47話 傷跡
私怨と、回顧。
鬼界、もとい連続殺人犯の国吉は今しがた出会ったばかりの理解者との別れを惜しむ。目の前にいる三人が今まで自分が殺してきた人間たちとは違うということはよくわかっているようだ。
男は慣れた手つきでノア目掛けて鉈を振り下ろした。だが、ノアはそんな素人殺人鬼の軌道をあっさりと見切り、六尺棒で弾き飛ばした。凶器は男の手を離れ、床で金属音を立てる。
「僕ね、叔父さんと二人暮らしだったんだ」
ノアは六尺棒を国吉の首筋に当てる。刃も何もついていない「ただの棒」と言ってしまえばそれまでだが、しかし、その威力は壁をも壊すことをヒデは既に知っていた。首の骨など容易く折ってしまうだろう。
「叔父さんが夜中にいつも見てたのが墓標シリーズだった。映画が始まって二時間、僕はずっと連れ出された部屋の隅で怯えてた。今からこれと同じことをされるんだって。映画の中は全部作り物なのに、全部嘘なのに、僕が体験するのは本当のことだった。切られて、抉られて、剥がれて、刺される。国吉さんが人形相手に演じてたことを、画像生成技術が作り上げた虚構を、僕は全部体験した。痛かった。苦しかった」
ノアが無意識に何度も頬の傷を撫でるのにヒデは気づいた。人の深層心理とはこういうことなのだろうと納得する。ノアは今、国吉に話しかけているのではなく、過去の自分と対話しているようにさえ見えた。
「それでも、何回も言い聞かせた。あの話は作り話で、国吉さんだって銀幕から去ればただの人間。人なんて殺さないって。全部嘘だから、自分の体験も全部嘘で、いつか悪夢から目が覚めて、幸せな人生に戻れるって。だから耐えられた。でも、こんなの」
そこまで言うとノアは声を詰まらせ、無表情のまま涙をこぼし始めた。
「こんなの、ひどいよ」
国吉はノアの目を見つめる。
「そうか。それはすまなかった。ファンを悲しませるとは、俳優失格だな」
「いや、国吉さんはすごい俳優だよ。僕の人生を変えた。それは誇っていいことだよ。でも、僕が唯一救いにしてた考えを、今、ここで、自ら否定した」
ノアは得物を静かに振り上げる。男を見下すその瞳はよどんだ黒い光を湛えていた。抵抗する術を失った国吉は自分の最期を受け入れているかのように静かに佇んでいる。
「赦さない。人を殺してたなんてどうでもいい。お前は、過去の僕を傷つけた。逆恨みって言われたらそこまでだけど、お前も人殺しだし、お互い様だよね」
躊躇なく風を切る音が聞こえた。とっさに止めに入ろうとヒデは足を踏み込むも、それよりも早く、黒い稲妻のごとくシドが間合いに入った。
「殺すな」
振り下ろされた六尺棒を左腕で防いだシドは痛みに耐えるように息を吸う。
「まだ見つかっていない死体がある以上、こいつを死なせるわけにはいかない」
そう言うと眼光鋭くノアを睨みつける。
「あとは堕貔に任せる。俺たちの任務はここまでだ」
「何で? 堕貔を呼ぶなら、その人、死体にしなきゃ。だって堕貔の仕事は死体処理でしょ」
はっきりとしない視線をシドに合わせ、ノアは呟くようにこぼす。
「それなら代わりに治持隊を呼ぶまでだ」
自分が指揮を執るとは言ったものの、頑固なノアには辟易する。過ぎ去った私怨などに囚われているようでは、これからが思いやられる。シドは面倒くさそうに代替案を口にした。
「死体なんてもう死んでるんだからどうでもいいじゃん。どうせバラバラに腐ってて身元なんかわかんないよ。自白したし、犯人はこいつに決まり。それ以上、一体何があるの」
「それは俺たちが考えることではない」
シドはノアの得物の片端を握りしめる。利き手ではない左手で握られているというのに、それを振り払おうとしても六尺棒はびくとも動かない。ノアは国吉に向けていた殺意をシドに向ける。
「放してよ、シド」
