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Blackish Dance  作者: ジュンち
60/227

60話 帰結する夜

連綿と、続く日々。

 ヤヨイはため息をついた。目の前には頭を抱えるケイ、その横には事成り行きを見ているだけのミヤがいる。自分が何か言葉を発さない限り、この場を支配する重苦しい空気は揺らがないだろう。もう一度これ見よがしに大きく息をつくと、不満たっぷりに渋々と口を開いた。

「お前がそこまで納得できねぇって言うなら、今回だけはキョウの投薬は見送ってやるよ。どうせ、気に喰わねぇのはそこなんだろ」

 ケイは顔を上げ、わざとらしい表情で「お前にしては物分かりがいいな」と悪態をつく。そして、しばらくの間無言で構築していた無数の案を頭の片隅へと追いやり、新しい計画を組み立て始めた。

「こんなところで論議してる時間ももったいねぇ。どうせ権限のある情報統括官様には勝てんだろうしな」

 そう言ってヤヨイは新しくたばこに火をつけ、話を次の段階へと進める。

「しかし薬を使わない以上、突然過去を思い出すことも、それによる発作も暴走も、俺は保証しねぇ。今後は一切に『今は』が注釈としてつくと思っておいてくれ。俺がキョウに投薬したいのは、それがキョウに精神的安定をもたらすものだからだ」

「それが寿命を縮めることになってもか?」

 ケイの問いにヤヨイは下卑た笑みを浮かべる。

「どうせ(イザナ)なんていつ死ぬかわからねぇ。数えてみろ。宿家親(オヤ)になるまで生き残ったやつが一体何人いる。生存率ってもんを考えろよ、ケイ。お前ならわかるだろ。お前が、殺してきた人数だよ。元から長くないなら、安寧に生きさせてやりたいと思わねぇか?」

 ヤヨイの物言いにケイは再びその顔を睨みつける。ヤヨイの言うことは何も間違っていない。自分の情報統括官としての行いを正しく言い表している。それでも、正座する膝の上では無意識のうちに血が出そうになるほど拳を握り締めていた。

「で、キョウと行かせるとしたら誰だ」

 そんな一触即発の場をつまらなさそうにミヤが問う。ケイは己の感情を制しながら、電子端末のデータベースに視線を落とす。

「懐いているというならヒデ、だと俺は思っている。面倒見もいいしな。シドと、あとはチャコでも行かせれば十分だろう」

 いつも任務に行かせる面子は悩みの種だ。相乗効果が生まれればいいが、そうでなかった場合は任務の遂行に関わる。シドの言う「蜉蒼(フソウ)かロイヤル・カーテスに関係がありそうな男」の撮影任務には、当事者のシドと義眼がカメラになっているキョウ、お守り役のヒデは必須だ。それにもう一人、補助として行かせるならば、遠近どちらの戦闘にも対応できるチャコを向かわせるのが妥当に思えた。ケイはヒデの顔を思い浮かべながら、既死軍(キシグン)に来て一年半足らずでよくもここまで自分の信頼を勝ち取ったものだと密かに笑った。

 ミヤとヤヨイからそれぞれ賛成の言葉を聞くと、ケイは「申請書を作るから」と腰を上げた。しかしそれを制し、代わりにミヤが立ち上がる。

「今回は俺が作ってやる。次にいつ、やつらが動くか分からん。ケイは今のうちに惰眠の続きでも貪ってるんだな」

「流石、俺たちのミヤさんだなー」

 ヤヨイが茶化したように笑う。そんな顔につられることもなく、ミヤは涼しい顔をしたままだ。

「ああ、そうだ。俺にはお前たちを守る義務がある。計画書と報告書はいつも通り頼んだぞ。じゃあ、仲良くしろよ」

 間もなく、部屋を後にしたミヤの下駄の音が遠ざかっていった。その音を確認すると、ケイはキョロキョロと室内を見回し、他に誰もいないというのにヤヨイに顔を近づけ声をひそめる。

