54話 淵源
悼み、痛む。
一陣の涼風が畳に額をつける宿家親、誘の髪をなびかせる。風はそのまま遠くの木々を揺らして過ぎ去っていく。既死軍の全員が幾度となく訪れている会議場ではあるが、いつもと違う異様な雰囲気に呼吸することさえ憚られるような心持になる。
最後尾に座るヒデの右隣には刀を置いたジュダイが座っていた。既死軍全員が集まっていると言えば正月と変わりはないが、一つだけ大きな違いがあった。それは手元におのおのの得物が置かれていることだ。この集団が「軍」と名を冠していることを改めて思い知らされる。
ヒデも己の弓、下弦を前に手を畳についていた。下弦はもとはと言えば競技用のものだ。しかし、今ではすっかり戦闘用の武器となっている。そういえば自分が弓道を始めたきっかけは何だったかと久しぶりに生前の自分、「阿清秀の人生」に思いを馳せてみる。
そんなとき、会議場を包む空気が変わったのを感じた。背後から畳を擦る足音が二人分聞こえてきた。それは間違いなくミヤと、頭主のものだ。遂にこの時が来たかと全員が息を吞む。
足音は頭を下げる宿家親、誘の正面で止まり、ミヤの座る布音がする。それを見計らったかのように、聞き慣れた声が凛と澄み渡る。今回の挨拶はケイに白羽の矢が立ったらしい。いつもは死相漂う表情も、ぼさぼさの髪も今日ばかりは見紛うばかりに整えられていた。
「本日は頭主さまにご臨席賜りましたこと、恐悦至極に存じます。既死軍を代表いたしまして、わたくし、ケイがご挨拶いたします」
そこからは毎度の決まり文句であろう言葉が紡がれた。よくここまで諳んじられるものだというほどの長尺の挨拶を済ませると、再びしんとした静寂が訪れた。その場を支配する空気が最高潮に達する。
その時、深みのある落ち着いた声が響いた。
私は深く帝国の現状に鑑み、忠良なる既死軍に告げる。
既死軍が始まって二十年が経とうとしている。誘は勇戦奮闘し、宿家親はそれぞれの職務に奉公してきた。しかしながら、世は必ずしも好転せず、我々が暗躍しなければならないことに変わりはない。
そればかりでなく、蜉蒼は罪なき人々を殺傷し、その惨害は計り知ることができない。既死軍のうち、戦死した者、また悲惨な最期を遂げた者のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。
蜉蒼に加え、ロイヤル・カーテスが出現した今、我々既死軍が受けるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいものであろう。みなの心中も、私はよくわかっている。
けれども、私はみなのこれからの命運について、万代の泰平を願っている。私は忠良なる既死軍の真心を信頼しつつ、常にみなと共にある。
軍を挙げて一致団結し、固く既死軍の不滅を信じ、帝国の栄光を輝かせるよう、道義心と志操を持ち、不惜身命を貫かねばならない。
我が既死軍よ。私の意をよく理解し、常に忘れず行動してほしい。
「身に余るお言葉を賜りましたこと、望外の喜びに存じます。頭主さまからのお言葉に恥じぬよう、粉骨砕身、尽力する所存でございます。今後ともわたくしたちをお導きいただけますよう、何卒よろしくお願い申しあげます」
形式ばった堅苦しい感謝の言葉が終わると、ミヤが立ち上がる音がした。それから間もなく会議場を去る足音が聞こえ始めた。本当にご尊顔を拝することはできないんだなと思っているうちに、頭を上げることが許された。
「みんな、ご苦労だった。頭主さまが堅洲村を出られるまではここにとどまっておいてくれ」
ケイの言葉にがらりと空気が変わり、それぞれ足を崩したり、伸びをしたりし始める。誰もが緊張感から解放されたような表情だ。たった数分の出来事ではあったが、その場の雰囲気はどこか満足気だった。
真上から降り注ぐ日光の中、軍服の頭主と羽織袴のミヤは並んで歩く。
「最後尾に座っていたのが秀か?」
頭主は先ほどの手元に弓を置いた少年を思い浮かべる。顔を見ることができないのは互いに同じだった。
