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Blackish Dance  作者: ジュンち
87/227

87話 糾える(あざなえる)

後顧の憂いを、断つ。

「ケイさん、晩ご飯ですよ」

 いつも通り機械に囲まれた部屋で仰向けに倒れていたケイは、頭上から降ってきた声に目を開けた。元日から既に五日経ち、慌ただしく任務に出て行ったイチたちも日常に戻っていた。まだ松の内とはいえ、正月らしいことも元々ここには特にない。

「今日は生姜鍋です。早く来てくださいね」

 そう言うと、イチはさっさと部屋を後にした。言われてみれば、かすかにそれらしき香りがする。ケイはのそのそと起き上がり、咳ばらいを一回すると画面が付きっぱなしになっているパソコンを見た。そこにはメールを受信したアイコンが出ている。開封してみると、ミヤからの「無線に出ろ」というものだった。眉間にしわを寄せて目を閉じたケイは画面を消し、居間へと向かった。今更慌てて連絡をしたところで、ミヤが苛立っていることに変わりはない。それなら食事をしてからでも遅すぎることはない。そのまま刻み込まれそうになっている眉間のしわを親指でぐりぐりと伸ばす。

 食卓には既に鍋が置かれ、湯気を立てていた。イチはケイの姿を見ると、椀に具材を取り分け始める。ケイが座ったところで、二人同時に「いただきます」と手を合わせた。

「松永は目を覚ましましたか?」

「いや、まだだな。脳を弄られてる以上、もう少し時間がかかるだろう。まぁ、目が覚めたところで、それが松永にとっていいことかどうかもわからんしな」

 一口飲んだ出汁が体をじんわりと温めていく。ケイは手にした器を手にしたまま、任務のその後を思い出していた。


 ヒデたちが撤退した後、その島を訪れたのはヤヨイだった。無線で文句を言いながらすっかり水没してしまった島へとつながる道を渡ったヤヨイは、まず蜉蒼(フソウ)に加担していた男たちを始末し、その後、松永に質問を始めた。ヤヨイを信じ切っていた松永は洗いざらいを吐き、これで自由の身になれると安堵していた。

 松永が蜉蒼(フソウ)に作らされていたのは化学兵器だった。結局計画は水の泡になってしまったが、蜉蒼(フソウ)はあの孤島で火薬と化学兵器を同時に所有しようとしていた。それがわかっただけでも大きな収穫だった。

 そうなれば、必要な情報を聞き出した松永は既死軍(キシグン)にとっても用済みだった。松永はヤヨイにきれいさっぱりと数年分の記憶を消され、そのまま病院に放り込まれた。

 松永は家族を守るため蜉蒼(フソウ)に従っていた。そうすれば、いつか解放されたとき、再び穏やかで幸せな時間に戻れると思っていた。松永は甘言を信じたまま、真実を未だ知らない。

 どう考えても、蜉蒼(フソウ)が「そんなこと」を許すはずがなかった。

 ケイは松永の名前を聞いたとき、三か月前に起きた一家惨殺事件のニュースを思い出していた。母親と子供たちが無残にも殺され、父親が失踪したという、一時期世間を騒がせた未解決事件だ。人々は父親が犯人だと決めつけ、扇動的な報道が過熱していたが、その後、間もなくして父親の死亡が発表された。死因は公表されていない。

 そう言えば、その家族の名字は松永だった。

 松永にはもう戻る場所も、守る者もない。社会に戻ったところで、待っているのは後ろ指を指される人生だけだ。


「あとのことは帝国がどうにでもしてくれるだろうよ。立派な犯罪被害者様だからな。世間がそれをどう思うかは知らんが」

「やっぱり家族なんて持つものじゃないですね」

 熱い出汁をふうふうと冷ましながら、イチはその波紋を見つめる。

「まぁそう言うな。俺とイチも家族みたいなもんだろ」

「同意しかねます」

 イチは顔を上げてそう笑顔を作ると、椀に残っていた出汁を飲み干した。


 自室に戻ったケイは前髪を両手で掻き上げると、ため息をついた。ミヤに連絡をするのは気が重かった。無線に出なかったことを遠回しに責められるのは目に見えている。それだけではなく、今朝方有耶無耶になったままの話の続きをしなければならないことが、より一層気を滅入らせていた。

