21話 杏と嘯く
感情という、不可解極まりない信仰対象。
「回診のお時間ですよー」
秋風が涼しい、まだ日が昇って間もない早朝。開けっ放しにされていた縁側から侵入してきたのはヤヨイだった。いつもなら寝ている時間に、何の前触れもなく起こされたヒデは言葉を発するだけで精いっぱいだった。
「いま、何時」
「知らねぇな。俺は俺の時間で生きてるからなぁ」
ここに来て以来一番の不愉快な起こされ方だった。
「回診って、何、ですか」
ヒデは目も開けないまま、もぞもぞと布団の中で体勢を変える。簡単な任務なら一人でもこなせるようになったヒデは前日も任務で夜遅く帰り、やっと寝付いたばかりだった。
「体力測定とか健康診断とか」
「後じゃ、ダメ、なんです、か」
「この俺が直々に見てやるって言ってんだ。さっさと起きろ」
自己中心とか傍若無人とかって、こういう人の事を言うんだろうなぁと布団を引きはがされたヒデはぼんやりした頭で思った。半分夢を見ているような状態でヒデは服を着替え、ヤヨイの後ろをついて宿へ向かった。
怪我をしようが生死の境をさ迷わない限りは手当てをしてくれないヤヨイは果たして医師と呼べるのだろうかと訝しむことも多々あるが、その宿はさすがに診療所らしい。連れて来られた病室のような部屋にはベッドのほかに、様々な医療器具のようなものがごちゃごちゃと置かれている。
「今からする検査はお前は寝てるだけだ。惰眠を貪るぐらいなら俺に協力しろってことだな」
ヤヨイはヒデを診察台に寝かせ、様々な装置を体中に取り付け始めた。
「じゃ、おやすみ」
ふわりとどこか懐かしいような薬品の匂いがした。また寝かされるなら無理矢理起こさなくてもよかったんじゃないかと、ヒデは夢に引きずり込まれながら悪態をついた。
次にヒデが目を覚ましたのはもう昼もだいぶ過ぎた頃だった。ヤヨイは室内におらず、身体にも何の装置も付けられていなかった。部屋を後にし、ヤヨイを探して診察室に入った。
「やっと起きたか」
「何したんですか?」
「お前らの身体は大事な大事な商売道具だからな。精密検査ってところだ」
自分を物扱いされてヒデはムッとする。そんな表情を見てヤヨイはにやりと笑った。
「俺は一時期マスコミを賑わせた『狂気の科学者』だからなぁ。まぁさっきのも人体実験の一部だ。気にするな」
ヤヨイの言葉に今度はギョッとする。あまり接することがない人物だけに性格がつかみにくい。
「な、何したんですか!?」
「冗談冗談」
ヤヨイは笑っているが、ここではそんな冗談も冗談では通じないのではないかと思う。
今度はヤヨイに従って体力測定をする。握力や前屈など、いつか学校でもさせられたようなことを指示された通りに行う。少しでも逆らおうものなら鉄拳が飛ぶのは目に見えていた。ヤヨイはぶつぶつと独り言を言いながら、黙々とデータを紙に書きこんでいる。
「そのデータ、何に使うんですか?」
一通り体力測定と身体測定が終わったらしくヒデはやっと解放された。服を着ながらヤヨイの手元をのぞき込む。
「薫陶の内容って、実は時々俺が考えてんの。個々人の弱点を補強するためにな。回診の一番の目的は、その弱点を見つけるためだ。正直、お前らの体調どうこうは興味ない」
あまりヤヨイとは関わった事がなかっただけに、苦手意識を持つのも時間の問題だった。
「だから風邪引いても絶対来んなよ」
ヤヨイに「終わったらさっさと帰れ」と追い出されたヒデが玄関で靴を履いていると、入れ替わりにジライがやって来た。
「なんだ、お前も回診か?」
「うん。今終わったところだけど」
「あいつ、朝っぱらから不意打ちで来るから嫌だよな。俺は今回昼過ぎからだったからいいけどさ。ヤヨイって性格悪いし、絶対友達少ないタイプだよなぁ。じゃ、またな。お疲れ」
さっきまで寝ていたのか、ジライはぼさぼさの頭で大きな欠伸をしながら気だるそうにサンダルを脱ぎ捨て診察室へ入って行った。