「任務はこいつを殺すことではない。事件の犠牲者を、全貌を解明することだ。俺たちにはこいつを生かす義務がある」
「そんなの、生きてる人間の勝手な考えじゃん。死んだ人間は何とも思ってない。解明して、何になるの」
「意味はない。任務は遂行するものだ」
「シドのそういうところ、僕は好きじゃないな」
ノアはあっさりと六尺棒から手を離すと流れるように拳銃を取り出した。
「葦原中ツ帝国既死軍。誘拐、及び殺人につき、厳重に処罰する」
ヒデは考えるよりも早く体が動いていた。名乗りをするからにはノアは国吉を殺すつもりなのだ。
ノアの人生には同情の余地がある。目の前の男に抱く殺意も尤もだ。しかし、それでも今は国吉を守らなければならない。今度はシドよりも先に、飛び掛かるように国吉を押し倒した。
それと同時に全身が焼けるような痛みとともに腹部が赤く染まる。国吉を庇った背後から銃弾が貫通していた。ヒデは食いしばった歯の隙間からうめき声を出しながら、必死でこの世に意識を繋ぎ止める。
今、自分がすべきことは何なのか。
国吉に馬乗りになっているヒデは胸倉をつかみ、上体を起こさせた。
「自分の行いを、後悔も、反省もしないでください。あなたは、独りよがりの、最低な殺人犯として、死ぬんです」
耳元でそう囁くと、勢いをつけた腕を国吉の首の側面に叩きつけた。呆気なく気絶した国吉をそのまま床に寝かせると、自分の革ベルトを手錠代わりに両手を捕縛する。一時は華々しい生活をしていたであろう人間の末路とはこんなものかと哀れみすら覚える。しかし、そんな感傷に浸っている時間はなかった。ヒデは対峙している二人に目を向けた。ノアはシドと素手での攻防戦を繰り広げている。いつか見た、歯止めの利かなくなったシドを見ているようだ。
思い出したように、脈打つ腹部に鈍い痛みが増す。
『やっと繋がった! 誰でもいい、今どんな状況だ』
その瞬間、数時間ぶりにケイの声が聞こえてきた。藁にも縋る思いでヒデは「ケイさん!」と救世主の名前を呼んだ。
「犯人は捕まえました。元俳優の国吉規矩雄って人です」
ケイにしては珍しい素っ頓狂な驚きの声が聞こえてきた。やはりさすがのケイでも「元」とはいえ、銀幕のスターの名前がこんなところで出るとは微塵も考えていなかったのだろう。
「そんなことより、今はシドとノアが戦ってて」
『はぁ!?』
今度は理解できないとでも言いたげな声が返ってきた。
『ノアがシドと互角に戦ってるって言うのか?』
「シドは右腕、骨折してるし、それに、ノアは前のシドみたいに暴走してる、っていうか。僕も撃たれました。とにかく、大変なんです」
その、息も絶え絶えの言葉だけでヒデの置かれている状況が嫌というほど伝わった。自分が知らない間に一体どんな展開があったというのだろうか。ケガをしたヒデ一人でその場を収められるのかと眉間にしわを寄せたところで、当の本人から声が返ってくる。
「僕しかいないから、僕が何とかします」
いつの間にか頼もしくなったものだとケイはかすかに口角を上げる。
『一時間後に治持隊が到着するように手配する。それまでに決着をつけて引き揚げろ』
「ダメです!」
ヒデは無線を切ろうとするケイを引き留める。
「ノアは名乗りをしました。堕貔を呼んでください」
身元を明かしてしまった以上、このまま国吉を治安維持部隊に引き渡すわけにはいかない。望むと望まざるとにかかわらず「既死軍」の名前を知ってしまった人間が生きて帰ることはないに等しい。「生きて帰すな」という掟はヒデの心の底にまで染み付いていた。
短く『わかった』と返事をしたケイは再び無線から声を消した。
ヒデはノアを見据える。理性を失ったノアはシドに殴り倒されようとも立ち上がり、また向かっていく。最早彼にシドと戦う理由などはないのだろう。過去の自分を傷つけられた。それだけで自我を失うほどに憤慨できるのはいささか羨ましくも思う。自分にはそれほど守りたい過去はない。
