74話 友達ごっこ
嘘と欺瞞と、騙し合い。
ヒデが頬杖をついて窓の外を眺めているよりも数時間前、まだ昼にもなっていない時間。ヤンは自分の部屋でケイと話をしていた。今日が大学の年内最終授業日、つまり潜入捜査最終日だ。ヤンはたった数回使っただけのきれいな教科書を積み上げ、ひもで縛る。服や食器は段ボールに放り込み、さながら引っ越し前日のようだった。
「片付けは大体終わったけど、今回は誰が処分しに来るんだよ」
『堕貔の誰かだな。まぁ空いてるやつに頼むよ』
「いつも思うけど、堕貔って死体処理以外にもいろいろやらされてんだな」
『正式には事後処理全般が仕事だ。ただ、お前らの事後にはだいたい死体がある、ってだけだよ』
「つまりは雑用ってことだな。俺は堕貔にはなりたくねぇな」
誘が花形だとは思っていないが、それでも裏方に徹している堕貔は自分たちよりも日が当たらない役目だなと、ヤンは顔も知らない堕貔に同情を寄せる。
「で、欽上はどうなんだよ。体張ってる俺にもシロかクロかは教えてくれねぇのかよ」
『そうだなぁ』
しばらくの沈黙のあと、ケイは「ほとんどシロに近い灰色だな」と明言を避けた言い方をした。
「相変わらず、肝心なことははっきりしないな」
『その時が来たら嫌でもわかるだろ』
「そりゃそうなんだけどさ」
『何だ、お友達を売るのは心苦しいってか?』
ケイはバカにしたような笑い方をする。
欽上は監視対象として一線を引いて接していたが、はたから見れば仲のいい友人だっただろう。それを別にしても友人と呼べる人間は数人できていた。そんな友人たちとの「友達ごっこ」も今日で終わる。ヤンはため息をついて、頭を掻いた。
「なぁ、ケイ。友達っていうのはさ」
ヤンは頭の中に一人の少年の顔を思い浮かべていた。もう自分の年齢さえはっきりわからない。しかし、生きてさえいれば、お互いに恐らく大学生の年だ。今までの潜入捜査はあり得るはずもない職業ばかりだった。しかし、この数週間は生前の自分があり得たかもしれない未来だ。「もし」という仮定の世界が頭の中に構築されていく。
もし、あの時。
もし、自分が。
全身から血の気が引いていくような気がした。そんなとき、ケイの冷めた声でヤンは我に返った。
『くだらない話なら切るぞ』
「そうだな。くだらない話だ」
頭を振って思い出を掻き消したヤンは顔を上げる。
「俺は今しか見ない。そうだろ、ケイ」
『そうだ。俺たちには友達も仲間もない。ただ任務を遂行しろ。それだけだ』
数時間後、ヤンは欽上と肩を並べて教室に座っていた。欽上はどの教室でも決まって最前列の真ん中に座る。「生真面目」や「優等生」に人格を与えたらこんな男になるのだろうと、ヤンは少しの興味も持てないままとなった講義内容をノートにメモしていた。
チャイムが鳴り、この数週間で何度目になるかもわからない睡魔との戦いに勝利したヤンは笑顔で欽上に話しかける。
「俺はこれで今年の授業が終わったけれど、欽上くんもそうだったよね」
「そうだね。僕も終わりだよ。よければ今から一緒に図書館で課題にでも取り組まないかい?」
内心はさっさと帰宅したいと思っていた。だが、この欽上太陽はほとんど間違いなくロイヤル・カーテスを束ねる男、璽睿だとケイが判断した。だから何があっても断るわけにはいかなかった。笑顔のまま快諾すると、荷物をまとめて欽上の隣を歩きはじめる。授業が終わったばかりの校舎内は雑談の声や、小走りに走り去る学生などで一際賑やかだった。
「気になる資料が図書館の地下二階にあるんだけれど、桜木くんは地下の書庫は入ったことがあるかい?」
「地下って確か、入るのに申請がいる禁帯出の閉架資料があるところだよな。俺は行こうとも思ったことないよ」
校内図を頭に思い浮かべながら返事をする。大学というよりは一つの町のように広大な敷地では、地図を頭に入れているとはいえ、欽上について行ったほうが確実に目的地に着ける。ヤンは今日で見納めになる構内を眺めながら歩幅を合わせる。
図書館の受付で申請を済ませ、薄暗い階段を下っていく。地下の書庫は貴重な蔵書が眠っているため、湿度や温度の管理が徹底されている。それでも一段一段と降りるごとに湿気や陰鬱さがじっとりと体中にまとわりつくように思えた。
最下層の地下二階に着くと、目の前には頑丈そうな扉が行く手を塞いでいた。欽上が受付で渡されたカードを入口の機械に滑らせると、ドアノブのランプが緑に光り、開錠されたことを知らせた。二人が入室すると同時に電気がついたところを見ると、先客はいないらしかった。かび臭い空気が塊となって一気に押し寄せる。
