうケイかイチから聞いてるとは思うけど」
そうミヤに手渡した資料はヒデが今まで見てきた中でも最も薄く見えた。それほど黎裔については情報がないということなのだろう。
「蜉蒼の拠点っぽいところはいくつかあるんだけどさ~、なんせ黎裔は広さが三百町らしくてさ~」
「正しくは帝国が把握している広さ、だな。地理については俺があとで説明する。それより他の情報は」
「さっきも言ったじゃん~。ここにあるのが全部だよ~」
ミヤの手から資料を奪い取り、屈託のない笑顔でぺらぺらと振って見せる。
「それなら、もうここにいる必要もないな」
再びルキの手から紙を取り上げると、ミヤは隣にいるヤンに手渡し、誘たちを見回す。
「重複するかもしれんが、帝国が握っている情報は移動器で俺からお前らに説明する」
「移動器でって、ミヤも来るんか!?」
ルキとシド以外がチャコと同じ気持ちでミヤを一斉に見た。当のミヤは澄ました顔で立ち上がる。
「俺は頭主さまからのご指示だ。黎裔内では別行動させてもらう」
「黎裔までの案内はミヤがしてくれるよ~。そこから先は地図も何もないからよろしく~」
ミヤに続いて部屋を出ようとするヒデたちにルキはひらひらと手を振る。
ドアが音を立てて閉まると同時に、ルキの顔から笑顔が消える。全貌もわからない場所に誘を向かわせるのは初めてのことだ。今までは少なくとも地図や構内図は準備できていた。しかし、今回はまっさらな白地図の上に放り出してしまう。しかも、それは国に甚大な被害を及ぼしたこともあるテロ組織、蜉蒼の拠点がある場所だ。
誰かが欠けて帰って来るかもしれない。ただ、それは自分ではどうしようもないことだ。あとは誘を信じて待つしかできない。自分には他にするべきことがある。
ルキは頭を振って悪い考えを頭から追い出した。
移動器に乗り込んだ一行は、各々好きな場所に座った。ミヤが移動器を操作すると、ゆっくりと目的地に向かって動き始めた。
隣同士に座ったミヤとシドはしばらく何か会話をしていた。口数の少ないシドは宿家親のミヤ相手でもそれは変わらないらしく、たまに小さく口を動かして返事をするだけで頷きさえしない。それが二人にとっての日常なのだろう。
ヒデはそんな様子を少し横目で見てから、隣に座っていたヤンに話しかける。
「黎裔って、ヤンは知ってた?」
「既死軍に来てからだな。それも確か二、三年前とかだったと思う。国が把握してないんじゃ、一般人なんて知りようがないしな」
ヤンに同意しようとしたところで、地獄耳のごときミヤが二人の前に現れた。
「それは聞き捨てならんな」
いたずらっぽく笑いながら、ヤンは「聞かれてたか」とミヤを見上げる。
「帝国は徹底的な報道規制、言論統制が行われている。言論の自由など、この国には存在しない。一般人が知らないことがあるのは当然だ。自由がないのは、全ては皇のため。ひいては富国強兵、『世界最強の葦原中ツ帝国』存続のためだ」
突然始まった授業のような口上にヤンは辟易する。そんなわかりやすい表情を無視し、ミヤは「ただ」と続ける。
「黎裔に帝国軍が介入できないのは事実だ。定期的な監視を行ってはいるが、歴史的関係というものはそんな簡単には変わらない。先人たちを無下にするわけにもいかないからな」
ヒデは初めて聞く、学校では決して教えられることのない帝国の歴史にうなずきながら耳を傾ける。隣のヤンはそのまま刻まれてしまうのではないかというほど眉間に深いしわを寄せ、ミヤを見ている。
「お前ら、歴史の勉強は好きか?」
「嫌いやから俺は聞かんで」
チャコが後ろからひょっこりと顔を出す。その横では同じく顔を出したキョウが「僕は聞きたい!」と目を輝かせていたが、間髪入れず「余計なこと言うな!」と両頬をつねられる結果となった。
