57話 狂瀾(きょうらん)
神話からの、覚醒。
「健闘を祈る、だって。ケイも簡単に言ってくれるじゃん」
息をのんだノアは爆発物に近づく。ケイなら確実な手順を踏んでくれるという信頼だけが体の震えを抑え込んでいた。
「ねぇヒデ。僕がバラバラになったら全部拾い集めて堅洲村に連れて帰ってよね」
「この距離だったら僕もキョウも同じくバラバラだよ」
二人は顔を見合わせて困ったように笑った。爆発物の処理は、下手をすれば次の瞬間には死んでいるかもしれない。人間と対峙するよりも死が垣間見える瞬間だ。ヒデは瓦礫のない、比較的きれいそうな場所にキョウを下ろした。ぐったりと気を失ったままのキョウは仰向けで静かに呼吸を続けている。
「これも不発だったらいいのにね」
ノアは口を尖らせつつも、爆発物を慣れた手つきで無線から聞こえた通りに爆発物を処理していく。近くの車止めに腰を下ろしたヒデはその姿をぼんやりとした頭で見守っていた。
先ほど姿を現した「六十を背負う男」は本当に蜉蒼の那由他なのだろうか。初めて既死軍が「那由他」の名を手にしたのは、まだ春のことだった。ヒデはヤンとルキで潜入捜査をしていた闇カジノをふと思い出した。あの時捕まった人たちは今どうしているのだろうか。それは知る由もなければ、知る価値もないことだった。
季節は気づけば移ろうもので、今はもうすっかり夏も終わりに向かい始めている。いつか蜉蒼の全貌が白日の下にさらされる日が来るのだろうか。闇に生きる既死軍が蜉蒼を「白日」の下に引きずりだそうとは、滑稽な言い回しもあるものだ。
その蜉蒼を追って消えたロイヤル・カーテスは、皇の指示で動いているということがルワのおかげではっきりした。つまり、ロイヤル・カーテスは皇の私設軍だということだ。思い返せば、シドと二人で工場内の爆発物を捜索していたとき、ケイが言っていた。「万が一、皇と元帥が袂を分かつようなことがあれば既死軍は元帥につく」と。先日、頭主の声を聞いたとき、頭主は元帥であるとヒデは確信した。皇の私設軍がロイヤル・カーテスであり、元帥の私設軍が既死軍だとすると、今ならケイの言い方にも合点がいく。
頭の中でこだまするように、聞き覚えのある低い落ち着いた声が響く。
「命を賭して一人を護る者を皇と呼び、命を賭して百人を斬る者を元帥と呼ぶ」
自分が妄信していた皇とは、帝国とは一体何だろうか。生と死のはざまで、ヒデは答えのない自問自答を始める。教育を「洗脳」と呼ぶ人間もいるだろう。確かに、生まれたときから言い聞かされてきたことを疑うというのは、並大抵の人間にできることではない。帝国が目指すのは、統率の取れた揺るぎない国家だ。自分が「帝国のため」と既死軍で戦ってきたのは、実際は頭主、元帥のためだった。本当に皇と元帥は袂を分かとうとしているのだろうか。
そんな考えを遮ったのは、シドの声だった。燃え盛る炎が眼前に広がる。
「誰が一人を護った。誰が百人を斬った。帝国のために命を賭しているのは、一体誰だ」
業火の中、シドは言った。「自分自身で考えろ」と。帝国民として皇国教育を受け、それを正しいことだと信じて生きてきた。もし再び戦争が起こり、元帥が一言「皇のために死ね」と言えば、何の疑いもなく出征していただろう。
しかし、それは一体誰の「望み」なのか。
既死軍が帝国のために戦っているのは間違いない。しかし、それは信条こそ違うが、ロイヤル・カーテス同じなのだろう。もしかすると、蜉蒼ですら帝国の将来を憂いた結果の行動なのかもしれない。
ヒデは眠るように横たわるキョウに視線を落とし、長いまつ毛にかかった前髪を払ってやる。倒れていた時の血だまりに驚きはしたものの、出血はほどなくして止まっていた。ケイ曰く、ヤヨイからも問題ないとの回答だったらしい。自分もいつか気絶するほどの大怪我を負うかもしれない。もしかすると、そのまま二度と目覚めないかもしれない。そこまで考えたときに、ひやりと背筋に冷たいものが走った。初めて死の恐怖を感じた。死にたくない、というよりも、頭主の描いた未来を見たいと思った。
御簾の向こうの皇は「明御神」、すなわち「人の姿をした神様」である。そう教えられ、愚直にそう信じてきた。だが、神様ならば、なぜ自分を救ってくれなかったのだろうか。なぜ殴られ続けるだけの人生を自分に与えたのだろうか。
そして、自分を含めた既死軍の人間は、なぜ、太陽の当たらないところで生きる道しか残されなかったのだろうか。
それならば、先の大戦で帝国を勝利に導き、「不敗の帝国」を確固たるものにした頭主、もとい元帥のほうがよほど現実的な存在に思えた。
頭主の望んだ帝国で自分は一体何が成せるのか。
シドの言葉と共に、彼が背負っていた業火を思い出すと、軽くめまいがした。
