35話 ペテン師
正直者に、馬鹿を見せろ。
春うらら、そんな言葉がぴったりなある日の昼、誘は久し振りに全員が会議場に集められていた。近況報告と任務の選抜があるとのことだった。
「お前たちのおかげで蜉蒼の資金源の一つがわかった。闇賭場だ」
珍しく笑顔を見せるケイに誘たちは自分たちの地道な任務が実を結んだことを知る。恐らく情報源は先日シドとヒデが捕まえた大久保からだろう。一体どんな方法を使って情報を得たのかはヒデにとっては未だに考えるだけで恐ろしいことだった。死体処理をする「堕貔」という役職があるからには、きっと尋問を担当する役職もあるに違いないと、今も尚はっきりとしない既死軍の組織図をぼんやりと想像してみた。
「お察しの通り、潜入捜査をしてもらう。ただし、表であれ裏であれ、賭博場は十八歳未満入場禁止だ。よって、見た目が十八歳以上のやつに限る。そういうことでキョウとチャコは除外な」
名指しされたチャコはすぐさま不満げな声を上げる。
「何でや! 見えるやろ! 絶対ヒデの方が年下やぞ!」
突然巻き込まれたヒデは「同い年ぐらいだと思うけど」と小声で反論する。
「まぁ、ヒデは背高いしな」
「チクショー!」
とぼけた顔でケイに苦情を受け流されたチャコは幼稚な叫び声をあげてその場に寝転ぶ。しかし、横に座っていたキョウによしよしと頭を撫でられてしまい、結局は己の大人げなさを嘆くはめになった。
そんな様子を一瞬ふっと笑ったケイは話を本筋へと戻す。
「武器類、というか私物の持ち込み自体が禁止されてるから、求めるのは素手でも強いやつだ。それからこれは自己申告で構わんが、手先が器用なほうがいい」
「賭博なら運の強さもいるんじゃないか?」
そう指摘したのは任務に出る気がなさそうなジュダイだった。隣に座っているレンジ、ジライと何かを話しては笑いあっている。
「あんな場所に運は必要ない。必要なのは、ここだ」
ケイは指で頭をとんとんと叩く。
「事前に賭博の知識も勉強してもらう。最強のペテン師に成りすませるだけの脳ミソが欲しい」
数時間後、ケイはヤンの部屋で文机を挟んで向かい合って座っていた。すっかり冷めきった湯飲みが時間の経過を物語る。机にはトランプが数枚めくられた状態で乱雑に置かれている。
「というのがこの博打の基本的なルールだ。練習ならイチがいつでもしてくれる」
ケイはばらばらになったカードをまとめながら一息つく。金銭を伴う賭け事とは無縁の人生を送ってきたが、付け焼刃な知識でも何とか形にはなったようだった。あとはヤンの頭の良さと精神の強さに賭けるだけだ。
一通りのルール説明を受けたヤンは口をぽかんと開けて瞬きを繰り返している。
「こ、こんなくだらない絵札遊びに金を賭けるのか!? 何百万も!?」
「驚くなかれ、一晩での負けの史上最高額は四十億だ」
個人が使うには気の遠くなるような数字に、自分の発言であるにもかかわらずケイは乾いた笑みを浮かべる。
「バカじゃねぇの!?」
「景気が悪ければ悪いほど賭博は盛り上がる。金持ちは見せつけるように金を使う。底辺のやつらには夢の一攫千金、一発逆転だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってな」
「貧乏人は虎子を得たところで使い道もわからねぇくせにな」
「お前には貧乏人の気持ちなんて一生わからんだろうよ。金に何ら……」
そこまで言いかけてケイは咄嗟に口をつぐんだ。今まで自分を見ていたヤンの視線が不機嫌そうに外れる。
「悪かったよ」
「確かに俺は恵まれていた。それは否定しない。たった数か月の苦痛しか知らない。他のやつらみたいに何年も、何十年も耐えたわけじゃない」
ヤンは更に眉間にしわを寄せる。人間が見せる「その表情」はいつも同じだ。取り繕ったところで綺麗事にしかならないことはわかっていた。しかし、それでもケイは言葉を返す。
「苦しみに優劣はない」
「同情ならいらねえよ」
ヤンは文机に頬杖をつき、遠い目で縁側の向こうに広がる青空を見つめる。
「俺は傷の舐め合いをするためにここにいるんじゃない」
「それだけ憎まれ口叩けるなら慰める必要もなかったな」
ケイは鼻で笑うと立ち上がり、縁側から庭に降りた。
