88話 追懐(ついかい)
この道は、いつか来た道。
ケイは数年ぶりに乗った移動器を降りる。変わることのない階段を上がると、久方ぶりのミヤの書斎に出た。ソファに座っていたミヤは本を閉じると、大股でケイに近づき無言のまま腹部を蹴りつけた。裸足でも相当な衝撃を喰らうというのに、今日はよりにもよって軍靴だ。初動を見て防御はしたものの、ミヤに敵うはずもなく、いつも通り壁に叩きつけられる結果となった。
「顔を見たら一発殴ろうと思ってた」
崩れ落ちた自分を冷ややかな視線で見下ろすミヤに、ケイは咳き込みながら「蹴ってるけどな」とささやかに揚げ足を取った。
「俺の決断云々じゃない。お前は頭主さまが決められたことを覆そうとしている。禊、お前は自分が何をしようとしてるかわかってんのか?」
「わかってる。だから来た。近いうち、それこそ今月中に黎裔に行く。だからこそシドが必要だ。いくら頭主さまと樹弥くん相手でもこれだけは譲れない」
もう一度咳をすると、ケイは壁に手をつきながら立ち上がった。何をしようが、どれだけ打ちのめそうが、毎度立ち上がる姿をミヤは鋭く睨む。その視線を真正面からケイは見た。その目は炎が燃え盛っているようで、いつもの憔悴しきったケイのものではない。
ケイはわずかに乱れた髪を整える。いつもは無頓着な見た目も軍服を着ている今日ばかりかは見違えるようだった。
「既死軍の決定権は俺にある。既死軍にはまだシドが必要だ。それから、樹弥くんにも」
そう言葉を言い終わるが早いか、ミヤはケイの胸倉を掴む。砕けんばかりに歯を噛み締めるのは、それ以上手を出さないよう、必死に己を制しているようだった。
「前にも言ったよなァ、禊。『誰に向かって口を利いてるんだ』って。俺が、何だ? もう一回言ってみろ」
「何回でも言ってやる。樹弥くんもシドも、何も言わないけどお互いにわかってるはずだ。今はまだその時じゃないって。二人はまだ一緒にいるべきだ。だから俺が頭主さまに直談判する。首が宙を舞ったとしても、俺はそれでいい。どうなっても構わない。樹弥くんのためなら」
「お前に何がわかる」
「わかるよ。樹弥くんとシドのことずっと見てたから、誰よりもわかる。親と子っていうのは、大事なのは、血の繋がりじゃない」
「血の繋がりじゃなければ何だ。愛だ絆だと目に見えない綺麗事を並べて、俺たちを薄っぺらな言葉で語る気か?」
自分の胸元を掴む手の甲を包むように握り、ケイは首を振る。わずかにミヤの手が緩んだ。
「薄っぺらな言葉で語れる関係なら、俺はここまで来ていない」
視線を合わせたままケイは続ける。
「何て言うのが正しいのか。そもそも、樹弥くんとシドの関係を表す言葉がこの世にあるのかはわからない。それでも俺は、二人が納得できないまま離れるのは嫌だ。黎裔に行くなんてただの口実で、権力の濫用なのかもしれない。だけど、俺は、『ここまで来た』」
自分の手を覆うケイの手を振りほどき、ミヤは背を向けた。
「俺たちが互いに納得できたとき、禊はどうする」
「受け入れるよ。二人が決めたことなら、たとえどんな結末でも受け入れる。そこに至るまでの道のりは樹弥くんとシドにしかわからないことだから、それを否定するなんて俺にはできない」
目を閉じて短く息を吐き出したミヤは今までの会話がなかったかのように、地上へと続く階段へ歩みを進める。
「頭主さまはお忙しい。時間を取ってくださっただけありがたく思え」
ケイは「わかった」とその後に続いた。
外に停めてあった軍の車に乗り込み、ミヤはアクセルを踏んだ。車窓の風景がさびれた町から都心、そして静かな住宅街へと変わっていく。
「それにしても、まさか禊を堅洲村の外で見る日が来るとはな」
「ルキにも言われたよ」
窓の外を眺めながらケイは小さく笑う。既死軍の情報統括官になって何年になるのだろうか。その間、堅洲村から出た回数は片手でも多すぎるぐらいだ。
自分が無機質で変化のない機械に囲まれて過ごしている内に、世界はこんなにも変わったのかと目を見張る。高層だと思っていた都心の建物は更に高くなり、行き交う人や車の量も倍増していた。
長い赤信号で止まったミヤはちらりと助手席に座るケイを見た。
「お前を乗せて車を運転する日がまた来るとも思わなかった。禊も軍服が着られるほどデカくなったんだな」
「そりゃあ樹弥くんと出会ったのは二十年以上前だし」
「もうそんなになるのか。『可愛い禊ちゃん』だったのにな」
「うるさい」
小馬鹿にしたように笑うミヤにケイは渋い顔をする。今でこそ年齢差は気にならないが、子供時分の年齢差というのは実際よりも大きく隔たっているように感じられた。それが既に軍人だったミヤと、ただの少年だったケイにしてみれば尚更だ。
「なぁ、禊ちゃん」