爆発物の解除も半分が終わろうかというとき、ヒデの足元でもぞもぞと動きがあった。ゆっくりと目を覚ましたキョウは上体をゆっくりと起こした。うつろな目でノアとヒデを交互に見やり、何度か目をこする。しばらくしてやっと状況を把握したのか、いつにも以上に青白い顔で「もう終わりそう?」とヒデを見上げて首を傾げた。
ヒデはうなずき、キョウをその場に座らせる。ケイとノアのおかげで木端微塵になることなく任務も終わりそうだ。
「僕、やられちゃったね。迷惑かけて、ごめんね」
うつむいたキョウは恐怖よりも悔しさをにじませ、声を震わせる。
「切られるのって、そう言えば、痛かったんだね。僕、久しぶりだったから忘れてた。今まで、ずっと」
『キョウ、黙ってろ。喋るな』
心情や体調を気遣っているのか、本人の目を通してその光景を見ていたケイが続く言葉を制する。強い語気に一瞬口をつぐんだキョウだったが、何度か視線を動かすと、自分だけに聞こえるような声でぽつりとこぼした。
「黎兎となら、僕は何も怖くないはずなのにね」
いつも通り、胸に抱いたうさぎのぬいぐるみに顔をうずめようとしたところで、はたと手元の空白に顔を上げた。ヒデは慌てて頭部と胴体を背後に隠したが、主の視線はそれを逃さなかった。元々青白かったキョウの顔面が更に蒼白になる。
「だ、れ」
聞き慣れないキョウの声色に思わずヒデが聞き返す。キョウはふらりと立ち上がり、ヒデを睨みつける。その眼光は、いつも大きな瞳で可愛らしく笑っている少年と同一人物とは思えなかった。
「僕の黎兎を殺したのはだれって聞いてんの!!」
キョウにこんな声量を出せるのかと、想像したこともないような大声にノアも思わず手を止め振り返る。その気迫に気圧されたヒデが口を開けるか開けないかの内に、キョウはその手から黎兎を奪い取る。それまでぐったりしていた頭と体が別れたうさぎのぬいぐるみは、主の手に戻った瞬間息を吹き返した。床に滑り降りた胴体は威風堂々に立ち、キョウはその頭部を抱える。異様な光景だ。
「黎兎!!」
キョウの声に反応した黎兎は、軍用犬が匂いで対象を捜し当てるように、胴体だけで走り出した。自分をこんな哀れな姿にした犯人の痕跡を最短距離で追いかけているようだ。頭を失った不気味な姿の後を追うキョウは怒りで周りが見えていないのだろう。自分の足が向かう先がどんな場所であるかは気づいていない様子だ。
キョウの向かう先を察知したノアとヒデが追いかけるも、キョウは屋内と屋外を隔てる鉄柵を踏み切り、勢いよく空へ身を投げ出した。
「落ちる」
キョウが重力を感じて我に返ったとき、足はもう床から離れていた。着地点を見極めているならば三階は飛び降りられない高さではない。しかし、今回は違う。これは闇雲に飛び出してしまったつけだ。自分はこんなあっけなく死ぬのか。きっかけは意外と簡単なことだったんだなと、キョウは走馬灯を見ようと目を閉じた。
その瞬間、腹部に鈍い圧迫感がした。走馬灯を見るまでもなく、キョウは再び現世に舞い戻った。
「ぎりぎり、間に合った」
「羅意は男三人も支えられないからね」
急な圧に何度か咳き込むキョウの頭上から声が降ってくる。なんとか首をひねって見上げると、自分を抱きかかえるように腰に両手を回すヒデと、その片足を掴んでいるノアがいた。肝心の三人を支えているものと言えば、柵と壁に辛うじて引っかかっている様子の羅意、ノアの持つ六尺の長さを誇る武器だ。ノアの言葉通り、柔らかにしなるそれは今にも折れてしまいそうで心許ない。
それでも自分は助かったのかと、キョウは手にしていた黎兎の顔を見た。表情のない、縫い付けられたその顔はキョウの心情によって、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見える。無意識にあふれていた大粒の涙が遥か下に倒れている胴体に向かって落下する。
また、自分だけが助かった。
呼吸が段々と浅く、荒くなっていく。恐怖か、怒りか、不思議な感情が体中を駆け巡り、全身が震える。
腕から伝わる異変にヒデが視線を落とす。見てもわかるほどに震えているキョウは明らかに異常だった。
ノアが持ちうる限りの筋力を総動員して、やっとの思いで二人を無事駐車場の床に下ろす。安堵するでもなく、キョウは首だけのぬいぐるみを強く抱きしめた。震える唇からは聞き取れないほどの声がくり返し漏れている。
ヒデがなだめようと背中に触れた瞬間、キョウは恐怖に引きつった顔を向けた。その瞬間、はっきり聞こえた「許してください」という声。それはまるで命乞いだった。ヒデは怪訝な顔でいつもより幾らか幼く見える少年を見つめた。何度も繰り返されるその言葉は、何十回、何百回と使い古されたようにとめどなく流れ出る。
再びヒデが声をかけようとしたとき、キョウは遂に意識を失った。




