84話 拠り所
弊履の如く、棄てる者
二階の数部屋が一階と同じく殺風景だったことに気が緩んだのか、ヤンは小声でため息をつく。
「松永の思考、俺にはわかんねぇ話だ」
ヒデはすぐに松永が「記憶が消えてでも家族の元に戻りたい」と返答したことについて話していることがわかった。既死軍の人間はお互いの過去をもちろん知らない。それでも、明るいものではないことは想像に難くなかった。
「僕もそう思う。みんなきょとんとしてたよね」
ヒデは苦笑しながら、先ほどの光景を思い出す。きっと既死軍であれば、だれもが同じ表情をしたに違いない。それは苦虫を噛み潰したような、それでいて、松永の生きる世界をどこか羨ましく思うような顔だ。
もし、家族が円満であれば、幸せな人生であれば、自分はこんな世界に来ることもなく、安穏と生きていただろう。今の自分たちのように血に塗れて戦っている人間がいることなど終ぞ知らず、往生していただろう。
ヒデは頭を振り、浮かんできた考えを消し去った。過去を振り返っても何かが変わるわけではない。今、ここに生きていることだけが間違いなく正しいことだ。
ぼんやりと窓の外を見ていたヤンが振り返り、「わかるぞ、ヒデ」とわずかに笑った。それはどこか優しく、全てを見透かしているかのように見えた。
「仮定なんかしても、過去なんか振り返っても仕方ない。俺は既死軍に助けられた。だから、死ぬまで戦う。どうせ救われなければ死んでた命だ。ヒデだって、そうだろ」
「全部同じとは言わないけど、多分僕たちの境遇は似てたんだと思う。だから、僕らは分かり合えるし、一緒に戦える」
「そうだな」
ヤンの隣に立ったヒデは笑顔を返した。月明かりが二人の表情をうっすらと照らす。
「俺たちは仲間じゃない。けど、俺の背中、今日はヒデに預けた」
「任せて」
顔を見合わせ二人は制服を翻し、窓に背を向けた。影が長く室内に伸び、屋内の闇と溶け合う。光があれば必ず影は生まれる。そこで生きるのは容易なことではない。それでも、決めた覚悟を覆す気はなかった。
再び空っぽの陰気臭い部屋をいくつか見た二人は、扉の前で足を止めた。残すは三部屋だけだ。しかし、その三部屋ともに鍵が掛けられていた。錠前ではなく、内側から掛けられるタイプの鍵だ。ヒデたちのいる廊下側からは鍵を使わない限り開けることはできない。
「俺が開ける。ヒデは何かあっても反撃できるようにしとけ」
囁くような声量の指示にヒデはうなずき、拳銃を手にした。いつも使っている弓に比べれば何分の一かもわからないほど小さな武器だ。しかし、殺傷能力は数倍にもなる。考えるまでもなく銃の方が有能な武器だが、ヒデはあまり好きにはなれなかった。
最早聞き慣れた波音に、ヤンが開錠を試みる金属音がかすかに重なる。島の入り口を警備する男が持っていた鍵はただこの建物の玄関を開けるだけの役目だったらしい。しばらくの格闘のあと、やっと鍵が開いた。レンジといい、ヤンといい、手慣れた様子でよくも開けたものだと感心する。そう言えば、以前ノアも易々と針金のようなものを使って開けていたなと記憶を呼び起こす。
静かにドアを開けると、松永の部屋よりかは人間らしい生活ができそうな様子だった。ベッドもほんの少し丈夫そうな造りをしている。布団が膨らんでいるところを見ると、だれかがそこで眠っているようだった。
人差し指を口元に当てたヤンは視線だけでヒデに行動を伝える。静かに息を吸ったヒデは銃を構え、安全装置を解除する。これでいつでも撃てる状態になった。一つ懸念があるとすれば、発砲時の銃声で自分たちの存在が気づかれることだ。
