204話 清澄
眩耀を、受け止めろ。
「終わるの、さすがに早かったね」
誰もいない真っ暗闇の中、気絶した男二人を茂みに隠していたレンジはヒデの声に顔を上げた。
「こんなやつら、所詮使い捨てだからな。死んでも蜉蒼の痛手にならない程度の人間しか使われない」
「え、死んでるの?」
「いや、気絶、だと思うけど。え、気絶だよな」
急に自信がなくなったようにレンジは横たわっている二人に目を向けた。しかし、脈をとるでも呼吸を確認するでもない。
『どちらにせよ、堕貔が回収に行く。どうせ生きてたところで大した情報も持っていないだろうがな』
「お、ケイ久しぶり。一応爆発物は解除して、俺が持ってる。目が覚めても歩けはしないだろうから、逃げないと思うし、回収頼んだ」
わかったと言うケイの言葉にレンジは自然と笑みをこぼす。
「何か、やっぱりケイの指示のほうが安心するな」
『別に安心感だのが理由で今回ロイヤル・カーテスに司令役を任せたわけではない。俺も向こうの指示の出し方聞いてみたかったしな』
「ケイさん的にはどう思いました?」
『あれでよくロイヤル・カーテスのやつらは動けるよな』
任務中には滅多に聞かない、呆れたようなケイの声にレンジは一瞬遅れて「同感」と笑った。
「けど、こういうのって慣れじゃない?」
「慣れかぁ。俺もケイがあんなのだったら、それはそれで慣れてんのかな」
『どうでもいいからさっさと行け。客が出て来るぞ』
二人そろって間延びした返事をすると、続けて「状況を説明する」とケイから既死軍に向けて無線が入った。会場内の様子や、ヤンとルワが新たな敵に向かっていること、そこにサンクとセトも合流することなどを端的に説明すると、再びケイは沈黙した。
炯懿と違い、ケイは任務中は現場判断が一番という理由であまり指示をしてこない。命令されるのに嫌悪感を示したヤンの気持ちがヒデとレンジにはよくわかっていた。
「ヒデは一応こいつらの監視しててくれ。俺はヤンのほうに行く」
「今度は僕が行く」
驚いたようにレンジはヒデを見る。先ほどは戦闘を避けるように誘導にまわったが、今度は自らその役目を買って出た。暗闇に目が慣れているとはいえ、ヒデの表情ははっきりとは見えない。しかし、その意志の強さだけは感じられた。本人が行くと言うなら、わざわざ引き留める必要もないだろうとあっさりと了解した。
ヤンとルワは大階段を降り、駅の方へと向かっていた。大きな会場へと向かう道だけあって、幅が広い。しかし、店舗などはなく、ただきれいに舗装された道と等間隔に並ぶ街路樹や花壇があるだけで、会場でイベントがなければ通る人は滅多にいないだろう。
それはイベントが終演に向かっている今も同じで、会場に何か用事があるらしい人間が数えられる程度歩いているだけだった。
駅から会場へと向かう数人、その中にいる三人は、遠目から見ても先ほどの男たちと同じように纏っている空気感が普通ではなかった。
周囲に誰もいなければさっさと片付けてしまえるが、通行人がいるところで堂々と戦うわけにはいかない。誰もがカメラ付きの携帯電話を持っているご時世、既死軍としては記録に存在を残してしまうわけにはいかなかった。街中の監視カメラであればケイがどうにでも細工してくれるが、個人の記録媒体までは手が出せない。
隣を歩くルワを見ることなく、ヤンはつぶやく。
「これ、どうするんだよ。普通に人通りあるじゃん」
「まぁどうにかなるでしょ」
「行き当たりばったりかよ」
「いやいや。臨機応変ってやつ」
「あとは秘策とやらか」
ヤンほど周囲の目を気にしていないのか、ルワはこのまま戦う気でいるらしい。それなら戦闘は任せてしまった方が楽かと思案する
「ていうかお前は素手でも戦えるのか?」
「俺は強いからね。何? 心配してくれてんの?」
にこにことしているらしい声色に聞くんじゃなかったと舌打ちをしたヤンは手に巻き付けていたベルトを握り直す。
正面から来る男たちと視線は合わない。ヤンたちをただのスタッフだと思っているのか、それとも先ほどの男たちと同じく、視界に入っているのに見えていないのか、とにかくその視線は爆破の目的地である北口にしか向けられていないようだった。
『終演。客が動き始める』
無線から簡潔な炯懿の声がした。間もなく一万を超える人々がこの周辺を歩き始める。それまでに片付けられたらと思っていたが、どうにも難しそうだ。ヤンはちらりと横目でルワを見上げる。それに気付いたルワは「秘策があるから」と余裕そうに視線を返した。