「まぁ、黎裔について話すついでだ。なぜ黎裔という、帝国にとっての汚点が存在し続けるか教えてやろう。どこまで聞いているかは知らんが、ケイやイチ、ルキよりかは詳しいつもりだ」
そう前置きをすると、気だるそうなヤンとチャコ、興味深げに前を向くキョウとヒデを相手に、ミヤは歴史の授業を始めた。
「初めて黎裔の名が記録の中に登場するのは約八十年前、第肆拾伍期丁卯之年。建山逸郎という新聞記者が書いた密告とも言える報告書だ。現在、帝国が把握している面積は約三百町。だが、人口ははっきりせず、十万とも四十万とも言われている」
面積の広さはすぐには実感がわかなかったが、人口に対して狭すぎるということは全員が直観的に理解できたようだった。想像以上の規模に、驚いたようにチャコが口をはさむ。
「そんなに裔民おんのに、何で俺ら、っちゅうか帝国民は存在知らんのや? いくら報道規制ある言うても、わかりそうなもんやけどな」
チャコの一般的な考え方をミヤは鼻で笑い飛ばす。
「帝国の言論統制はお前らが考えている以上のものだ。規制されているのが報道関係だけだと思うなよ。お前らが生きていたのは、そういう国だ」
自分たちの人生を過去形にされたことに、ヒデは現在の境遇を改めて明確に突き付けられたような気がした。
帝国の全てを掌握する元帥の手にかかれば、何かを隠すことも、闇に葬ることも造作のないことだ。そんな元帥が全幅の信頼を置いているのがミヤ、もとい縊朶樹弥という軍人だ。この男も「何か」を握っている。
ミヤは時間を惜しむように話を続ける。
「それに加えて、黎裔とこちら側は壁や電気柵、その他、様々な設備で隔てられている。デカい監獄だと考えればわかりやすいか? まぁとにかく、裔民がこちら側に来ることは容易ではない。当然、逆も然りだ」
「けど、そこまでして黎裔を一般人から引き離すのは何でだ?」
つまらなさそうに頭の後ろで腕を組んでいたヤンだったが、疑問はいくつかあるようだ。体勢を変え、少し前のめりになる。
「外国では都会の近くに貧民街があったりするんだろ?」
「簡単に言えば治安維持のためだ。裔民がこちらに来てどうにかなると思うか? 例え何か人脈があったとしても、一般人にまで成り上がれるのはその内の一握りだろう。そしてそれ以外、人脈はおろか、学も技術もない裔民がこちら側で生きるため、つまり日銭を稼ぐためには、窃盗だの何だの、犯罪に手を染めざるを得ない。治安を守るため、裔民は黎裔に閉じ込めておいた方がいい。それが国の考え方だ」
「それはわかったけど、じゃあ帝国軍ですら入れないって、何でだよ。世界最強と謳われる葦原中ツ帝国軍、なんだろ」
「何だ、まだ歴史の授業を続ける気か?」
「聞いてやらんこともない」
ヤンの返事を短く嘲笑し、ミヤは続ける。
「軍と黎裔の軋轢には旧帝国軍が絡んでくる。今の帝国軍の礎とはいえ、旧軍は厄介なもんだ」
現在の帝国軍と、旧帝国軍は第二次世界大戦終戦を境に明確に区別されている。今も残されている部分もあるが、旧帝国軍は皇が元帥を兼ねていた時点で全くの別組織と言っても過言ではない。
本当の歴史の授業になって来たなとヒデは学生だった時の遠い記憶を手繰り寄せてみる。
「貧民街自体は過去、何か所か存在した。しかし、黎裔だけが残り、ここまで巨大な貧民街になったのは旧帝国軍の失態でもある。国が隠したいと考えるのは当然だろう。俺が『先人を無下にするわけにもいかない』と言ったのはそういうことだ」
「おい、ミヤ。キョウ寝てんで」
話の腰の骨を折るような寝息にミヤはやれやれと首を振る。
「話し甲斐のないやつらだ」




