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Blackish Dance  作者: ジュンち
202/209

202話 涵養(かんよう)

成長と快適さは、共存しえない。

 既に日は暮れ、周囲にいたすべての人は会場に吸い込まれていた。無事にライブが開演され、会場内の空気は初めから熱を帯びている。ヒデたちは三組に分かれて終演後までを監視することになった。場外をヤンとジライ、観客席をカトルとユイト、ヒデはルワと共に会場内のスタッフ用の通路などを担当することになった。

 開演してから数十分後、ルワはいいものを見せてやるとヒデを先導していた。そこは一般客も行き来できる場所ではあるが、人通りは全くなく不審な点もなかった。

「ヒデ、こっちこっち」

「会場内は僕たちの担当じゃないですよね」

 誰もいないことを確認して、ルワは会場に続くドアの取っ手に手をかける。ドアに近づくだけで会場内の熱気が伝わってくるようだ。「いいからいいから」とルワが笑顔でドアを開ける。たった少ししか開けられていないというのに、その瞬間、分厚い扉が封じていた熱と振動と歓声が風の塊となって吹き抜けていった。

 そこは楕円形になった会場の端に設置されたステージの裏側だった。観客席には誰も座っておらず、電飾も届かないため、聞こえて来る音や肌で感じる熱狂とは反して薄暗かった。ヒデが茫然と会場全体が揺れているような錯覚に陥っていると、観客がいる方へ手を引かれるようにして連れて行かれた。

 ルワが足を止めたのは、かなり角度がついてはいるが、ステージがギリギリ見える位置だった。すぐ隣には簡易的な仕切りが設けられていて、一般客は通れないようになっている。そこに立つと、キラキラと明滅する色とりどりのライトや、巨大なモニターに映し出されるバンドメンバー、興奮状態の観客たちが一望できた。

「観客席のほうだったらユイトたちにバレるからさ、こんなところで悪いけど」

 ルワは耳打ちをする。かなり大きな声なのだろうが、あまりよく聞こえない。かといって、ボーカルが歌っている歌詞が耳に届いているわけでもない。何となく、非日常な空間に放り出されたようで心細かった。

既死軍(キシグン)にいたらさ、こんなのって来られないんだろ? 好きか嫌いかは知らないけど、何でも経験だからさ」

 ヒデにとっては、この空気感は苦手だった。思い返せば今も生前も音楽なんてあまり聞いたことがなかったなと、真横にいるというのにこちらには少しも気付いていないファンたちのほうを見た。彼ら、彼女らにとっては心を揺さぶる何かがあるのだろうが、自分にはない感性だと視線をステージに戻した。

 そういえば、メンバーの一人がロイヤル・カーテスのトロアに似ているとレンジが言っていたなとその一人を凝視してみたが、米粒よりも小さくてはどうにもならなかった。一瞬モニターに映りはするが、それも角度がついていてよく見えなかった。

 ヒデの表情に気付いたルワが耳元に口を近づける。「怒られる前に逃げるぞ」と言うが早いか、再びヒデの手首をつかんで逃げるようにしてその場を後にした。

 重い扉を閉めると、先ほどまでの世界は遠く小さなものになった。ヒデは目と耳に違和感を覚えながら、何度か目をしばたたかせてみる。まるで白昼夢か何かのような形容しがたい空間だった。この感覚を体験するために観客は足を運んでいるのだろうと、わからないなりに理解しようと努めた。


 それからしばらくは定期的に「異常なし」という連絡が入って来るだけで何も起こらなかった。このまま全員が無事に帰路に着けたらいいのにと願いつつ、ヒデたちは巡回していた。

 そうこうしていると、スタッフ用の扉からぞろぞろと人が出て来た。みんな同じ帽子と上着で、遠くから見てもスタッフだと一目でわかる。終演が近いようで、円滑な退場ができるように規制をするためだろう。

「もう二時間も経ったのか。楽しい時間ってあっという間だよな」

「特に、楽しくはないですけど」

「えっ何で。珍しく俺との任務(しごと)じゃん」

「仕事は仕事なので、楽しいとかそういうのは」

「堅物~!」

 けらけらと笑いながら、ルワは会場外との出入り口になっているガラスの扉にふと目を向けた。そこには簡易的なパイプフェンスが置かれ、使用できないことを告げている。

「ここ、退場できるところだったよな」

 ルワははたと足を止め、それに合わせてヒデも立ち止まる。

「確かに、おかしいですね。入退場には東西南北すべての出入り口が使われる予定です」

炯懿(ケイ)、南口が封鎖されてる。どうなってる」

『全部開けさせて! 蜉蒼(フソウ)が何か仕掛けてくるかも』

『かもじゃなくて、十中八九そうだろうな』

『西口は開いてる。今から俺とヤスで東と北の確認に行く』

 炯懿(ケイ)を遮ったヤンに続いて、カトルからも連絡が入る。それぞれがルワの無線を聞いてすぐさま動き出していた。

「いいや、東の確認はヤスだけ行ってくれ。カンは西口に待機。千隼(チハヤ)(ユズル)は北の確認、頼んだ」

『コウはどうするんだよ』

「俺と伊織は北口に向かう。一番駅に近い出口だ。人も一番多い」

 ヒデはルワが無線でやり取りをしている間に、出口に立っていたスタッフに声をかけた。年齢からして大学生ぐらいのアルバイトだろう。ヒデたちが持っている運営用の立派な通行証とは違い、社名と通し番号だけが書かれている簡素なものを首から下げている。先ほどは遠くてわからなかったが、帽子と上着にも同じ社名が印刷されている。

