26話 賭け
いつか、俺と心中してくれ。
そして翌日、頼りない日光がまだ高い位置にある時刻。ヒデは低い廃ビルの屋上でうつぶせになり息をひそめていた。階下では遠距離攻撃に長けた誘のレンジとキョウが待機している。その他の誘もそれぞれ指定された場所で作戦開始の合図を待っていた。飛び道具を得物とする人は意外と少ないんだなとヒデは双眼鏡を手に取った。
ロイヤル・カーテスが現れる日時や場所には一定の法則性があった。彼らが闇夜に紛れて既死軍に近づいてくるのは決まって週末、町からそう遠くない場所だった。ロイヤル・カーテスの面々は恐らく平日の日中は身動きが取れない身分なのだろう。逢沢由弥が現役高校生であることを考えると、それも納得がいく。
今回の作戦はケイ曰く「古典的な作戦」だ。数日前から、ケイは一部の人間しかアクセスできない、深淵に存在する情報網に架空の情報をばら撒いていた。そこはロイヤル・カーテスも情報源にしているであろう場所だ。
偽の情報につられて標的が現れる確率は五分五分、万が一ケイの読みが外れれば無駄足となってしまう。しかしケイには勝算があった。それは単純に、自分自身の勘と経験だった。
ケイが勝負の場所に選んだのは、かつて帝国の物流を支えた倉庫街、今では立派な廃墟群だった。ヒデの視界には灰色の世界が広がっている。
「ヒデー! 交代!」
体勢を変えて振り向くと、笑顔のキョウが手を振りながら駆け足でやって来た。その腕にはかわいいとは言い難い、つぎはぎだらけのうさぎのぬいぐるみを抱えている。幼い子供ほどもあるそのぬいぐるみはキョウの武器、黎兎だ。キョウの脳波を読み取って動くらしい。宰那岐であるジンのこの世のものとは思えない力には驚くばかりだ。
まだあどけない幼い顔の少年はニコニコとヒデの横に来ると、同じように腹ばいになり小声で話しかける。
「変わりはない?」
「何にも。猫すら通らないよ」
「ほんとにロイヤル・カーテスって来るのかな? まぁ、もし来なくてもみんなで任務なんてワクワクしちゃうから僕は楽しいけど」
キョウは「黎兎もそう思うよね~?」と、自分と同じく腹ばいになっているぬいぐるみの頭を撫でる。いつもながら、なぜこんな既死軍などに在籍しているのかと思ってしまう世界の住人だ。キョウは幼い弟や妹でもあやすようにぬいぐるみに「みんなは今、何してるのかな」とつまらなさそうに話しかける。
「キョウは下で何してたの?」
「すっごい暇だったからねぇ、レンジがあやとりしてくれたの。すごいよ! 何でも作れちゃうんだよ!」
キョウはこんな寂れた空間には似合わない、太陽のような笑顔を見せた。レンジの操る糸は人の骨さえ鮮やかに切断してしまう。そんな凶器も使いどころが違えば人を笑顔にできるのかとヒデはレンジの器用さと対応力に感心した。
徐々に暗闇が広がり、すっかり夜の帳が下りたころ、ケイは誘全員に無線で作戦開始時刻を告げた。それぞれから了解の言葉が返ってくる。
ケイの両隣ではイチとミヤがモニターを食い入るようにのぞき込んでいる。映し出されているのはキョウの義眼から送られてくる映像だ。
ミヤはケイの肩を抱き寄せ、耳元で囁く。
「わざわざシド以外を駆り出してるんだ。ロイヤル・カーテスが現れるかどうか、お前の命でも賭けようか」
冗談のつもりであろう言葉だが、顔はいたっていつも通りのまじめを絵にかいたような表情だ。ケイはモニターから視線を離さず答える。
「なら、俺は『現れる』にイチの命も賭けてやるよ」
イチはぎょっとケイの横顔を見た。いつもはこんな突拍子もないことを言う人ではない。ケイも表情には出さないが緊張状態なのだろうと、ケイとミヤを交互に見る。
「だって俺が信じてやらなきゃ、俺がかわいそうだろ」
その言葉にミヤは珍しく口角を上げる。
「ケイのそう言うところ、昔から好きだぜ」
「そりゃどうも。じゃあいつか俺と心中してくれよ、ミヤ」
「考えといてやるよ」
ミヤとケイはほとんど同時期に既死軍へやって来た、言うなれば「同期」の生き残りだ。二人しかわからない、ちょうどいい関係性というものがあるのだろうとイチは横目に二人を見ながら思った。
そして、ついにその時が来た。キョウの義眼が人影を捉える。何度も既死軍から逃げきってみせた漆黒の軍服姿だ。
