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Blackish Dance  作者: ジュンち
39/227

39話 境界

非日常を、覆す。

 翌朝、まだヒデが布団で丸まっている時間にケイから無線が入った。毎日の深夜帰宅ですっかり生活リズムが狂ってしまったヒデはまだはっきりとしない頭を動かし始める。うっすら目を開けて窓の方を見てみると、遮光カーテンを閉めていてもわかるほどの晴天だった。

『今日、治持隊(チジタイ)が突入するぞ』

 ヒデはもぞもぞと体勢を変え、腑抜けた声で「わかりました」と返事をする。これで一か月以上に亘った潜入捜査も終わりかと思うと、店の人間との別れを寂しくも感じる。治持隊(チジタイ)が来るということは、その瞬間に店にいる全員が逮捕されるということだ。気さくに話しかけてくれた常連客や店員も、優しくしてくれた店長も、他愛ない会話をした川口も、誰もが日常を失ってしまうことに他ならない。違法な行為、違法な場所、もちろん逮捕されて然るべき人たちだが、それでも申し訳なく思う自分がいた。

治持隊(チジタイ)って誰が来るんだよ』

 同じく無線から聞こえてきたのは同じく寝起きのような声をしたヤンだった。

『レンジだ。それからイチも行かせる。店にあるすべての情報を持って来てもらう予定だ』

「わかりました」

『任せろ』

 ケイの言葉にそれぞれ返事をするも、ヒデは未だに布団だ。こんな状態でも任務のことを考えられるほど肝が据わってしまったのかと自分で自分に呆れる。

「レンジとイチは何時ごろ来ますか? 今日川口さんは十九時出勤だったと思いますけど」

『俺がとった統計によると、お前らの店で客が一番多いのは二十時から終電までの間だ。全員をしょっ引いて社会の浄化に貢献するなら二十一時ごろが妥当かと考えてる』

「レンジが来たら僕が一階の入り口とエレベーター動かせばいいんですね」

『その通りだ。店の前にはレンジが乗ってきた軍用車が停めてある。全員に手錠をかけたら店長だけ乗せてもらう。詳しくはその時に連絡する』

「わかりました」

『任せろ』

 二人は先ほどと同じ言葉を返し、無線を切った。

 ヒデはやっと布団から這い出し、日課の体操をする。しばらく一般人として生活していた分、いつもより入念に体を動かし、夜に備えた。そして清々しい気持ちでカーテンを開けて窓の外を見る。

「やっと帰れる」

 燦燦と降り注ぐ春の日差しをヒデは笑顔で見上げる。この狭い空とも今日でお別れだ。日光は入るものの、隣のアパートとの距離は近く、知ろうと思えば日常生活ぐらいすぐに覗き見できてしまうだろう。所狭しと立ち並ぶ建物など当たり前の景色だったのに、建物と建物の隙間から見える狭い青空しか知らなかったのに、それが今は息苦しく感じる。

 ふと、花見をしながらアレンが言っていた言葉を思い出した。

「人間に傷つけられた心は、人間には治せないんですよ」

 確かにそうだなと、堅洲村(カタスムラ)の大自然に思いを馳せた。都会で育った自分にとって、きっとそこは苦しい場所だったのだろう。都会も人混みも好きだと思いこむことで安心していたのだろう。

 今では自分を騙す必要もない。

『そうそう』

 無線から再びケイの声が聞こえた。

『アレンがご馳走作って待ってるとよ』

「帰る場所があるって、嬉しいですね」

 ヒデは一体今日はどんな一日になるだろうかと目を細めた。


 夜八時、ヒデはいつも通りの表情で客の元へと薬物入りの酒を運ぶ。今となっては一体何人の客が自分のせいで麻薬中毒者になってしまったのだろうかと考えることもなくなった。「任務を遂行する上では多少の犠牲はつきものだ」とケイに諭された初日が今は遠い過去のように思える。

 自分の任務は常連客として通っていたルキやヤンを薬入りの飲食物から守ること。店員から蜉蒼(フソウ)の情報を聞き出すこと。そして、今から行われる闇賭博の取り締まりをすること。それだけだ。

 麻薬の出どころは別の誘が捜査していることだろう。ヒデが中毒者にしてしまった人間もこの任務が終われば問答無用で「適切な治療」が施されることになっているらしい。ケイが言うなら本当なのだろうが、一般的な治療だとは到底思えなかった。しかし、自分には関係のないことだと頭の中から消し去った。

