62話 言霊
毒か、呪いか。
しばらくの沈黙のあと、わずかに体を起こしたキョウは咳き込みながら口内に溜まった血を吐き捨てた。シドを見上げる瞳は、うつろだった先ほどまでとは打って変わって、今は溢れんばかりの涙を湛えている。
「何で、シド」
「俺が誰かわかるなら、それ以上は黙ることだな」
「僕、もうやだ。やだよ、シド。何で、何で僕なんかを誘にしたの」
「気概のない人間を俺は誘とは呼ばない」
その言葉に容量を超えた涙はキョウの頬を伝い、力なく屋根につく手の甲に落ちた。涙を拭うこともなく、キョウは鼻をすすりながらうつむく。手元に黎兎がいることに気付いたキョウはすがるように抱きしめ、顔をうずめた。
「黎兎を苦しめてまで、僕は、誘なんかやりたくない」
黎兎の後頭部が涙で濡れていく。強く抱きしめ直すと、キョウは顔を上げた。泣き腫らした真っ赤な目はさながらうさぎのようだ。
「誘じゃない僕が要らないなら、殺して」
『殺すなよ、シド』
間髪入れずにケイがシドを牽制する。シドは誰に向けるでもなく舌打ちをすると、いつの間にか手にしていた銃をしまった。
「みんな死んじゃったのに、何で、僕は。何で」
自問自答するようにキョウは同じ言葉を繰り返す。シドは間合いを詰め、キョウの涙で濡れた細い首元に伸ばした。
シドがケイの命令を無視することはないだろう。しかし、ヒデは不穏な空気に思わず駆け寄り、シドの腕を掴んだ。勢いに任せて掴んだはいいものの、何を言えばいいものかと無言でその横顔を見上げるしかなかった。ヒデの行動に一瞬動きを止めたシドだったが、自分の腕に触れる不快な手を振り払い、勢いよくキョウの胸倉を掴んで立ち上がらせた。
「殺してくれとは、他力本願もいいところだな」
キョウは変わらず、涙と血にまみれた顔を伏せたままだ。力なく項垂れた身体はシドが手を離せば、死体のように再び地面に崩れ落ちるだろう。
「死にたいならそこから飛び降りればいい話だ。それすらしないお前は一体何を望んでいる。シャオもニシカも、『殺してくれ』とは一度も言わなかった。死にたい奴は気づいたときには死んでいる」
「シドには、わかんないよ」
「何がだ」
シドの問いにキョウはかすかに唇を動かす。そのか細く短い声はヒデの耳には届かなかったが、シドにははっきり聞こえたようだった。
「過去は変わらない。死人も生き返らない。それなのに、お前はどうして固執する。そんな下らない事をするぐらいなら戦って罪を贖え」
「敵と戦ったって、意味ないよ」
「勘違いするな。戦うのは自分自身とだ、キョウ」
「シド、でも、僕は」
「戦え。お前は誘だ」
その言葉にキョウは僅かに視線をシドに向け、「シド」と小さく名前を呼んだ。
『取り込み中悪いけど、バイクがえらい勢いでこっちに走って来よるで! ケイ、ここらってホンマに戒厳封鎖されとるんやろな!?』
『当然だ。件の男の可能性が高い。シド以下二人はそっちに向かえ。チャコは待機だ』
「聞いていただろ、ケイ。俺とヒデが行く」
そう返事をすると、シドは興味を失ったようにすぐさまキョウから手を離した。その場に膝をついたキョウは荒い呼吸で黎兎を抱きしめている。
「そこで大人しく震えてろ」
シドは背を向けた。しかし、振り向いた先に立っていたヒデに歩みを止められる。
「僕はキョウと一緒にいる。だから先に行って。後から必ず追い付く」
「俺たちの最優先事項は何だ。その甘ったれた足手まといを守ることか」
「違う」
シドと対峙するのは一体何度目になるのか。射殺さんばかりの眼で睨みつけられると、今でも逃げ出したくなることに変わりはない。少しでもこの視線を外せば気圧され、負けてしまうだろう。しかし、ここを引くわけにはいかない。それが今、ヒデの信じる「任務を遂行する」という言葉が持つ意味だ。
「僕らは仲間じゃない。だけど、この任務ぐらいは助けたっていいはずだよ。僕らにはキョウが必要だから」
「どけ。ケイ、作戦変更だ。俺が男の首を持って帰れば済む話だろ。俺が行く」
ヒデを無視して肩をぐいと押しのけると、シドは無線に向かって話しながら階下へのはしごに向かって歩を進める。
「待って! シド!」
遠ざかっていくシドを引きとめたのはキョウだった。シドは振り向こうともしない。キョウは「僕も」と呟き、一呼吸置いた。ぐちゃぐちゃになった顔を袖で拭い、立ち上がる。
「僕も行く。この任務、僕の目が要るんでしょ。だったら、僕も行く」
「聞こえなかったか。足手まといだ」
「僕だって誘だもん!」
キョウは唇をかみしめながら俯き、目に再び涙を湛える。しかし、今度はそれをこぼしてしまわないように手の甲で拭い去った。
「僕は、既死軍の誘だから。だから、戦う」
「好きにしろ」
シドは吐き捨てるようにはしごを降り、姿を消した。その背中をただ呆然と見送っていたキョウが口を開いた。
「ケイさん」
『何だ』
「あの、黎兎、ケガしてたんですよね。ありがとうございました。治して、えっと、助けてくれて」
『治したのも助けたのも俺じゃない。伝えとくよ』
「それからヒデ、さっきは庇ってくれてありがとう。僕、もう大丈夫だから、行くね」
