31話 信奉
思想と、教育。
大久保は突然の停電にも落ち着いた様子で「さっきのトラブルとやらが原因か?」と消灯した天井を見上げている。通常、人間の目が闇に順応するには五分はかかり、完全に物が見えるようになるには三十分は必要だと言われている。しかし、シドには大久保のすべての行動が既にはっきりと見えていた。
「石田、本部に電話連絡を」
盲目状態のまま大久保は指示を出す。そんな軍人の真正面からシドは手を掴み、腕を逆方向にひねり上げる。予期せぬ出来事にさすがの軍人も鈍い呻き声を出した。大久保は勢いのまま膝をつき、うつ伏せに倒れ込む。
まだ目が慣れないヒデは薄暗い視界を頼りに二人の方へ廊下を走り抜ける。だんだんと荒い息遣いが近づいてくる。あと少しというところで非常用電源が稼働し始めた。一瞬明るさにひるんだヒデが足を止めると、その眼前には馬乗りになっているシドと、左手に軍刀を突き立てられている大久保の姿があった。ブーツの腱に当たる部分はぱっくりと切り裂かれ、そこからはどくどくととめどなく血が流れ出ている。
「もう一人、いたのか」
大久保は苦痛を浮かべた顔に脂汗を流しながらも吐き出すように声を絞り出す。
「何人いようが、蜉蒼にお前たちは敵わない」
そのことばにヒデは視線を合わせるようにしゃがみ、銃口をこめかみに突きつける。自分が蜉蒼と関係があると自白したところを見ると、シドと何か会話がなされたのだろう。
「月並みな捨て台詞はやめた方がいいと思います」
「お前たちは正義の味方でも何でもない。誰も救えない」
自分で「月並みな捨て台詞」と揶揄しておきながらも、大久保のことばに怒りがこみ上げてくる。既死軍が正義の味方ではないのはその通りだろう。しかし、少なくとも自分は既死軍に救われたと思っているヒデにとって、ただ意味もなく無差別テロを繰り返す蜉蒼と比べられるのは心外だった。
怒りでガタガタと震える銃口を見たシドは空いた手で警棒を持ち、男の頭を殴りつけた。ふっと男の全身から力が抜け、頭がごとりと床に落ちる。どうやら気絶したらしい。
「ケイ、後始末は任せる。爆発物は俺が預かった。これから地下へ向かう」
『了解した』
シドは立ち上がり、軍刀を鞘に納める。軍帽をかぶり直すと、大久保が持つ軍刀や拳銃を次々と取り上げていく。ヒデはそんな様子を唇を噛んでただ見つめていた。
「安易に挑発に乗るべきではない」
「シドは悔しくないの? あんな言い方されて」
「お前は誰かに評価されたいのか?」
「違うけど」
ヒデがうつむきながらエレベーターのボタンを押すと、すぐに軽快な音と共に扉が開いた。
「矛盾した言動だな」
シドはそれだけ言うと、エレベーターに乗り込んだ。ヒデは一階と地下を行き来するだけのシンプルなボタンを押すが、一向に動き出す気配はない。カードリーダーにセキュリティカードを滑らせてみても変化はなかった。
「ケイさん、エレベーターが動きません」
『特定のカードにだけ反応するのかもしれない。大久保の物を使ってみてくれ』
ヒデは返事をしてエレベーターを降りる。倒れている男の首から下げられたセキュリティカードを手に取ると、その瞬間、ヒデは床に叩きつけられた。ゆらりと起き上がった大久保は膝立ちになり、残された右手の腕力だけでヒデの首を締め上げる。ヒデは必死に抵抗するが対格差のある軍人に優位を取られては敵うはずもない。
「ケイ、俺はやはり殺すなという命令は気に食わないな」
シドはすぐさま軍刀に手をかけるも、抜刀することはなかった。
「命令は、命令だから」
そう咳き込みながらふらふらと立ち上がるヒデの手には煙を上げる拳銃が握られていた。大久保は腹部から血を流し青白い顔で再び気絶している。
「守らなきゃだよ、シド」
まっすぐ向けられるその視線にシドは軍刀から手を離した。
シドにとってヒデは「既死軍の幹部が選んだ人間だから」認めているだけの存在だった。たくさんいる誘の中の一人、特段かかわる必要もない。他の誘がそうであったように、そのうち勝手に死ぬだろうとさえ思っていた。
しかし、今、そんな顔も名前も覚えていないような有象無象とヒデは違うのだと直感的に理解した。
ヒデは大久保からセキュリティカードを取り上げ、ネックストラップでその両腕を背中で縛る。再びエレベーターに乗り込みカードを読み取り機に通すと、すんなりと扉が閉まって動き出した。地下へと向かう庫内でヒデはボタンの前から動かず視線を落とす。
「シドは地下に何があると思う? 帝国はもちろん軍事政権だけど、そんなに武器って持たなきゃいけないものなのかな」