しかし、既死軍の人間は一様に過去を捨てたはずだ。その結果が今の名前だ。ノアが何を思って「ノア」と名付けたのかは知る由もない。それでも、その名を使う以上は過去と決別すべきだ。
ヒデは矢を一本握ると、無我夢中で駆け出した。
「ノア!」
一歩踏み切り、跳躍した勢いに任せノアを目掛けて矢を振り下ろす。シドしか見えていなかったのか、ノアは不意の攻撃に咄嗟に防御態勢を取るも、無防備だった肩に矢を突き立てられた。攻撃の勢いによろめいたノアはそのまま後ろ向きに倒れ、頭を強打した。衝撃で口からうめき声が漏れる。
しばらくの沈黙。シドとヒデからは荒い呼吸のみが聞こえてくる。
数分と経たないうちに、ノアがふらふらと立ち上がった。我に返ったのか、一つ大きく息を吸うと、痛みに顔をゆがめながら肩の矢を引き抜いた。傷口からは鮮やかな赤色が同心円状に広がっていく。
「僕は」
それだけ言って呆然と立ち尽くすノアは横たわっている国吉をうつろな目で見つめる。
「過去を忘れろとは言わないよ。けど、ノア」
視線が国吉からヒデにゆっくりと移動する。
「僕らが生きるべきなのは、今だよ」
その言葉にノアは手の甲で乾いた鼻血を拭い、また一つ息をついた。
「これ、返すよ。ヒデ」
矢についた自分の血を袖で拭い、ヒデに手渡す。ノアはそれきり喋らず、謝罪も感謝もなかった。しかし、それで十分だとヒデはケイからの指示を二人に伝える。
こうして不可解な館での「オバケ退治」は終わりを告げた。
事の顛末を聞いたケイはどうしたものかと頭の後ろで手を組んだ。相変わらずの寝不足顔でパソコンに囲まれている。そもそもの任務だった事件のことは、後は優秀な堕貔がどうにでもしてくれるだろう。それよりも問題なのはロイヤル・カーテスのことだった。
「ユネは数字の一、レナは王妃、女王って意味だ。ヴァルエは確か、そうだな」
横にいるイチが間髪入れずに答える。
「召使い、もしくは家来ですね」
「まぁこれだけの名前がそろえば、ロイヤル・カーテスの人間がトランプ由来の名前であることはまず間違いないだろう」
ケイの言葉に完全同意するようにイチは首を縦に振る。
「ヴァルエって人は自分をトリックスターだって言ってたらしいですけど、ジョーカーのことでしょうか? でも、ヴァルエって召使い、つまりは十一ですよね」
「トリックスターは往々にしてジョーカーを指すものだが、遊技によっては十一を指すこともある」
「そうすると、一から十三のどれにも当たらない、炯懿と名乗った女の人がジョーカーですか?」
「だろうな。レナやヴァルエという名付けの法則でいくと、王を表すなら恐らく名前は『ルワ』になるはずだからな。それから」
ケイは一旦息をつき、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「トランプは一組につきジョーカーが二枚入っているのが普通だ。だとすると、リーダーはもう一人いると思っておいた方がいい。ロイヤル・カーテスは十五人が濃厚だ」
「既死軍の誘は九、いいえ、十人ですね。僕も含めれば十一人にはなりますけど」
「お前は戦わなくてもいい。俺のそばにいてくれ」
「わかりました」
「少々人数が少ないな。負傷者がいるときに畳みかけられると厄介だ。ただでさえ今からしばらくはシドが離脱する」
「誘、増やすんですか?」
「この国では一日に三千人が死ぬ。その内、事故死は百人、自殺は九十人だ。一人ぐらい増えても変わらんだろう」
「老衰は百二十人、ですよね」
「よく覚えてるな」
ケイは笑ってイチを見た。数字は嘘をつかない。計算しつくされた世界と、そこから弾き出される数値がすべてだ。イチもにこりと目だけで笑い返す。
「僕はケイさんの助手ですから」