 ヒデは酒を客の手元に置くと、ぐるりと室内を見回した。安っぽい赤じゅうたんも照明もあと数時間、早ければ数十分でお別れだ。気が付けばここで黒服をして一か月も経ってしまった。高校生として学校に通っていた期間と同じだなと、思わず口元が緩んだ。今となっては覚えていないクラスメイトや部活の面々よりも、この店の常連の方が身近な存在に感じられる。日常とはこうも不思議なものなのかと、昨晩ケイと話した「まともな人生」を思い返す。

秋也(トキヤ)くん! あっちの遊技台で注文取って来て!」

 川口が忙しそうに料理を運びながら指示を出す。ヒデは元気よく返事をして客の元へ向かう。ヒデに早口で伝える客は顔も名前も見知った常連だ。「生殺与奪の権を握る」とまではいかないが、それでもここにいる全員の今後の人生を左右するのは自分自身なのだと、普段は見ることもない客の顔をまじまじと見る。しかし当の本人はカードゲームに夢中で、そんなヒデの視線に気づくことはなかった。今までもこれからも、自分は気付かれないように他人の人生を動かしていくんだろうなとふと思った。

 それなら、自分の人生は一体誰に動かされているのだろうか。

 ヒデはそんな疑問を打ち消すように軽く頭を横に振った。答えの出ない問題は考えないに越したことはないだろう。それがこの裏の社会で生きるのには必要な能力のように思えた。そんなことよりも今受けた注文を取りに行こうと台所へと向かった。

 一方、ヤンは今日も従業員控室で暇をつぶしていた。この後の「店を相手にした」タタキのために体力を温存しておこうと、いつも以上にだらりといすに座っていた。結局タタキとして働いたのは二回だけだったなと自分の存在意義を嘲笑する。

「いや、俺の存在意義は今からか」

 時計を見るともう二十一時近くなっていた。もうすぐケイから無線が来るだろうと、立ち上がり屈伸をする。

 口うるさい宿家親(オヤ)のゴハから離れられる潜入捜査は好きなことは好きだが、それでもくだらないことで言い争いをしては殴り合いの喧嘩をする相手がいないというのも恋しくなる瞬間がある。この任務が終われば勝てるようになっているだろうか。この数日の間にゴハは一体どれだけ強くなっているのだろうか。自分がゴハに勝てる日は来るのだろうか。日が経つにつれ、そんなことを考える時間が増えていった。暇な時間は人を哲学者にするんだなとヤンは思考を辞め、気合を入れて両手で頬を叩いた。今は目の前に迫った任務を遂行するだけだ。


 そしてその時は訪れた。

『レンジとイチが間もなく到着する。イチはそのまま事務所に直行し、データを奪取してもらう。何度も言うがイチは非戦闘員だ。是が非でも死守しろ。以上だ』

 ヒデは無線を聞くと、すぐさま川口に声をかけた。

「川口さん、ちょっとすみません。僕店長に話があるんで、しばらく店任せてもいいですか?」

「わかった! 客入りも落ち着いたし、ゆっくり話して来てくれて大丈夫だよ」

 川口は笑顔で答える。出会う時期も場所も違えば友達になれていたのだろうかと、ヒデはこの瞬間を限りに二度と会話することもないであろう同僚を横目で見納めた。

 事務所の前にはヤンがいた。無言でうなずき合うと、ヒデはドアをノックした。

「店長、安野(ヤスノ)です。ちょっといいですか?」

 ヒデは努めて明るく、いつも通り引きこもっている店長に声をかける。すぐさま「どうぞ」と辛うじて聞こえる返事がした。薄暗い室内に入ると、パソコンの前に座っている店長が「どうしましたか?」と不思議そうにヒデに顔を向ける。

「僕、今日でこの店辞めようと思って」

 ヒデは前置きもなく、笑顔で退職の意を伝える。退職も何も、今日でこの店自体終わるのになとヒデは自分の発言に滑稽さを感じた。しかし、店長は「そ、そんな、困りますよ」と思った通り慌てた様子で返事をした。

「もっと割のいいアルバイト見つけちゃったんで、申し訳ないですけど辞めます」

安野(ヤスノ)くん、そんな」

 店長は立ち上がり、おろおろとヒデに近づいてくる。

「店長、ごめんなさい」

 そう言うと、ヒデは店長の胸倉を掴んで引き寄せ、そのまま勢いよく机に頭を叩きつけた。間髪入れずに気弱な男の腕を背中に回し、身動きが取れないよう固定する。頭を打った衝撃で店長は低いうめき声を出した。

「や、安野(ヤスノ)、くん」

 状況が呑み込めていない店長は眼球だけを動かしてヒデを見遣るも、ヒデは目を合わせたまま無言を貫く。

 ドアの前で監視役をしていたヤンが物音で事の成り行きを察知したように事務所に入って来た。どこから見つけたのか、その手には延長コードが握られている。藁にもすがる思いで店長は必死にヤンに助けを求める。