キョウはヒデの返答を待たずに振り返り、シドの後を追った。一人残されたヒデを秋風が撫でていく。
一度は戦意を喪失したキョウを守ろうとした自分の言動は間違いではなかっただろう。しかし、実際にキョウが心を動かされたのは、優しい言葉でも、慰めの言葉でもなかった。突き放すようなシドの言葉はさながら魔力を持った呪文のように思えた。
ヒデは小さくなっていくキョウの背中をただぼんやりと見つめていた。
「で、俺に謝る気はあるか?」
ケイがふとたばこの匂いに気がつくと、いつの間にか廊下と部屋を隔てる襖にヤヨイがもたれかかっていた。
「何を謝ることがある」
「俺にキョウの投薬を見送らせたことについて、だ」
わかりきったことをわざとらしく丁寧に答え、たばこに火をつけた。煙を細く吐き出し、「で? どうなんだ?」とケイの返答を急かす。当の本人は振り返ることもせず、頬杖をついていくつもあるモニターをぼんやりと眺めている。
「薬を使わずとも、持ち直しただろ。シドのおかげでな」
「お前がおめでたくそう思ってるなら俺は何も言わねぇがな。言霊信仰も大概にしとけよ」
「信仰と言えば聞こえはいいが、言葉なんてただの呪いだろ。思い込みは何よりも強い」
「ジンが聞いたら泣いて喜びそうな台詞だな」
「宰那岐の力なんて所詮呪いだ」
「ジンの呪いも俺の毒も、要は使いようだ。が、そんなもんに頼らなきゃ生きられねぇ人生とは滑稽だとは思うがな」
狭い部屋で遠い目をしたヤヨイは開きかけた口を一度つぐんだ。何度か視線を泳がせると、やっと言葉を口にした。
「なぁ、ケイ。これが罪を犯した俺たちの禊か? 穢れを清めるために必要なのが呪いと毒なら、それを与える罪人の俺は、一体どんな禊を受ければ赦される」
「さあな。それに」
振り返ったケイは冷ややかに笑う。
「赦されたいなんて本当に思ってるのか? 喜んで片棒担いでるやつが、よく言うよ」
「それもそうだな」
ヤヨイは置きっぱなしにしている自分の灰皿を手に取り、ケイの横に座った。長くなった灰を落とし、再び咥える。
「俺にとっちゃここは天国だ。何してたって咎めるやつはいねぇ。まぁ、ケイにはこの前どやされたわけだが」
「意見の相違と言ってほしいもんだな」
「考えるのはめんどくせぇ。どうせ情報統括官様には勝てねぇんだしな」
「ならヤヨイはそのまま、何も考えずにいてくれ」
「知らないほうがいいこともある。キョウを見てたら、既死軍に来てすぐ、この言葉を叩きこまれた意味がよくわかる。『知らぬが仏』とは先人もよく言ったもんだ」
からからと笑い、ヤヨイは短くなったたばこを潰す。
「知らないほうが幸せな世界にいながらにして、すべてを知っているお前は、一体何を思う。ケイ」
「俺は」
モニターに視線を向けたまま、ケイは一度唇を噛んだ。自分はすべてを知っているわけではない。既死軍における指揮権も決定権も持ってはいるものの、手中にある情報量で言えば頭主の秘書であるミヤのほうが多いだろう。その顔を思い浮かべたとたん、ケイの口から呪文のように言葉がこぼれた。
「俺は、頭主さまの理想を追い求めるだけだ」
先を行くシドとキョウに追いついたヒデは二人に声をかける。それと同時にチャコの怒号が耳を貫く。
『おいシド! いつまでかかっとんねん! バイクのやつ、目的地は間違いなくここやぞ』
『残念な知らせだが、曙光ビルの監視カメラが切断された。俺からは建物内が確認できなくなった。通電はしている。あとは頼んだぞ』
短いがはっきりした舌打ちのあと、『やってくれたな』とチャコの愚痴が無線越しに聞こえてくる。
「監視カメラがないってことは、ケイさんに映像を送れるのは僕だけだよね」
シドより一歩前に出たキョウは後ろも振り返らずに加速する。
「先に行って待ってるね」
「鉢合わせするなよ」
「大丈夫! 行くよ、黎兎!」
その声を合図にキョウの横を走っていた黎兎は主の頭に飛び乗った。確かに黎兎はキョウの立派な武器だ。しかし、キョウにとっては武器以上の意味を持っているようにヒデには思えた。
キョウから一足遅れてシドとヒデもビルの内部に侵入する。タイル張りの磨き上げられた床に落ち着いた色合いの広大なフロアは、さすが帝国屈指の財閥が所有しているビルだ。初めて見る異世界のような空間にヒデが辺りを見回していると、物陰からキョウの声がした。
「侵入できる場所はここだけ。バイクの人が来たら必ずここを通るはずだから、僕はここにいるね」
声の方を覗き込むと、巨大な観葉植物の後ろにひっそりと座っているキョウがいた。ヒデに気付いたキョウはにっこりと笑いかける。
「俺もここに残る。ヒデはチャコのところへ行け」
「一人で大丈夫だよ、シド」
「お前は映像を送るのが任務だ。もし戦うことになるなら、それは俺がする」
うなずいたキョウは黎兎を抱きしめた。
上階行きのボタンを押したヒデは軽快な音を立てて開いたエレベーターに乗り込んだ。だんだんと上がっていく階数表示をぼんやりと眺める。こんなに高いビルに来るのは初めてだ。それも支社とはいえ、帝国を支える五大財閥のうちの一つだ。自分の人生には直接関係のない場所だと思っていたが、縁とは不思議なものだなと目的の階に到着するのを静かに待った。