「はい。お会いになりますか?」
「いや、いい。今はまだその時ではない」
「わかりました。では、またいずれ」
無線をかけようとしていたミヤはその手を下ろす。
「私が始めた『片親家庭支援計画』であそこまで立派に成長できたなら、制度を押し通した甲斐があったというものだ」
「仰る通りです。阿清秀の成長、さぞお喜びのことでしょう」
「あとは平穏な人生を送ってくれれば言うことはない」
頭主の言葉にミヤは珍しく微かに笑う。
「頭主さま、それは既死軍に引き入れておいて、無謀な望みというものです」
「それなら、お前が守ってやれ」
ミヤは笑みを浮かべた顔から、秘書としての表情に戻す。頭主の言葉は些細なことであれ、自分への命令であることに変わりはない。
「頭主さまのご用命とあれば、私の命続く限り、いつまでも」
「時に樹弥。今日は確かこの後の予定はなかったな」
「はい」
懐から携帯電話を取り出し、何度か画面に指を滑らせる。
「何件か連絡は来ていますが、早急に対処すべきものではないようです。明日以降でも問題ないでしょう」
「では、久しぶりに墓参りでもどうだろうか」
「わかりました」
再び画面に視線を落とし、時間を確認する。堅洲村から墓地までの距離と移動手段から、かかる時間を脳内で瞬時に弾き出す。
「到着は夕刻になりますが、よろしいでしょうか」
「構わん。死んだ人間を想うことも、そのために時間を使うことも、悪いことではない。こと盟友に関してはな」
「頭主さま、シドは」
ミヤが立ち止まったのに合わせて頭主も歩みを止め、振り返る。主を見つめるその顔は真剣みがあるというよりかはどこか暗い。
「シドは、私たちと死生観が違います。私たちと同じように目の前で同志が死んでいくのを見ているはずなのに、悼むことも、思い出すこともありません。シドは人間です。それなのに、私たちとは違う。私はシドが、いつか、いつか」
視線を落とし、拳を握る。ミヤにとって唯一本心を話すことができるのが頭主だ。まだ子供だった自分を受け入れてくれた時、この人には噓偽りなく生きると誓った。頭主の秘書として、既死軍の上に立つ者として、自分は泣き言を言うわけにはいかない。しかしそれでも、日々耐え、積み重ねてきた重みに押し潰されそうになる時もある。
声をわずかに震わせるミヤを頭主は静かに見ていた。
「あいつはあまりにも死を見すぎた」
道端にころりとセミが転がっている。頭主が足でつついてみると、わずかに羽音を立て、再び静寂に落ちていった。
「樹弥は死んだ虫に情をかけるか?」
黙ったままミヤは頭主の足元で死にかけているセミを見つめる。やっと口に出たのは「いいえ」という短い言葉だった。
「堅洲村。ここには初めから死を纏った人間しかいない。そもそも、ここは死を待つ場所だった。そうだろう」
「はい。仰る通りです」
伏し目のままミヤは過去を思い出すように答える。
「ですが、頭主さま。シドは」
「樹弥に弱音を吐かせるとは、やつも大したものだな」
声を上げて笑う頭主に対して、ミヤは頭を下げる。
「申し訳ありません。頭主さまにこんな話を」
「樹弥に任せきりの私も悪い。すまんかったな」
「いいえ。もったいないお言葉です」
「伝えておけ。懐古するのも悪いことではないと」
「わかりました」
二人は再び歩き始めた。次にこの村に頭主さまをお連れする頃には、一体自分たちはどうなっているのだろうか。そもそも、自分が頭主さまの隣にいられるのだろうか。そんな未来への憂惧を掻き消すようにミヤは口を開いた。
「お供えのお花はいかがいたしましょう。堅洲村には今ちょうど百合が咲いています」
ケイからやっと帰宅許可が出された。頭主が堅洲村を後にしたということだ。日は僅かに傾き、気の早いヒグラシが数匹既に鳴き始めていた。
ヒデは会議場の人がまばらになったところで、ブーツを履いていたヤンに駆け寄り、隣に座って同じようにブーツの紐を縛る。
「ヤン、あのさ」
言わんとすることをすぐさま理解したのか、視線は手元に落としたまま答える。
