203話 明滅
暗闇こそが、光らせる。
ルワの耳元では炯懿とヤンたちが無線で情報交換をしている。既死軍が担当することになった北口では、もはや戦闘は逃れられないだろう。命令がないかぎり閑散とした場所に居続けなければならない歯がゆさを感じる。
『ロイヤル・カーテスは南口以外をすべて閉鎖して、客が出られるように守って。既死軍はそのまま、敵を排除しなさい』
既死軍からは「承知した」と返事があった。従順な返答に炯懿は満足そうだったが、ロイヤル・カーテスだけの無線に切り替わると、すぐさまカトルから疑問が呈される。
「退場させるのか? 閉じ込めといたほうが安全じゃないか?」
『ルワ、中に蜉蒼がいる確率は?』
「えー、それ、俺に聞く? 限りなく零には近いけど、確証はない」
『それなら、やっぱり出したほうが安全ね。全員会場から出るのにかかる時間は?』
「出入り口の広さを二十五尺とすると、一万六千人だろ? 一か所から規制退場するなら三、四十分ってところだな。計算上は最速二十五分だけど」
会場の外を西口から南口へと移動しながら、ユイトとカトルは頭を働かせるルワを先導する。まだ公演中ということもあって、メインの出入り口である北口以外は静かなものだった。
「四十分、死守すればいいってことか」
『蜉蒼は二人だけなんでしょ。もっと早いんじゃないの』
「お、既死軍のこと評価してる感じ?」
自分のことのようにニコニコとしているルワの声色が気に食わなかったのか、炯懿は『は? ふざけんじゃないわよ』と残し、ブチッと音を立てるように無線を切った。呆れたようにカトルがルワを笑う。
「まーたお前のせいで炯懿、キレてんじゃん」
ロイヤル・カーテスでは日常茶飯事の会話だが、ルワは口をとがらせて面白くなさそうな顔をする。
「いや、マジで何なの」
「機嫌悪くしたコウが悪いだろ」
「ヒナより女王様だからな」
ユイトはヒナことロイヤル・カーテスの女王を引き合いに出す。レナは確かに女王の名を冠してはいるが、それは単に名前だけであって、何かの決定権があるわけではない。そんなユイトを訂正するようにカトルは笑う。
「女王っていうか女帝だろ」
「あー、わかる。なんか、その微妙な違い」
「ちなみにコウと炯懿って戦ったらどっちが強いの」
愚問だとでもいうように、ルワは即座に「俺」と自信満々に答える。
「現場に出てこない炯懿なんかより俺のほうが強いに決まってるだろ。実際は知らないけど」
「ヒナとなら?」
「え、お、俺。僅差で俺」
さっきよりも少し弱気な結果に二人は再びゲラゲラと笑った。
そうこうしているうちに、あっという間に会場を四分の一周していた。南口はぽっかりと口を開けて客を吐き出すのを心待ちにしている。
カトルは余所行きの真面目な顔を作り、近くにいたスタッフに話しかける。何度も退場に関する情報が流れ、混乱していることがすぐにわかった。既に炯懿がスタッフへの連絡を偽装していたらしく、南以外の出入り口は封鎖されたようだった。その情報が正しいと場を落ち着かせ、三人は出入り口から少し離れた場所で待機することにした。
明るい街灯が会場の周囲を照らしている。今に始まったことではないが、よく蜉蒼は諦めもせずにこんな巨大な建造物の爆破を次から次へと予告をしてくるものだとルワは空を見上げる。会場の近くには植え込みぐらいしかないが、人工的に計算されて植えられた木々の向こう側には高層のオフィスビルが煌々と明かりを灯している。
この光にあふれた眠らない都会は、ヒデをはじめとする既死軍の目にはどのように映っているのかとふと考えた。
「ていうか思ったんだけどさ」
ルワを引き戻したのはユイトだった。
「駅のほうがやられたら一発じゃね? ここ、最寄り駅って一か所だよな」
「駅ならシンとマオがいると思う」
あっさりとルワに返事をされ、今ごろ知らされた新情報にユイトは驚きの声を上げる。
「えっ、あいつらも今日来るんだっけ」
「あー、そういえばこの前シンが何かボヤいてたかも」
カトルは何かを思い出したように手を叩く。ルワはルワで、二人とも知らなかったのかと目を丸くした。
「仕事帰りに間に合うなら行くって俺は聞いてるけど」
「それ、普通に公演見に来るやつのセリフなんだよなぁ」
死人が出るかもしれない任務を「行けたら行く」の一言で引き受けることをよく許されたものだとユイトは苦笑した。
「しっかし、社会人組は休日出勤のあとにこっちも来させられるなんて、ご苦労なことだな」
「そうだぞ。もっと大人を労え、ガキんちょども」
カトルは胸を張るようにして二人に誇らしげな顔をした。しかし、聞き飽きたとでも言いたげに「いや、俺たちと年変わらないだろ」とユイトがあしらった。
同じ時刻、ヤンとジライはゆっくりと近づいて来る二人の男をじっと待っていた。炯懿からはこのまま敵を排除しろと言われたが、ここで戦えば近くにいる一般人を巻き込んでしまう。ましてや自爆しようとしている人間だ。何をしでかすかわかったものではない。
背後では北の出入り口が閉ざされる音がした。それと同時に息を上げたヒデが「間に合った!」とドアが閉められるギリギリに飛び出し、合流した。
「今回のロイヤル・カーテスは当てにならねぇ。俺たちで終わらせる」