「よおヤヨイー。午後からで助かったぜ」
しかし、ヤヨイから返事はなく、ただ笑顔でバキバキと手の関節を鳴らしているだけだった。
「は? なになに?」
ジライの顔が引きつり、冷や汗が頬を伝う。
「お前のそのデカい声と悪いお口、俺が治療してやるよ!」
ヒデが宿に帰ると、居間を掃除していたアレンが「お帰りなさい」と声をかけてくれた。どうやら回診に連れていかれたのは知っていたようだ。
「ひどい目にあわされませんでしたか?」
珍しくくすくすと笑うアレンにもどうやら思い当たる節があるらしい。ヤヨイが誰に対しても同じような態度をとっているのはさすがだと言わざるを得ない。
「多分、あってないと思いますけど」
ヒデは居間に上りながら笑い返す。アレンは掃除の手を止め「お昼にしましょうか」と囲炉裏に作り置きしていた鍋を置いた。
「ヤヨイくんはぶっきらぼうですが、立派なお医者さんです。誘に怪我は付き物ですからね。機嫌を損ねないように上手に付き合うのが吉ですよ」
「アレンさんでもヤヨイさんってそういう印象なんですね」
「ヤヨイくんはここに来た時から、良くも悪くも全く変わりませんよ。お医者さんというのはあれぐらい気丈じゃないとやっていけないんでしょうね」
アレンにそう言われると、確かに気弱な人間よりもヤヨイぐらいぶっきらぼうな方が怪我だらけのここには合っているように思えた。
「まぁ、私は風邪ぐらいならヤヨイくんのところには行きたくないですけどね」
何か苦い思い出でもあるのだろう。アレンはふふっと笑った。
「こんばんは!」
夜も更けた頃、礼儀正しく診察室のドアをノックして入って来たのはキョウだった。
「あれ、まだジライの途中でしたか?」
キョウの視線の先、診察室内の簡易ベッドにはジライが虫の息で横たわっていた。
「ああ、あいつはいいんだよ。何時間もああやってのびてるだけだから」
「もーヤヨイさんってば、何したんですか」
キョウはけらけらと笑いながら診察用のいすに座った。
「ヤヨイさん、僕以外には厳しいんだから」
「お前は大事だからだよ」
「実験対象として、ですよね」
「そんなこと言ってないだろ」
キョウはまた笑った。
「でも、僕がヤヨイさんだったら、僕は僕にすごく興味があると思うなぁ。ヤヨイさんはいつも僕の事を守ってくれる。一番に助けてくれる」
「全員公平に、なんて無理な話だろ。もういいから、いつも通り始めるぞ」
はぁい、とキョウは服を脱ぎ始めた。
「まずは身長と体重な」
「身長は嫌ですー」
「嫌じゃない」
キョウは駄々をこねたが、軽々と脇の下を持って身長計に乗せられた。
「一五四・二センチ、三十四キロか、ヨミは一体お前に何食わせてんだ」
「ヨミさんのご飯は美味しいですよー」
「答えになってねぇよ」
ヤヨイは文句を言いながら頭を掻く。いくら義足分を差し引いた体重とはいえ、健康状態との兼ね合いから見れば少し心配な体型ではある。
「背、伸びてました?」
キョウが診断用紙を嬉しそうに覗き込む。
「〇・三センチだけな」
「第二次性徴期って何なんですか!」
「あれは個人差あるから心配すんな。お前もそのうちデカくなるよ」
足をじたばたさせながらふくれっ面をするキョウを適当になだめながら、ヤヨイは部屋を変えて次の過程に入る。義肢のメンテナンスだ。
「そうそう、今度はお前に指作るって言ってたんだったな」
「そうですよー! 楽しみにしてるんですからね!」
義肢の多いキョウは健康診断以外のメンテナンスに時間がかかる。準備をしながらヤヨイは話しかける。
「お前は一応成長期だからな。もし義肢に不具合があればすぐ言うんだぞ。あと、ヤンから聞いたがお前左目の視力が落ちてるんだってな」
「あれ、知ってました?」
ばれてたか、と言う風にキョウはいたずらっぽく笑って見せる。
「体に不調が出たらすぐに言えって言ってるだろ」
「でもヤヨイさん忙しそうだし。今日だってずっと回診なんですよね」
