89話 偉効
今日を、走馬灯に。
頭を下げているケイからは頭主がどんな表情をしているかは見えなかった。これから自分が口にする言葉を頭主が快諾するはずもない。それでも、言葉にしてしまった以上は引き下がることはできなかった。
「黎裔に行きます。帝国軍ですら目を背け続けた場所です。ですから、シドを」
頭主とは付き合い自体は長いが、込み入った話や、ましてや反抗的な物言いなど一度もしたことはなかった。それが、今初めて口に出したのが「息子を返せ」では、首が飛ぶのも時間の問題に思えた。
「数日の話か」
「いいえ。既死軍には、まだシドが必要です。それから」
先ほど、ミヤに言ったのと同じ言葉を続けようとしたケイだったが、喉まで出かけていたものを飲み込んだ。
シドを頭主の元へ返すと伝えたミヤは、ケイが覚えている限りで初めて冷静さを欠いているように見えた。家族を殺されても眉一つ動かさなかったミヤが、わずかだが震えていた。
ケイには、それがミヤの答えに思えた。
だがしかし、それを頭主に伝えるわけにはいかない。常に軍人たらんとするミヤに恥をかかせる行為に他ならない。そんなことをするわけにはいかなった。
「それから、何だ」
「いえ、何でもありません。本来であれば、シドがいなくとも成立させなければならない任務です。しかし、私にはまだ既死軍にはシドが必要に思えます。全て、私の不徳の致すところです。私の命は惜しくありません。それと引き換えに、シドを既死軍へ返していただけませんでしょうか」
淀みなくそう言い切ったケイは更に軍刀を高く上げ、目を閉じた。
「頭主さまにご意見するなど出過ぎた真似をお許しください」
眼前には走馬灯のように今まで見てきた人間の死が流れていく。初めて見た死は家族のものだった。それから、軍で出会った何人もが旅立っていった。やがて、既死軍に所属してからそれは日常になった。望むと望まざるとに関わらず、それは受け入れるしかなかった。
遂に、自分の番が回ってきた。
頭主はケイの脇を通り抜け、ドアを開けた。ドアのすぐ前で何かを考えるように腕組みをして壁にもたれていたミヤは、頭主に呼び入れられるとすぐに室内に入って来た。嫌でも目に入る、跪いているケイを見た瞬間、この数分でどんな会話がなされたのかを悟った。
再びケイの前に立った頭主は目だけでミヤに指示を出す。ケイの手から軍刀を取り上げたミヤは静かに鞘を抜き、冷たい刃をケイの首筋に当てた。ひやりとした感触が首から全身に広がる。
ミヤは軍刀を固く握り直す。かつてこの軍刀は自分の所有物だった。まだ軍人になれない年齢だったケイに、「軍に戻って来たときにやる」と約束し、その通り再会した時に手渡した。これはまた自分の物になるのだろうかと、ミヤは目の前の光景とは裏腹に、ぼんやりとそんなことを考えていた。
死を目前にしてもぴくりとも動かないケイに、流石覚悟してきただけのことはあるなと、ミヤは珍しく心の中でわずかに称賛した。軍人は本来こうあるべきだと、恥ずかしげもなく命乞いをしてきた何人かを思い出した。
ミヤは頭主に視線を送る。やれと言われれば、躊躇なく軍刀を降り下ろすつもりだった。自分が頭主の命令に背くことは決してない。今、自分がケイにしてやれることは、ただ苦しまずに一刀で事切れさせてやることだけだ。しかし、頭主の眼差しは、ミヤが想像していたものより穏やかだった。
「禊、私はお前を死なせるような愚かな人間ではない。お前ならわかるだろう」
その言葉にミヤは軍刀を鞘に戻す。軽い金属音が鳴った。ケイは床に手をついたまま「ありがとうございます」と頭を下げた。
「私は禊に既死軍の決定権を与えている。そうだな」
「はい」
「そのお前が結論付けたのなら、それが今の既死軍にとって正しいことなのだろう。シドは一旦既死軍に返そう。私もまだくたばるつもりはないからな。多少時期がずれるぐらいは構わん」
「寛大なお心遣い、感謝しきれるものではありません。頭主さま、必ず、蜉蒼を倒して御覧に入れます」
「期待している」
そう言い残すと、頭主は部屋を後にした。ドアが閉まる音を聞いたケイはやっと顔を上げて立ち上がった。
「気が済んだか」
「あぁ」
何とか一命はとりとめたようだ。それなのに、ミヤの顔はどこか不服そうだった。
「こうなるって予想はしてたんだろ」
「いや、半々ってところだ。死ぬ覚悟をしていたのは本当だしな」
ミヤは眉間にしわを寄せ、前髪を掻き上げた。ケイの計画通りに物事が運んだのは多少気に食わなかったが、いつものことかとため息をついた。ケイは奇をてらったような作戦こそしないものの、人知の及ばない遥か先までを計算している。ケイを既死軍に入れたのはその「頭脳」のためだ。今更、自分がその計画の一部に利用されたことに恨み言を言っても仕方がない。
「せっかくシドの入隊手続きを進めてたのに、お前のせいで白紙だ。俺に無駄働きをさせた罪は重いぞ」
かすかに笑いながらうなずいたケイはミヤから軍刀を返され、再びベルトに下げる。
「俺はシドを連れて来る。先に車で待ってろ。俺の事務所まで連れて行ってやる。あとは二人で帰ってくれ。俺はお前のせいで増えた事後処理で堅洲村にはしばらく戻らん」
