63話 役割
己を、鼓舞せよ。
キョウの義眼から送られてくる暗闇の映像をケイとヤヨイは見つめていた。キョウが既死軍に来た頃は、暗視カメラと言えば白黒か、よくても疑似カラーでしか映すことはできなかった。しかし、技術の進歩とは自分が思っているよりも早いもので、今では真っ暗闇でも実際とほとんど差異のない色で映し出すことができる。もちろんキョウの義眼として機能しているカメラには最新技術が使われている。それはこの国が世界に誇る技術大国であるだけではなく、頭脳明晰な医師のヤヨイと、何でも作り上げてしまう技術者のイチが組んでいるおかげでもある。
ケイは横目でタバコをふかすヤヨイを視界に入れる。何か考えているのか、それとも何も考えていないのか、その気だるげな眼差しはモニターに向けられている。時折動かす手は、咥えているたばこの灰を灰皿に落とし、再び口元に戻すためだけに動いていた。
「俺の顔に何か書いてんのか」
顔も視線も動かさないまま、ヤヨイは吐き出す煙と共に呟いた。
「いや、何も」
気付かれていないと思っていたが、流石の観察眼だなとケイも視線をモニターに戻す。ヤヨイとイチのおかげで今の作戦がうまくいっているとおだてたところで、返事もなく鼻で笑い飛ばされるだけだろう。
「ケイはこんな時間をずっと独りで過ごしてるんだな」
つまらなさそうな声でヤヨイはたばこを灰皿に潰す。いつの間にか築かれた立派な吸い殻の山が時間の経過を物語る。現場判断を良しとするケイは滅多に誘に指示を出すことはない。今はキョウの義眼の映像がある分マシだが、それでもここにあるのは代り映えのしないモニターと、たまに聞こえる誘たちの会話だけだ。「情報統括官」と言えば聞こえはいいが、これではまるで鎖につながれたイヌだなと、久方ぶりに見たケイの仕事の様子にヤヨイは口角を上げる。
「何だ。珍しく同情でもしてくれるのか?」
「お前がお前の人生を心底悲観してるなら、してやらんこともない」
「じゃあ、お生憎様だな」
視線も表情も動かさず、ケイは抑揚のない声で答える。
「俺は安全な場所で、紙切れ一枚に署名するだけで人を死地に向かわせられる。だからこそ俺には高みの見物を決め込む責任がある。そう言ったのはヤヨイ、自分だろ」
「そんな事言ったか? 過去の俺にしちゃあいいセリフだ」
自画自賛でもするかのように、ヤヨイは満足げな表情を作る。
「俺がそう言ったんなら、その言葉は正しいに決まってる。俺の選択や決定は、いつだって正しい」
「俺なんかより、ヤヨイのほうがよっぽど情報統括官に向いてるよ」
「お前みたいな生活はごめんだ」
ヤヨイの笑い声を聞きながら、ケイは小さくため息をついた。あっけらかんとしたヤヨイの態度を見ていると、情報統括官という立場を「板挟み」と思っている自分はこの役職には向いていないのではないかと思えてくる。
そんなとき、一向に変化のなかった映像に動きがあった。男が一人、キョウの視界に映った。
キョウは自分が見ている光景をケイも見ていることを祈りながら、男を視線だけで追う。目の前にある観葉植物が邪魔ではっきりとはわからないが、床を叩く軍靴の音からエレベーターへ向かっていることが窺えた。
非常口を知らせる緑色の光しかない屋内では、相手から自分の姿は見えないだろうと踏んだキョウはわずかに顔をのぞかせ、男の姿をはっきり捕らえようと試みる。しかし、男はとっくに角を曲がってエレベーターホールへと姿を消した後だった。
追うべきか否か、一瞬の迷いもなくキョウは音を立てないように男との距離を詰めていく。自分がなぜ誘に選ばれたのかはわからない。それでも、「自分の役割とは何か」を今は理解しているつもりだった。
壁に体を添わせ呼吸を整える。この角を曲がればすぐエレベーターホールだ。扉の開閉音が聞こえていないことを考えると、男がそこにいることは間違いない。キョウは強く黎兎を抱きしめ直すと、男の視覚的情報を伝えるべく、意を決して再び角から顔を出した。すぐさま映像解析をしながらのケイの指示が聞こえてくる。声の出せないキョウの代わりに状況を伝えていく。
『チャコ、ヒデ、男が上に向かう。警戒してくれ』
チャコからは飄々とした返事が、ヒデからは定型文の返事がそれぞれ返ってくる。ケイは続けて早口に男の外見を伝える。
『あれは確かに陸軍の軍服だ。ただ、持っているのが軍刀には見えない。帝国軍の人間が軍刀を持っていないなどあり得ない。軍規違反だ。持ってるのは何だ。サーベルか?』
疑問を放って沈黙したかと思うと、数秒もしないうちに再び声が聞こえた。
『この男はロイヤル・カーテスの炯懿の片割れである可能性が高い』