ヤンの言葉にレンジとヒデはうなずく。ヤンもジライもまだ素手のままだ。遠くから見ればただの職員に見えるだろう。
「死ぬかもしれないのは俺たち担当か。まぁ、どうせ死んでるからいいんだけどな」
炯懿の指示を鼻で笑ったジライは何度か右の拳を左の手のひらに叩きつける。早く戦いたくて手が疼いているようにすら見える。
「蜉蒼も死人みたいなもんだ。死者は死者、生者は生者の相手ってか。妥当だな」
ヤンもニヤリと笑った。死地に立つのは死人が相応しいとでも言わんばかりにヒデとジライに目を向けた。
男たちは終演時刻と歩幅を調整しているかのようにゆっくりと近づいて来る。その血走った視線は、見えているにもかかわらず北口が締め切られていることにも気付いていない。目的地を設定されたロボットのように、愚かなまでに止まることを知らずに直進している。
「ヒデは人払いをしてくれ。どうせ素手は自信ないんだろ。俺とジライでやる」
周囲にはこれから何が起こるかなど知る由もない人がちらほらといる。携帯電話を手に座り込んでいる人もいて、職員として声をかけたところで簡単に移動するとは思えなかった。
ヤンに返事をしたヒデは小走りで西口へと向かう。
「ケイさん、このあたりの街灯って操作できますか」
『当然だ。どうしたい』
「北口付近を消してください。西口のほうがついていれば、そっちに人が流れるはずです。物販もそっちのほうですし」
『まるで蛾の扱いだな』
けらけらと笑ったケイにヒデは「仕方ないじゃないですか」と慌てて取り繕うように返事をする。そんなつもりは当然なかったが、言われてみれば確かに虫が明るいところに集まる習性と同じ発想だったなと、自分の思い付きにわずかに笑いが出た。
『しかし、よく咄嗟に考え付いたな』
「人は光の世界が好きみたいです。僕はあんまり落ち着かないですけど」
ケイは返事を返さず、ヤンとレンジに消灯する旨を伝える。了承の声が聞こえるが早いか、まるで世界が一瞬にして終わってしまったのかと思うような暗闇があたりを包み込んだ。ヒデは周囲に声をかけながら、そのまま明るい方向へと走り続ける。
やはり思った通り、急な停電に驚いた人々は、職員に扮したヒデの誘導に従って流れるようにヤンやレンジたちから遠ざかって行った。
ヒデにとっては暗闇のほうが心地よかった。見たくないものをすべて塗りつぶしてくれる漆黒は安心感があった。しかし、他の人々はそうではないらしい。明るいほうへ、明るいほうへと無意識に足が向かっているようだった。
人がいなくなったことを確認すると、ヤンはするりとベルトを抜き、舗装された地面に叩きつけた。聞き慣れた乾いた音が周囲に響き渡る。
「先手必勝ってことで」
男たちは明暗の変化に臆することも狼狽えることもなく、歩みを進めている。もはや視界などどうでもいいのだろう。
「俺は左、ジライは右な」
「了解。俺のほうが先に倒してやるよ」
「負けねぇって」
走り始めたのは同時だった。ジライはヤンより広い歩幅で男に近づき、拳を顔面に叩き込む。男は防御の態勢を取りはしていたが、そんなものはジライには無意味だった。伊達に「素手なら既死軍最強」と囁かれてはいない。後方に吹き飛ばされた男は背中から地面に落ち、その勢いで再びわずかに体が浮いた。
ヤンは少し離れたところからベルトを鞭のように振るう。いつもの鞭より短いとはいえ、しなるだけの長さは十分にある。耳をつんざくような風を切る音がジライにもはっきりと聞こえた。血が弾けるように飛び散る。無防備だった男の顔は呆気なく餌食になり、痛みで気を失ったのか男は崩れるようにして地面に倒れ込んだ。すぐさま男の上着を開くと、腹部には思った通り、二度と外すことはできないぐらいしっかりと爆発物が巻き付けられていた。自爆されないようにさっさと片をつけろと、爆発物の構造を早口でレンジに伝える。
「報告する。爆発物は解除した」
共有の無線でロイヤル・カーテスにも報告を入れる。すぐさま炯懿から返事があった。しかし、それは想像していた言葉ではなかった。
『既死軍、終わったならセト、サンクと合流しなさい』
「は? そっち、まだ人いんの?」
「俺たちを出し抜こうってか」
『援軍と言いなさい』
「言葉はなんでもいい。どこだよ」
『駅から向かってるから、早くしなさい』
「その命令口調どうにかしろよ」
『司令はあたしだから。口答えしないで』
ヤンは聞こえるようにわざとらしく舌打ちをしながら、ジライに後を任せて走り始めた。大階段を下りた先は、再び明るい場所になっている。
『もうすぐ終演で客が出て来る。早く終わらせなさい』
「うるせぇんだよ、俺に指図すんな」
「その気持ちわかるー!」
ヤンの苛立ちに同意するかのように後方から声をかけて来たのはルワだった。
「お前、持ち場は」
「いいのいいの。秘策があるから」
「信用できんのかよ、その秘策」
「任せろ!」
歯を見せて笑ったルワは無線を操作してマイクを切り、ヤンのマイクも音を拾わないぐらいの声で囁いた。
「ついでに言うと、俺たちも炯懿は頼りにはしてるんだけど、話し方にいちいちムカついてたら、やってらんないから」
「よくそれでやってけるな」
「世渡り上手って呼んでくれ」
笑いながら数段飛ばしで駆け下りて行ったルワの先には、先ほどの男たちと似たような人影が数人分、こちらに向かってきていた。