46話 銀幕に映るもの
奇怪を、物語る。
報告を聞き終えたシドは、ヒデとノアが見た惨たらしい現場には興味もなさそうに、短く「わかった」と返事をしただけだった。暖炉の明かりと夜の闇に揺らめくシドの姿はいつもと違い、血と埃で汚れきっている。それでも当の本人は何事もなかったかのように涼しい顔をして壁に寄りかかっている。
「恐らく犯人は男一人だ。理由は連続殺人の場合、犯人が複数であること、女であることは稀だからだ」
それはまるでケイかイチが喋っているのかと思えるような口ぶりだった。ただの無口な人間ではないことは知っていたが、それでもよどみなく言葉を続けるシドにはまだ慣れないものがあった。
「死体は切断されていたと言っていたが、凶器はあったのか」
「近くの部屋には見当たらなかったよ。普通、人体を切断するなら弓鋸とか解体用包丁とか使うはずだから、今も犯人が持ってるんじゃないかな? 大事な道具を放っておくとも思えないし。もっと明るかったら切り口でわかったかもしれないけど」
あの状況の中で平然と必要なことを調べ上げていたノアにヒデは驚きを隠せなかった。「任務を遂行する」とはそう言うことなんだなと、シドとノアを交互に見る。自分が今なせることとは一体何だろうか。残るは犯人を裁きの場に連れ出すことだけだろう。
テーブルに座って楽しそうに足をぶらつかせているノアは報告を補足する。
「あと、腐臭も気になるほどではなかったよ。多分治持隊が最近入ったから空気が入れ替わったんだと思う。でも治持隊がまともに室内にこもってた腐臭を吸ったとしたなら、精神病棟送りもわからなくもないかな」
「そうなの?」
初めて聞く話にヒデは首をかしげる。ノアは常識だとでも言うように答える。
「そうだよ! 腐臭は服に染み付いたら洗濯しても落ちないし、毒ガスを発生させることもある。普通は密室に腐乱死体があるってわかってたら、使い捨ての特殊防護服と防毒マスクで入るもんだよ。治持隊が換気してくれてたの、幸運だったね」
ノアは他人の不幸など何とも思っていないようにあっけらかんと笑いかける。
「で、シドは殺人犯の目的って何だと思う? あと、この家の奇妙な造りとか」
話を振られたシドはあっさり「わからん」と答えた。
「考えるのは俺たちの仕事ではない。しかし、ケイと連絡が取れない以上は俺が指揮を執る。今から再度この建物を徹底的に調べ上げる。隠し部屋や隠し通路を見落としているに違いない。再び二手に分かれたところで結果は同じだろう。ここからは三人で行動する」
二人はうなずき、それぞれ座っていた机やいすから立ち上がった。
先陣を切って入口に近い部屋へ向かうシドにヒデは声をかける。
「腕、大丈夫?」
シドは相変わらずの表情で返事もなく扉を開ける。どれほどの痛みがあろうと、泣き言一つ言うことはないだろう。わかりきっていたことを聞いた自分がバカだったなと横顔を見た。その視線を一瞥したシドは「ヤヨイに小言を言われる程度だ」と再び正面を向いた。さすがのシドにもヤヨイには苦い思い出があるらしい。
懐中電灯に照らされたいくつ目かのこの部屋には見覚えがある。まだ日が昇っている頃にノアと来た、壁という壁に肖像画が掛けられた部屋だ。虱潰しに肖像画の一枚一枚を手に取り、隠された秘密はないかと調べていく。
「やっぱり誰かに見られてる気がする。昼でも不気味だったのに、夜中の肖像画ってもっと怖く感じる」
ヒデはまじまじと、名もなき外国人の肖像画を見つめる。ちょうど自分の背の高さに掛けられているそれとは嫌でも目が合うようだ。西洋貴族の服を着たその男は無表情のままヒデを見つめ返す。角度を変えてみてもずっと視線が合い続けるように思える、何とも言えない不気味さを纏った絵だ。
「呪われた絵に霊が取り憑いてて〜みたいな話、映画ではよくあるよね。実際ここも死体だらけの呪われた館だし、怨霊の一人や二人住んでるんじゃない? ホラー映画の一本でも撮れそう」
額縁に積もったホコリを指先でなぞり、ノアはふっと息を吹きかける。上昇しながら空気に溶けていくその塵は、窓から差し込む月と星に照らされ幻想的に見えた。
「僕の人生が映画なら、こんなきれいなシーンが出て来るまで何回でも撮り直したい。美しさを永遠に銀幕に閉じ込めるんだ」
ノアは独り言のように呟き、そっと自分の右頬をなぞる。そこにはくっきりと大きな切り傷が残っている。治療してくれたヤヨイには傷跡が残らないように治せると言われたが、明確な意思を持って拒否した。きっと人生を何度撮り直そうが、この傷を消すことはないだろう。
一方のヒデは変わらず絵画の男と睨めっこを続けていた。払拭しきれない違和感がその場にヒデを引き留める。しかし、いつまでもたかが絵ごときに固執しているわけにはいかない。この視線が気に入らないのなら自分の目の前から消してしまえばいいと、手近にあったガラスの破片の一つを手にする。手入れもされないままに割れてしまった飾り棚のガラスだろう。その光る破片でヒデは絵画を下から上へと切り裂いた。切り口に手をかけ、ビリビリと絵画の傷口を広げていくと、ぽっかりと地下へと続く階段が現れた。そこはコンクリートが打ちっぱなしになっているだけで、色彩豊かな装飾だらけの室内からは想像もできないほどに質素だった。
「ホントに、映画の舞台装置みたいな家だね」
ヒデの突然の行為とその結果に二重に驚いたノアはただぼそりとそう呟いただけだった。
