3話 出会い
ほのぼの、村巡り。
「ここは…」
秀は太陽の明るさで目を覚まし、ゆっくりと起き上がって周りを見渡した。どうやら和室で布団に寝かされていたらしい。障子と縁側の向こうには花の咲く庭があった。どこか懐かしさを感じる景色だ。今の状況を整理しようと記憶の糸をたどってみると、夜の出来事がぼんやりと思い出されてきた。
呆然と外を眺めていると、和服の三十代ぐらいの男性が入ってきた。長髪で眼鏡を掛けている。
「大丈夫ですか?」
話し方からわかる、優しそうな人。
「あ、はい。あの……ここは?あなたは?」
「ここは堅洲村です。わたしはアレンと申します」
アレンと名乗った男性はにっこりと笑い、秀のそばに座った。
「カタス村、ですか」
「はい。秀君の家からは少し離れた所にあります」
「僕はどうして……」
すんなりと呑み込めない状況に秀は頭を抱え、ぎゅっと目を閉じた。
しばらくの沈黙の後、靄のかかった秀の心理とは真逆の間延びした明るい声が縁側から聞こえてきた。
「おはよぉ秀!」
声の方向を見ると、いつの間にか少年が縁側に座り、ひらひらと手を振っていた。夜の公園で出会った少年だ。ふわふわとした髪が風に揺れている。
「君は、昨日の」
「昨日じゃなくて二日前だよ」
少年が笑いながら訂正した。
「そんなに……」
秀は布団を見つめる。
――今迄のは、夢?
「秀、どっか痛いところない?連れてくるときジュダイが無理矢理引きずったりしてたからさぁ」
表情の豊かな少年だ。笑ったかと思えば心配そうな顔に、くるくると表情が変わる。
「大丈夫、かな。ありがとう」
「あんなの、僕なら痛くて泣いちゃうからね。秀が起きたんなら絶対聞かなきゃ!って無線聞いて飛んで来ちゃった」
一体自分はどんな連れて来られ方をしたのだろうと、意識がなかったことに初めて安堵した。
「ねえねえ、アレンさん」
少年が矢継ぎ早に秀のそばに座る男性に話し掛ける。
「シドの所、僕が連れてってあげるよ。ついでに村も案内して来るね!」
男性は「リヤ君なら安心してお任せできます」と微笑みかけた。
少年はリヤという名前なのか、と今更思った。さっきの“アレン”や“ジュダイ”もだが、どうも普通の名前とは認識しがたい。
アレンもリヤも優しく接してはくれるが、一体この人たちが何者なのか、どうして自分はこんな村にいるのか、まったく理解できていない。
そんな秀の不安をよそに、リヤは秀の手を引いて外に連れ出した。
古い造りの家屋、さらさらと流れる小川、風に揺れる木々。どうやらこの“堅洲”と言う村はかなり田舎のようだ。こんな原風景はテレビでしか見たことがなかった秀は、一時的に自分の置かれている状況など忘れていた。
前を歩くリヤは、出会った日の白と青が印象的な服とは違い、普通のTシャツとズボンにサンダル姿。元気一杯の中学生ということばがよく似合う少年だ。
「そうだ」
くるりとリヤが振り返った。
「自己紹介、まだだったよね?」
そういえば、正式には名前を聞いていない。リヤと言うのは本名なのだろうか。
「僕の名前はリヤ。よろしくね!今から行くのはシドって人のところだよ!」
「あの、リヤって、本名ですか?」
秀にとっては何気ない質問だったが、ふっとリヤから笑顔が消え、立ち止まってしまった。そしてうつむき、「本名は要らないから棄てちゃった」とつぶやいた。表情の変化に秀が驚いていると、さっきの表情は嘘のように今まで通りの笑顔に戻った。
「秀の自己紹介いらないよ。よく知ってるからね」
「何で、あの日」
ずっと聞きたかった事を言いかけて呑み込んだが、続きのことばを察したリヤが続けた。また笑顔が消えていた。
「ここに連れて来るためだよ」
「え?」
「秀は僕たちの仲間にふさわしいから」
「どう言う事……?」
リヤはまるで聞こえていないかのように駆け出し、少し先にある家屋の前で止まった。庭一面に白と赤の椿が咲き乱れている。
「秀ー!ここだよぉ!早く早く!」
