71話 似て非なる
陳腐を、謳歌する。
ヒデが教科書を見ながら宿題に悪戦苦闘していると、一時間も経たないうちにケイから電話がかかってきた。さすがの早さだなと通話ボタンを押す。
「川崎陽奈美について調べたが、至って普通の高校生だ。阿清秀の同級生でもなかった。似ている知り合いや有名人も、調べた限りではいないようだ。生い立ちや人間関係を調べるにはもう少し時間がかかるが、とりあえずの情報はこんなところだ。どうだ、これで満足か?」
電話越しに「ありがとうございます」と頭を下げるも、ヒデは首をかしげる。
「ケイさんが調べたのなら間違いないと思うんですけど、それでも何だか気になると言うか、腑に落ちないと言うか」
「どこかですれ違ったとかの話なら俺にも調べられない。そういう類いなら、すまんが自分で思い出してくれ。そこまで記憶に残っているというのなら、もしかしたら最近、それこそ任務中に会っているのかもしれない。お前が出会ってるとすれば、オバケ退治のときのロイヤル・カーテスのレナ。あれも長い黒髪なんだろ。ただ、そんな髪型の女はいくらでもいるし、カツラなり何なりで見た目は手軽に変えられる。映像資料がないだけに、いまいち俺も確信は持てない」
ヒデは腕を組んで目を閉じ、「うーん」と記憶を手繰り寄せる。だが、はっきりとレナの顔や声が脳内に浮かんでいるわけではない。半年ほど前、ほとんど暗闇の中、小声を一言二言を聞いたぐらいだ。ケイの言うとおり、似ている容姿や声などごまんといるだろう。
「まぁ、また何かわかれば連絡する。ところで、今は何してるんだ? 帰宅後の高校生なんて暇なもんだろ」
「暇じゃないですよ。こんなに宿題が出されるなんて、任務行ってた方がマシです。国語や帝国史はまだしも、数学も化学もわかんないですよ。たった五日じゃ付け焼き刃もいいところです」
「理系科目ならヤヨイが教えてくれるだろうよ。代わってやろうか」
「嫌です! 何言われるかわかったもんじゃないですよ!」
ヒデにしては珍しく強い語気で拒絶の意を表す。ヤヨイが医師を正式に任されている以上、自分より頭の出来がいいのは確かだろう。しかし、教えてもらう気になどなれなかった。
「そうかそうか。帰って来た時が楽しみだな、ヒデ」
あざ笑うような声にぎょっとして思わず携帯電話の画面を見ると、いつの間にか真っ暗だった画面はビデオ通話に切り替わっていて、そこにはヤヨイの顔が映っていた。横からケイの声が聞こえる。
「すまんすまん。一緒にいたんだ」
「酷いですよケイさん!」
「酷いのはお前だろ、ヒデ。俺に教えてもらえるなんてそうそうねぇ機会なのに、それを棒に振るってか」
「僕、今、帝国史の宿題してるので!」
「数学か化学に変えりゃ済む話だろ。さっさとしろよ」
電話の向こう側からでも衰えることのない圧力に、ヒデはまさかこんな所へ来てまでヤヨイに怯えることになるのかと慌てて数学の問題集を鞄から引っ張り出した。
ヒデをヤヨイに任せたケイはチャコに無線を繋ぐ。ヒデのところより幾分か校則の緩いチャコの学校ではピアス型の無線も見逃されていた。
「登校初日はどうだった」
『四方八方から話しかけてこられてもなぁ。俺は聖徳太子かっちゅうねん。人気者は困るわ』
けらけら笑いながらチャコは監視対象の報告を始めた。
四人からそれぞれの報告を聞けば聞くほど、全員が怪しく思えてくる。しかし、こんなに接近させておいて「読みが外れた」では面目が立たない。たった三週間で長期休暇に入ってしまう帝国の暦をケイは恨んだ。
『他のやつらはどうや。俺は何か、大山は箸にも棒にも掛からんっちゅうか。敵のことあんまり良く言いたくはないんやけど、ロイヤル・カーテスを束ねるような器ではないって感じやな。褒めてるみたいで何か嫌やけど』
「まぁ俺も本命はヤンが監視してる男だ。さっさと尻尾を出してくれさえすれば、お前らの学生ごっこも早々に終わるんだがな」
そう言うケイの横からは継続的にヤヨイの罵声が聞こえている。先輩にも上司にもしたくない人間だなと他人事のようにヒデを憐れみながらチャコに無線を繋ぎ続ける。
「聞こえてると思うが、今、俺の横でヒデがヤヨイに絞りに絞られてる。お前、勉強はどうだ」
『は? 俺の任務は監視や。勉強なんか含まれてへんやろ。アホくさ。誰がやるかそんなもん』
ケイの言葉を鼻で笑ったかと思うと、実にあっけらかんとした返事が返ってきた。たかが宿題一つとっても性格が顕著に出るものだなとケイは苦笑した。