 もう一度ため息をつくと、パソコンを操作してミヤへと無線を繋いだ。名前を呼ぶが早いか、すぐにミヤの憤った声が聞こえる。

『お前が言うから俺は頭主(トウシュ)さまに伝えたんだがな。その報告は要らんのか』

「す、すまん」

『まぁいい。お時間は作ってくださるそうだ。昔からお前を知ってくださっていることに感謝するんだな』

「ありがとう」

『礼は俺じゃなくて頭主(トウシュ)さまにしてくれ』

「いや、樹弥(ミキヤ)くんに言いたい。俺は樹弥(ミキヤ)くんが決断したことを覆そうとしている」

 耳の奥でミヤが吐き捨てるように笑うのが聞こえた。どんな表情で話しているのかは容易に想像できた。

『決断も何も、俺は頭主(トウシュ)さまの望む世界が見たいだけだ。さっさと来い。頭主(トウシュ)さまも俺も暇じゃない』

 それきり、ミヤが無線に反応することはなかった。ケイも無線を切り、立ち上がった。再び居間へ行くと、片づけをしていたイチを座らせ、話を始めた。

 ケイの言葉を聞くイチは初めは驚いた顔をしていたが、次第にそれを受け入れ、最後に一度、深くうなずいた。まっすぐケイを見るその視線に迷いはなかった。

 その表情を見たケイは安心したように笑顔を見せる。

「俺が積み重ねてきたものは、全部あの部屋にある。好きに使ってくれ」

「わかりました。帰ってくるまで、ちゃんとケイさんの居場所を守っています」

「イチの場所に作り替えてくれてもいい」

 一瞬視線を落としたイチを見逃さず、ケイは言葉を続ける。

「歴史とは、だれかが受け継ぎ、紡いでいくものだ。いつまでも俺が情報統括官をするわけでもない。だからイチがいる。そうだろ」

 伏せていた目を再びケイに向けたイチは「それでも」と言うと、一旦口を閉じた。視線を泳がせるその様子は、言葉を探しているように見える。イチは正座した膝の上で拳に力を込めて握った。手のひらに喰い込む爪の痛みで自分を鼓舞する。

「僕はまだケイさんの足元にも及びません。知らないことの方が多いぐらいです。だから既死軍(キシグン)のためにも、必ず帰ってきてください」

「俺が決めることではない。人事を尽くして天命を待つのみだ」

 そう言い残すと、ケイは自室へと戻った。一人残されたイチは一点を見つめてただじっと座っていた。

 堅洲村(ここ)では別れは突然やって来る。何度経験してもそれは他人事のように感じていた。人間らしい感情すら声と一緒にどこかに置いてきてしまったのだろうと納得していた。ケイの言葉を聞いても、初めは人との出会いと別れは「そういうもの」だと割り切れると思っていた。しかし、ケイが退室した今、得体の知れない感情が波のように押し寄せてきた。

 人はこれに「寂寞(せきばく)」という言葉を与えたのだろう。


 翌日、まだ空が薄暗い頃、ケイはルキの事務所へと続く階段を上っていた。真冬だと言うのに、薄着で足元もほとんど裸足に近い草履のままだ。寝不足のクマができた顔にぼさぼさの髪もいつもと変わらない。

 ガチャリとドアノブを回して室内に入ると、音に反応したのか、来客用の長ソファで寝ていたルキが飛び起きた。ケイを認めると、ふにゃりとした笑顔で立ち上がった。

「やほやほ~久しぶり~。まさかケイがこの事務所に顔を出す日が来るなんてね~」

「俺の方こそまさかだよ。早速だが、頼んでたものは準備できたか?」

「滞りなく~」

 ソファに座ったケイはルキが手元に置いた灰色の軍服に視線を落とした。昔から変わることのない帝国陸軍のものだ。ミヤと出会ってから数年はこの制服を着た大人に囲まれて過ごしていた。嫌と言うほど見てきた服だったが、自分で着るのは前回がいつだったか思い出すのもやっとなほどだ。

 ふと、今はもう会うことのできない人間が数人、脳内によみがえった。

「軍刀も渡しておくね~。ちゃんと定期的に手入れしてたの褒めてよね~」

 我に返ったケイは口先だけで「助かる」と感謝を伝え、刀を鞘から抜いた。まだ軍に入るには幼すぎた自分にミヤがくれたものだ。蛍光灯の灯りに煌めく(やいば)は、手にした当時から変わることはない。

 ケイは立ち上がり、軽く刀を振ってみた。子供のころは重く、扱いにくいと思っていたが、こんなものだったかと久方ぶりに再会した自分の軍刀をまじまじと見つめる。

「それでさ~頭主(トウシュ)さまのところに行ってどうするつもり~?」

「切腹覚悟で嘆願するつもりだ」

 冗談か本気かわからないケイの言葉にルキは「介錯って誰に頼むの~?」とけらけらと笑い始めた。

「頼まなくてもミヤがしてくれる」

「じゃあさ~ケイが死んじゃったらさ~、情報統括官ってどうなるの~?」

「一切をイチに任せてきた。万が一があってもイチなら大丈夫だろう。そう育ててきたつもりだ」

「それでもやっぱりルキさんはさ~、ケイからの指示が聞きたいな~」

 自分の机に座ったルキは両手で頬杖をつき、歯を見せて笑う。

 ルキが既死軍(キシグン)に来たときには既に情報統括官はケイだった。自分に先代がいるのと同じく、ケイにも師と呼べる存在がいたことも知っている。諸行無常がこの世の常だということも理解している。しかし、それでも、毎日声を聞いて共有し続けた、手に取るようにわかるケイの思考回路を失ってしまうのは、ルキにとって日常が変わってしまうのと同義だった。

 ケイはソファに置かれていた軍服を持つと、ルキを一瞥して口元だけで笑った。

「もし俺が戻って来たら、寝られないぐらい指示出してやるよ」

 そう言ってドアに向かったケイは、ドアノブに手をかけたところで何かを思い出したようにルキに振り返った。

「かつて、この帝国を『言霊の(さき)わう国』と詠んだ歌人がいる」

 突然のことにきょとんとした顔でルキはケイの顔を見つめる。もしかしたら、これが最後になるかもしれない。長年聞き続けた声が耳の奥にすとんと入り込む。

「『言霊が幸福をもたらす国』という意味だ。言葉に霊力が宿るのか、そもそも言葉が霊力を持っているのか、それは俺にはわからない。まぁ、言葉に不思議な力があるとは、昔の人間が考えそうなことだな」

 そう言ってルキから視線を外したケイは一呼吸置くと、再びルキに笑いかけた。

「だが、俺もそう思ってる。必ず、シドを連れて帰って来る。約束するよ」

 ルキはただ一度うなずくと、ドアが閉まるのをそのまま見届けた。


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