「俺はそれが仕事だ。お前が気を使うようなことじゃない。それに……」
「それに、大事な実験道具が死んじゃったら困りますもんね」
「だからそんなこと、俺は」
ヤヨイの言葉を無視してキョウは鼻歌交じりに自分で義足をはずす。
「僕は優しくしてくれるなら理由なんて何だっていいんですよ。朝起きて、ご飯食べて、お散歩して、寝る。そんな生活が保障されてるなら、僕はそれで満足です」
「衣食住は保障する。その代わりの生死をかけた任務だ」
「わかってます。僕は過去を忘れさせてもらった代わりに既死軍にいる。僕は自分の罪も罰も知らないままここで楽しく生きて、それで死にたい」
「知らないほうがいいこともある」
ヤヨイは義足を受け取り、点検を始めた。キョウはまたも笑うだけで、もうそれ以上何も話さなかった。
夜も更け、キョウはいつの間にか眠ってしまっていた。まだ視力のことや新しく作る義指のことについて相談しなければならなかったのだが、これでは仕方がない。ヤヨイは取り外したままの義肢を持ち、キョウを背負った。
「全員薬漬けにできりゃ、苦労しないんだがな」
今にも降り出しそうな星空を見上げ、ヤヨイは息を吐き出す。自分たちが罪を重ねた日々から幾星霜を経て今にたどり着いたのだろうか。ここには過去を忘れた人間も、過去と共に生きる人間もいる。それぞれに待ち受ける未来に違いはあるのだろうか。全員を洗脳できてしまえばどれほど楽なことか。「悪者をやっつけろ」と命令するだけで誰も何も考えず事が済むならそれが一番だろう。
それなのに感情という不可解極まりない信仰対象が邪魔をする。今の自分では到底解明できそうもないなとヤヨイはずり落ちてくるキョウをもう一度背負い直す。
キョウを義肢と共に宿家親であるヨミに引き渡し、再び自分の宿へと戻る。既死軍では誰がいつ任務へ行くかわからない。誰も責任を追及するようなことはないに違いないが、それでも自分のせいで誘が任務に失敗するのは矜持を傷つけられるに等しいことだった。
診察室に戻ってしばらくするとシドがやって来た。シドがいすに座るか座らないかのうちにヤヨイは「この前暴走したらしいな」と質問をぶつける。しかしシドが質問に答えるのはごくまれなことであった。何を質問しても無言を貫くシドにヤヨイは大きくため息をつく。何もわからないままではどうしようもない。以前ミヤとシドに対する治療について口論になった際も、シドがどう思っているのかが論点になったのだ。
「頼むから話してくれよ。お前が何も話さないのはどうしてだ。お前だって、何も考えてない訳じゃないだろ」
ヤヨイは頭を抱える。シドの回診はいつもこうだった。シドは何も話さない。体力測定や診断は言う通りにしてくれるのだが、言葉を一言も発さないのだった。さすがのヤヨイでもシドを相手にするのはあまり得意ではない。
今回も何の収穫も得られないままかと思われたその時、シドが口を開いた。
「覚えていないわけではない」
「どこまで覚えてるんだ!」
ヤヨイはぱっと顔を上げ、食いつくように身を乗り出す。
「ケイがあの男は殺してはいけないと言った。確かにあいつは何かを知っていた。だから俺は威嚇までしかしていない。しかし」
シドはしばらく黙った。記憶を整理しているようにも見えた。
「気付いたら男は死んでいた」
なるほど、と頷いてみせる。その場にいたチャコ、ジュダイ、ヒデの話を合わせると、どうやら林を殴ったところから覚えていないようだ。「これはなんだ? 記憶障害か?」とヤヨイは一人でぶつぶつと様々な仮説を立てては崩していた。
一通りシドの診断を終え、玄関まで見送る。再び朝日が昇りはじめようとしていた。シドは挨拶もなく帰って行った。小さくなる背中を見ながら、ヤヨイは目一杯伸びをする。数分後にはまた眠りこけている誘を起こしに行かなければならない。
ヤヨイは上り框に腰掛け、胸ポケットからたばこを取り出して火をつけた。
「医者の不養生って言葉考えたやつ殴りてぇな」