「いつ帰って来る」
「さあな。軍内に俺のことを好いてる人間がいてくれれば話は早いんだが、どうも嫌われているようでな」
「昔から変わらないな。でも、俺はそんな樹弥くんでいいと思ってるよ」
「俺なんかについて来た変わり者のお前に言われてもな」
そう鼻で笑うと、ミヤは退室した。シドの部屋へ行くのだろう。ケイは言われた通り、建物を出て駐車場へと向かった。空気がひやりと肺を冷やしていく。
頭主に宣言してしまったからには、黎裔で成果を上げざるを得ない。そうでないと、シドは必ず、近い将来同じ運命をたどることになる。
空は爽やかに晴れ渡っている。シドの奪還を祝うにはちょうどいい天気だと、白い息を吐いた。
応接室を出たミヤはシドの部屋ではなく、頭主の書斎へと向かっていた。頭主もミヤの行動を読んでいたのか、ノックをするとすぐに返事があった。
部屋に入ったミヤは机を挟んで葉山の前に立つ。
「よかったんですか、葉山さん。シドを既死軍に返して」
「言ったはずだ。既死軍の決定権は禊にあると」
「しかし、葉山さん、いえ、『頭主さま』はケイ以上の決定権をお持ちです。断ればケイだって食い下がることはしなかったはずです」
「私が断った場合、禊の首はどうなる。お前に刎ね飛ばされる未来しか残されていなかっただろう。それは避けたかった」
「では、ケイを守るためですか」
「そうだな」
ミヤは頭主のことばに「ケイに甘すぎませんか」と小さくため息をついた。確かに今ケイがいなくなるのは痛手だ。しかし、頭主は頭主で計画があったはずだ。それを捻じ曲げてでもシドを既死軍に返すとは、ミヤにはその意図がわからなかった。
「次、シドはいつここに戻って来ますか」
「お前はどうしたい」
「俺、ですか」
「随分と懐いているようではないか」
刹那にも満たない時間、ミヤは言葉を詰まらせた。しかし、いつも通りの澄ました顔のまま頭を下げる。
「頭主さまの仰せのままに」
「それが本心か」
怪訝な表情ですぐさま顔を上げる。このようなことを頭主が言うのは初めてだった。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。お前は志渡をどう思っている」
「元帥のご令息、いつか元帥になるお方、それ以上でもそれ以下でもありません」
型にはめたような台詞をミヤは抑揚なく声に出す。それは長年自分に言い聞かせてきた台詞だった。これ以上会話を続けていると、思わぬ失態を招きそうに思えた。
「ケイを待たせていますので、失礼します。シドもこのままケイと堅洲村へ帰らせます。俺は夜にはこちらに戻りますので」
頭主は軽く返事をすると机に置きっぱなしになっていた分厚い本を読み始めた。これ以上の会話は不要という意思表示だ。
頭を下げたミヤは、部屋を後にした。次に向かうのはシドの部屋だ。何と切り出せばいいかと、たった数分で辿り着く距離であれこれと考えを巡らせる。シドが生まれてから共に暮らしてきたとはいえ、それでも他人は他人だ。ましてや、今はシドを一度突き放してしまったこともある。素直に聞きはするだろうが、それは自分が「シドの宿家親」という立場で命令をしているからに他ならない。
そうこうしている内に、シドの部屋の前に着いた。ドアには南京錠が掛けられている。こんな鳥籠以下の場所に閉じ込めて、それは本当に正しいことだったのだろうかと自問する。
頭主に命令されれば、何度でも閉じ込める。それが自分の信じる正しさだ。だが、果たして、それは本当だろうか。
ふっと湧いた疑問に、自分自身で首をかしげると、頭を振って掻き消した。
己が突き進み、これからも進んでいくであろう道を疑うことなどあってはならない。頭主の理想が自分の理想であり、それを追い求めることだけが自分の生きている意味で、生きている価値だ。
一呼吸すると、ミヤは南京錠を取り外し、扉を開けた。相変わらずシドは窓際に置かれた椅子に座ったまま頬杖をついて窓の外を見ている。こちらを見ることもしない。
「シド」
そう声を掛けると、ミヤに驚いた顔を向けた。しかし、それはすぐに鋭い目つきに変わる。ここへ来てからと言うもの、ミヤがシドを名前で呼んだことはなかった。それが突然、何の前触れもなく「なかったこと」にされた。怪訝な顔をするのも尤もだった。
「どういう風の吹き回しだ」
「黎裔に行く。それにはシドが必要だって、ケイがな」
「来てるのか」
うなずいたミヤは、この部屋に閉じ込めてから一番近い距離にまでシドに近づく。
「帰るぞ、俺たちの宿に」
「それは命令か」
「そうだ。命令だ。俺は元帥と頭主さまの命令でしか動かない。知ってるだろ」
ミヤは自分の言葉に少し笑う。
「今までも、これからも、俺が命令に背くことはない。それでも、いや、だからこそ、お前の宿家親をしている」
その言葉に、今までシドが纏っていた張り詰めていた空気が少し緩んだように思えた。
「相変わらずだな、ミヤは」
「この歳になると、変わることのほうが珍しい」
「その通りかもな」
シドは立ち上がり、ミヤの後ろについて部屋を出た。そして振り返ることはなく、ケイの待つ駐車場へと向かった。