シドは扉横に立ち、警戒する体勢で銃を構えている。ヒデを一瞥すると静かに口を開いた。
「勝ち続けなければ帝国ではない。それだけだ」
再び軽快な音が鳴り、扉が開く。外の空間には真っ暗な世界が広がるだけで、ヒデには何も見えなかった。夜目がきくシドは四方を見渡すと懐中電灯をつけた。そこは無機質な廊下がまっすぐ伸びており、エレベーターの正面と突き当りに頑丈そうな鉄の観音開きの扉があるだけだった。どうやら地下には監視カメラもないようだ。
シドはエレベーターを降りてすぐ、真正面の扉へゆっくりと進む。扉の横にはカードリーダーと指紋認証のパネルが白く光っている。灯りの中に、有害物質の存在を警告する黄色い看板が見える。
人を警戒しながらシドがするりと室内に入り、しばらくするとヒデを呼び込んだ。懐中電灯で照らし出されたやや広めな室内には何に使うのか、棚や机に様々な機器、瓶などが所狭しと置かれていた。
「何か、実験室って感じだね。ヤヨイさんのところみたいな」
ヒデはラベルが貼られたプラスチック製の小瓶をまじまじと見つめながら、一体何に使うのかと首をかしげる。ラベルには化学の授業で見たような物質の名前や数字が書かれているが、ヒデにはそれが何であるかは見当もつかなかった。
監視カメラという目を失い、二人の様子がわからなくなったケイが無線で連絡を入れる。
『シド、カメラ持ってるよな? 全部写真を撮って来てくれ』
「了解した」
そう返事をするとシドは軍服の胸ポケットから手の平にすっぽり収まる小型のカメラを取り出した。
「俺はもう一つの扉を見て来る。ヒデ、お前が撮っておけ」
「僕でいいの?」
「俺に二言はない」
シドはカメラを投げて寄越すと部屋を出て行ってしまった。ヒデはすぐに電源を入れてタッチパネルを操作する。静止画を選択し、瓶や機器を一つずつ撮影していく。その間、無線ではシドとケイの会話がかすかに聞こえてくる。何の話だろうと思っていると、ふいにケイに名前を呼ばれた。
『ヒデ、そこの瓶のところに帝化登録番号七七八三の九六の二っていうの、ないか?』
「七、何ですか?」
『七七八三の九六の二だ』
ヒデは小声で数字を繰り返し呟きながら言われた番号のラベルを探す。
「それって何の数字ですか?」
『化学物質の識別番号だ。これは気象、まぁ天気だな、それを人工的に操作するのに使われる』
「そんな魔法みたいなことできるんですね」
『人間が空想し得ることは大体実現できる。魔法は科学だ』
「夢も何もないですね」
『夢も希望もない世界に生きてて何言ってんだよ』
ヒデは思わず笑いながら「そうですね」と返事を返す。話を続けているうちに、手のひらサイズの茶色い瓶が目に入った。ラベルにはケイが言う数字が刻印されている。
「ケイさん、見つけました。七七八三の九六の二ですよね。これどうしますか?」
『そのまま持って帰って来てくれ』
「わかりました」
ヒデはシャッターを押しつつ手元にあった小瓶をポケットにくすねた。指示通りすべてを写真に収めたところで廊下に出て隣の部屋に移動した。
重たい金属音を鳴らし観音扉を開けると、ぽつんと灯りが暗闇に浮かんでいる。シドの持つ懐中電灯だろう。そろそろ暗闇にも目が慣れ始めたのか、ヒデの両目は部屋の様子をぼんやりと認識し始める。奥の方は真っ暗で見えはしないが、そこは部屋というにはあまりにも天井が高く、地下であるとは思えないほどだった。歩き出すとブーツの音がいやに反響して聞こえる。
シドに近づくにつれ、ヒデは彼が何を見上げているのかはっきりと理解した。
「これ、飛行機?」
『状況から察するに、飛行機、おそらく無人航空機は人工降雨用だ』
室内の様子をシドから聞いていたケイは見えずとも的確に状況を判断する。ヒデはシドにカメラを手渡し、間近で見ることのない機体を興味深げに眺めた。
「さっきの化学物質も関係あるってことですか?」
『そうだな。気候観測省が絡んでるならそう考えるのが妥当だろうな。詳しくは調べてみんことにはわからんが』
「人工降雨ってことは、農業とかそういう話ですか? 兵器とは程遠いんじゃ」
『そうとも限らん』
ケイが一呼吸置く間にヒデは呆然とだだっ広い空間を見回す。奥にはうっすらと同じような飛行機の影が見えた。
『帝国軍ならその規模の地下格納庫や無人航空機ぐらい持っててもおかしくない。ただ、農業用、帝国民の幸福のためのものであるなら』
珍しくケイが言いよどむ。ヒデの頭には眉間にしわを寄せるいつものケイの顔が浮かんでいた。この声色から次に続くのはどうせよくないことばだろうと覚悟を決めた。
『なぜ、俺が知らない』
「どういうことですか」