誰もが今ここに、長きに亘るであろう戦いが始まることを予感していた。
『現時刻を以って、現地での指揮権はすべてヤンに委ねる。頼んだぞ』
無線からケイの静かな声が聞こえる。ヤンは簡潔に「了解した」と返答し、今までロイヤル・カーテスを逃がし続けたのは一生の不覚だとでも言うかのように、武器である鞭を握りなおした。
軍服の男は門すら朽ち果ててしまった入り口から、長らく使われていないスクラップ工場の敷地内に入る。敷地に一歩入れば、放置されたままの鉄くずで歩くのは一苦労だ。男は歩きやすそうなところを探しながら時間をかけて進み、半開きになっている鉄製の巨大な扉から倉庫内に侵入する。キョウも男から視線を離さないように後を追い、同じく倉庫内へと移動した。今回のキョウの任務はロイヤル・カーテスの映像をケイに送り続けることだ。
倉庫内へ入った男は人影がないことを確認するかのように辺りを見回す。しかし、そこはもう既死軍の罠の中だった。男が「しまった!」と叫ぶ頃には扉は閉じられ、外側から南京錠が掛けられていた。他には割れた窓が数か所あるだけで、逃げ道はない。男が無線でどこかへ連絡しようとするのを、ヤンは鞭を使って器用に取り上げた。
「よぉ、ロイヤル・カーテス。会いたかったぜ」
ヤンはそう言うと男の前に現れた。無線機を踏み壊し、鋭い眼光で男を睨む。
「葦原中ツ帝国既死軍。俺たちから逃げ続けた罪だ。厳重に処罰する」
音速をも超えるというヤンの鞭が空気を切り裂き、男が懐から取り出そうとした銃を一瞬のうちに弾き飛ばした。衝撃に臆することなく男はすぐに腰を落とし、素手での戦闘態勢を取る。
「俺が相手だ」
ヤンに代わって男と対峙したのは指の関節を得意げに鳴らすジライだった。男も拳を握りなおし、ジライを見据える。そして二人の呼吸が合ったその瞬間、お互いが間合いを詰めた。
男は勢いよくストレートを繰り出す。しかしレンジが寸分の差で上体を反らしてかわした。虚空を舞った男の拳は飛び出してきたノアの六尺棒に叩きつけられる。下へ向かう力には抗うことができず、男は破片が散らばる地面に腕から崩れ落ちた。鈍いうめき声を出したものの、男は出血をものともせず立ち上がろうとする。しかし既死軍の数にはかなわず、ジライのみぞおちへの一撃とノアの頭部への打撃に血を吐き、膝をついた。
胸を押さえ激しく咳き込む男の首にヤンは鞭を巻き付け、力任せに引き寄せる。男は膝が地面につくかつかないかという状態で、苦しそうに首に食い込む鞭をかきむしっている。一瞥しただけで顔が異常なほど青白いのがわかるほどだ。
「死にたくないなら全部吐くことだな」
その場にいる誘の誰もがヤンの一挙手一投足にシドを見た。声をかけるのもはばかれる、異様な空気を放っている。
「死んでもたら聞ける話も聞けんやろ」
チャコが軽くヤンの頭をハリセンで叩くと、ヤンも我に返ったように手を緩めた。再び男は地面に倒れ込み、赤黒い血だまりがそこを中心にじわりと広がる。首には凄惨な跡がくっきりと残っている。
ヤンはしゃがんで男に顔を近づける。
「それで、一体お前らは何なんだ?」
男は息も絶え絶えになりながら、やっとのことで「皇のため」とかすれた声で言葉を発した。
しゃがんでいるせいでヤンが纏う制服の裾がだんだんと血に染まっていく。既死軍の白地に青いラインが入っただけのシンプルな制服には血の赤がよく映える。
ヒデは無線から聞こえる倉庫内の音声に耳を澄まし、さぞかし悲惨な現場になっていることだろうとぼんやりと想像を巡らせる。遠距離攻撃ができるヒデとレンジは工場近くにある、周囲が見渡せる屋上でロイヤル・カーテスの逃走や援軍を阻むのが役目だ。
ふと周囲の空気に違和感を覚え、ヒデは五感に意識を集中させる。かすかだが何かが近づく音がする。
「レンジ、何か音、聞こえない?」
『お前もか。構えとけよ』
ヒデは一人うなずきながら「わかった」と音がする方へ弓を引く。
男が敷地内に入ってすぐ、工場の入り口にはレンジの糸が張り巡らされていた。逃亡も侵入も防ぐ役割を果たす、触れるものすべてを滑らかに切り落としてしまうそれは、獲物を捕まえんとする蜘蛛の糸のようでもあった。