「お前の博打の才能に期待してるよ。負け犬たちで築いた屍山の上に立つのは、お前一人で十分だ」
数日後、イチから徹底的にゲームの流れや駆け引きの方法、賭博場での立ち居振る舞いを叩きこまれたヤンは一人移動器に乗っていた。今日から数日は既死軍が用意した家と身分で一人暮らしだ。与えられたのは「親の莫大な遺産で悠々自適な生活をする藤代風斗」という青年の身分だった。ヤンは自虐的な笑みをこぼし、これから始まる既死軍とはかけ離れた一般人の生活を想像する。
『そう言えばヤンに一つ大事なことを言い忘れてたんだが』
もうすぐ目的地に着こうかという時、ケイから突然無線が入った。
「何だよ。どうせくだらない事だろ」
『なんとこの任務、初日はルキと一緒に行動してもらう』
ケイがたまに見せるいたずらっぽい顔が頭に浮かび、ヤンははっきり聞こえるようにため息をついた。
「確信犯だろ」
『ご明察』
しばらくの無言がヤンのいらつきを物語っている。ケイは笑いながら言葉を続けた。
『一か月ぐらい前からルキには賭博場に客として通ってもらってる。勝つ日もあるが、ざっと五百万は負けてるかな』
「それって多いのか? 少ないのか?」
ヤンは呆れながら窓枠に頬杖をつく。既死軍にいる限り金とは無縁な生活だ。賭博場で日々一体どれほどの金が動いているかなど知る由もない。
『一か月で五十万負けるやつもいれば、たった一勝負で一千万負けるやつもいる。俺も負けの相場は知らんが、まぁまぁいいカモしてくれてるな』
「わざと負けるように言ってるんだろ」
『驚いたことにルキには賭博の才能はないらしい。俺は負けろなんて一つも指示してないんだがな』
ヤンは声を上げて笑う。いくら負けようが本人にとっては何の痛手もないことは十分承知していたが、それでもルキが負けているというのは小気味よかった。
『しかし、ルキが使ったのは既死軍の大事な大事なお財布から出てる金だ。是が非でも回収してくれ』
「言われなくてもそうするよ」
負けているルキが見られるなら任務を共にするのも悪くないと口角を上げたまま返事をした。
真っ暗な地下から真っ暗な地上へ、そしてケイに指示されるがまま電車に乗り、有名な高級住宅街へやって来た。深夜近いこともあり、街並みはひっそりとしている。しばらく歩くと、仰々しい名前を冠した、見上げるのも億劫になるタワーマンションにたどり着いた。外から見える一階のエントランスはガラス張りで、これ見よがしな照明がキラキラと反射しながら輝いていた。
事前に渡されていたカードキーでオートロックを開ける。日中は管理人がいるであろうフロントを通り、エレベーターで藤代風斗が住む二十三階へと向かった。ガチャリとドアを開けると「いらっしゃ~い!」と聞き慣れた不愉快な声が聞こえてきた。
「玄関で待ち構えてるとは、相当暇なんだな」
「来るの楽しみにしてたのにひどいじゃん~」
ヤンは靴を脱ぎながらいつも通りへらへらと笑うルキをやり過ごす。玄関から順番に各部屋を覗きつつ、廊下の先に続くリビングへと向かった。どこも必要最小限の家具家電が置かれただけの殺風景で無機質な空間だ。一人か二人暮らしがちょうどの広さになっている。
ヤンがソファに座り「ルキは」と言うと、眼前に免許証を突き付けられた。
「今は神名川春彦だよ~」
目の前にちらつく免許証を鬱陶しそうにしっしと払う。ルキは隣に我が物で座り、ポケットからもう一枚カードを取り出す。
「そんな大層な名前なのか? 今回は」
「もう偽名の引き出しなくてさぁ~」
「いっそのこと本名使えよ」
「そんなの忘れちゃった~。ルキさんはルキさんだもん」
出会ってもう五年にはなるだろう。しかし、ヤンは未だにルキの本名を知らない。かと言って知りたいわけでもないが、一方的に自分の名前だけ知られているのはいささか不公平に感じるときもある。
「それと、これは風斗の分」
「偽名でも気安く呼ぶな、バカ」
ルキは手にしていた身分証明書を手渡す。記載情報全てが嘘に塗れたカードだ。顔写真すら人工知能が作り出したヤンによく似た別人の顔になっている。
「さてさて、ケイから一通りは聞いてると思うけど~」
腑抜けた表情から一転、もっともらしい顔つきを作る。
「明日だけは俺と一緒に行動してもらう」
