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Blackish Dance  作者: ジュンち
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67話 祿を賜るまで

あれは、静かな夜のことだった。

 庭で木刀の素振りをしているヒデのところへ、アレンが「一休みしませんか?」と淹れたての茶と急須を持って来た。ヒデはうなずいて汗をぬぐう。

 新月になった月も徐々に満月に近づき、あっという間にシドとの対決も数日後に迫っていた。ミヤが勝手に決めたことではあるが、シドと戦うことなど今後あるかもわからない貴重な機会だ。ヒデは縁側に座り、空を仰ぐ。秋晴れには程遠い、どんよりと曇った今にも雨が降りだしそうな天気だった。

「アレンさんは刀って使えるんですか?」

「私も戦争を生きた世代ですから、子どもの頃に学校で習いはしました。ただ、本当にそれきりですね。構え方ももう忘れてしまいました」

 アレンはふふっと笑って湯呑に口をつけた。狙撃を得意としていたアレンは接近戦とは縁がなかったのだろうとヒデは言葉の端から推測する。ヒデも湯呑を手にしようとしたところで、自分の手が震えていることに気付いた。不意に痛みを感じて手のひらを見てみると、両手とも潰れた豆で痛々しい色をしていた。自覚すると痛みは一層増すもので、ヒデは思わず顔をしかめる。咄嗟に手を握って隠したものの、アレンにはしっかりと見られてしまっていた。

「ヤヨイくんのところへ行ってはどうですか?」

「どうせ追い返されるだけですよ」

 ヒデの諦めたような声にアレンは納得の表情を見せるも、すぐさま「それなら」と手を叩いた。

「私が消毒液と塗り薬をもらってきます。ヤヨイくんも私のお願いなら無下にはしないでしょう」

 ヒデは笑って「アレンさんが宿家親(オヤ)でよかったです」と言うと、手のひらを開き、まじまじと見つめた。シドは一朝一夕の努力でどうにかなる相手ではないことは明白だ。いくら努力したところで、自分は足元にも及ばず、勝つことなど到底できはしないだろう。それでも、積み重ねた時間は必ず糧になる。

 自分が本当に倒すべき相手はシドではない。

 ヒデの頭には、先日会ったロイヤル・カーテスの男ではなく、ルワの顔が浮かんでいた。蜉蒼 (フソウ)のせいでうやむやになってしまったが、自分のことを「好敵手」と言ったルワの表情が忘れられなかった。再び相まみえたときもまだ好敵手だと思ってもらえるだろうかと拳を握った。

「二日後だ」

 突如投げかけられた声に顔を上げると、背の低い生け垣の向こう側にミヤが立っていた。スーツを着ているところを見ると、今しがた堅洲村(カタスムラ)に帰ってきたようだった。

「思ったより早いですね」

「正確には満月ではないが、俺の都合でな」

 そう言うと、ミヤは玄関の方から敷地内に入り、無遠慮に縁側に腰掛けた。ネクタイを緩めながら話の続きを始める。

「立会人がいないと成立しないだろ、っていうのは建前で、シドもヒデも俺の教え子だからな。単に俺が戦っているのを見たいだけだ。ヒデも相当様になってきたみたいだしな」

 アレンが新しく入れた茶をすすりながらミヤはヒデの手を見る。

「そんな手のままでは満足に戦えないだろう。今日はもう休養に当てろ。休むのも人間には必要なことだ」

「おやおや、ミヤさんにしてはお優しい言葉ですね」

 何か思うところでもあるのだろうか。アレンが珍しく皮肉めいた言い方で二人に割って入った。

「アレンが(イザナ)だったときとは俺も若かったからな。若気の至りってやつだ。俺も丸くなったもんだろ」

「私にとっては、いつまでも『鬼のミヤさん』ですよ」

 にっこりと自分を見つめるアレンを鼻で笑い、ミヤは茶を飲み干す。

「お前も十分鬼だっただろ」

「過去形にしてくださるんですか」

「今もか?」

「さあ、どうでしょう」

「どうだ、ヒデ」

「優しいですよ、とっても」

 ミヤを説得でもするようにヒデは言い切る。立場が違えば同じ人間に対する印象は変わってしまうものだ。それは百も承知だが、アレンは自分にとってはいい宿家親(オヤ)だということをミヤに伝えたかった。