正体不明の音は徐々に空気を震わせ、光が近づいてくる。それがバイクだと気付いた時にはもう矢を放つには遅すぎた。「一瞬」という言葉ですら表せない速度でヒデたちの待ち構える場所を通りすぎて行った。風よりも速く工場の入り口に近づくと、重そうな車体の後ろに重心を傾け、華麗にレンジの蜘蛛の糸をも飛び越えてしまった。
異様な音に倉庫内の人間たちも思わず閉ざされている扉の方を見る。それとほぼ同時に扉横の窓ガラスが落雷のような激しい音を立てて割れ、バイクの前輪が全員の視界を埋め尽くす。乗り手は空中でバイクを乗り捨てると、体操選手のような無駄のない動きで着地を決める。見捨てられたバイクはそのまま弧を描いて倉庫の奥で何かにぶつかり、先ほどまでのエンジン音以上の轟音を立てて止まった。
乗り手はカツカツとブーツの踵を鳴らし、血まみれになった男の前に立つ。フルフェイスのヘルメットを取り、やっと解放されたとでも言うように頭を数回左右に振る。
「たった一人相手に既死軍は大人数なんだね。卑怯、それとも臆病なのかな?」
そう小首をかしげるのは長い金髪をなびかせる女だった。年齢は既死軍の面々と変わらないだろう。くすんだ茶色の軍服はロイヤル・カーテスが来ている漆黒の物とよく似ている。しかし軍服と言っても短いスカートで、そこからすらりと伸びた足には厚底のロングブーツという、なんともこのような陰鬱とした場所には似つかわしくない服装だ。女は髪型をポニーテールに変えながら言葉を続ける。
「自己紹介しとくね。あたしは炯懿。ロイヤル・カーテスのリーダー。よろしくね」
炯懿は挨拶もそこそこに腰につけたサーベルをするりと抜くと、「さて、誰から殺そうかな」と、品定めでもするかのように既死軍一人ひとりを見た。
既死軍は一斉に攻撃の姿勢をとる。そんな中、名乗りを上げたのは既に抜刀したジュダイだった。
「俺が相手をしよう」
「そんな古臭いなまくら刀じゃ、あたしは切れないからね」
ふんと鼻を鳴らし、炯懿は剣を構える。しかし、その剣は使われることはなかった。炯懿は勢いよく切りかかってきたジュダイの懐に潜り込み、そのままジュダイのわき腹に手を回す。小柄な炯懿のどこにそんな力があるのか、仰向けになったジュダイはそのまま頭から投げ飛ばされた。
「逃げるが勝ちなんだよー!」
そう言うと血だまりに倒れている男の襟首をつかみ、遠くで横たわっているバイクに駆け出す。「逃がすか!」と追いかけようと走り出したヤンの肩を何かに気付いた様子のチャコが掴み、引き止める。そのままヤンの体を力任せに後方へと投げ飛ばした。
「しゃらくせぇ!」
チャコは往年の名選手のような一本足でハリセンを振りかぶる。たった数秒のできごとだった。
炯懿が振り向きざまに投げた閃光弾が空中で炸裂し、既死軍の視界と聴力を奪う。直撃していれば、これに加えて全身の大火傷は免れなかっただろう。
少し離れた場所にいたキョウはすぐに義眼側の目を開き、零兎を出口へ向かわせる。
「はぁ!? 最悪! パンクさせられてるんですけど!」
倒れたバイクを起こしながら炯懿は叫ぶ。しかしこの不満は視力と聴力を奪われた既死軍には届かなかった。
パンクしているとはいえ、特殊装備のバイクだ。数十キロ程度であれば走ることは問題ない。炯懿は男を後ろに乗せてエンジンをかけ、勢いよく再び窓から屋外に飛び出す。その瞬間、炯懿は後ろ手に倉庫内に手榴弾を投げ入れた。
しかし、この小型の爆弾も不本意な結果に終わることとなる。逃亡するであろうロイヤル・カーテスを待ち構えていた零兎は手榴弾を視認するよりも早く飛び上がり、空中で叩き割った。割れた手榴弾は炸裂することなく、おとなしく床に落ちて燃焼するだけだった。
無線からの情報を頼りに、 炯懿が現れるのを今か今かと待ち構えていたヒデは弓を引いた。集中力が最高潮に達しているヒデには人の瞬きさえスローモーションに見える。一瞬で目標物の方向と距離を察知し、いとも簡単にハンドルを握る炯懿の肩を射抜いた。
炯懿はヘルメットの中で顔をゆがめ、「サイテー!」と叫ぶ。
ヒデはすぐに再び照準をバイクに合わせるも、時速数百キロは出ているであろうそれは、もう走り去ったあとだった。