翌朝、昨日と同じ時間の同じ車両、同じドア、同じ駅から陽奈美が乗車してきた。にこにこと笑っている、どこにでもいそうなこの女子高生がロイヤル・カーテスのはずがない。ましてや、「女王」であるならば、拳銃だけでなく軍刀をも使いこなしているはずだ。陽奈美は高校二年生、十六歳か十七歳だ。そんな年齢の人間が、まさか。そう考えたところで我に返った。自分の横に立ち、笑顔で挨拶をする陽奈美にヒデは「おはよう」と返した。
「佐久間くん、五組だったんだね。担任みっちゃんでしょ? あ、満田先生のあだ名ね。みっちゃん、優しいから運いいよ。私の担任、怖すぎてみんなに閻魔って呼ばれてるからね」
陽奈美が笑うと、冬だと言うのにふわりと空気が暖かく和らいだような雰囲気になる。ヒデはそんな変化を感じながらも、陽奈美から目をそらし、そっけなく「そうなんだ」とどんよりと曇った冬空に視線を向けた。
そう言えば、自分も十七歳だ。
もう数えることもできないほど人を傷つけ、殺してしまった。しかし、こうして高校の制服を着ていれば簡単に擬態できるほど、自分も「そんな年齢の人間」だ。ヒデは小さく息を吐く。もし陽奈美が一般人だったなら、自分には同級生として話す資格はあるのだろうか。願わくばロイヤル・カーテスのレナであれ。そのほうが気心の知れた仲になれるかもしれない。
ヒデが目をそらした理由はたった一つ。陽奈美の笑顔があまりにも一般的な女の子の、一般的な笑顔をしていたからだった。
「佐久間くん」
覗き込むようにして陽奈美がヒデの顔を見上げている。空返事をしていたのだろう、不思議そうな表情の陽奈美はヒデの視線が自分にやっと向けられたことに再び笑顔を作った。
ヒデは耳に届いてはいた陽奈美の話を思い起こし、会話を繋ぎ合わせる。
「転校初日といっても、六時間も授業だったし、宿題もあったし、何というか、普通の一日だったかな」
「なんだ、そんなもんかぁ」
転校生という身分に、特別感を持っていたような言い方で陽奈美は残念がる。
「あ、でもね、八組でも佐久間くんの話題出てたよ! 高校で転校生って珍しいもんね。何人かはわざわざ見に行ったんだって」
駅に着き、同じ制服を着た学生たちがどっと電車を降りる。ヒデたちが通う私立高校は全校生徒三千人を有し、普通科だけではなく体育科や国際科など、様々な学科がある大規模校だ。通学時間ともなれば「人込み」以外にふさわしい言葉は見当たらない。
ヒデが人波に紛れて改札を通ると、ちょうど監視対象の犬飼の姿が先に見えた。犬飼は携帯電話を見ながら一人で通学路を黙々と歩いていく。一体何を見ているのだろうと思いながら、ヒデは話しかけてくる陽奈美に相槌を打った。
木々の葉がすっかり落ちた校庭は寒そうな景色をしている。しかし、冷暖房完備の教室は心地よい室温で、ヒデは聞こえてくる教師の声を子守歌に思わず意識を飛ばしそうになっていた。昨日ヤヨイに散々罵声を浴びせられながらも最後までやり遂げた宿題と予習、復習は、何とか一日の授業をやり過ごすには十分だったようだ。流石既死軍で医師に任命されるだけのことはあるなと、今まで受けた仕打ちの数々を一時的に記憶の彼方に追いやり感謝した。
ヒデは教科書から視線を上げて頬杖をつくと、斜め前に座っている犬飼を見る。授業を受ける姿勢は気だるげで、間近で対峙したときの鬼気迫る様子だった璽睿には見えなかった。それでも、背格好も声も、似ているといえば似ている。これがもし別人なのだとしたら、「世界には似ている人間が三人いる」という都市伝説にも似た話を信じざるを得ないように思えた。
ケイが言うには、監視対象四人の家には、とっくの昔に監視カメラと盗聴器を仕掛けているらしい。携帯電話の通話記録から行動履歴まで、ほとんどが既にケイの手中にある。残るは実際に接触してみて、どんな人間かを確かめることだけだった。それがこの任務が行われている理由だ。
代わり映えのしない犬飼の様子に、ちらりと視線を他の学生に向ける。机の下で携帯電話をいじっていたり、真面目にノートを書いていたり、潔く居眠りをしていたりと学生の授業態度は様々だ。そう言えば、「阿清秀」は真面目に板書を写している人間だったなと過去の自分を他人事のように思い返す。
自分は変わってしまった。それは間違いないだろう。目の前にいる犬飼と璽睿が似て非なる者であるのと同じく、「阿清秀」と「ヒデ」も同一人物にして別人だとはっきりと理解している。
堅洲村で目覚めたばかりのとき、アレンに言われた言葉がふと蘇った。
「私たちには名前を棄て、過去に囚われず、自由になる権利があります」
確かそんなことを言われたはずだ。その時はよくわからなかったが、今ならわかる気がする。今でも、自分は自分を「ヒデ」と名付けるのだろうか。
そんなことを考えている内にチャイムが鳴り、再び大量の宿題を残して教師は教室を出ていった。




