200話 純氷(じゅんぴょう)
溶け合わない、透明。
駅から続く道は賑やかな声であふれている。一人で携帯電話を見ながら足早に歩いていく人、友人たちと笑いながらのろのろと歩く人、それぞれ違った様子ではあるが、全体が明るい雰囲気に包まれている。全員が同じ目的地を目指し、横幅の広い階段をぞろぞろと上っていく中、ヒデもそこに紛れていた。階段を上り切ると、すぐに目的地が見えた。一万五千人ほどが収容できるコンサートホールだ。楕円形状になった大きな建物はまだ閉まったままだが、周りにはイベント用のテントがどこまでも白い屋根を連ね、それに吸い寄せられるかのようにして長蛇の列が形成されている。グッズ販売の列であることは設置された看板から一目でわかる。寒さも顧みず、誰もがじっと行儀よく並んでいる。
「やっほーヒデ、久しぶり。あけおめー」
植え込みの段差に浅く腰掛けていた青年が立ち上がり、見慣れた笑顔でひらひらとお気楽に手を振っている姿が見えた。考えるまでもなく、ロイヤル・カーテスのルワだ。制服を着ていないのを見るのは二度目だが、かっちりとした軍服よりもラフな私服のほうが似合っているように思えた。
ヒデは人の流れから離れ、人差し指を口元に当てて「静かにしてください」と小声でささやく。開場を待ちわびる人たちからは少し離れたところではあるが、辺りを警戒してきょろきょろと見回す。
「あけおめって時期は過ぎましたし、僕は伊織です」
「おー、いい名前じゃん。俺はコウって呼んでくれ」
「前と同じ名前なんですね」
「毎回変わるのも面倒じゃん? 覚えられないし」
そう笑いながら、ルワは視線を落として携帯電話でメッセージを打ち始めた。
「今日来てるの、俺の他はカトルとユイトなんだけど、会ったことある?」
「いや、多分初めてですね」
「既死軍は?」
「千隼と譲です」
「誰それ。どっちも知らない」
「会えばわかります」
「偽名ってこと? もっとわかりやすいのにしてくれよ」
「わかりやすかったら意味なくないですか?」
「それはそうだけどさ~」
「コウだって、ルワと何にも関係ない名前じゃないですか」
「そ、それもそうなんだけどさ~」
ルワは困ったように眉を下げた。携帯電話をコートのポケットに入れ、ヒデに向き直る。明るい太陽の下で見るルワはやはりどこにでもいる青年でしかない。自分も同じように一般人らしく見えているのだろうかと、急に周囲の目が気になった。
数日前、堅洲村の会議場に集められた誘たちが「これ、誰かわかるか?」とケイに見せられたのは下半分ほどが切り取られたポスターだった。そこにはポーズを決めた二十歳前後の男性が四人写っていて、一部の文字からライブの告知用ポスターであることがわかった。この男性たちはそのバンドメンバーなのだろう。そこまでは誰もが推測できた。
しかし、「誰か」と問われると、眉をひそめてこの四人に関する記憶を探るしかない。どこかで見たことはあるのかもしれないが思い出せない。既死軍へ来てから出会った人は、大体が薄暗い空間での記憶しかない。顔などはっきり見た記憶もなければ、任務が終われば不要な記憶として徐々に忘れていってしまう。
全員が「うーん」と頭をひねっていると、後方から声がした。
「それ、国士無双じゃろ?」
後ろに座っていたトウヤを振り返ると、当然の知識であるかのように自分の意見に一人うなずいている。しかし、ケイを除く全員が頭に「国士無双?」と疑問符を浮かべていた。
「何じゃ、おめぇら知らねぇんか」
「既死軍は世間知らずだからしょうがないな」
他の誰よりも早く、ケイはトウヤの呆れたような言葉を肯定した。ケイはポスターをくるくると筒状に丸めながら話を引き継ぐ。
「国士無双っていうのは最近流行ってるバンドの名前だ。ここ二、三年で人気が出始めたからお前らが知らないのもまぁ無理はない」
「で、その興行が蜉蒼に爆破されるってか?」
レンジが笑いながらケイのセリフを先取りする。
「話が早くて助かる。その通りだ。蜉蒼の予告であることと規模から考えて、今回もロイヤル・カーテスと手を組む。誰が来るかは知らんが、三、四人寄越すと聞いている。こちらからも同程度の人数を出すつもりだ。詳細は一分後だ」
一分後、この場に残っていれば任務へ行く意思があると見なされ、その中からケイが適当な誘を選ぶことになる。ケイがいつも通り「解散」と言おうとしたところで、ジライがもう一度ポスターを見せてくれと待ったをかけた。近づいてまじまじと左端に写っている男の顔をのぞき込む。
「これ、トロアに似てないか?」
ジライからの問いかけに、それぞれがもう一度ポスターに目を向ける。だが全員が渋い顔をするばかりだ。
「俺、トロアって会ったことないかも」
「声ならわかるけど、暗くて顔はあんまり覚えてないな」
「言われたら何となく雰囲気は似てる、気がするけど」
しばらくは肯定も否定もなかったが、ちらほらと声が上がり始めた。