先にベッドに近づいたヤンはそっと覗き込む。そこには布団から顔を出してすやすやと寝ている三十代ぐらいの男がいた。その痩せた顔はどこか平穏さに満ちており、ここが火薬庫のある島であることを忘れさせるほどだった。
男に銃口を向けたままのヒデに監視を任せると、ヤンは室内を物色し始めた。物色といっても机と椅子、小さい箪笥があるぐらいで、何かが隠せるようには見えなかった。
一通り不審なものがないか見たヤンだったが、首を左右に振るとヒデの隣に戻ってきた。
「ここまでしてて起きないやつも珍しいな」
耳打ちをしたヤンは少しだけ笑うと、ヒデと立ち位置を変えて自分も銃を取り出した。物事を穏便に済ませようという気はさらさらないらしく、いきなり寝ている男の胸倉を掴んだ。
最悪の寝覚めを経験することとなった男は目を白黒させる間もなく、口に拳銃をねじ込まれる。
「俺の質問に首を縦か横に振るんだな」
その怯え切った視線はヤンとヒデを行ったり来たりしている。やっとのことで状況を理解した男は浅くうなずいた。
「ここに火薬があるだろ。蜉蒼の所有物か?」
この状況であっても忠誠心と呼べるべきものがあるのだろうか。男は首を動かすことなく喉鼓を鳴らす。
「使い棄てのくせに、律儀に黙秘とはな」
ヤンの吐き捨てるような言葉が男の癪に障ったのか、男の目つきは鋭いものに変わり、首を横に振った。その行動にヤンは嘲笑を返す。
「蜉蒼にとってお前は代替の利くゴミだ。その証拠に、ここには助けを呼べる電話の一つもない。いざというときは援軍も来ないまま、顧みられることもなく死ぬだけだ。それなのに立派に言いつけを守って、涙が出る話だな」
歯を食いしばろうにも、ヤンの拳銃がそれを許さない。
「もう一回言ってやるよ。お前らは蜉蒼から何の恩恵も受けられず、ただいいように使われてるだけのゴミ。自覚してるくせに認めたくないだけなんだろ」
ヤンは自分を睨む瞳の色が変わったのを感じた。それは男が奥底に眠らせていた蜉蒼に対するほんのわずかな不平不満が目を覚ました合図だった。完全に男の思考を支配していることにヤンは満足そうな表情を作る。
「まぁ、お前の扱いなんかどうでもいい。ここがどんな場所か教えてくれたら『俺は』何もしない。お前は首を縦か横に振るだけだ。なぁ、悪い話じゃねぇだろ」
その一人称が言わんとすることをヒデは理解した。恐らくヤンもそのつもりで言ったのだろう。ヒデは拳銃を下ろしたまま、一旦はロックした安全装置を再び外した。
「俺たちがお前をこんな世界から解放してやる。それじゃあ、もう一度聞こう。ここには蜉蒼所有の火薬がある。そうだな?」
立派なイカサマ師だとケイとルキに褒められていたヤンだったが、これなら口の上手いペテン師と言っても相違ないだろうとヒデはその時が来るのを待った。
ヤンはたまに優しげな笑みを浮かべ、男を自白へと誘導している。現状から救われたいと願うのはだれでも持っている欲求なのだろう。男は観念したように一瞬眉間にしわを寄せると、目を閉じてうなずいた。
一度情報を売った男は箍が外れたように肯定と否定を首の動かし方で伝える。
隣の部屋にはもう一人仲間がいて、島の入り口にいた男と合わせて三人でこの島を管理しているらしい。一階にいる人質について詳しいことは聞かされていないが、何かの薬品を開発していることは知っていた。
話を一区切りつけたヤンは「それで」と息をつく。またもケイが正解を導き出した。あの男に間違いなどあり得るのだろうかと、日々淡々と物事をこなしていくケイに感服する。