「僕はアレンさんに感謝してます」

「だとよ」

 あくびをしながらつまらなさそうにミヤは立ち上がる。ヒデの答えは概ね予想通りで、ミヤにとっては何の面白みもなかった。しかし、二人が何の問題も起こさず過ごせているならそれでいいかと二人を一瞥する。

「明後日の夜、迎えに来てやる。善戦を期待してるよ」

「わかりました」

 ヒデは遠ざかるミヤの背中に頭を下げる。ミヤには何度か手合わせをしてもらいはしたが、期待に応えられるかどうかは自信がなかった。それでも負けるために戦うわけではないと気合を入れた。


 二日後の月がまだ空の頂に到達しない頃、見慣れた着物姿のミヤがおもむろに玄関の引き戸を開けた。静かに敷居を跨ぐと「時間だ」とヒデを見据えた。居間で正座をしていたヒデは返事をして立ち上がる。両手にはテープが巻かれ、木刀は柄の部分が手渡した時よりも黒ずんでいる。たった二週間でよくここまで変色させたものだと、ミヤはヒデの背後に努力の過程を見た。

 アレンに見送られ、ヒデはミヤの後ろを歩く。満月には満たないが、それでも灯りを持たなくても歩けるほどだ。雲一つない空は月明かりで星がいつもより霞んで見えた。

 無言のまま射撃場に着くも、シドはまだ来ていなかった。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、迫りくるその時を待つ。

 数分もしないうちに、その時はやって来た。長い黒髪を風になびかせた作務衣(さむえ)姿のシドが暗がりから現れた。当然乗り気なはずもなく、ミヤの頼みだから仕方なく来たという空気感を纏っている。

「やっと起きたか。来ないかと思ったぞ」

 ミヤの言葉を気だるげにあしらうと、シドはすぐさま木刀を構える。ヒデがミヤに教えてもらった通りの霽月(せいげつ)流の動作だ。

 シドの瞳が自分を捕らえたことを悟った途端、ヒデは全身に警告音が鳴り響くような感覚に襲われた。蛇に睨まれた蛙の如く、ヒデの足は地面に打ち付けられたように一歩も動かなかった。ミヤが自分に何か声をかけているらしい。しかし、一切の音はヒデには聞こえなかった。

 落ち着いて一つ息をつくと、ヒデはシドを睨み返す。まさかシドと堅洲村(カタスムラ)で対峙する日が来るとは夢にも思わなかった。初めて会ったときは、できる限り関わらないほうが身のためだとその雰囲気から察した。しかし、今ではこうして一対一で刃を向け合っている。シドに勝ちたいとは思わない。しかし、負けたくないという気持ちがヒデの中を駆け巡っていた。「勝ちたい」と「負けたくない」は違う感情だ。それは「認めてほしい」とも違うものだった。一体いつ、自分の中でのシドの位置づけが変わったのだろうか。

「勝敗は俺が決める。ケガだけはさせてくれるなよ、シド」

 ミヤは扇子で何度か自分の首筋を叩きながらシドに釘を刺す。ミヤの中ではどうやら既に勝敗は決しているらしかった。ヒデは気合を入れるように柄を握り直す。

 扇子を開いたミヤは二人を交互に見ると、口元を隠し、かすかに笑った。それは面白いものが見られるかもしれないという期待からくるものだった。ケイが前線から外れてしまって幾星霜。まさか自分が一から教えた人間同士が戦うところを見られる日が来るとは思わなかった。長生きはしてみるものだなと、バチンと音を立てて扇子を閉じた。

 それを合図に二人は動いた。

 シドはヒデの行動が手に取るようにわかるのか、軽々と全てをかわしていく。わざわざ防御するほどのこともない。ミヤは二週間程度ならこんなものかと、ケイやシドに剣術の基礎を教えた遠い過去を思い返していた。ケイはいまも尚、当時の強さを誇っているだろうかと情報統括官になってからの彼の日々に思いを馳せる。

