34話 同病相憐れむ
明日ありと、思う心の仇桜。
風が木々を揺らし、桜吹雪が視界を埋め尽くす。自室から見える木々は桜だったのだと初めて知ったのは数週間前、つぼみが膨らみ始めた三月も下旬になったころだった。今は満開も終わりに近づき、雨でも降ろうものならあっさりと散ってしまう状態だ。
ヒデとアレンは縁側に座り、いつもより一品多い昼食で豪勢に花見と決め込んでいた。
枝ではスズメが花をついばみ、そのまま地面に落とす。この可愛らしい動作はアレン曰く花の蜜を吸っているとのことだった。
「花より団子とは、生き物の本能なのでしょうね」
アレンはふふと笑う。
「僕はどっちも大事ですよ」
ヒデもほんのり桜色をしたおにぎりを頬張りながらスズメを見上げる。桜の塩漬けが乗せられたおにぎりからはふわりと春の香りがする。満開になる前にアレンと一緒に摘み取った花びらの塩漬けだ。何でも作れるんだなと料理上手の宿家親と暮らせる幸せを噛み締める。
花見をしようと言い出したのはヒデだった。ただ桜を見ながら食事をするという、人生に於いて何の意味もなさないような行動がなぜか今の自分には必要な気がしたからだ。
「初めてのお花見はどうですか?」
「具体的に何をするってわけじゃないですけど、楽しいです。あときれいで、おいしいです。帝国の人間の感性って風流ですね」
ヒデは梅酢でピンク色に染め上げられたレンコンを箸で持ち上げる。料理とはこうも美しくできるものなのか。
「お花見というのは古くは貴族の文化だったそうです。貴族から武士、そして庶民へと広く親しまれるようになったのは、この心かき乱されるような美しさ、そして散ってしまう儚さのおかげでしょうね」
アレンは淹れたての湯呑みを湯たんぽ代わりに手を暖めている。春とは言え、桜の季節は日中でもまだ肌寒いものだ。
「在原業平が詠んだ和歌の中に『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』というものがあるんですが、知っていますか?」
ヒデは確かに受けていた古典や帝国史の授業の記憶を手繰ってみる。名前は確かに聞いたことがあるが、何を成した人かはすっかり忘れてしまっていた。これで一年前まで高校生だったとはなと笑いがこみ上げる。
「もしこの世にまったく桜がなければ、人々は桜が咲いたのか、散ったのかなど思い煩うことなく心穏やかに過ごせるのに、という意味の歌です。昔の人も我々と同じく桜に一喜一憂していたのかと思うと、人間の根本的なものは変わらないのだと思えます」
「自然を愛でることができるのって、心に余裕があって豊かな証拠ですよね」
ヒデも湯呑みを手に取り、口をつける。体中に広がる温かさを感じながら一息ついた。
「僕はここに来るまで、季節の移ろいなんて生活の主役じゃありませんでした。でもここに来てからは、ちゃんと見て、ちゃんときれいだなって思うんです」
「ヒデ君の心がだんだん豊かになってきている証拠ですね」
アレンは急須からヒデと自分にお茶を淹れながら顔をほころばせる。長い髪が顔にかかり、アレンはそれを耳にかける。
「人間に傷つけられた心は、人間には治せないんですよ。きっと」
ヒデは過去を振り返るように空を仰ぐ。容易にはほどけない感情とは裏腹に、胸がすくような青空がどこまでも続いている。
自分を傷つけた人間とは、結局誰だったのだろうか。元の傷が見えなくなるぐらいまで抉ってしまえば救われると思っていた。全ては自分が生きている限り続く罰なのだと、境遇を甘んじて受け入れていた。
しかし、罰のきっかけとは、自分の罪とは一体何だったのだろうか。
「アレンさんは、阿清秀の人生、どう思いますか」
「残念ですが、私にはわかりません」
アレンは少しだけ首を振る。
「私が知ったら、きっと同情してしまいます。可哀想でしたね、辛かったですねって。でも、それはヒデ君にとって何の利益もないことです」
「そう、ですか」
「ヒデ君が今、笑ってくれていれば私はそれで幸せです。宿家親とは、そういうものですよ」
そう言うとアレンは立ち上がり、空になった食器を持って台所の方へと入っていった。アレンが本当の親ならどれほどよかっただろうとヒデはその背中を恨めしそうに見つめる。同じ「オヤ」という言葉ではあるが、それらが内包する意味には大きな隔たりがあることはよくわかっていた。
死んでから人に愛されるとは、人生はままならないものだなとヒデは踏み石に脱ぎっぱなしにしていた草履をつっかける。気分転換に散歩でもしようと一人縁側から庭を通り、村の大通りへ出た。
どこに視線を向けても必ずと言っていいほど桜が視界に入る。緑の中に映える華やかな色合いを趣のある景色だと思いながら歩いていると、そんな雅な気持ちを吹き飛ばすような怒号がどこからともなく聞こえてきた。
聞き慣れた声の方へ進むと、そこは思った通りゴハとヤンの宿だった。どうやら室内にいることはいるらしいが、障子が開け放たれた状態では外まで声が丸聞こえだった。
「オラァ! かかって来いよ未成年!」
「なんだとジジイ!」
もはや通りすがりにも何度か聞いたことのある煽り文句だった。見た目では兄弟と言ってもいいほどの年の差であるにも関わらず、毎回「未成年」と「ジジイ」という言葉で誹り合いをしている。
