50話 檻の中
罪人の、いるところ。
爽やかな日の出とともに、起床時刻を知らせる国歌がけたたましく鳴り響く。その音にヒデはベッドから飛び起き、まだ慣れない部屋を見回した。窮屈で殺風景な部屋には二人分の簡素なベッドと勉強机しか置かれていない。日光を取り込むたった一つの小さな窓には頑丈な柵が取り付けられている。ぼんやりしていると、同室の少年が起き始めた。バッサリと切りそろえられた黒い艶やかな髪は彼が動くたびにその動作に合わせてさらりと流れる。朝の挨拶を交わすこともなく、ヒデは無言で布団を畳む。
ここは街から遠く離れたところにある青少年隔離更生施設。その名の通り、罪を犯した未成年のための更生施設である。
もはや日課となった、見回りの教官による怒号のような点呼や朝の挨拶、食べ物を詰め込む作業となり果てた朝食。一室に集められた少年たちは教官からの朝の連絡が終わると、いつも通り読書の時間を始めた。毎朝行われる、ひたすら道徳的な本を読む時間だ。会議室のような部屋の壁には一面に「清く、正しく」や「私語厳禁」など標語や注意書きが貼られている。
ヒデは本を読むふりをしながら斜め前に座る同室の少年を見た。
この少年は四年前に連続動物殺傷事件を起こし、最後には両親に手をかけた残忍極まりない犯罪者だ。世間では「少年甲」と呼ばれ、ほとんど彼を指す固有名詞と化している。ヒデにしてみれば、こんな人間は厚生施設などではなく、さっさと刑場へ連れて行ったほうが社会のためになるのではないかとさえ思えた。しかし、ここ数日見ている少年は常に穏やかな表情で真面目に日々を過ごしており、そんな凄惨な事件を起こしたようには見えなかった。
今回ヒデに与えられた任務は少年の監視だ。この施設では何よりも私語が固く禁じられているため、話すことはできない。同室であるにも関わらず、点呼やあいさつをする声しか聞いたことがなかった。意思疎通が取れない分、些細なことでも情報を得ようと目を離さないように毎日を過ごしていた。
そして相変わらず何事もなく一日が終わり、まだ二十一時だというのに、早くも就寝時刻となった。就寝前の日課は日記の記入だ。しかしヒデは日記ではなく少年の日常を事細かにノートに書き出していった。どんな本や新聞記事を読んでいたか、生活態度はどうだったかなどで一ページを埋めていく。どうにか書き上げたころ、タイミングを見計らったかのようにやってきた担当教官に日記を提出した。そのまま少年と共に担当教官に大声で就寝の挨拶を済ますと、担当教官は隣の部屋へと向かった。二人の前から去るほんの一瞬、教官はヒデにだけ見えるように笑いかけた。それは同じく潜入捜査をしている黒髪のルキだった。
次の日、ヒデは教官に扮したルキに連れられ、一人面会室に入った。潜入捜査を始めて五日、初めて入った面会室にはジンが来ていた。分厚いガラスの向こうの男は相変わらずの生気のない顔だ。
「やつれたみたいだな」
分厚いガラスの向こう側で開口一番、ジンはそう笑い飛ばした。
「ケイさんも酷いですよ。僕が殺人未遂の犯人だなんて」
ヒデは不満を漏らしながらジンの向かいに座った。してもいない犯罪についての反省文を書かされたり、教官との面談のたびに諭されたりするのはたった数日とはいえもう沢山だった。
「仕方ないだろ? 堂々と『潜入捜査したいです』なんて流石に言えないからな。こんな所なら尚更だ。ケイも偽造書類作ったり、監視対象と同室になるようにしたり、大変だったらしいぞ。今だって監視カメラには偽の映像が流れてるんだからな」
あっさりと国営施設すら騙せてしまうケイには相変わらず感心させられた。それのために一体どれくらいの睡眠時間を削ったのかは考えないことにしておく。
「どうして僕なんかが監視役なんですか?」
「こんな厳しい集団生活で問題を起こさずに過ごせるのはヒデぐらいだからな」
その言葉にヒデは妙に納得させられた。誘の誰が来ても即日問題を起こす様子がありありと目に浮かんでいた。
「で、例の監視対象だが」
雑談もそこそこにジンが本題に入った。ヒデがこんな生活を強いられている原因だ。