ヤンはぐるりと室内を見回した。図書館は書籍の汚損や盗難などを防ぐため、監視カメラが多く設置されていると聞く。確かにカメラは見えるだけでも至る所にある。しかし、今見た様子では背の高い本棚ばかりで死角が多いように思えた。天井の低い地下であれば尚更だった。
ヤンは警戒しながら書架の間を通り抜ける欽上に続く。先日の剣道場での一件以来、欽上は特に変わった言動もなく、あれは夢だったのかとさえ思えるような穏やかな毎日だった。あの言葉と行動は本当にただの嫉妬や称賛からくるものだったのだろうか。ヤンはすっきりしない頭のまま、欽上を目で追った。
当の本人は目当ての書籍を見つけたようで、足を止めて一冊の本を手に取りぱらぱらとめくり始めた。しかし、思っていた内容ではなかったのか、すぐにぱたんと本を閉じ、丁寧に元の所へと戻した。再び数歩歩き、今度は壁際の書架に移動する。欽上が書籍に目を通すのと同じく、ヤンも手近にあった本に手を伸ばす。
「ねぇ、桜木くん」
今手にしている古書は価値のある物なのだろうが、授業と同様、ヤンは興味が持てなかった。欽上の声につられて顔を上げる。
「こんな所へ来たのは課題なんかじゃない。どうしても桜木くんに言いたいことがあって」
僅かにあった距離を欽上が俯き加減で詰めてくる。警戒していた通り罠だったかとヤンは飽くまで平静を装いつつも身構える。
「何かな。こんなところで、俺に言いたいことって」
「君はいい匂いだ。僕と同じ匂い」
欽上はヤンの両肩に手をかける。一瞬にして冷や汗がヤンの頬を伝った。こんな人間に触れられてはいけない。こんな手が届く距離にいてはいけない。そう頭では理解しているが、体が動かなかった。ただ欽上の目を見るだけで精一杯だった。欽上もヤンの瞳を見つめる。
「ほら、また、君の瞳孔は微塵も開かない。桜木くん、君は一体、今まで」
そう言って一旦顔を伏せたかと思うと、肩に置かれた手に力が込められる。ヤンの呼吸が徐々に荒くなり、目の前にいる男の名前を呼ぶのもやっとだった。鼓動がかつてないほど早まり、室内に響き渡り、こだましているようにさえ思えた。
欽上が静かに口を開く。
「何人、殺した」
その言葉にヤンは目を見開く。欽上の両手はいつの間にかヤンの首を絞めていた。
「いい匂い、僕と同じ匂い。血の匂いだ」
何か言おうにも声が出ない。必死に抵抗するが、先手を打たれては力も入らなかった。罠だとわかっていたはずだった。警戒していたはずだった。それなのに、この失態はなぜだ。ヤンの思考は完全に止まっていた。
「桜木隼也だなんて、存在しない人間が、こそこそと一体僕の何を嗅ぎまわっているんだい?」
いつもの優しそうな目つきとは一変した眼光の鋭さ。朦朧とした視界の中で、欽上ともう一人の人物が重なる。それはケイに見せられた写真に写っていた件の男だった。
「お前は、既死軍だな」
確信を得た欽上が手を離すと、ヤンは激しく咳き込み、力なく崩れ落ちた。
「僕を見つけたことは褒めてやろう。だけど、ここまでだよ」
「俺たちは」
やっとのことで声を絞り出したヤンはフラフラと立ち上がり、背を向けていた欽上の肩を掴む。
「俺たちは本名も、所属も、何もかもを手にした。欽上太陽、お前の負けだ」
振り返った欽上はヤンの手を振り払う。その勢いでバランスを崩したヤンは書架に身体を打ち付けた。バサバサと音を立てて貴重な書籍が床に何冊も落ちる。
「さて、どこからが事実で、どこからが虚構か、君たちにわかるかな」
「お前は存在している。それだけは、揺るぎない事実だ」
欽上はヤンの前髪を掴み、顔を近づける。今まで見せたことのない、勝ち誇ったような表情をしていた。
「ここには拳銃もサーベルも持ち込めない。帝国第壱大学の堅牢な防犯設備に感謝するんだね、桜木くん」
「それは、こっちのセリフだ」
「口だけは達者と見える」
そう言って再び笑うと、欽上は鉄でできた書架にヤンの頭を勢いよく打ち付けた。目から火花が飛んだかと思うほどの衝撃に耐え、ヤンは必死に意識を繋ぎとめる。ドクドクとこめかみから生ぬるい血があふれているのが肌の感覚で伝わる。
前髪を掴まれたまま、今度はみぞおちを蹴り上げられたヤンはめまいを覚える。
「丸腰相手に、いい気に、なるなよ」
消え入りそうな声でヤンはそう吐き捨てる。嘲笑するような表情を崩さない欽上は「大事な書籍が汚れては困るからね」と手を離した。ヤンはその場に膝をつく。
「受付には君が転んで頭を打ったとでも伝えておこう。すぐに助けてもらえるだろう。僕が慈悲深い人間でよかったと思わないかい?」
「バカ言え」
浅い呼吸で薄れゆく意識の中、書庫を後にする欽上の声がいやにはっきり聞こえた。
「また会おうね、桜木くん」