「なぁ、正直な話、これから副作用が出る人間はどれぐらいいる」

 眉間にしわを寄せるケイの表情は白い肌と対照的に黒ずむクマに、より一層の影を落としている。その顔つきを眺めながら、近いうちにイチに睡眠薬でも渡しておくかとヤヨイは紫煙をくゆらせた。

「過去が凄惨であればあるほど、使う薬は強い。ゆえに副作用が出る可能性も、その影響も強い。だがしかし、キョウは俺の予想の範囲内、遅いぐらいだ」

「シドとノアもあっただろ。あれは」

「あんなもん、副作用でもなんでもねぇ」

 ケイの真剣な表情を小ばかにしたように鼻で笑う。ヤヨイにも人間の感情と言うものは理解し得ない。しかし、医師という役職を長年続けている身としては、ケイよりかは理解しているつもりだった。

「あんなもん、感情コントロールの利かなくなった、ただのガキの行動だ。わかるだろ、ガキが駄々こねて暴れるやつだよ。既死軍(キシグン)の人間ならもっと己を律してくれんと困るな」

「誰もお前にだけは言われたくないだろうよ」

 ヤヨイは無表情で聞いていたかと思うと肺いっぱいにたばこ吸い、ケイに顔を近づけてその顔面に煙を吹き付けた。咳き込む姿を満足そうにうっすらと笑う。ケイは涙目で苦しそうに「そういうところだよ」と苦言を呈した。そんな様子には構わずとヤヨイは会話を続ける。

「それはそうと、ミヤがいなくなってからそんな話をするとは、ミヤと何かあったのか」

「いいや、あいつにシドの話をするとややこしいだけだ。すぐ怒るだろ」

「相変わらずだな」

「相変わらずも何も、ミヤはずっとそうだろ。これからも変わらない」

「過保護も大概なもんだな。子離れって言葉知らねぇのか、あいつは」

 ヤヨイはつまらなさそうに、たばこの灰を灰皿に落とし、机に頬杖をついた。昔から変わることなく人間関係の希薄さを纏った人間だなとケイはヤヨイを見る。

「仕事の一環だろ。公私混同せざるを得ないのはミヤに限った話じゃない。ともに生活する時間が長くなればなるほどな」

「俺はそんな下らん公私混同などせんぞ」

「はなからお前には公私もないだろ。自由気ままに生きてるんだからな。心配する必要はない」

「そりゃどうも」

 鼻で笑いながら、あっという間に短くなったたばこを灰皿で潰す。その視線は何かを思い出しているかのように、灰皿に落としたままだ。

既死軍(キシグン)は仲間じゃねぇ。それなのにどいつもこいつも家族ごっことは。滑稽なことだな」

「それが宿家親(オヤ)になった感想か?」

「いや。俺が(イザナ)だったときの感想だ」

「それはまた大昔の話を」

 いつの間にか吸い殻でいっぱいになっているガラス製の灰皿をケイも口元だけで笑いながら見つめる。たばこという害にしかならない代物にはそれぞれの思い出がある。一般的に、記憶が映像と音で構成されているとするなら、二人にはそれに加えて匂いもある。それはそれぞれ異なった匂いだった。

「あの宿(イエ)に俺以外の人間が生活していると、いろいろと思い出してな。懐かしいとは思わねぇけど」

 一瞬黙ったヤヨイは僅かに視線を泳がせる。

「教えてもらえなかったこともたくさんあったな、と」

「お前にしては感傷的だな」

「生憎、まだ感情があるもんでな」

 ヤヨイは嘲笑的な表情で立ち上がった。その動きに合わせてケイも視線を上げる。

「感情があるなら、もう少し良心的な治療をしてくれると助かる」

「それとこれとは話が別だ」

 そう言い捨てると、ヤヨイは「じゃあな」と部屋を後にした。ひとり居間に残されたケイは両手で前髪を掻き上げる。先ほどまでは賑やかだった部屋も、今は遠くから機械音が聞こえてくるだけの静寂だ。