「報告書の通りです。絵に描いたような優等生で、僕にはどうしてあんな事件を起こしたのかわからないぐらいです」
「おそらく、根は真面目で優等生タイプなんだろうな」
「そんな人が、どうして」
ヒデはうつむき、少年の起こした事件を思い出す。注目を集めた事件だけに、断片的ではあるが記憶に残っている。まだ自分が中学生だったころ、連日報道されていた事件をよく覚えていた。その少年は世間が騒ぐのを楽しむように、弱い動物を殺しては飾り立てて遺棄していた。そして、世論やマスメディアの報道が最高潮に達したころ、両親の首を手に自首したのが彼だった。事件の内容もさることながら、その結末にしばらくは新聞やニュースを独占した。当時のヒデは、報道を見るたびに、そんな身勝手な人間がいるのかと心を痛めたものだった。
「ルキからの報告書も合わせて見ればわかるんだが、あれは悪いことをしたとは微塵も思ってないようだ。反省文、日記、面談、どれをとっても『自分の行為を反省している』の一点張りだからな。そういうことをむやみやたらと言う人間がいちばん、何とも思っていない」
「でも人や動物を殺してたんですよね。なのに、何の罪悪感もないなんて」
「感情が欠落した人間なんていくらでもいるからな。珍しいことじゃないさ。お前らだって」
ヒデははっと顔を上げた。ジンは「しまった」とでも言うように語尾を濁した。
「とにかくあと三週間で転院だ。仲良くやってくれよ」
「仲良く、なんて既死軍らしくない言葉ですね」
「うまくやってくれるに越したことはない」
そう言うとジンは「また来るよ」と残して、さっさと来客者用のドアから出て行ってしまった。それと入れ代わってルキがヒデの背後にある扉から入って来る。
「ルキさんさ~、教官なんてお堅い職業一番向いてないのにさ~。困っちゃうよね~」
久しぶりに監視カメラから逃れられた安心感か、制服姿を褒めてほしいのか、ここでは初めて見たいつもの腑抜けた笑顔だ。
「僕は教官やってるときのルキさんの顔も黒髪も、割と好きですけど」
「え~カッコいいだなんて照れちゃうな~」
ヒデは「そこまで言ってないんだけどな」と言う代わりに苦笑いをしながら立ち上がった。
「この後は日課通り授業があるからね~。まだまだ先は長いけど頑張ろ~」
ルキはヒデ以上に気合を入れなおしドアを開けた。今からは再び厳しい施設生活だ。
潜入捜査とは言っても、自由の少ないこんなところでは、時々暴れる少年がいるぐらいで特に変わったことも起きなかった。ヒデは来る日も来る日も少年を監視し、報告書を書き続けた。そんな代り映えしない日常に変化があったのは、ある日の自由時間だった。就寝前に与えられるこのわずかな時間は、施設で過ごす少年たちにとって束の間の解放だ。
することもないヒデは早々にベッドに腰掛けた。枕に目を向けると紙切れの端が顔をのぞかせていた。折りたたまれた紙を開いてみると、それは同室の少年からだった。ちぎったノートの切れ端で作った手紙など、見つかれば懲罰房に放り込まれて教官から何をされるかわかったものではない。そんな危険を犯してまで自分に一体何を伝えたいというのだろうか。当の本人は娯楽室にいるようで、室内にはいない。
「君は何をしたの?」
紙に書かれていたのはただそれだけの短い文面だった。好奇心からなのか、それとも何かを探っているのか、意図がわからない。そっと日記帳に挟んで、そのままルキに手渡した。
翌日、ヒデは数日ぶりに面談室に呼ばれた。相変わらず、面会相手はジンだった。ジンは開口一番、「返事は『殺人未遂』だ」と言った。その言葉にヒデは不満そう表情を作る。
「見つかったら懲罰房に行くの、僕なんですけど」
「それはルキが何とか手を回してくれるだろうよ」
あっけらかんとした返答にヒデは辟易する。
「交流なんかして、意味ありますか?」
「大いに」
「それならいいんですけど」
懲罰房送りもそうだが、犯してもいない罪をあたかも自分の功績であるかのように自筆するのにはまだ抵抗がある。幾度となくこの架空の罪と向き合ってきたからこそ、任務だから仕方がないという気持ちよりも嫌悪感が勝る。
