59話 甲論乙駁
鼎立する、気焔。
ケイは気合を入れ直したように頬を両手で叩くと、「それで、シドは何て?」と脱線していた話を元に戻した。その表情はいつもの情報統括官の顔だった。これ以上話をはぐらかすことはできないと判断したミヤは口を開く。
「いつも一人、男がいる、と」
「話がある」
任務から帰って来たシドは着替えることもなく、泥だらけの制服でミヤの部屋へやって来た。ミヤは読んでいた書類を文机に置き、入り口に向き直る。
「お前からとは、珍しいな」
「最近、俺たちが蜉蒼の任務に出たとき、必ずと言っていいほど遠くに一人の男がいる。遠目からの判断だが、着ているのは恐らく軍服だ。俺には陸軍の物に見えるが、はっきりとはわからない」
「軍服か。仮に陸軍のものだったとしても、軍の人間とは思えんな。そうすると、軍服ならロイヤル・カーテスの人間か?」
「そうとも限らないだろう。蜉蒼の可能性もある」
「ノアが那由他らしき男を見たって話は」
「聞いている。ただ、その男とは違うように思う。根拠があるわけではないがな」
シドは一息つき、やっと汚れ切った制服を脱ぎ始める。いくつになってもお構いなしに自分の部屋を泥だらけにしてくれるやつだなとミヤは制服を畳んでやる。手近にあった浴衣に着替え、隣に胡坐をかいて座ったシドは結んでいた髪をほどく。かすかに硝煙と血、土埃の匂いがする。それだけでどんな任務だったかは容易に想像がついた。
「シドはどう思う」
「ミヤと同じ考えだろう。ロイヤル・カーテスなら炯懿とかいう女の片割れだ。蜉蒼なら、風真」
「数年前に行方不明になったはずだがな」
シドの言葉にミヤは手を顎に当てて思案顔をする。そんな様子を見て、シドは呆れたようにため息をつく。
「俺が言えるのはこれだけだ。考えるのは俺の仕事ではない」
「それもそうだな」
そう言うと、すぐ隣にいるシドの頭を乱暴に撫でた。鬱陶しそうな表情はするものの、ミヤにされるがままになっているシドは腕組みをする。
「俺は今から寝る。ケイへの報告は任せた。今日はここにいるんだろ」
「しばらくはいるよ。遅めの夏季休暇だ」
話を聞き終えたケイは考え込むように目を閉じる。ほどなくして「ただの推測だが」と話し始めた。
「シドの言う通り、それが風真だという確証は無い。しかし、この前ノアたちが見つけた爆発物は今までとは違う金属と火薬が使われていた。蜉蒼に何かしら動きがあったのは確かだろうな」
「反帝国組織がわざわざ帝国の象徴である軍服を着るものおかしな話だがな」
ミヤの反論にケイも同意する。
「その通りだ。その男に関しては、俺はロイヤル・カーテスの線が強いと思っている」
「まぁ何にせよ、映像で見た方が早いんじゃないか? キョウを行かせればいいだろう」
「それがなぁ」
ケイは眉間にしわを寄せ、腕組みをする。先ほどよりも長い沈黙ののち、「ヤヨイとの相談が必要だ」と重苦しい表情で静かにこぼした。
「キョウはそろそろ、かもしれない。ヤヨイが任務に賛成するとは俺には思えないんだ。それから、俺も」
自分に向かう視線に言わんとすることを察したミヤは立ち上がる。
「使い棄てるには惜しい。まだ早いだろう」
「ミヤにしては、珍しく、優しい言葉だな」
「褒め言葉として受け取っておいてやる」
ミヤは笑うこともせず廊下に続く襖に手をかけた。そんな後ろ姿にケイは言葉を投げる。
「本音は」
「新しい死体が必要ならいつでも用意してやる、だな」
「そっちの方がミヤらしいよ」
「それも褒め言葉にしといてやるよ」
ミヤはケイに背中を向けたまま返事をする。お互いの表情を窺うことはできないが、それでも長年ともに既死軍を支えてきた仲だ。感情など今更見て確認するほどでもない。
「まぁ、ヤヨイが『最高傑作』をそう簡単に手放すわけもないだろうしな」
「それがお前の本音か、ケイ」
「本音も建前もないだろ。俺は常に既死軍の最大多数の最大幸福を選択するだけだ」
「既死軍の?」
振り返ったミヤはいつか見たことがある、形用するのも憚られる視線をケイに向けていた。