その呼び名に文句の一つぐらい言ってやろうと、視線を窓からミヤに移したケイだったが、ただ静かに開きかけた口を閉じた。ミヤはフロントガラス越しに行き交う人々の、もっと先、どこか遠くを見つめている。
「『俺についてきた人生を後悔してる』って言ってくれてもいいんだぞ。俺が無理矢理選ばせたんだからな。右も左もわからないガキに」
「いいや、決めたのは俺自身だ」
即答するケイにミヤは吐き捨てるように「毒されてるだけだろ」と笑った。
「俺と出会ったのが運の尽きだったな」
「そんなこと、一回も思ったことないよ」
ミヤと同じところを見つめ、ケイは沈黙した。
頭の中に当時の光景が広がる。家族を失った自分は単に居場所が欲しかっただけなのかもしれない。それがたまたま出会った、ミヤのいる隊だった。そこには現在は元帥となった葉山もいた。だからこそ、今自分はこうして既死軍の情報統括官として生きている。出会う人間が違っていれば自分の人生も変わっていたのだろうかと、当たり前の「もし」を思い描く。
ミヤはそれ以上何も言わず、静かに車を動かし、頭主の私邸へと向かった。
数年ぶりに訪れた頭主の私邸は昔と変わらない厳格さを保っていた。駐車場から続く小道を歩きながら、ケイはここを再び帰り道として歩けるだろうかと植え込みを横目に流していく。
初めて来たのは戦後しばらくしてから、ミヤに連れられてだった。その場には、今はもう死んでしまった大人たちもいた。恐らく、まだ自分は当時の彼らの年齢には達していないだろう。しかし、日に日に近づいているのは確かだ。大きな変化のない堅洲村では滅多に感じることのない時の長さを感じた。
ミヤは玄関から一階の奥まった場所にある応接室へとまっすぐ向かい、重厚な木製のドアをノックした。「ケイを連れてきました」という声に続いて、頭主の返事が聞こえる。
革張りの深い茶色をしたソファに座っていた頭主はミヤの後ろにいるケイと目を合わせ「久しいな」と声をかける。ケイはその言葉に深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております。この度は頭主さまの貴重なお時間を頂戴できましたこと、幸甚の至りに存じます」
うなずいた頭主はケイを招き入れ、自分の正面に座らせた。入口に立っていたミヤは頭主からの視線が言わんとすることを察し、「失礼します」と扉を閉めた。
二人きりになったケイにとっては、今から話す内容もあってか、外界から遮断された空間重苦しく感じられた。
「樹弥からあらましは聞いている。と言っても、お前がここまで来るとは思わなかったがな」
ケイは何と返事をすればいいかわからず、ただ黙りこくっていた。それは相手が「頭主」だからではない。出会った当時、まだ「葉山さん」と呼んでいた時から近寄りがたい存在だった。それは自分が生まれたときから持っていた「軍人」に対する嫌悪感と畏怖の念が入り混じった感情から来ているのかもしれない。
軍人というのは幼少のケイにとって不思議な存在だった。自我を棄て、ただ皇のため、帝国のために身を捧げる彼らは理解できるようでできなかった。思い出が冷たい刃物のように背筋を撫でていく。
「お前が軍に来たのはいつだったか」
頭主の声にケイは自分がいつの間にか膝の上で握った拳を見つめていたことに気づき、顔を上げる。
「もう、二十年以上前の話になります。私が十一のときでした」
「そうだったか。禊は、今も帝国軍のことが嫌いか?」
「いいえ、そんなことは」
「あのときも、軍に敵意を剥き出しにしていたな。よく覚えている」
流石に忘れてはいなかったかと、ケイは仄かに顔を赤くしてうつむく。大人になった今考えると、無謀にもほどがある行動だった。
戦時中、同時に母親と兄弟を亡くしたケイは悲しみや怒りの矛先を見失っていた。やがて、それは家族を顧みなかった軍人の父親、そして帝国軍そのものへと向かった。
そこから先のことは思い出すのも憚られるほど馬鹿馬鹿しかった。子供だったこと、冷静さを欠いていたことを考慮しても、浅はかで、今では到底理解できるものではない。
ケイが何を考えているかがわかったのか、頭主はかすかに笑う。
「父親のこともある。帝国軍は恨まれて当然だったのかもしれない」
「父のことは何とも思っていません。死んだ今となっては聞くことも叶いませんが、父は自分が望んだ人生だったと思います」
短く「そうか」と返した頭主は、ケイと同じく当時を懐かしんでいるような目をしていた。
「あれから、大勢死にましたね。残っているのは、頭主さまと、ミヤだけです」
「自分は含めなくていいのか」
ケイは小さく返事をすると、立ち上がって床に両膝をついた。ベルトから抜いた軍刀を鞘ごと両手で頭主の方へと差し出す。
「今日死ぬ覚悟で来ました」
腰を上げた頭主はケイの前に立ち、その姿を見下ろした。