「あの、退場時はここは開けるはずですよね。どうして閉めてるんですか?」

「さっき人が来て閉めておくようにって言われたんです。規制退場するから出口は少ない方がいいからって」

「私たちもここの退場担当だったからびっくりしたんですけど、でも上の人っぽかったし」

「俺たちもよくわかんないんです。言われたからしてるだけで」

 スタッフたちも顔を見合わせて不思議そうにしている。先ほど仕入れた情報では、退場に関して何も変更はなかった。蜉蒼(フソウ)が細工をしているのは明白だった。

「伝達の間違いのようです。ここは開けてください。責任は僕らが取るので、絶対に閉めないでください」

 それっぽく通行証を見せると、アルバイトたちは小さく気だるげに返事をして、設置したばかりのフェンスをせっせと動かし始めた。遠方から来ているのか、用事があるのか、終演を待たずに退場している客がちらほらといる。

 既に北口へ向かっていたルワをヒデは走って追いかける。

『やっぱり、思ってた通り終演後のようだな』

 既死軍(キシグン)だけの無線でケイが声をかけてくる。四か所あるはずの出口が不自然に閉じられているのは客の流れをまとめておいて、そこに一気に仕掛けるつもりだからだろう。ケイの予想が当たったのはさすがだと思う反面、平和に終わりそうもない夜になってしまったことを残念に思った。

 既にアンコールが始まっている。

『俺と(ユズル)は北口に着いてる。不審な人影は今のところないけど』

『終演まであと数分ある。会場内外をしらみつぶしに探してくれ』

『了解。伊織も来るのか?』

「今向かってるけど、僕は中のほうも探しとく」

『わかった』

 ヤンからの無線が黙ったころ、やっとルワの背中が見えた。名前を呼ぶと、息も上がっていないルワは速度を落とした。ヒデは肩を並べる。

「コウは下がっててください。何かあったら僕がやります」

「何でだよ、手柄総取りってか?」

「いや、違います」

 不敵に笑ったルワにヒデも不器用に笑い返す。手柄など誰も求めていないことは、どちらもよくわかっている。ゆっくりと足を止めたヒデに合わせてルワも二、三歩離れたところで振り向いた。数人がまるで二人など見えていないかのように通り過ぎていく。

「コウにはこちら側での人生があります。こんな大勢人がいるところで問題を起こさせるわけには」

「そんな心配してくれてるわけ? じゃあ、伊織たちはどうなるんだよ」

「言わなくてもわかってるはずです。僕たちはもう」

「まだ生きてるじゃん」

 ルワはわざと言葉を重ねるようにヒデを制した。続けられる言葉は聞かなくてもわかっていた。それでも、口にしてほしくなかった。まっすぐ見つめていたヒデの瞳が一瞬、揺れたように見えた。

「ヒデはまだこうして、ちゃんと生きてる」

 純粋な瞳に耐えられず視線を外したヒデは「僕が行きます」とルワの隣を通り過ぎた。人の流れが徐々にではあるが増え始めている。刻一刻とその時が迫り、ここで言い争っている場合ではないことは容易に見て取れる。

 そこに炯懿(ケイ)から指示があった。ロイヤル・カーテスは西口、既死軍(キシグン)は北口をそれぞれ守るようにということだった。元々人が出られるように解放されているところを狙うだろうというのが炯懿(ケイ)の予想だった。それには既死軍(キシグン)のケイも反対はしないようで、言う通りにしろとヒデたちに告げた。

「聞いてた通りだ。俺はあっちに合流する」

 ヒデを追いかけたルワは振り向きざまにそう言い残す。

「わかりました」

「また後でな!」

 気楽な約束をしたルワの背中は緩やかにカーブしている廊下に阻まれ、すぐに見えなくなった。ただの社交辞令か、本当にそう思っているのか、報告なら無線で済ませることもできるが、不思議と任務が終わったらきちんと会ったほうがいいように感じられた。

『最後の曲目が始まった。このあと挨拶があってから演者が舞台袖にハケたぐらいで客は退場し始める。ヒデが今から半周したとしても十分合流は間に合う。状況は』

「内部は特に何もありません。千隼(チハヤ)たちは?」

『あー、ちょっと、何て言うか』

 歯切れの悪いジライの言葉が異変があったことを知らせる。

 会場の周囲には隣接するような商業施設も民家もない。わざわざこんな時間に駅からやって来るのは、終演後のグッズ販売目当てらしいファンや、ライブ会場内にいる子供を迎えに来たらしい親だけだ。そこにどう見てもこの華やかな世界に似合わない男が二人、向かってきていた。服装は普通だが、目つきが他の人たちとは明らかに違う。

『さっさと片付けようぜ』

『俺がやる。素手なら俺が一番強いからな』

 ジライが得意気に意気込んでいるのが無線越しに伝わって来る。ジライは既死軍(キシグン)では珍しく、武器らしい武器を持たずに拳一つで戦う(イザナ)だ。運営に対しても厳しい身体検査がある会場に出入りするために、今日は誰も武器を持ち込んでいない。しかし、そんな勝気なジライをヤンが許すわけもなかった。

『俺もベルトが鞭代わりになるし、負けねぇよ』

「え、僕も行ったほうがいい?」

 この二人でどうにでもなるのではないかと感じられたが、すぐさま『当然だろ。早く来いよ』とヤンに却下された。


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