「禊」
名前を呼ばれ、ケイはびくりとその声の主を見上げる。
二人は多少の権限の差はあれ、既死軍内では対等な立場と言っても差し支えない。しかし、今、ミヤはケイにとっての畏怖の対象として目の前に立っていた。狂気を孕んだその様子は、さながら数百の屍の上に立つ鬼のようだった。
「頭主さまの、だろ」
冷たい瞳のまま、抑揚のない声で釘を刺す。
「忘れるなよ、禊。俺たちが目指すのは頭主さまの理想だ」
ケイはその目をまっすぐ見つめ返す。ふと、過去の光景が脳裏をよぎった。この姿は、かつて見たことがある。
「出会ったときも、そんな目をしてたな」
見て取れないほどわずかに表情を動かしたミヤは静かに口を開く。
「禊」
再び呼ばれた名前に、今度は「はい」とうなずく。
「今でも、俺のこと」
「恨んでない」
ミヤを遮るようにケイは言葉を奪った。その視線は外れることなく、目の前の男に注がれている。
「『恨んでないよ、樹弥君。』俺のこんな言葉が必要なら、何回でも言ってやる。俺は」
「もういい」
背中を向けたミヤはそのまま部屋を後にした。
ミヤがヤヨイの宿に着くと、そこには見慣れた表情で上がり框に腰掛けてたばこをふかしている白衣姿のヤヨイがいた。この男に機嫌がいい時があるのかは甚だ疑問である。
「何の用だ」
人影に気が付いたヤヨイは床に灰を落とし、煙を吐き出す。薬とたばこが混じった不思議な匂いが狭い入り口を包み込んでいる。
「ケイが呼んでたぞ」
「用件は」
「キョウの次の任務についてだ」
ヤヨイは呼び出しを了承したかのように、かかとが踏みつぶされた靴を履いて気だるげに立ち上がる。
「任務の内容による、としか言えねぇな」
「それをケイとやり合ってくれ」
「ミヤ、お前の意見は」
「既死軍の指揮権はケイにある」
短くなったたばこを足で踏み消し、ヤヨイは廊下を振り返る。大声でセンを呼びつけると、綺麗に結い上げられた黒髪を揺らしながら少年が小走りに玄関までやって来た。留守中の対応を言いつけ、笑顔で返事をするセンにふいと背を向けた。
ミヤとヤヨイはしばらく無言で肩を並べて歩く。もう日が沈みかかっている。帰る頃には月明かりを頼りにすることになるだろう。
「センとの生活は慣れたか」
「たった数十日で慣れるわけねぇだろ。何年一人だったと思ってんだ」
「生活が変わるというのはどうやら大変らしいな」
「お前はいいよな。ずっとシドと一緒なんだろ」
「それはそうだが」
ミヤは考え事をするかのように一瞬眉間にしわを寄せ、着ているワイシャツの襟を両手でただす。
「何というか、難しいやつだよ」
「似た者同士って自覚はあるか?」
「散々ケイに言われてる」
ヤヨイはその返事を小バカにしたように笑うと、白衣のポケットからたばこ取り出し、薄暗い世界に赤い火を灯した。
「まぁ似た者同士というか、流石宿家親子というか」
「俺なんかより、よっぽど立派な親がいるだろ、シドには」
「で、本音は」
「今日はどいつもこいつも本音を聞きたがるな。帝国民の美徳は建前だったんじゃないのか」
呆れたように話をはぐらかすミヤをヤヨイは横目で見て再び笑った。細く吐き出した煙が空気中に霧散する。
「生憎、俺たちはお前みたいに社会的な生活じゃねぇもんでな」
ケイの宿に着き、居間に場所を移した三人はお互いに顔を見合わせ、これから始まる話が紛糾することを察した。たとえ同じ未来を思い描いていたとしても、頭主の側近、情報統括官、医師という三者三様の立場では、そこに至る過程や思惑は異なっていた。
初めに口を開いたのはケイだった。キョウの今の状況から任務へ出すことの懸念を聞かされたヤヨイだったが、構うことなく「行かせればいいだろ」と言い放った。それはケイの予想に反した答えだった。自分の意見にヤヨイは賛同すると思い込んでいたケイは面食らった。当のヤヨイは目の前に座る男の渋い表情を鼻で笑い、腰を上げる。
「キョウの正しい使い方だ。わざわざ俺を呼び出して、そんなわかりきった下らん話か」
「まぁ待て」
ミヤがヤヨイを制し、再び座らせる。