 ミヤには寝ていろと言われたが、普段は寝ようと思って寝ることはない。睡魔に抗えなかった時に気絶するぐらいだ。残念なことに今はその睡魔もどこへ行ったのやら、自分の近くにはいないようだった。

 今回ミヤが引き受けてくれた任務の申請書は、普段ならケイが作成し、ミヤから頭主(トウシュ)に届けられるものだ。申請書と言っても、既死軍(キシグン)の「今」を把握してもらうため、頭主(トウシュ)に任務の内容を伝えるだけの役割で、申請内容が却下されたり、変更されたりすることはないに等しい。最早日常の一部と言ってもいいほど作り慣れた書類だが、ミヤがしてくれると言うならそれぐらいは甘えてもいいだろうと、後ろ向きに寝転がる。

 そのままの体勢で、頭の中で任務の計画書を作成していく。脳内で作り上げてしまえば、あとはそれをパソコンに入力するだけでいい。まず検討すべきは、どうすれば件の男が既死軍(キシグン)の前に現れるかだ。今度シドに会ったら情報提供の礼でも言っておくかと目を閉じた。


 ケイたちと別れたミヤはその足で滝壺へと向かっていた。静かな夜空に水音だけが響くその空間には予想通りシドがいた。

「今のところボウズだ」

 振り返ることもなく、シドは先回りして答える。ほとんど満月になった明かりは、釣り糸を垂らす後ろ姿をはっきりとさせる。ミヤはその言葉に小さく笑い、隣に座った。

「シドにもできないことはあるんだなって、釣りしてるお前見てると安心できる」

 シドは寸分も揺らがない簡素な釣り針の沈む水面を見ている。釣竿を固く握っていないところを見ると、本人も釣果などは期待していないようだ。

 風が木々と二人の髪を揺らし通り抜けていく。

「これももう古くなったみたいだ。何もなければ、明日新しいのを作る」

 乾かした竹と植物の繊維、動物の骨などで自作されたその釣竿は、シドの気分によってたまに新調される。その製作過程も含めてシドは好んでいるらしかった。

「昔に教えたことを今でも気に入ってくれてて、嬉しいよ」

「この時間は何も考えなくて済むからな」

 その返答にミヤはシドの横顔を見る。

「何かを考えるのは、辛いか?」

「見るな、聞くな、何も考えるな。そう教えたのはミヤ、お前自身だろ」

「当然だ。いつか、シドは跡を継ぐ。『既死軍(キシグン)を率いるに値する人間』に育てること。それこそが、俺の人生をかけた使命であり、生きる意味だ」

 シドは釣り糸を引き上げて竿に巻き付け、「しかし」と続ける。

「それでも、考えることも、思うこともある。他の奴らに比べれば感情こそ乏しいだろうが、俺はどうやら飽くまでも人間らしい。ミヤの期待には応えられなかったようだな」

「俺は怪物を、いや、怪物に育てたつもりはない。お前が自分を人間だと言うなら、それでいい」

 視線は穏やかな水面に向けたまま、シドは僅かに唇を噛む。

「こんな俺に自由意思を与えて、それでミヤは頭主(トウシュ)さまに許されるのか?」

「どうだろうな。シドの宿家親(オヤ)なのか、頭主(トウシュ)さまの秘書なのか、立場が変われば意見も変わる。なぁ、シド。俺は今、どっちの顔をしてる」

 初めてシドは顔を上げ、ミヤの方を向く。不機嫌そうな仏頂面、目にかかった長い前髪。いつまでも子供だと思っていた、見慣れたはずのシドの顔が、月明かりを背景にするといつもよりも大人びて見えた。

 僅かな沈黙の後、シドは呟いた。

「暗くて見えんな」


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