「役作りとは言え、お前が『俺』って言うのも、その喋り方も気持ち悪いな」
「仕方ないだろ。練習しないと素が出るんだから。俺だって好きでやってるわけじゃない」
「いつもの喋り方の方がいいけどな」
「え~? そんなにいつもの俺の方が好き~?」
「バカにはバカの喋り方がお似合いってだけだよ」
「ひどい言い草だな、風斗は」
ルキはけらけらと笑い、任務の詳細説明を始める。
「賭博場は数か月に一回場所を変えているらしいが、当面変わる気配はなさそうだ。俺の設定は賭博依存症で無職、無一文。軍資金は金持ちの友達、つまり風斗に借りてるていで通 ってる」
「任務とは言え、お前と友達ごっこをする日が来るとはな」
「まあまあそう言うな。明日は店のやつにお前を連れて行くって約束をしてる。俺が一か月頑張って築き上げた店との信頼関係、風斗に託すよ」
「信頼関係っていうか、ただのカモだろ」
「カモがネギを背負ってくると思ってるだろうな」
「ネギになるつもりはさらさらねぇよ」
ルキは窓際に移動し、ガラスの向こうに広がる夜景を眺めた。こんな時間でもまだ誰かが電気をつけて生活をしていることを不思議に思う。自分の終の棲家になるであろう探偵事務所から見える景色は人っ子一人いない、昼でも薄暗い町並みだ。自分にもこんな明るい世界で生きられる人生があったのだろうかと過去を顧みる。
「それじゃ、俺は神名川春彦の住んでる安アパートに帰るよ。短期とはいえ、こんな高級住宅に住める風斗が羨ましいな」
「俺にとっては不愉快な空間だ。こんな身分、何も嬉しくない」
ヤンは今回の設定に不満があるのか、いつにもまして不機嫌そうにそっぽを向いている。ルキはふっと笑い、「そうだったな」と残して家を出た。
翌日、ヤンは指定された繁華街にほど近い、定番の待ち合わせ場所でルキを待っていた。今から賭場へ行くにしては普通の服装だ。正式な賭場では服装規定があるのが普通だが、闇賭場では特に決まりはないらしい。いつもは一つにまとめている前髪も今日は横に流し、一般人に溶け込んでいる。
こんな人混みは久しぶりだった。目の前を通り過ぎる人々は一様に春色の服をまとい、幸せそうな顔をしている。かつては自分も同じような表情をしていたのだろうかと、友達同士でふざけあう少年たちを無表情のまま目で追う。
「待たせたな、風斗」
声がする方を見ると、そこにはくたくたのシャツを着たルキが立っていた。その様子はいかにもまともな生活を送っていなさそうな風貌だ。
「待たせるとはいい度胸だな」
「準備に手間取っちゃってさ~、困っちゃうよ、な」
うっかりといつもの間延びした話し方を自制しつつ、ルキは歩き出す。繁華街を通り抜け、だんだんと人波がまばらになっていく。町並みは有名なデパートや大規模商業施設から、雑然と立ち並ぶ雑居ビルへと変わる。ルキは友達と話すようにペラペラと賭博に関する世間話を続け、はたからは立派な賭博狂い、依存症に見えた。
ヤンはただ右から左へとルキの言葉を聞き流し、繰り返しイチと練習したカードゲームを脳内で再現する。一人での潜入捜査は久しぶりだ。任務の成功、失敗が全て自分の行動にかかっているかと思うと胸が高鳴る。こんな事に心躍らせているようでは、自分もやはり常人ではないのだろうなと隣で得意げに話を続ける友達役を見た。
「ここだ」
ルキが足を止めたのはどこにでもある雑然ビルで、どの階にも夜だけ営業しているような酒場や飲食店が入店している。
「ここの三階。あの監視カメラの方を向くと顔を確認される。開錠されてやっとエレベーターに乗れる。エレベーター自体も店側が操作しないと賭博場のある階には停まらない。店の入り口では毎回身分証の確認とボディチェック、それから私物は入り口のロッカーに預けさせられる。鉄の扉を二枚通った先が賭博場になってる」
そう説明しながらルキは天井の監視カメラに顔を向ける。それとほとんど同時にエレベーターの扉が開く。乗り込んだヤンは試しに他の階のボタンを押してみるも、まったく反応しない。どうやら本当に店側で制御されているようだ。
軽快な音を立ててエレベーターが三階に止まる。扉が開こうかというその瞬間、ルキがニヤリと笑った。
「さて、稀代のペテン師に帝国の未来を賭けようか」