「ここに生活物資とか、薬の開発に要るもんとか持ってくるのは蜉蒼のだれだ。俺が一番聞きたいのはこれだ。風真か?」
ヤンの今までと違う方向性の質問に、今まで従順に答えていた男の動きがぴたりと止まった。
「それとも、そうだなぁ。例えば今日来る予定の那由他、とか」
先人が「目は口程に物を言う」という言葉を残したことに、もっともだとヤンは笑みをこぼす。恐ろしいほどにケイに手渡されたパズルのピースがはめ込まれ、全貌をはっきりとさせていく。どうやらケイは世界を見透かす能力でも持っているらしい。
「お前の言いたいことはわかった。以心伝心ってやつか?」
口から拳銃を離して男を「約束通り」解放したヤンはヒデを一瞥する。
待っていた瞬間だ。
ヒデは男の足元で乱雑に重なり合っている布団で自分の腕を肘までくるみ、男の足に銃口をつけると発砲した。即席ではあるが、それなりの消音効果がある。聞き慣れた音と、少し遅れて焼け焦げたような匂いがヒデにまとわりつく。
傷口を押さえた男は裏切られたとでも言わんばかりに口からうめき声を漏らした。
「言っただろ。『俺は』何もしない、ってな」
普通の人間であれば動けないだろう。ヒデはもう片方の足にも傷を負わせると、手近にあった薄汚いシーツを千切って男を縛り上げ、ヤンの後を追った。
「以心伝心って使い方、違うくない?」
隣室のドアを開けようとするヤンにヒデは耳打ちした。手を動かしながらヤンは笑い声を上げそうになるのを必死に堪える。初めて会ったときは臆病そうなやつだと思っていたが、あっという間にこちら側の世界に順応してしまったらしい。元々そういう素質がある人間しか集まらないにしても、ヒデは他の誰よりも早く、濃く染まっているように思えた。
先ほどの開錠でやり方はすっかり把握できていた。数秒数えるまでもなく鍵が開こうかと言うとき、ヤンがその場から飛び退いた。ヒデはそれを合図に銃を構える。かすかだが成人男性が板張りの床を踏みしめる音が聞こえた。予想通り、開けようとしていたのは残るもう一人の寝室だったようだ。ヒデの隣に立つヤンも己の武器である鞭を手にしている。
静かな空間にガチャリという音がいやに大きく聞こえた。暗がりから男が姿を現すより早く、ヤンが鞭をしなやかに振る。その鞭先は風を切る音よりも早く男の足を捉えた。赤い花が咲くように男の服と肌が爆ぜる。その場に倒れ込んだ男に馬乗りになったヒデはこめかみに銃口を当て、「大人しくしてください」と状況を理解させた。
男は痛みの隙間から吐き出すようなか細い声でヒデたちを何者かと問いただした。
「聞きたいのは僕らのほうです。蜉蒼について詳しく教えてください」
ヒデは同じ体勢のまま引き金に指をかけた。たったそれだけのことが威嚇には十分すぎることは既に知っていた。思惑通り、男の視線はヒデの指先一点に注がれている。簡単に取引に応じそうな様子を見ると、精鋭部隊のような訓練はされていないようだった。
「教えても、教えなくても、あなたの末路は同じです。蜉蒼はあなたたちを守ってくれませんよ。それなら教えたほうが心持ちはよくないですか?」
「蜉蒼を否定するな」
「そこまでして従うのは、何かがあるんですか? 僕に教えてくださいよ」
「我々の神だからだ」
男が絶え絶えに繋ぐ言葉にヒデは首をかしげる。
「皇への忠誠心、信仰心を脅かさない限り信仰の自由は認められていますけど、流石に蜉蒼は神じゃありません。それとも破壊神信仰ですか?」
必死の抵抗か、男は怒りを含んだ視線をヒデに向ける。しかし、それ以上は何も話さず、ヒデの問いに答えることもなかった。