「キョウを診てるこの俺が一番よくわかってる。その俺が行かせていいってんだぞ。それ以上何がある」
「任務に行かせるとして、薬はどれぐらい必要だ」
机に肘をつき頭を抱えたケイは低い声で問いただした。その様子から言葉の裏にある意味を汲み取ったヤヨイは冷めた目をする。
「自分が死ぬより、誰かが自分のせいで死ぬ方が怖いのか?」
口を開けるまでの一瞬の遅れを見逃さなかったヤヨイは「図星か」と追い打ちをかける。
「お前は安全な場所で紙切れ一枚に署名するだけだろ。たったそれだけのことで人を死地に向かわせられるお前が、何を怖がることがあるんだ。高みの見物を決め込めばいい話だろ。お前には『それ』をする責任がある」
ケイは唇を噛んだ。確かにヤヨイの言うことは正しい。今更自分が指先で殺す人間が一人増えたところで何かが変わるわけではない。姿勢を変えないまま、キョウが辿るであろう道筋を勝手に悲観する。
「体の半分以上が人工物のあいつを今更人間扱いして、それで誰が救われる。ケイ、お前が、お前『だけ』が助かりたいんだろ」
「冷酷だな」
その言葉をヤヨイは大声で笑い飛ばす。
「これが、かつて殺人鬼だった俺たちとお前の違いだ」
「命令以外で殺したことはない。一緒にするな」
自分を巻き込むなと言わんばかりに、それまで黙って見守っていたミヤが呆れた声を出した。
その後、誰かが言葉を続けることはなかった。閉めきられた窓の外からかすかに虫の鳴き声が聞こえる。もう日は沈み切ったようだ。ヤヨイは静寂の時間を潰すようにたばこを吸い、ミヤは腕組みをしたままケイの結論を待つ。
「俺はもう既死軍から死人を出したくないだけだ」
ヤヨイが二本目に火をつけたところでケイはポツリとこぼした。
「このままだとキョウの行く末は。言わなくてもわかるだろ。死の淵に立っている人間がいるなら、遠ざけたいと思うのがそんなに悪いことか」
「新しい死体にかかる経費と教育期間なら心配しなくていいぞ」
涼しい顔をしたミヤが再び口をはさむ。援護を得たヤヨイはこのまま一気に説き伏せようと早口でまくし立てる。
「なぁケイ、それなら俺の言うとおり、キョウを行かせて早期解決するべきだろ。このままやつらを野放しにしてりゃ、余計な死人が増えるだけだ。既死軍も一般市民もな。お前がそれでいいなら俺は何も言わねぇけど」
ヤヨイは苛立ちを律するように煙を吐き出した。
「俺たちは既死軍だ。何のために『軍』なんて名乗ってる。頭主さまのために戦うからじゃねぇのかよ。それに犠牲はつきものだろ。いつからそんな甘ったれた性格になったんだろうな、お前は」
批難するように笑い捨てたヤヨイをケイは睨みつける。
「お前の『最高傑作』が死んでもいいのか」
「人間は必ず死ぬ。早いか遅いかだけの問題だ。俺が既死軍で医師なんて地位を与えられているのはその技術があるからってだけだ。別に、誰かを助けてやりたいとか、苦痛を取り除いてやりたいなんて思ったことは、今までもないし、これからもない。俺がキョウに固執してると思ってんならお門違いも甚だしいってもんだ」
そう言い放ったヤヨイの顔は見慣れた医師のものではなかった。
「俺が人間や動物を殺し続けてた理由でも、もう一回、懇切丁寧に教えてやろうか?」
「お前はトキさんから何を学んだ」
ケイの問いに、片方の口角を上げたままヤヨイはまだ長いたばこを灰皿で潰す。
「俺は確かにトキさんに恩がある。だから遺志を継いで、遺言通りこの役職を拝命した。だが、トキさんと俺は違う人間だ。俺の根底にあるのは、己の欲求に忠実な、ただの殺人鬼の思考回路だ。あんな崇高な人と、一緒にしないでほしい」
挑発的な物言いに、今にも飛び掛かりそうになるのを必死に我慢しているケイは再び頭を抱えた。
これ以上キョウを守ることは自分にはできない。ヤヨイが任務を許可した以上、行かせないわけにはいかない。自分が目指すのは己の理想ではない。「頭主さまの理想」だ。しかし、「理解すること」と「納得すること」には大きな隔たりがある。
再びしばらくの沈黙がその場を支配した。




