79話 すれ違い
別れることがなければ、めぐり逢うこともできない。
用意されていた自室に無理やり連れて行かれたシドはミヤから聞かされる今後の予定を明確な意思を持って無視していた。
今までもシドが返事をすることは稀だった。それでも、今回は明らかに態度が違う。そんな様子を見たミヤはわざとらしく音を立てて手帳を閉じた。
「聞こえているとは思いますので、今お伝えした話をくり返しはしませんが」
椅子に座り、窓枠に頬杖をついて徹底的に自分に視線を合わせないシドにミヤはため息をついた。
「若様、先ほどは」
その言葉にシドはゆっくりと目だけを動かした。その瞳をミヤは今まで数え切れないほど見てきた。何かを訴えんとするその眼光が今もまた輝いている。シドが言えずにやり過ごしてきた感情は無数にあるのだろう。それを汲み取ろうとすることを拒絶し、ミヤは目を伏せた。
「先ほどは失礼いたしました。あのような言い方をするつもりはありませんでした」
そう深々と頭を下げたミヤの姿を避けるようにシドは再び窓の外を見た。ミヤは言葉を続ける。
「しかし、弁明をする気もありません。私は軍人として与えられた任務を遂行しました。それだけのことです」
顔を上げ、黙り込んだままのシドの横顔を見た。晴れ渡った冬の空がその顔に影を創り出している。ミヤは眉間にしわを寄せ、目を閉じる。深くゆっくりと呼吸をすると、「後程、また伺います」と退室した。
部屋を外から施錠したミヤはドアに手をつき、再び深呼吸をした。
他に伝えたいことがあったはずだ。頭の中ではその言葉が渦巻いている。全てを棄てるのも悪いことではない。自分はそのおかげでシドと出会えた。そんなありきたりな美談だってできたはずだ。
「申し訳ない」
不意にこぼれたその言葉は、一体今まで何度口にしたのだろうか。シドに対して謝罪しているのだろうか。それともシドの境遇に対して自分自身が納得しかねているのだろうか。
「なぁ、ミヤ」
ドア越しにシドの声が聞こえ、ミヤははっと顔を上げた。分厚い扉を隔てたその声はいつもより遠くに感じられる。
「縊朶の言葉では俺には届かない。俺は、ミヤの言葉が聞きたい」
ミヤは唇を噛んだ。何を言えば、何を伝えればいい。扉についていた手を握り締めると、その場から一歩後ずさった。納得するような答えは見つからなかった。納得するのは自分か、シドか、それすらもわからない。
結局何も答えることはなく、ミヤは扉から遠ざかって行った。
再び椅子に座ったシドは窓に手をついた。ドアも窓も室内から鍵を開けることはできない。はめ込み式の窓も頑丈な窓枠と防弾ガラスで、人間の力では割ることも壊すことも敵わない。堅洲村では雨風や寒さを防ぐ以外の目的で戸を閉めたこともなければ、鍵などそもそも存在しないので掛けたこともない。人間とはこうも簡単に密室を創り出せるのかと小さくため息をついた。
この日が来ることは覚悟していたはずだった。自分が誰の子供で、なぜ堅洲村などという場所で育てられ、誘として生きていたかも、全て理解していたつもりだった。その時を迎えた今にしてみれば、自分のしていた「覚悟」とはかくも陳腐なものだったかと、過去の浅はかな自分を恨んだ。
既死軍のためなら何でもした。既死軍が認めた悪人だけでなく、必要であれば誘も一般人も容赦なく手にかけた。しかし、思い返せば自分には何の決定権もなければ、自由な意思すらもなかった。あると思い込んでいただけだったのだと、狭い部屋に閉じ込められて初めて気づいた。
眼下に広がる西洋風に整えられた庭園を見る。幼少期は広大な庭だと思っていたが、こうして見てみるとさほど広いわけでもない。窓枠から見える小さく切り取られた空も、塀に囲まれた人工の緑も、すべてが今までとは正反対のものだった。
「俺は、ここでは生きられない。ミヤなら、俺の親ならわかるだろ」
シドの部屋を後にしたミヤは一階のサンルームにいた。長らく入ったことはなかったが、そこはミヤが過去にこの洋館で唯一喫煙を許された場所だった。
軍で定期的に支給される未開封のたばこをポケットから取り出す。慣れた手つきで封を切って咥えると、葉山が置いて行ったらしいまだ新しいマッチをすった。昔吸っていたものと同じ銘柄のはずだが、味の記憶など当てにならないのか、懐かしさは少しも感じなかった。
任務を受けた日を境にあれほど吸っていたたばこをやめた。戦地であれば軍人には重要補給品として当然のように食糧と共に支給されていた。一秒後には死んでいるかもしれない身体に健康など考える必要はなかった。戦後もよく言えば習慣、悪く言えば中毒症状として吸い続けていた。しかし、それがあの日、一変した。
自分は生きなければならない。
それから一体何年経ったのか。「シドの宿家親」という長きに亘る任務を終え、やっとただの軍人に戻ることができた。その日を待ちわびるかのように、半年に一回程度、ポケットに入れている未開封のたばこを入れ替えていた。だがその習慣ももう終わりだと紫煙をくゆらせた。
このままうまくいけば、堅洲村に行く頻度は恐らく減ることだろう。そうなれば自然と「頭主の秘書」ではなく「元帥の側近」になる。
「俺も、既死軍の人間ではなくなるんだな」