トロアといえば、ロイヤル・カーテスの一人だ。ケイの予想ではロイヤル・カーテスは十五人で構成されているはずだが、任務で出会う頻度にはかなり差がある。ルワやユネのように誰でも会ったことがある人間もいれば、話題にほとんど上がらない人間まで様々だ。
監視カメラ越しにしか外界の様子を見ることができないケイにしてみれば、トロアに似ているというのは自分では気づくことのできない情報だった。
「仮にこれがトロアだったとして、蜉蒼は知ってて狙ってんのか?」
「いや、それはないだろう。俺以上に蜉蒼がロイヤル・カーテスのことを知っているとは思えないからな。偶然か、因縁か、いずれにせよ、俺たちがやることは一つだけだ」
そう言うと、ケイは解散を告げた。
そうして任務に向かうことになったのが、ヤン、ジライ、ヒデの三人だった。
カトルたちを待ちながら、ルワはヒデと話を続けている。
「こういうところって空港並みに身体検査厳しいし、客が当日持ち込んでるって線は薄いよな」
「既に設置済みで、起爆ボタンを押すだけって感じでしょうね」
「中止してくれるのが一番手っ取り早くて助かるんだけどな」
「同感です。けど中止の発表が早すぎると攻撃対象が別の場所に変えられて特定困難になるって」
「あーわかるわかる。ギリギリの発表でも人は結局集まってるから多少なりとも被害は出るし、難しいよな」
開場までまだ数時間はあると言うのに人の波は止まることを知らず、次から次へと押し寄せてくる。
「蜉蒼の言い分もわかると言えばわかるんですけど」
ヒデは誰もが浮足立ったように笑いさざめく様子を、どこか遠い場所でも見るかのように眺める。自分は確かに先ほどまであの群衆の一人だった。しかし、紛れることはできても、溶け込むことはできないのだろうなとぼんやりと考えた。
「あの人たちの楽しみを邪魔する権利は蜉蒼にはないはずです」
「確かに、今テレビとか見ても戦争一色でつまんないしな~。それを」
「えっ戦争してるんですか」
丸くなったヒデの目がルワと合う。戦争については日々辟易するほどの情報量が流れて来るというのに、知らないなんてあり得るのかという驚きがルワにはあった。今までの会話の端々から既死軍は社会から隔離された生活をしているのだろうという予想はしていたが、それがほとんど確信めいたものに変わった。やはり自分たちとは違う世界の住人なのだと思わずにはいられなかった。
「何、知らないのか? 既死軍ってえげつない情報統制なんだな」
「まぁ別に、知らなくてもやっていけますし」
確かに既死軍は外界と隔絶された堅洲村に住み、知ることのできる情報はかなり制限されている。しかし、それは「知らないほうがいいこと」だからであって、「情報統制」と言われるのは何となく不愉快に感じられた。
「けど、どことですか? 戦時中にしては」
「あぁ、帝国は直接はやってないんだよ。シャルハラードとダル・ルアンはわかるだろ?」
「わかります。じゃあ、シャルハラードの支援って感じですか?」
「お、察しがいいねぇ」
「これぐらいは、さすがに」
それからしばらく、ルワが話を行ったり来たりさせながらダラダラと雑談をしていると、遠くからヤンとジライがやって来るのが見えた。
「曙光もさ、代替わりっていうの? 爺さんが死んで、息子がやっと実権握ったって感じだな。本当に天寿を全うしたかは怪しいけど」
「財閥がどうした」
ヤンの声でルワはやっと話を止め、二人を「千隼と譲、で合ってる?」とそれぞれ指差した。千隼と呼ばれたヤンはうなずきながらコートのポケットに手を突っ込む。
「合ってる。そっちはまだ一人か?」
「カトルとユイトが来るけど、もうちょっとかかるんじゃないかな。あ、俺はコウって呼んで。カトルはカンで、ユイトはヤス」
「覚えにくいな」
「それはお互い様じゃん。ていうか毎回同じ俺たちのほうが親切だと思うけど」
口をとがらせるルワを「そうだな」と適当にあしらったヤンは「で、財閥が何だって」と話の続きを促した。暇つぶしにでも聞くつもりなのだろう。ジライは興味なさげに植え込みの段差に座り、あくびをしている。
「今帝国はシャルハラードとダル・ルアンの戦争に首突っ込んでるんだけどさ、それから財閥の話になって」
「財閥あっての軍事国家だからな」
「そうそう。けどそんな時に曙光の爺さんが死んだから大変だって話。噂では他殺だし」
「自然死だろうが他殺だろうが、人が一人死んだところで何も変わらない。財閥が財閥である限りな」
白い息が冷たい空気に溶ける。
「財閥は潰れないし、帝国が潰さない」
興味が薄れたのか、ヤンはそう残してジライの隣に座り込んだ。
「な、何かヒデ、じゃなくて伊織以外のやつ、喋りにくいんだけど」
今にも泣き出しそうな情けない表情でルワはヒデに助けを求める。しかし、ヒデは「そうですか?」と首をかしげるだけで、賛同する様子はなかった。
「みんな冷たくない?」
「いや、僕は感じませんけど」
「それは仲間だからじゃないの?」
「僕らは仲間ではないです」
「なんかもう既死軍の関係性わかんない!」
嘆きにも似た悲痛な声でルワは早くロイヤル・カーテスの仲間たちが来ることを願った。