「今日から十日間の庭掃除と飯当番賭けて勝負だ!」
「洗濯も追加な」
「自分の首絞めるだけだぞ、バーカ」
ヒデが垣根から顔をのぞかせると、ゴハが今時だれも使わないような幼稚な言葉と共に自分の胸倉を掴むヤンを突き飛ばしたところだった。気の短いヤンはそれに応えるように部屋の隅に置かれている木刀を手に取って投げつける。二人は着流しに裸足のまま縁側から庭に降り、間合いを取ってにらみ合った。
「現役の誘舐めんなよ、ゴハ」
「お前こそ。俺と喧嘩して勝ったことねぇくせに」
息もぴったりに二人は木刀を構える。比較的年の近いゴハとヤンは既死軍の中でもよく喧嘩をしている宿家親と誘だ。もはや習慣、趣味みたいなものだろう。自分がアレンと優雅に花見をしている近所ではこんな争いが行われていたのかとヒデは苦笑いする。
ふと自分たちを眺める観客に気が付いたヤンはゴハを制止し、話しかける。
「丁度いいとこに来たな。審判してくれよ」
「やだよ。ていうか何でそんな決闘してるの?」
「何でだっけ、ゴハ」
「覚えてねぇけど俺はお前を叩きのめす!」
不意を突いてゴハが木刀を振り下ろした。咄嗟に避けたヤンはふらりとよろめき、後ずさる。
「汚いぞ!」
「戦場でもそんな説教垂れるのか?」
ヤンはすぐさま姿勢を立て直し、ゴハに切りかかった。木刀がぶつかり合う音が続けざまに響く。二人の表情は遊び半分でやっているとは思えないほど鬼気迫るものがあった。本気で殺し合っているのではないかとさえ思える。
息を上げるヤンに対してゴハはまだまだ余裕の態度を見せる。誘の中でもヤンはシドと双璧を成す実力者だ。しかし、本来の得物ではない木刀では満足に戦えないのか、単純にゴハが強いのか、ヒデから見てもヤンは押され気味だった。
鍔迫り合いの状態になり、ゴハとヤンはにらみ合う。対峙する二人の間には火花が散っているようにすら見える。歯を食いしばり、少しでも押し返そうと奮闘するヤンにゴハは目を細める。
「今日の晩飯は生姜焼きでよろしくな!」
ゴハは瞬く間に一歩引き、決着の一撃を振り下ろした。ヤンは刀身で受け止めはしたものの、電流が走ったような衝撃に思わず木刀を落とし、膝をついてしまった。
ヤンを見下ろしたゴハは快哉を叫ぶように笑う。
「お掃除、お料理にお洗濯だなんて、ヤンは働き者だな!」
「次は負けねぇよ」
「寝言は寝て言え」
涼しい顔でそう一蹴すると、ゴハは縁側から室内へと戻っていった。遠くから「足跡も拭いとけよ!」と声が飛ぶ。
ヤンは悔しそうに木刀を拾い上げ、膝についた砂を払う。ゴハがいなくなったのをきょろきょろと確認すると、ばつが悪そうな顔で「やっぱり、宿家親には敵わないな」と笑った。
「で、お前は何してんだよ。散歩か?」
「うん。さっきまでアレンさんと宿でお花見してたから他の桜でもついでに見ようかなって」
「お前とアレンさんみたいな仲良しが羨ましいな」
「ヤンたちも仲良さそうに見えるけど」
「俺二、三回骨折させられてるんだけど、それでもか?」
ヤンはあっけらかんと笑う。きっと相当な回数戦っては負け続けているのだろう。
毎度話を聞くたびに喧嘩の原因はくだらないことだったと記憶している。しかし、内容はどうであれ本音でのぶつかり合いとはああも殺気を放ち輝くものなのかと、胸が熱くなるのを感じた。
「ねぇ、ヤン。聞きたいことがあるんだけど」
「なんだよ」
「まじめな話、してもいい?」
「内容による」
顎から滴りそうになる汗を袖で拭いながらヤンは怪訝な顔をする。こんな世界では疑問も思考も放棄した方が生きやすいはずなのに、自分を見つめる目の前の人間は常に何かを思い悩んでいるらしかった。
「親って、なんだと思う?」
「どっちのオヤだよ」
真剣な表情をするヒデとは対照的に、ヤンはバカにしたように「面白くねぇ質問だな」と鼻で笑った。
「俺たちにはそんな高尚な哲学をやってる時間はない」
「ヤンは、死ぬ前の自分のこと、どう思ってるの」
「何かあったのか、お前」
矢継ぎ早に質問をするヒデをヤンは不思議そうに見る。
「そういうわけじゃないけど」
ヒデはうつむき、口ごもった。一番話を聞いてくれそうな誘だと思っていたヤンでも過去のこととなると急に口が重くなる。やはり既死軍の人間にとって過去と今は全く別の人生なのだろう。
「前も言っただろ。俺のことそんなに知りたいなら、死ぬ前にでも教えてやるよ」
「死ぬって、僕が?」
「別に俺でもいいけど」
「ヤンは死なないよ。強いもん」
「お世辞はもっとうまく使うもんだぞ、下手くそ」
ゴハとの負け戦を見られたことを意外と気にしているのか、呆れたようにため息をつく。
「ただ、どうしても知りたいって言うなら、そうだな、今お前に言えるのはたった一言だ」
ヤンは沈黙し、過去の一瞬を脳内で切り取った。それはヤンにとって今でも容易に思い出せる場面だった。目を閉じれば眼前に広がるその光景を寸分違わず、一言一句間違えず再生できる。きっと自分が死ぬ直前に思い出す、走馬灯のクライマックスだろう。今でも悪夢として夢に見る。今でも最期の声が聞こえる。
自分には誰も救うことなどできない。そう思い込むことで、取り返しのつかない罪を赦されようとでも言うのだろうか。
ヤンはその視線をヒデから遠い世界に投げた。
「あんな人間、死んで当然だ」