ミヤは灰皿に灰を落としながら、堅洲村で過ごした年月を走馬灯のように思い出していた。波瀾万丈の人生を送った人間たちの様々な感情や思惑が入り混じった不思議な場所、不思議な時間だった。自分たちは何人を助け、何人を看取り、何人を見殺しにしたのだろうか。ミヤは目を窓の外に向ける。空は澄み渡り、ひやりとした空気がガラス越しにも伝わってきた。
シドが誕生した日が昨日のことのように思えた。そう言えば、同じように晴れた寒い日だった。産声も耳の奥に残っている。寝返りを打ったのは、歩き始めたのはいつだったか。初めて口にした言葉は何だったか。ミヤはまだ小さかったシドを思い出し、可愛いときもあったもんだと笑みをこぼした。
思い通りにならない小さな生き物に手を上げそうになったことも、いなくなればいいと思ったことも一度や二度ではない。命令されたから、任務だから親代わりをしているだけだと何度も自分に言い聞かせた。
ミヤは灰皿にたばこを潰す。
それでも、寝ている時でさえシドのことが頭から離れたことはない。失うことしか知らなかった自分に、何かを得ることを教えてくれた存在だった。それなのに自分はまた、失ってしまった。実の親すら棄てた自分が今さら感傷に浸っているのがおかしくて、思わず声を出して笑った。
ほどなくして、それは自嘲するような表情に変わった。
「俺は何と答えればよかったんだ、シド。お前に、何と言えば、俺は」
窓枠に手をつき、顔を伏せる。
「志渡をどうか、頼みました」
ミヤははっと顔を上げる。それはシドの母親が今際の際、この世で最期に口にした言葉だ。臨終を看取ったのは、ミヤと先代医師のトキだけだった。今はもう、彼女の存在を知る人間はミヤを除いて既死軍にはいない。
「椿さん、俺は、どうすればよかったんですか」
目を閉じると椿の顔が浮かんだ。優しくも高潔で、凛とした女性だった。シドにもその面影がある。
「俺は冥土で、胸を張ってあなたに会えるでしょうか」
深く呼吸をすると、たばこの箱をぐしゃりと握りつぶし、部屋を後にした。
それから数日後の大晦日、ミヤは葉山の書斎にいた。シドの見張り兼世話役としてほとんど泊まり込みだったが、未だにシドとは一言も口を利いていない。
「志渡はどうだ」
デスクに座り、軍からの業務報告を呼んでいる葉山はミヤを見ないまま話しを始める。
「そうですね。まぁ俺に言わせれば、ただ意地を張って不貞腐れているだけという感じです。元から口数は少ないですが、ここへ来てからは一切話をしません」
「そうか」
シドの様子には興味なさそうに葉山は短く相づちを打つと資料をめくった。
「環境が一気に変わったので、慣れるのには流石に時間がかかるかと思います。ですが、許容、想定の範囲内だと俺は認識しています」
「それより入隊の手筈はどうなっている」
「人事局からは一か月程度かかると言われています」
「なぜこんな書類仕事がそんなにかかる」
「葉山さんの名前も、俺の名前も出していないので、通常通りの手続きになります。年末年始を挟んでの一か月なら通常よりも少し早いぐらいです。最優先で対応させるならどちらかの名前を出してもいいんですが、その入隊だのを管轄している榊ってやつがどうも反葉山派らしくて」
「人事局か。あそこも厄介なところだな」
「そうですね。まぁ榊一人ぐらいどうにでもできます。ちなみにですが、この前榊の下に配属された人間が精神的苦痛で異動を申し出たそうです。それを理由に除隊なり何なりさせようかと考えています。今回の件には間に合いそうもないので、ゆくゆくは、の話ですが」
「折を見て始末しておけ」
「わかりました。それで、話は変わりますが」
ミヤは手にしていた封書を葉山の前に置く。
「明日、大御言謹聴の儀で読んでいただく原稿ができましたのでご確認をお願いします。今朝禁裏庁の使いが持って来ました。宸翰は明日渡すとのことです」
十分に及ぶ皇の言葉も紙にすれば二枚程度のものだ。定型文のような文言が並んだその原稿に目を通した葉山は笑う。
「毎度直前にならないとやらんやつだな。昔から変わらん」
「去年よりかは五時間もお早いですよ」
そう言うと二人は笑った。
「明日は例年通り、俺は不参加でお願いします。ここで志渡の相手をしています。既死軍のほうはケイとヤンに祝詞をさせます」
「祝詞も遂に代替わりか。志渡の前はだれだった」
「フブキです。生きていれば今頃宿家親にでもなっていたでしょう」
葉山は再び「そうか」と呟くと、足元にあった鞄を手に立ち上がった。
「そろそろ橘が迎えに来る時間だ。年末年始だと言うのに毎年家にも帰れず可哀想なやつよ」
「元帥の秘書官なら年末年始をお供できるのは身に余る光栄だと思いますがね」
そんな話をしているとちょうどミヤの携帯電話が着信を知らせた。噂をすれば元帥の第一秘書を務める橘だった。たとえ秘書であろうともミヤ以外はこの私邸に立ち入ることは許されていない。門の前で車を止めて待っているとのことだった。ミヤは葉山から鞄を受け取り、代わりに吊るしてあった外套を手渡す。
「樹弥もたまには家へ帰ったらどうだ」
「俺は志渡のそばにいます」
「任務は終わったはずだがな」
門に向かって歩く葉山の後ろについて行くミヤは自嘲気味に笑う。
「習慣とはすぐに変えられないもののようです」