『終演後、カトルたちには、あんたたちのところを通らないように、客を駅に誘導してもらうから。客が全員帰るのには約四十分。どうにかしなさい』
炯懿の言った導線を頭に浮かべてみる。南口からも遠回りではあるが駅に続く道があり、そこはヤンたちがいる場所とは完全に壁で隔てられていて見ることはできない。これなら不特定多数に見られる心配も減る。だが、問題はこの会場へ向かっている数人だ。今、各々の視線は携帯電話に落ちているが、戦闘が始まればこちら側に好奇の目を向けるだろう。
男たちの少し後方からはサンクとセトがじりじりと距離を詰めている。普段ロイヤル・カーテスの制服である軍服姿しか見たことがなかったが、今日はスーツを着ている。わざわざこんな場所に不釣り合いな格好で来なくてもいいのにとヤンは動きにくそうな二人を遠目に眺めた。しかし、どんな格好であれ、ロイヤル・カーテスである以上は戦えるはずだと、戦闘能力には一目置いていた。このまま挟み撃ちにしてしまえば、呆気なく終わるだろう。
ヤンが頭の中で戦闘をシミュレーションしていると、背中から「千隼」と声をかけられた。
「千隼は先に行ってて。あとから行く」
そう言うと、ヒデはルワの前で立ち止まった。何をするつもりなのかヤンにはわからなかったが、ヒデにはヒデなりの理由があるのだろうとそのまま歩き続けた。
「コウはここで待っててください」
「は? 何でだよ」
ルワは無理に笑顔を作ろうとしているが、その顔はひきつっている。ヒデの言い分はさっき聞いたばかりだ。数分後には日常生活に戻らなければならない自分がこんな人目のあるところで問題を起こすことをヒデは望んでいない。その気持ちはよくわかるが、今はそんなことで足を止められるわけにはいかなかった。目の前には自爆をもくろむ男たちが会場へと向かっている。その内、男たちも当初の目的地だった北口が封鎖されていることに気付き、その怨恨の矛先は壁の向こうにあるの人の流れに変わるだろう。そうなる前に終わらせなければならない。
「ヒデは俺を守ってくれる王子様かなんかのつもりか?」
今は任務中で、ヒデのことは偽名である「伊織」と呼んでやらなければならないことは十分承知していた。しかし、わかっていても口をついて出たのはいつもの名前だった。
「いや、別に、そんなつもりは」
「俺は自分の日常ぐらい自分で守れる。俺がいつヒデに守ってくれって頼んだよ」
「僕はコウに帰るべき場所を失ってほしくないだけです」
「それは、ヒデも同じだろ」
ヒデは何かを言おうと、口を開きかけた。しかし、ルワはそれを許さずに続ける。
「俺はさっきも言った。ヒデはちゃんと生きてるってな。確かに、既死軍なんかにいるヒデは俺より失ったものは大きくて、取り返しのつかないものなのかもしれない。それは何となく、見てたらわかる。けど、俺たちと同じように帰るべき場所がちゃんとある。待ってくれてる人がいる。そうだろ」
ルワの視線はまっすぐで、それはまるで磨き上げられたガラスのように曇りのないものだった。わずかな光だけでキラキラと何十倍にも輝きを反射しているようにさえ思えた。
「俺たちだって覚悟して来てる。それはヒデたちにとってはくだらない、程度の知れたものかもしれない。けど、覚悟してることに間違いはない」
再び口を開こうとしたヒデだったが、今度は絹を裂くような悲鳴に遮られた。一般人に何か被害が出たのかと慌てて声の方に視線を向けると、近くにいた女性二人が携帯電話の画面に釘付けになっている。興奮状態なのか、少し離れたヒデたちにまで聞こえるほどの声量で話している。
「え、待って待って。烏丸くん配信してるんだけど」
「終わったってこと? これ楽屋? え、ちょっと伏見くん映ってるじゃん! 見せてよ」
「ていうか物販並ぶ前に早く行こうよ」
「うん、行こ行こ! 即配信してくれるとかホント神じゃん。最高~」
きゃっきゃと会話を弾ませながら、不穏な空気などまるで感じていないように二人は小走りで階段を駆け上がっていった。周囲にいたファンらしき人影もそれを追いかけるかのように足早に去っていく。
「守るとか、守られるとかじゃなくてさ」
ルワの声にヒデは向き直るもその視線は合わず、ルワは階段に消えていく人影を眺めている。
「一緒に戦おうぜ。どうせ、この一年だけなんだ」
「そのあとは」
「どっちかが死ぬまで戦えばいいんじゃないか。それが敵としての誠意ってもんだからさ」
そこで再び視線が合った。ルワの瞳は変わらず、ただまっすぐだった。