『そんな規模の地下格納庫、俺が知らないはずないんだよ』
ヒデはケイが言わんとすることの真意を測りかねた。ケイが知らないと言うことはそこまで重要なことなのだろうか。ただの私設軍である既死軍にそこまでの情報網があるものだろうかと訝しむ。しかし、そんな疑問は続くことばに消し飛ばされた。
『帝国軍最高機密である核兵器の場所だって知っているこの俺が、知らないはずがない。俺は元帥にかかわりのある頭主さまから直接情報を得られる立場だ。元帥が、頭主さまが俺に隠すわけがない』
ヒデの脳内でケイはぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。実際にケイは机に肘をついて頭を抱えていた。自分の杞憂であればいいと常に思っていたことが、遂に残酷な現実として目の前に突き付けられてしまった。元帥と頭主さまが自分を裏切ることがないとすれば、導かれる真実は一つだけだった。
『帝国軍と元帥、つまり皇と元帥は既に乖離し始めている』
「そんな、はずは」
ヒデは震える声で否定する。
帝国軍は元を辿れば皇の護衛から始まった組織だ。その軍が統率者である元帥の手から離れ始めているということは、皇と元帥の距離が遠ざかり始めているということに他ならない。皇と元帥あっての強国、葦原中ツ帝国であると幼少期から叩き込まれて育ったヒデにとって、それは青天の霹靂だった。
「皇と元帥が乖離してるなら、僕らが、既死軍が守ってる『帝国』って、一体何なんですか」
思わずその場にしゃがみこんだヒデはやっとのことで口を開き、消え入りそうな声をこぼした。ケイは何も答えず、ただ遠くからシドのシャッター音がかすかに聞こえるだけだった。
しばらくするとシドがヒデの元へ戻ってきた。腕をぐいと引き上げ、無理矢理ヒデを立たせる。
「立て。既死軍は帝国のためではない。頭主さまのために存在する」
「じゃあ頭主さまって帝国の何なんだよ!」
ヒデは腕を振りほどき、怒りを含んだ声で叫ぶ。無機質な空間でむなしく声だけがこだまする。ヒデは大粒の涙をこぼしながらシドを睨んだ。何を理由に泣いているのかヒデ自身にもわからなかった。
「僕たちは皇と元帥のために死ねと教えられた! 帝国のために死ぬのが帝国男児の生き様だって! お二人が袂を分かつなら、僕は誰のために死んだらいいんだよ!」
肩を震わせながら呼吸をする。八つ当たりだと自分でもわかってはいるが、自分が信じていた生き方を否定されたような、行き場のない怒りや悲しみのぶつける場所が見当たらなかった。ヒデは拳を握りしめる。シドはいつの間にか銃口をヒデに向けていた。
「既死軍は頭主さまのために死ぬ。それが嫌ならここで犬死するか?」
お互いに一歩も引かず、今にも火花が飛びそうなほどの視線で睨み合う。いつもならシドの目力に気圧されてしまうヒデも、この時ばかりは噛みつかんばかりの表情をしていた。
『まぁ、落ち着け二人とも。俺の言い方が悪かった』
ケイの一言でシドは舌打ちをし、渋々拳銃をホルダーにしまう。
『頭主さまは誘のお前たちには会わせることができない。ただ、一つ言っておく。頭主さまは元帥側のお方だ。万が一、皇と元帥が袂を分かつようなことがあれば既死軍は元帥につく』
「そんなの、皇への裏切りじゃないですか」
武器はしまわれたものの、相変わらず不穏な空気がその場を支配している。
ヒデは皇と元帥のどちらか片方に加担するなど生まれてこの方考えたこともなかった。いずれは既死軍的な考え方に染まってしまうにしても、今はすんなり受け入れられるはずもない。
「それならヒデに聞く。ロイヤル・カーテスとは何だ。あいつらは第三の帝国軍と名乗った。元帥のあずかり知らぬところでな。それはどう説明する。紛れもない皇の私設軍だ」
シドは詰問でもするようにヒデを指さす。
「元帥の既死軍、皇のロイヤル・カーテス、そしてどこにも属さない蜉蒼。少なくとも俺たちは内戦の最中だ。俺たち既死軍は戦ったのち、頭主さま、ひいては元帥のために死ぬ。それでは不満か」
「シドは何でそんなに割り切れるの」
ヒデは唇を噛み締める。何年既死軍として生きれば、生まれてから今まで受けてきた洗脳にも近い教育と自分の思想を切り離せるのだろうか。ヒデの中には初めてシドをうらやましく思う自分がいた。
「俺は」
シドは視線を泳がせると口をつぐんでしまった。
「俺のことなど、どうでもいい」
そう言うと深く息を吐きだし「帰るぞ」といつも通りの気だるげな声を出した。そこに努めて明るくふるまうケイの声が聞こえる。
『地上は火の海だから頑張って帰って来いよ』