そう言って手を振るリヤは、笑顔だった。
「ごめんくださぁい」
リヤが引き戸を開け、元気よく声をかけると中から男性が出て来た。
「よお、リヤ。そいつだな、新入りは。挨拶回りか?」
「ケイさんに言われたから、まずはシドに挨拶しに来たんだよ」
「名前は?」
「まだ決まってないよ」
さっきまでリヤは秀の名前を普通に呼んでいたのに、「名前はまだ決まっていない」とは不思議な話だった。
「そっか、よろしくな。俺の事はミヤって呼んでくれ」
「は、はい。初めまして」
わからないことだらけだが、一応挨拶をしておく。どうやら自分の名前は知られているみたいだ。
「ところでなぁリヤ、来てもらって悪いんだけど、アイツ今寝てんだよ。小一時間前に帰って来たばっかりで」
「蜉蒼……?」
リヤが眉をひそめた。
「あぁ。アイツといつもの二人で行ったんだが」
ミヤはやれやれと言う風に首を振った。
さっきから分からない事や単語が多過ぎる。頭がパンクしてしまいそうだ。
「そっかぁ。ならまた後で来るね」
「そうだな。今起こしたら殺されかねんからな」
二人は冗談でも言い合っているかのように笑った。シドとは一体どんな人物なのか。決して穏やかな人ではないと言う事だけは、確信が持てた。
「さてと、予定狂っちゃったね。先に村案内するよ」
ミヤの宿を後にしたリヤと秀は、坂を上がった小高い丘の上に来ていた。
村は山の麓にあり、周りは森に囲まれている。あの森は樹海なのだとリヤは説明してくれた。人を迷わせ、狂わせる魔境のような樹海は屈強な帝国軍の人間でも一切近づくことはできない。都市伝説では一度入ったら二度と出ることはできない場所なのだそうだ。
リヤは最後に「樹海は人を惑わせる。だけど僕らは、もう迷わないよ。秀も、その内ね」と付け足した。
――迷わないのは樹海になのか、自分になのか
なるほどここには「村」と言うだけあって家屋が沢山あった。全部古い造りだ。まるで世間から取り残され時間が止まっているように見える。
リヤは一つ一つを指しながら住人の名をあげ始めた。
「あれが秀の寝てた宿。それであっちがミヤとシドの宿で――」
リヤは一通り宿の場所と住人の名前をあげ終えると、一息ついた。
「最後は滝を紹介するね」
まさか自分がこんな喉かな村に来るとは思わなかったとのんびり考えていた秀だったが、リヤの一言で顔が強張った。
「滝はシドの場所だからね。用がなかったら近付かない方が身の為だよ」
またシド、だ。
「今はいないだろうから行こ」
鼻歌を歌いながら軽快な足取りで先導していたリヤだったが、滝の音が間近に迫ったところでぴたりと止まった。秀はリヤが凝視する方を見た。リヤの視線の先には、和服姿の青年が座って釣りをしている後ろ姿があった。真っ黒いさらさらの長い髪が、風になびいている。その後ろ姿は周りの風景も相まって絵画のように美しかった。
ゆっくりと近づくリヤに秀も恐る恐るついて行った。明らかに緊張しているのが分かる。
「何の用だ、リヤ」
振り返らないまま、青年が言った。何も物音は立たせていないはずなのに、気配か何かで分かるのだろうか。
「あ、あはは。やっぱり、気付いた?」
リヤが引きつった笑顔になる。
「さ、流石シドだね」
シドと言う名に秀は一層緊張した。青年が立ち上がり、振り返った。
「そいつが阿清秀か」
真っ黒の長い髪、威厳のある瞳、真一文字に結ばれた口、威風堂々の仁王立ち。この人が、リヤの恐れるシドだ。彼も例にもれず秀の事を知っているらしい。
シドは不機嫌そうに無言でリヤを見ている。その場を取り持つように説明を始めた。
「シドに挨拶しに行ったんだけど、ミ、ミヤが寝てるって、言ってた、から……。先に村の案、内、を」
そんなしどろもどろなリヤの言葉を、シドが遮った。
「俺はお前みたいなヤツが嫌いだ」
視線は真っ直ぐ秀に向けられていた。
シドが釣竿を持ってその場を後にした途端、力尽きたようにリヤがへたりと座り込んだ。
「ミヤの嘘つきぃー!」