そんなことを考えていると、数回のノックののち、既死軍の報告会にルキが加わった。
「先輩の話だとさ~」
ルキは警棒を器用にくるくると片手で弄びながらヒデに近づく。ガラス越しのジンに顔をぐいと寄せ、にんまり笑った。
「『品行方正な少年甲』は出院が早くなったみたいだよ~」
初めて聞く話にジンは眉をひそめる。
「確かか?」
「隠れて上官たちの立ち話を聞いただけだからね~。今のところ信憑性に責任はとれないけど~、本当なら今日にでも通告されるはずだよ~」
どこで何をしてるんだとヒデは呆れたように笑う。檻に閉じ込められている自分も大変な任務だが、仕事の隙を見て情報を探し回るルキも大概だなと思った。
「それにしても、未成年なら尊属殺人をしようと、何人殺そうと、社会に復帰できるんだな」
ジンはため息をつきながら腕組みをする。渋い顔からは社会制度への不満が見て取れる。
「少年甲は事件当時十二歳。それからもう三、四年。ここでの思想教育ももう終わったってことなのかな。思想を叩きこんで、社会に放り出して、また道を踏み外せばすぐ死刑。所詮、帝国は子どもの幸福なんて考えてないんだよ」
ルキはガラスから顔を離し、うつむき加減にこぼす。その瞳には珍しく光がない。
「ヒデもそう思わない? わかるでしょ」
諭すような優しい声色でルキはパイプ椅子に座るヒデを見る。
「僕は」
ヒデは口をつぐみ、自分の過去を思い返す。不幸な生い立ちだと、恵まれない人生だと、帝国は慰めてくれただろうか。知らず知らずのうちに唇を噛んでいた。痛みに気付き、血が出そうなほど噛み締めていた唇をほどいて軽く頭を振る。
「僕は帝国のおかげで高校まで行けました。人並みの衣食住も、帝国のおかげです。僕は帝国に感謝しています」
その真っすぐな瞳に、ジンは何かを思い出したように手を打った。
「あぁ、『片親家庭支援計画』ってやつか」
「ジンさん知ってるんですか?」
「制度として知ってる程度だな。定期的な奉仕活動と引き換えに返済不要の学費や生活費が支援されるってやつだろ」
「そうです。僕は子どものときからずっと参加してて、もし生きてれば学費は大学まで免除されていました」
「そりゃ帝国も大盤振る舞いだな」
「でもさ~それってさ~、全員じゃないじゃん~。救いに人数制限がある時点でさ~」
あくまで否定的にルキは笑う。
「それは既死軍も同じだろ」
「まぁね~それはそうなんだけどさ~」
ルキはいつの間にかヒデの横にパイプ椅子を置いて座っていた。背もたれを前にして、そこに頬杖を突く。久しぶりに知人との雑談に興じられるのが嬉しいのか、口では不満を漏らしているものの、その顔は見慣れたいつもの表情だ。
「確かに人数制限というか、選ばれるには何か基準があったはずです。僕もどうして選ばれたのかはわからないんですけど」
ヒデは思い出したように首をかしげる。
「何でもこの計画、僕が受給第一号らしいんですよね」
この国には救済すべき人間がごまんといる。そんな中なぜ自分が選ばれたのか、理由を聞かされたことはなかった。当時の自分は助けてもらえるなら何でもよかった。細かい事を気にする余裕がなかったとも言える。
ジンは腕組みをしたまま疑問を口にする。
「既死軍にいる人間全員がその恩恵を受けてるわけでもないし、基準はよくわからないな。何でヒデなんだろうな」
「まぁ、知らないほうがいいこともあるからね~」
ルキは立ち上がりながら既死軍お得意の言葉を口にする。
「それじゃあ、ルキさんはお仕事に戻るね~。面会時間もそろそろ終わりだよ~」
襟を正し、髪を掻き上げて帽子を目深にかぶり直した。綿毛のような金色だった癖毛は、今は真っ黒に染め上げられている。それだけで少し教官らしく見えた。
「また軍隊みたいな生活になるかと思うとげんなりします」
ヒデもため息交じりに重い腰を上げる。いくら自分が真面目に規則を守る人間だとしても、一挙手一投足すらも定められた雁字搦めの生活は辛いものがある。そんな様子をルキは笑い飛ばした。
「既死軍だって軍じゃんか~」