「藤代さん」

 しかし、「助けて」と続ける間もなく、アルバイトの安野(ヤスノ)と用心棒の藤代の関係性を理解させられることになった。

「俺が縛っといてやる。安野(ヤスノ)は開錠を頼む」

「了解」

 ヒデは店長をヤンに引き渡し、事務所のパソコンを操作する。一階のドアやエレベーターを制御するための暗証番号や操作方法は自分が設置した盗聴器とカメラで確認済みだ。違法なことをしている割にはセキュリティ対策が緩いものだなとケイが耳元でぼやいている。

「あ、あなたたちは、一体」

「俺たちはお前が金を借りた『ヤクザ以上の何か』を追う人間だ。お前には悪いが、この店にはつぶれてもらう」

「そう、ですか」

 後ろ手に椅子に縛られた店長はなぜか安心したような表情になる。好きでこの生活をしていたのではないということが二人にはよく伝わった。

「開錠しました。すぐに治持隊(チジタイ)が来ます。加賀谷さん。申し訳ないですけど、『店長』という役割を全うしてもらいます」

「わかりました」

 間もなくすると「帝国軍治安維持部隊だ! 全員その場を動くな!」とレンジの声が店の方から聞こえてきた。ヤンは「じゃあな」と手を振り事務所を後にし、それとほとんど入れ違いにイチが入室する。私服以外を着ているイチは初めてでヒデには新鮮に見えた。

[帝国軍治安維持部隊です。現時刻を以ってこの店の権利は我々が所有します。加賀谷俊樹、あなたには全てを自白してもらいます。拒否権はありません]

 既死軍(キシグン)の面々には聞き慣れたイチの電子合成音に店長は多少驚いた表情をしつつも、その指示には素直に従った。イチはパソコンの前に座り、カタカタとキーボードを叩き始める。

安野(ヤスノ)さん、あとは僕に任せてください。この人も縛られていては何もできないでしょう]

「わかった。何かあれば連絡して」

[了解しました]

 ヒデは部屋を出ようとするも、一旦足を止め店長に最後の一瞥をくれる。

「加賀谷さん、あの、今言うことじゃないのはわかってるんですが、もう会うこともないので言っておきます」

 店長は最後に惜別の言葉でもかけてくれるのかと、日々笑顔で店に貢献してくれたアルバイトの青年を見上げる。

「加賀谷さんは店長としては優しい人でした。でも、これからの人生、幸せになれるなんて思わないほうがいいです。それから」

 一瞬明るい顔をした男は、それが前置きであることに落胆の表情を見せた。しかし、それもすぐに落胆から自責の念へと変わることとなった。

「勘違いしないでください。あなたは人を不幸にしてきた側の人間、加害者です。僕に言わせれば、加賀谷さんはただのクズです」

 ヒデは初めて見せる無表情で男を見下す。男がこんな事態に巻き込まれているのは他でもなく自分自身が蒔いた種だ。家族よりも自分の愉悦を優先した結果の自業自得だ。そんな侮蔑の表情ですらあった。ヒデはそのまま振り返ることなく事務所を後する。薄暗い背後からはかすかに嗚咽が聞こえた。

 賭博場の方では店員と客を合わせて三十人ほどがいた。数人は怯えている様子で部屋の隅で震えあがっている。その中には川口もいた。しかし、治持隊(チジタイ)相手に果敢にも勝負を挑んでくる血気盛んな男たちもいる。ヤンとレンジは相手を傷つけないように反撃するのはいささか骨が折れるようで、いつもよりも苦戦しているように見えた。

「おせーよ。もうすぐ終わっちまうぞ」

 うつ伏せになった男に馬乗りになりながらヤンは手錠をかける。その間もイスを振り上げてヤンに襲い掛かろうとする男をレンジが蹴り飛ばしていた。

「藤代さんならもうとっくに終わってるかと思いましたけどね」

 ヒデは悪態をつきながら加勢する。男たちの中にはヤンが来るまではタタキを担っていた、一般人にしては腕の立つ人間もいた。それでもやはり既死軍(キシグン)には敵うはずもなかった。ただのフリーターだと思っていた安野(ヤスノ) 秋也(トキヤ)という青年に蹴り飛ばされた常連客は目を白黒させる。

「実は僕も強いんですよ」

 ヒデはこの一か月ですっかり板についた営業用の笑顔を作りながら黒いベストを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めた。

「覚悟してください」


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