 ミヤがケイと出会ったのはもうかなり昔のことだ。人生の半分はともに既死軍(キシグン)で過ごしてきた。シドも同じく、付き合いは長い。自分たちは一体いつまで生き長らえることができるのかと死んでいった既死軍(キシグン)の面々が頭に浮かんでは消えていった。

 突き抜けるような乾いた音でミヤははっと我に返った。木製だというのに火花が見えるほどの勢いで二人が打ち合っている。シドが優勢であることに変わりはないが、ヒデの必死の攻撃が実を結んだのだろう。シドの姿勢に変化があったのは明白だった。

 シドは小さく舌打ちをした。このままでは試合が長引くことを察知したのか、ヒデの一瞬の隙を見逃さず、その手から武器を弾き飛ばした。空を飛んだ木刀は暗闇に消え、行方は分からない。

「お前には殺意が足りない」

 耳元でそう囁くと、シドは一歩後ずさり、切っ先をヒデの脳天目掛けて振り下ろした。ヒデは咄嗟に目をつぶる暇もない。自分に向かって来る刃に死を感じた。

 金属音が周囲に高く鳴り響いたかと思うと、目を見開いたままのヒデの視界をミヤが遮った。手にしていた鉄扇で木刀を受け止めている。

「まともに食らったら流石にヤヨイ送りだ。やめてやれ」

 二人から距離を取ったシドは大人しく武器を下ろす。

「勝負あり、だな」

 そう振り返ったミヤにヒデは小さく「はい」と返事をした。

霽月(せいげつ)流は『静』の流派だ。そんなに呼吸を荒くしているようではまだまだだ」

 ヒデが助かったと言わんばかりに腰を曲げて膝に手をつくと、頬を伝った汗が滴り落ちた。やはりシドには遠く及ばなかった。そんなシドと対等に渡り合っていたロイヤル・カーテスたちを思い起こし、唇を噛んだ。このままではシドどころか彼らの足元にも及ばない。ミヤの言う通り、自分は接近戦に弱いことを身をもって感じたのだった。

 シドは一言も発することなくその場を去った。その背中を見送ったミヤはヒデに振り返る。

「まぁそうだな。武の道がそう簡単に成るわけではないことはヒデもわかるだろ」

「はい」

「太刀筋は悪くなかったし見込みはある。それから、その手を見ればわかる。俺が保証しよう。お前は大成するよ、ヒデ」

 ヒデはミヤをまっすぐ見つめる。涼しい顔をしたその顔はシドの宿家親(オヤ)らしく感情を覗かせない。ヒデの敗北を実際はどう思っているのかはわからなかった。

「シドに勝てなくてもいい。俺がヒデを認められる日が来たらいいものをやろう」

 ミヤがこんなことを言い出すとは珍しいこともあるものだとヒデは「いいものって?」と首をかしげる。

「この前も言ったが、俺は軍にいたときに当時の上官から霽月(せいげつ)流を習った。その上官の軍刀だ」

「そんな大切なもの、もらえませんよ」

 急な話にヒデは全身で遠慮の意を示す。ミヤですら雲の上の存在だと言うのに、更にその上に座する上官という存在の持ち物を、いくらミヤがいいとは言っても受け取る気にはなれなかった。

「俺も今は使っていない。俺の宿(イエ)で眠らせておくぐらいなら、霽月(せいげつ)流の使い手に譲った方が上官も刀も喜ぶってもんだ」

「シドやケイさんには」

「シドもケイも、もう別の軍刀を持っている。同じく使ってはいないがな。まぁそう簡単に渡す気はないから精進してくれ。何か目標があるに越したことはないだろう」

「わかりました。ありがとうございます。あの、ミヤさん、その」

 ヒデは口ごもり、何度か視線を泳がせる。聞いてもいいものか考えあぐねている内にミヤは何かを察したのか空を仰いだ。

「持ち主だった上官はもう、死んでしまった」


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