「似てるだろ、元帥に」
言い当てられたことに驚きながら、ヤンを見遣る。
「似てるというか、ご本人じゃないの?」
「仮にそうだったとしても、俺たちには調べる術がない」
ヤンは立ち上がり、鞭を手に会議場を出る。ヒデも後を追いかけ、外へ出た。残暑を運ぶ風が制服の裾をなびかせる。
「頭主さまのお姿は見たこともないし、これからも見ることはない。そもそも元帥の声だってラジオやテレビでしか聞いたことがない。実際の声が似てるかはわからないだろ」
「それはそうだけど」
「もし本当に頭主さまが元帥だったとしても、知らないほうがいいこともある」
そう釘を刺されてしまうと言い返すことはできない。さすが魔法の言葉だなとヒデは思った。
「何の話してんの~?」
後ろからヤンとヒデの肩に手をかけるのは小走りでやって来たルキだった。
「お前には関係ない話」
鬱陶しそうに手を振り払われた代わりに、ルキは一方的にヒデと肩を組む。
「ルキさん、昨日の晩はどうでしたか?」
「三人で枕投げしてね~。それでゴハにめちゃくちゃ負けちゃった~」
自分はアレンに促されるままさっさと寝てしまったが、近所ではそんなくだらない戦いが繰り広げられていたのかと笑いながらヤンを横目で見る。ヤンの渋い表情からはルキの話が事実であることがうかがえる。誘指折りの戦闘狂でもゴハとルキの前では形無しのようだ。
「ルキがしょうもないこと言い出さなきゃ俺の連敗記録は増えてねぇんだよ」
ヤンは蔑むような目で冷ややかに横を歩く男を睨む。
「いつかルキさんにも勝てるようになってね~」
相変わらずの締まりのない表情で放ったその一言がヤンの逆鱗に触れたらしい。不意に蹴られたルキは羽織袴姿で土にまみれる。肩を組まれていたヒデはすんでのところで難を逃れた。
「ひどいじゃ~ん。これケイから借りてるのに~。怒られるのルキさんなんですけど~!?」
「今ので一勝だろ。二度とけしかけんな」
「え~? 卑怯なんだけど~」
ルキは何が面白いのか、けらけらと笑いながら両手で土埃を払う。
「何なら俺もお前も武器持ってるし、本気でやり合ってやってもいいんだぞ」
そう言うと、ヤンは手にしていた鞭を両手でピンと張る。音速を上回るらしいその武器は近くで戦ったことのあるヒデにしてみれば恐ろしいものだった。鞭が風を切り裂く音と、その攻撃をまともに受けた皮膚を見たときの衝撃はいまだに忘れられない。
ルキは再びヒデに肩を組み、耳打ちをする。
「ねえねえ、ヒデ~。この近距離の場合さ~、鞭と銃だったらどっちが有利だと思う~?」
「今銃を手にできてないルキさんの方が不利なことは確かだと思います」
「そうだよね~」
真顔で答えるヒデに笑いかけると、ルキはヒデの肩から手をほどき走り出した。
「勝負はお預けってことで~!」
「今の一勝だからな! 覚えとけよ!」
ムキになったヤンが大声で背中に叫ぶ。ルキは聞こえているのか、「はいは~い」と軽く手を振り去っていった。
自室に戻ったヒデは下弦を手にしたまま縁側から空を見上げた。まだ太陽は夕日になりそうもない。
頭主は恐らく帝国の実権を握っていると言っても過言ではない帝国軍の元帥だろう。ということは、この既死軍は元帥の私設軍だ。そんなところに、国の政策である『片親家庭支援計画』の受給者第一号である自分がいるのは何か仕組まれたことのように感じられた。国が、元帥が、わざわざ自分を選んだとでもいうのだろうか。そこまで考えたところでヒデは頭を振り、考えを掻き消した。いくら考えても自分が一億人以上いる帝国民から選ばれるような理由が思い当たらない。それに、はっきりと聞いたわけではないが、既死軍にいる人間はどうも自分と同じような境遇で育ったらしかった。そうであるならば、ただの偶然だろうと自分を納得させることにした。
視線を落とし、下弦に向ける。よく見ると細かい傷が無数についている。自分が生き延びてきた証のように思えた。
「頭主さまに会って、僕は何か変わったのかな」
誰に言うともなく、ヒデは言葉をこぼした。




