69話 偽りの中の真
真実とは、生そのもののことである。
紅葉もほとんど終わりを迎え、枯れ葉すら落とし切った木々が寒さを一層駆り立てる。誘たちは足元から冷えるのを我慢しながら、畳敷きの会議場でケイからの定期報告を聞いていた。一体いつ建てられたのか、会議場はそれぞれの宿よりも隙間風がひどく、風が吹くたびに閉めきっているはずの扉がガタガタと音を立てる。報告は毎回一切の無駄が省かれたケイらしい簡潔なものだった。今回もヒデはすぐ終わるだろうと薄い靴下で来たことを後悔しながら何度も正座する足先を組み替える。
ケイからの話は、ヒデたちが帝国五大財閥である曙光財閥のビルで戦ったロイヤル・カーテスの男についてだった。ユネが口走った「璽睿」がどうやら彼の名前らしい。その璽睿らしき男の身元がキョウから送られた画像で絞られたようだった。
「俺が絞り込んだのは四人。多いとかいうなよ。帝国の人口は一億五千万人だ」
いつも茶々を入れる数名に向けて、ケイは言葉と視線で先に釘を刺す。
「予想通り、年齢はお前らぐらいで四人とも高校生、大学生だ。流石にデータ上だけで探るのには限界がある。よって、久々に潜入をしてもらう」
そうケイが名指ししたのはヤン、チャコ、ジュダイ、ヒデだった。四人は顔を見合わせると、何となく自分が選ばれた理由がわかるような気がした。
他の誘たちが退室した後、ケイは四人に向かって任務内容を告げる。潜入するのはそれぞれ違う学校だ。璽睿に顔が割れているヒデは一番可能性が低いところ、反対にケイがほとんど璽睿だと確信している男のもとにはヤンが送られることになった。
「まぁここだけの話、まともな学校生活送れそうなのはお前らぐらいだろ」
ケイは真面目な表情のまま、冗談なのか定かではない言葉を漏らす。
「それぞれに監視対象についての資料を渡す。どんな手を使ってでもいい。本人、及びその周辺から情報を引き出してくれ。もし監視対象が璽睿だった場合、そう簡単に尻尾を出すとも思わんがここに賭けるしかない。が、残念なことにあと一か月で冬休みになる。準備諸々を考えると潜入できるのは三週間程度。それで結果を出してくれ。それから」
まだ何かあるのかと四人はケイの顔を見上げる。ケイはクマが顔色の悪さに拍車をかけている顔でにやりと笑う。
「学生の本分は勉学だ。せいぜい初登校までにお勉強しておくんだな」
ヒデは宿に帰るなり、玄関に置かれていた参考書の山に辟易した。アレンによるとイチが先ほど持って来たらしい。スニーカーを脱ぎながらヒデは口をとがらせる。
「まさか、また高校生になって勉強することになるとは夢にも思いませんでした」
「イチくんから簡単に聞きましたよ。大変な任務ですね」
囲炉裏ではぐらぐらと湯気を立てて湯が沸いている。急須にお湯を入れ、体の芯まで冷え切ったヒデに熱い茶を入れる。
「任務が始まるまで五日ほどらしいんですけど、それまでに高校生としての基礎知識をつけろだなんて、ケイさんも酷いですよね。薫陶で走らされてるほうが何倍もマシですよ」
ヒデは参考書のいくつかを手に取り、囲炉裏のそばに座る。パラパラとめくってみると、見たこともない数式や歴史用語が、さも常識であるかのように羅列されていた。ヒデの手元に茶を置いたついでに、後ろからアレンが本を覗き込む。ヒデはそんなアレンを見上げ、困ったような表情そのままに助けを求める。
「どうしましょう、アレンさん。僕、既死軍に来てからまともに勉強なんてしてませんよ」
「申し訳ありませんが、私はお役に立てそうもありません」
小さく首を振ると、アレンは顔を離した。
「勉強を教えてくれそうな人と言えば、ケイくんかヤヨイくんでしょうか。ですが、二人とも多忙ですしね。それ故の参考書なのでしょう」
渋い顔をしたヒデはもう一度本をめくる。一夜漬けならぬ五日漬けでどうにかなる量ではないが、やれるだけのことはやってみようとため息交じりに「わかりました」と答えた。
ヒデの正面に座り直したアレンは静かに茶を飲み、一息つく。
「しかし、またヒデくんがしばらくいなくなるかと思うと寂しいですね」
「僕もです。でも、冬休みには帰って来られるみたいなので、あっという間ですよ」
「まるで帰省のような言い方ですね」
アレンはふふっと笑う。ヒデもつられて笑顔を作った。
「だって、ここが僕の宿ですから」
耳をつんざくようなアラーム音にヒデは飛び起きた。ベッドから半ば落ちるようにして暖かい布団から出たヒデはスリッパを履いてカーテンを開ける。十二月一日月曜日、まだ薄暗い午前六時。デジタル表示の時計が今日の日付と室温を表示している。日時がこんな画面一つでわかってしまうのかと、数か月ぶりに時間の感覚を取り戻す。
カタスムラにはカレンダーも時計も存在しない。たまにルキの事務所で見ることはあるが、気にしたことはなかった。既死軍に来るまでは時間に縛られた生活だったんだなと、再び時計に目を向けた。それがいいのか悪いのかはわからない。ただ一つ、今からは時間通りに生きることを強いられることは確かだった。