そう言うケイの目の前には、冬に行われた作戦の映像が映し出されている。炯懿と名乗った女がちょうど男のものと似たサーベルを手にしている瞬間だった。真の能力は未だはっきりしないが、それでもこの炯懿は刀使いであるジュダイを倒した実力の持ち主だった。もしこの男が炯懿の相棒だとするなら、一筋縄ではいかない相手であることは明白だった。この男がこのビルに現れたのは、シドが見かけた現場から察するに十中八九、ロイヤル・カーテスの監視だろう。ケイはヤンとジュダイに向けて無線を繋ぐ。
『ヤン、ジュダイ、必ずそっちにロイヤル・カーテスが現れる。蜉蒼の予告状をやつらも受け取っているんだろう。手柄を横取りさせるつもりはない。返り討ちにしてやれ』
無線には二人からそれぞれ了解の声が聞こえる。
『キョウとシドは男が屋上に向かった場合は一階でそのまま待機だ。その他判断はシドに任せる。必要であれば俺がまた指示をする。以上だ』
返事をするわけにもいかないキョウは、うなずいて視線を上下させることで理解していることを伝える。
男は今まさにエレベーターのボタンを押そうと手を伸ばしているところだった。しかし、ボタンに触れたかと思うと、押すことはせずに、その手を腰から下げたサーベルへと滑らせた。自分を落ち着かせでもするかのように息を吸うと、踵を返しきょろきょろと辺りを見回し始める。
「盡无、この建物、及び監視データに侵入した形跡は」
小声ではあるが、キョウの耳にははっきりと届いていた。無線でも聞いているのだろうか、すぐさま男は「わかった」と言うとサーベルを鞘から抜いた。静寂の中、軍靴の音が再びゆっくりと響く。
早々に元の場所に隠れていたキョウは黎兎に口元を押し当て、息を殺す。守ってくるはずのシドは少し距離のある場所に身を潜めている。本当に自分がどうにかなる前に助けてくれるだろうか。ふと芽生えた考えをキョウは小さく頭を振って掻き消した。声に出さずに、自分を奮い立たせたシドの言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。
間もなく靴音が止まり、暗いはずの物陰が更に暗さを増した。キョウが黎兎から顔を上げると、たった一本、観葉植物の細い幹を隔てたところに、サーベルの切っ先があった。
「既死軍、だな」
キョウは息を呑み、小さく「黎兎」と呟いた。それが合図となった。
軽々と観葉植物を飛び越えた黎兎は男の顔面に体当たりをする。面食らった男は数歩後ずさり、ぬいぐるみの頭を鷲掴みにして引きはがす。先制されたのが気に食わなかったのか、ぬいぐるみごとにき奇襲されたのが許せないのか、怒りをあらわに黎兎を床に叩きつけると再び物陰に刃を向けた。
しかしそこには既にキョウの姿はなかった。男が舌打ちをして振り返ると、目の前に銃口が突き付けられた。
「ロイヤル・カーテス、炯懿の片割れだな」
「だったらどうする」
自身の置かれた状況に臆することなく、男もシドにサーベルを向けた。
シドの影に隠れながらもキョウは男の顔を見上げる。七三に整えられた黒髪は、優等生を絵にかいたような顔立ちを更にそれらしく引き立たせている。しかし、その顔は軍学校を卒業した職業軍人と言えるほど大人びたものではなかった。
男は一歩下がり、サーベルを構え直した。この距離で発砲されれば最期なのは明白だ。
「そう言うお前は、シド、で間違いなさそうだな。報告は聞いている。僕の捨て駒たちが世話になったな」
男の言葉にキョウは顔をしかめた。言い方からして、今まで出会ったロイヤル・カーテスたちはこの男と炯懿の配下に当たるのだろう。その全員が既死軍の敵であることに違いはない。それでも、はっきりと「捨て駒」と呼ばれていることは不快だった。この男はどうしても倒さなければならない。キョウの中に、はっきりとした使命感が芽生えた。
お互いに得物を向けた二人は睨み合ったまま動かない。そんな折、お互いに競技場から敵との邂逅を告げる無線が入る。その瞬間、シドは引き金を引き、男は体をかがめる。標的を失った弾丸は壁に穴をあけた。シドはすぐさま照準を合わせ直すも、男に足を取られ仰向けに倒れ込んだ。サーベルの切っ先が眼球の僅か数ミリにまで迫る。すんでのところで男の腕を掴み、サーベルの勢いを制したが、下へ向かう力は片手では満足に抑えきれない。反撃しようと体や頭を動かそうものなら、左目は二度と陽の目を見られなくなるだろう。それでも死ぬよりましかと覚悟を決めたところで、男が視界から失せる。
「僕も誘だから」
シドが体を起こすと、倒れた男の傍らに黎兎が立っていた。キョウはシドの横を通り過ぎ、男に歩み寄る。その表情からは今まで多少なりとも残っていた幼さは失われていた。黎兎が頭に飛び乗ったところで、キョウは男の胸倉を掴み、顔を近づける。
「僕は、僕の任務をまっとうする」




