48話 陰になり日向になり
降るような、恩情。
「骨折したとは、いいご身分だな。えぇ? おい、シド」
相変わらず白衣でたばこをふかすヤヨイは治療室に現れたシドの顔を見るなり吐き捨てた。堅洲村に戻ってすぐ、ヤヨイの宿に直行させられたシドは僅かながら渋い顔をする。
制服が血と埃にまみれていることには一切触れず、ヤヨイはただただいつものしかめっ面で応急処置がなされたシドの右腕を見る。ここまで全身を汚し切っているからには死闘が繰り広げられたことは間違いない。しかし、ヤヨイにとってはそんなことは関心がなかった。
棚に雑然と置かれている治療器具をガチャガチャと鳴らしながら「治療なんて興味ないんだがな」とこぼす。適当な場所に座らせると、シドが添え木代わりにしていた古ぼけた木を投げるように捨てながら、青紫色に変色した腕を面倒臭そうに診た。曲がりなりにも医療従事者であるが、そんなことはお構いなしの表情だった。
「毎回ご丁寧に誰かがケガしてくれるもんだから嫌でも技術が上がっていく。しかし、まさかシドが骨折する日が来るとはな」
「初めてではない。お前が来る前に一度やっている」
「俺が来る前、か」
短くそう返すとヤヨイは手を止め、咥えていたたばこを口から離して煙を吐き出した。
「トキさんが亡くなって、もう何年になるんだろうな」
死人が生き返ることは決してない。自分たちも国に提出されている書類上では故人だ。しかし、それでも実際に土の下に眠る人間とは違う。昔を懐かしむようにヤヨイはかすかに笑い、短くなったたばこを灰皿でつぶした。「長生きできない」と何度も取り上げられたたばこは結局辞められずにいる。一人ではこの灰皿が空になる日はこないだろう。
「そうそう、俺を酷使するつもりなら助手が欲しいってミヤに伝えといてくれよ。前にも言ったんだがな」
「ミヤが必要と判断すればそうするだろう」
ヤヨイはシドの返答を鼻で笑い、再びたばこに火をつけた。
「二、三週間は安静だな。自ら戦線を離脱するとは、隠居でもするつもりか?」
嫌味に対する返事はなく、その代わりにただ鋭い目で睨まれるだけだった。
「まぁ、お前なら今までの誘や宿家親を見てりゃわかるだろうよ。隠居は突然やってくる。お前は宿家親に向いてなさそうだがな」
「俺は宿家親になるつもりはない」
自分の行く末を誰かに語られるのは不愉快極まりないことだった。そんなシドを嘲笑うかのようにヤヨイは先ほどの言葉を引用する。
「だが、ミヤが必要と判断すればそうするだろうよ」
一方、一週間の絶対安静を言い渡されたヒデは呼吸をするのにすら苦労しながら床に臥せっていた。数日前までは風邪で寝込んでいたというのに、今度はケガで寝込む羽目になるとはと己の不甲斐なさを嘆いた。任務中は緊張状態だったのかそこまで痛みは感じなかったが、堅洲村でアレンの顔を見た途端、糸がほどけたかのように痛みに襲われた。今まで何度も目の前で誘が撃たれるのを見てきた。しかし、これほどまでに痛みが伴うものだとは彼らの様子からは感じられなかった。
「お加減はどうですか? ああ、寝たままでいいですよ」
体を起こそうとするヒデをたしなめながら、アレンは枕元に座る。
「初めての大けがですからね。ヤヨイ君の言う通り安静にしておいてください。今は治すのがヒデ君のお仕事ですから」
そう言われたヒデは布団をかぶり直し、ドクドクと脈打つ傷跡に触れた。その音さえ耳元で聞こえるようだ。
「アレンさんも、撃たれたことってありますか?」
遠い記憶を思い起こすようにアレンは顎に手を当てて「そうですね」と首をかしげる。そして何かいいことを思いついたかのように手を打った。
「お見せしましょうか?」
説明するより見せた方が早いとでも言うのだろうか。帯に手を掛けそうになるアレンをヒデは慌てて制止した。
「だ、大丈夫です」
「冗談ですよ」
珍しくいたずらっぽく笑うその顔にヒデもつられて笑う。
「私は狙撃が主だったので、接近戦というのは記憶している限りほとんどありません。おかげさまで、目立ったケガもなく過ごさせてもらいました。ただ相手から撃たれることは多々ありましたね。当たりはしませんでしたけど」
日常茶飯事だったとでも言うようにさらりと物騒なことを口にする。そう言えばそうだった、とヒデは自分が身を置いている環境を再認識したのだった。
「私のときは敵と対峙する、というよりかは暗殺の方が多かったように思います。戦後の混乱期でしたし、今の既死軍よりもっと『帝国のために戦う組織』という印象が濃かったです。あまり外部からの依頼もありませんでした。内部粛清、とでも言うのでしょうか」
何事にも歴史はあるものだとヒデは初めて聞くアレンの誘時代の話に耳を傾ける。自分が暮らしていた「世界有数の軍事国家『葦原中ツ帝国』」に至るまでには様々な暗躍があってこそなのだという気付きを得た。
「アレンさんは、どんな誘だったんですか?」