昨日から住み始めたこの家にはまだ慣れない。家族向けの、一人暮らしにしては広すぎるマンションの一室だ。寝間着のまま台所へ行くと、冷蔵庫を開けて昨晩の残り物をテーブルに並べる。コンロで湯を沸かして茶を入れ、炊飯器から炊き立てのご飯を茶碗によそう。一人で食卓につくと、誰に言うでもなく「いただきます」と手を合わせた。
一人暮らしは闇賭博場に潜入して以来だ。今回は高校生として健全な生活が送れそうだと、たった一か月にも満たずに終わってしまった自分の高校生活を振り返る。
夢も希望もなかった。
子どもの頃に対象者となった帝国の「片親家庭支援計画」により、大学までの学費は全て免除されていた。だから受験勉強をして適当な高校に進学した。高校生になった理由はただそれだけだった。既死軍に来なければ、何の目標もないまま、その他大勢の一人として大学生になり、就職して、人生を終えていただろう。
では、既死軍に来た今、自分に夢や希望はあるのか。ヒデは徐々に明るくなっていく窓の外に目を向けた。
食器の片づけや洗濯など、朝の家事を済ませたヒデは真新しい制服に袖を通し、ネクタイを締めた。学校指定の鞄に荷物を詰めながら、自分の設定を復習する。
佐久間篤紀、両親の仕事の都合で生まれたときから海外在住。しかし、再び仕事の都合により一家で帰国。その他にも、生い立ちや家族との思い出、外国での生活や趣味嗜好に至るまで「佐久間篤紀」という人間が本当に存在しているかのように事細かに設定が作り上げられていた。一部は使いまわしなのかもしれないが、ケイが一個人の人生を一人で作ったというのだから本当に頭が下がる思いだ。
最後の身支度としてマフラーを巻いているところに、携帯電話が鳴り、着信を知らせた。画面には「鈴木慶一」と表示されている。ヒデは久しぶりに触る携帯電話をぎこちなく操作して通話を開始した。
「そろそろ家を出るころかと思ってな」
「はい。何だか緊張しますね。潜入するからっていうよりも、ちゃんと高校生できるかなって。あと、こうやって電話でケイさんと話すのも何だか不思議な感じです」
声色から伝わる緊張感にケイは思わず笑う。
「ピアス及びその他装飾品は一切禁止。流石の既死軍も厳しい校則には逆らえん。無線がないのは俺にとっても不便だが仕方ない。まぁお前なら上手くやってくれるだろうよ。健闘を祈る」
「ありがとうございます。アレンさんにもよろしく伝えておいてください」
「あぁ。何かあったらいつでも電話してくれ。じゃあな」
返事をしたヒデは通話を終える。短い会話ではあったが、おかげで落ち着きを取り戻せたような気がした。部屋の電気が消えていることを確認したヒデは「いってきます」と伽藍堂の室内に向かって声をかけた。
ちょうど通勤通学の時間帯とあって、駅に近づくにつれて制服姿の学生や背広姿の大人が人波を創り出していく。ヒデはその波に紛れ、電子定期券を改札に滑らせた。既に形成されている乗車列では、人々が携帯電話を見たり、ぼんやりとどこかを見つめたりしている。
ポケットで手を温めながらヒデも列に加わる。頭の中では監視対象の調査項目と自分の設定を繰り返していた。自分は璽睿に実際に会って会話をしているのだから、一目見れば本人かどうかはわかるだろうと思っていた。しかし、顔を凝視したわけでも、長時間声を聞いたわけでもない。暗闇だったこともあり、はっきりと断定できる自信はなかった。今はケイの言った、自分の監視対象が件の男である可能性が低いという言葉を信じるしかない。
到着した普通電車は満員というほどではないが、隣の人と肩が触れるぐらいには混んでいた。車体が少し揺れると、車窓が右に流れ始めた。初めて見る景色にヒデは任務中であることも忘れて見入っていた。今目にしているのは、自分が手放した「普通の人たち」が送る「普通の生活」だ。もし、自分がこのまま普通の高校生に戻りたいと願ってしまったら。ヒデは何度か視線を泳がせた。叶うはずはないとわかっている。まだそんな思考が残っていたのかと小さくため息をついた。
徐々に乗客は減り、やっと窮屈さがなくなったころ、四、五人ほど離れた距離の扉付近から男の怒号が聞こえてきた。このようなことには関わらないのが一番だ。今までもそうやってやり過ごしてきた。その内誰かが非常ボタンを押して車掌に連絡するだろう。どこの電車にも迷惑な乗客はいるものだとヒデはちらりと横目で状況を確認する。どうやら中年のスーツを着た会社員が女子高生に対して肩がぶつかったとかで騒いでいるようだった。長い黒髪の女子生徒は大きな瞳をぱちくりとさせ、硬直している。恐怖しているというよりも、どうしたらいいかわからないと言うような表情だった。
ヒデは再び視線を窓の外に向けた。今までも面倒事には関わらず、目をそらして生きてきた。なにも自ら好き好んで騒動に首を突っ込む必要はない。そう思っていた。
ヒデはふと自分の手のひらを見た。治りかけのマメが自分が既死軍であることを思い出させた。
「僕たち既死軍はロイヤル・カーテスみたいに逃げもしないし、蜉蒼みたいに隠れもしない」
いつかルワ相手に言い放った。そうだ、自分は逃げも隠れもしない。ヒデは手のひらを軽く握ると、男の方へと歩いて行った。