懐中電灯を消したシドは率先して腰ほどもある段差をよじ登る。よく片手でこの高さを登れるものだと感心する。
シドはほのかに明るくなっているらせん階段の底を覗き込むと、拳銃を手にした。何かが起こり得るということなのだろう。ノア、ヒデと続き、未開の地へと足を踏み入れる。振り返って内側から絵画を見ると、うっすらと部屋が透けて見えていた。扉らしく取手も取り付けられており、内側から人間が出入りしているのは明白だった。どうにかすれば表からも開けることができたのだろう。ヒデは階段へと向き直る。こんな場所に人がいるとすれば、それは間違いなくこの館の主だ。ヒデはあの惨劇よりも家をこんな造りにした理由のほうが聞きたいものだと、音を立てないように一歩一歩踏みしめながら地下へと降りていった。
階段の終わりが近づくにつれ、徐々に人の声が聞こえてきた。複数人いる様子だ。単独犯だというシドの予想が外れたのかと耳を澄ませると、どうやらそれは肉声ではなく、ドラマや映画といった映像作品のようだった。
降り立った先は変わらず四方がコンクリートでできている無機質なだだっ広い正方形の部屋だった。壁にはめ込まれた大型スクリーンではこの館に吊るされていたのと同じような肉塊が映し出されている。
「これ……」
ノアが食い入るように放心状態でその画面を見つめる。大きく息を吸い込み、震えるようにゆっくり吐き出した。呼吸がわずかだが確実に荒くなり始める。
シドはスクリーンの正面にある一人掛けソファに座った男に銃口を向ける。男はリモコンで画面を消し、室内の電灯をつけた。
「ここまで来てしまったか」
ソファから立ち上がり振り返ったのは、美術館に展示されている彫刻かと見紛うような美しい紳士だった。年は四十歳前後であろうが、衰えることのない若々しさは輝きに満ち、年齢を微塵も感じさせない。
その顔を見るや否や、ノアが驚いたように声を上げる。
「く、国吉さん!?」
ノアはさっきまでと打って変わって、男の周りを「すごい! すごい!」と嬉しそうに飛び跳ねる。ヒデは、聞いたことがある名前だなと自分の記憶を探ってみる。しかし、そんな自問自答をするよりも早くノアが情報を教えてくれた。その男の正体が何であるかなど忘れてしまったかのように喜色満面の様子だ。
「元俳優の国吉規矩雄だよ! 『生者の墓標』って映画知らない? 今流れてたやつ! 国吉さんが主演で九作目まであるんだよ。本当は十作目もあったんだけど、撮影途中でお蔵入りしちゃって、それがきっかけで国吉さんも引退したって言われてる曰く付き」
シド向けの丁寧な説明口調でノアはまくし立てる。俳優も映画も興味のなかったヒデですら、その俳優名や作品名には覚えがある。巧みな心理戦と今までにない猟奇的な内容からカルト的人気を誇った、年齢制限がなされたホラーだかパニックだかの映画だ。
ヒデが意識を記憶の海に放り出している間もノアはとめどなく言葉を続けている。ここが普通の場所であれば、「好きな芸能人に偶然出くわしたファン」という微笑ましい光景ではあったが、それでは片付けることができなかった。どうしても男が手にした血のこびりついた鉈が目に入る。
男は自分を捕まえに来たであろう人間が予想外に喜びを爆発させている様子に困惑しているのか、ノアの動きを視線だけで追っている。
「それでね、国吉さんが引退しちゃってからも、僕は何回も何回も、墓標シリーズは、全部」
それまで息つく暇もなく矢継ぎ早に喋っていたノアが急に口をつぐむ。太陽のようだった笑顔は突如として陰りを見せ、そしてぽつりとつぶやいた。
「見せられた」
わなわなと手を震わせているのがヒデの場所からでも見えていた。うつむいたノアは嘲るような声を絞り出す。
「何回も、何回も、あんたが出てた猟奇的な映画、全部見せられた。おかげで、僕、こんなことになっちゃった」
ノアはくすくすと徐々に声を漏らし、遂には狂ったように笑い出した。
「鬼界睦夫って、ここにいたんだ」
「十作目が」
ファンを目の前にした国吉は鉈を撫でながら口を開いた。ノアの笑い声が不意にぴたりと止まり、表情を失った。
「十作目が陽の目を見ることがないと分かったとき、私は、いや、鬼界は絶望した。彼が目指した『美学』が完成する日は訪れない。最早私の心は鬼界と同化していた。私は国吉である時と鬼界である時の境界線がわからなくなっていた。『生者の墓標』は私の人生だった」
やっとよき理解者出会えたとでも言うようにノアに語り掛ける。それは演技をしているかのようで、いやに説得力があった。
「じゃあ、あの死体は十作目の演出、小道具ってこと?」
「いいや、違う。鬼界の心を理解してくれた同士を、言葉の通り一心同体にしてやったまでだ」
その言葉が含んだ意味に気づいたヒデは苦虫を嚙み潰したような顔になる。ノアが死体を見て放った言葉に「まさか」とその時は思っていたが、今はそれが本人の口から真実であると明かされてしまった。
国吉は恍惚とした表情で口を動かし続ける。
「この入り組んだ館は鬼界の複雑な心理を表している。素晴らしいと思わんかね。ここに来た人間は、鬼界の心を理解したがっているということに他ならない。ならば、その願いは叶えてやらねば」
ねじ曲がった独りよがりの思考を披露しながら、男は鉈を構える。この表情は鬼界のものなのか、国吉のものなのか、ヒデには判別ができなかった。