「私自身よりも、他の方から聞いた方が正確かとは思います。そして、私たち宿家親には宿家親の掟というものがありまして、言えることは限られてしまうのですが」
しばらく言葉を選ぶように考え込むと、いつも通りにっこり笑ってアレンは口を開いた。
「私は射撃の腕ならシド君にも負けませんよ。きっと、今でもね」
真っ白な固定具で右腕を封じられたシドは、慣れない手つきで宿の引き戸を開けた。がらんとした屋内に人影はなく、無言でブーツを脱ぎ居間へと上がった。薄暗い自室に入り、文机にごとりと音を立てて拳銃を置く。幾度となくケガはしてきたが、骨折したのは久しぶりだ。左手のみでどうにか生活しなければと、いつもよりも時間がかかりながら着替え、愛用している銃の手入れをした。
ケイによるとミヤはしばらく不在のようだ。こんな無様な姿を見せなくて済んだことにわずかに安堵した。しかし、どうせ見られたところで、怒りも、笑いも、呆れもしないだろう。発する言葉は恐らく「そうか。申し訳ない」だけだ。ケガをして帰ると、ミヤはいつでも「申し訳ない」と謝る。何のために、誰のために謝っていると言うのだろうか。そういえば今までこの言葉に返事をしたことはなかったなと、居間へと戻る。
台所に置きっぱなしになっている食器が、ミヤが急に出かけて行ったことを物語っている。一人でも家事はできるが、それでも片腕が不自由になった今、どうすればいいものかと頭を掻いた。
「お邪魔しまーす!」
ちょうどその時、開けっ放しにしていた玄関からノアが入ってきた。手には湯気を立てる白米と煮魚、その他ごちゃごちゃと小鉢のおかずが盆に乗せられていた。
「今日の晩ご飯、カズが持って行けって。ミヤさんいないって聞いたから」
上り框に盆を置くと、少し間を置いてからばつが悪そうに「今回は、僕が悪かった」と小さくつぶやいた。
「過去は棄てたと思ってた。だからこその『ノア』なんだって。でも、過去って、人生って、そんな簡単には忘れられないんだね」
ノアは無理に笑顔を作り、シドを見上げた。
「過去は今のお前を形成するものだ。お前がそれでいいならば、無理に忘れる必要もないだろう」
意外な返答にノアは驚いた顔をする。
「シドって、過去には固執しないんでしょ」
「俺とお前は違う。お前がどうするかはお前の自由だ」
「なんか、シド、最近変わったよね」
その言葉に腕組みをしたシドは不機嫌そうにノアを見下ろす。口を開いて何か言葉を発しようとしたとき、それは聞き慣れた電子合成音に遮られた。
「あれ、先客がいたんだ」
二人が視線を玄関に向けると、そこには思った通りイチが立っていた。手にはノアと同じく、温かそうな料理がある。イチはシドの足元に置かれた盆を見ると察しよく「考えることは同じだったね」と目元だけで笑った。
「ノアのがあるならこれは要らないかな」
イチはそう視線を落とす。ノアが持ってきた食事と違い、いたってシンプルな一汁三菜だ。
「イチも料理上手だね! でも、イチのご飯って睡眠薬盛られてるんでしょ?」
どこで聞いたのか、ノアは不躾に悪気無く笑いかける。イチは「たまにね」と感情のない声で肯定した。
「ケイさんの健康管理も僕の仕事のうちだからね。既死軍の脳ミソに倒れられるわけにはいかないから。あ、もちろんこれには入ってないよ。シドが睡眠薬ごときに引っかかるとも思えないし」
シドは相変わらず面倒臭そうに二人の会話を聞いている。いつもなら、ミヤがいなければ自分で料理の一つもする。しかし利き腕を骨折した今、有難迷惑とは言えない二人の行為にただ無表情で答えるしかできなかった。
珍しい組み合わせの二人がシドを置き去りに話していると、「おやおや、一足、いえ、二足遅かったですね」と草履の音を鳴らしてアレンが現れた。その言葉通り、苦笑いする手にはノアとイチと同じく食事が湯気を立てていた。
「ヒデ君がお世話になりましたし、せめてお礼をと思ったのですが」
「アレンさんの料理にはカズのなんか勝てないよ~!」
その姿と料理を見た瞬間、眉を下げながらノアが残念そうな声を上げた。
食事の技量は宿家親に一任されている。食べられれば何でもかまわないというカズのような宿家親もいれば、すべてが計算しつくされたイチのようなバランス型、見た目も味も一流のアレンのような宿家親もいる。料理でアレンの右に出る者はいない。そんなアレンの料理を毎日食べられるヒデを誰もが一度はうらやましがったものだ。
そそくさとノアは持ってきた盆を再び手にする。
「僕のは持って帰るから、シドはアレンさんの食べなよ! 滅多に食べられないよ!」
「いえいえ、先に持ってきたのはノア君ですから」
譲り合いを始める三人をシドは気だるげに眺めていた。長年この宿に住んできたが、ここまで玄関先に人が集まったことがあっただろうかと思い返してみる。今まで面倒なことは全てミヤが対処してくれていたが、今日ばかりは自分が対応しないわけにはいかない。人付き合いとはどうしてこうも煩わしいのかとため息をついた。
「たかが飯ごときで、にぎやかな奴らだな」




