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Blackish Dance  作者: ジュンち
195/208

195話 贋造

真実は、形を変えて。

 ヤンとアヤナは施錠もされていない不用心なドアを開け、印刷工場内に入る。ドアを開けた瞬間から機械が絶え間なく動いている音が響いていた。広々とした敷地と建物にふさわしく、身長より高い印刷機が順番に行儀よく置かれていた。三千万枚も印刷できるなど一体どんな規模で機械が動いているのかと思っていたが、稼働しているのは実にこぢんまりとした一画だった。天井は高く解放感はあるが、印刷機同士の間隔は比較的狭い。

「こんな狭さで機械壊すなってほうが無理だろ」

「ヤンの鞭はある程度広さ要るもんな」

 人影がないことにぶつくさ文句を言いながら歩くヤンの隣でアヤナは苦笑する。数回程度ヤンとは任務に出たことがあるが、自分の持っている合口(あいくち)と呼ばれる鍔のない短刀と違い、ヤンの武器は広範囲に影響が及ぶ。それに加えて攻撃速度も速く、扱いの正確さも相まって威力は相当なものだ。しかし、せっかくの武器もこんな所では宝の持ち腐れのように思えた。

「でもケイの言うとおりにしないと、あとが怖いんだろ?」

「怖いっていうか、小言が長い。俺らが一番言われてる自信があるから忠告しといてやるよ」

「助かる」

 そんな雑談をしていると、不意に機械の影から人が現れた。どこにでもいるような中肉中背の中年男性で、工場らしく灰色と水色の中間色のような作業服を着ている。その姿を認めるが早いか、アヤナは風のように音もなく男に近づき首筋に真っ直ぐな刃を当てた。男は突然の出来事と、這うような刃の冷たさに「ひっ」と短い悲鳴を上げて固まる。

「急でごめんなんだけど、この機械って止めれる感じ?」

 機械音に負けないように耳元で問いかけると、男は目だけを動かしてアヤナを見る。自分よりも細身のアヤナがひ弱そうに見えたのか、反撃しようと腕を少し動かした。しかし、所詮ただの工場勤務だ。その様子を見ていたヤンは僅かな動きも見逃さなかった。器用に鞭を男の腕に巻きつけ、自分のほうに引き寄せる。その勢いで男はバランスを崩して床に倒れ込んだ。

 ヤンは男の手のひらを踏みつけ、しゃがんで顔を近づける。

「ここにいる全員を集めてくれ。話がある」

 何か言おうとするのも許さず、男の前髪をヤンは掴む。

「お前の話は聞きたくねぇ。全員集めろって言ってんだ」

 それでも自分を睨みつけるだけの相手に、早くも業を煮やしたヤンは「おい、アヤナ」と視線を移した。返事をするかわりにうなずいたアヤナは制服を翻し、人がいるであろう方向へ歩いて行った。

 その背中を見送ることもなく、ヤンは再び視線を落とす。

「俺の質問に答えるだけでいい。白を切ったらどうなるか、わかるか」

「俺たちはただ、言われた通りに」

 自分の置かれた状況がいまいちわかっていないのなら、説明するより体にわからせたほうが早いと判断したヤンは鞭から拳銃に持ち替え、わざとらしく見せつける。

「そんな決まり文句を聞くためにわざわざこんな所まで来たんじゃねぇんだよ、俺たちは。二度と喋れなくしてやろうか?」

 やっと強盗の類ではないことを理解した男は大人しく小刻みに何度か首を横に振った。


 一方、ヒデは倉庫内をざっと見て周り、ケイに報告をしていた。札束のほかには雑然と荷物が置かれているだけで、他に重要なものはなさそうだった。

「えーっと、紙幣は五百って書いてるのばっかりですね。僕が見える範囲ですけど」

 そう言いながら、一枚を抜き取ってまじまじと観察してみる。紙幣にはどこかで見たことのある字でおそらく通貨単位が書かれているが、当然読むことはできなかった。これが帝国の通貨だと一体いくらに相当するのかもわからない。しかし、その国では高額紙幣であることに間違いはないのだろう。

 紙幣には偉大な人物らしい老人と、異国情緒あふれる建物の絵が描かれている。外国の紙幣など滅多に実物を見られるものではない。ほんの少し、ヒデは新しいおもちゃでも得たような笑顔になる。

「大体三畳ぐらいの広さに、僕より少し高いぐらい積まれてます。これって何枚ぐらいですか?」

『それなら一千万枚よりはかなり少なそうだな。八百から九百ぐらいか。印刷機が俺の資料通りのものなら、稼働は大体二週間ってところだな』

 ケイは内心にやりと笑う。ルキが偶然仕入れた情報で、信じていないわけではなかったが、イチかバチかという気持ちもないわけではなかった。軍内部で耳にしたのは噂程度の話だったのかもしれない。それでも話題にしたのは、さすがルキだと賞賛せざるを得ない。

「燃やすなら今から燃やしてしまいますけど、どうしますか?」

『いや、札束のままだと酸素が行き渡らないから火の回りが遅い。燃え尽きるまで数日はかかるだろうし、燃え残りも出る。バラして燃やしたところで、それも数十時間はかかる。ヒデはヤンたちに合流してくれ。あとは堕貔(ダビ)に任せる』

 ヒデは安堵したように紙幣を紙束に戻した。焼却の役目を買って出たはいいものの、大火の記憶が頭の片隅に残っていた。燃え盛る炎と、黒い煙、苦しくなる呼吸。そこから助け出してくれたのはミヤだった。これは確か、黎裔(レイエイ)での記憶だ。また自分が火に呑まれてしまうのは怖かった。そう何度も都合よくミヤは現れない。今回ばかりは誰も助けられはしないだろう。

『ヒデ、どうした』

「わ、わかりました!」

 一瞬、呆っとしていたらしい。頭を振ったヒデは努めて明るく返事をする。

「ヤンたちって今何してるんですか」

『働いてるやつら集めてるところだな。特に戦闘にもならなさそうだ』

「それはヤンが残念がりますね」

 軋む大きな扉を再び閉め、ヒデはヤンたちの待つ工場へと小走りに向かった。


 しばらくすると、休みなく働いていた印刷機が止まった。久しぶりに静かになったなと思っていると、満足そうな表情のアヤナが性別も年齢もばらばらの数人を引き連れて戻って来た。全部でたった五人しかいないのは拍子抜けだったが、少人数ならすぐに終わらせられるとヤンは口を開いた。

「穏便に済むかどうかはお前ら次第だな」

 そう前置きすると、ヤンは耳元で聞こえるケイからの質問を一人一人に聞いていく。素直に答えなければ、既に血を流して倒れている元同僚と同じ末路を辿る羽目になると職員たちは震えあがっていた。途中でヒデも合流し、事の成り行きを見守る。


 アヤナが職員たちの背中であくびをし始めたころ、ヤンは最後の質問を終えた。結局、全員を問い質しはしたが、得られたのは既に死んだ男と同じような要領を得ないものだった。偽札を刷っていることはさすがに理解していたが、その理由も、お互いのことも、詳しく知りはしなかった。それどころか、給料を支払っている雇い主のことも知らない様子で、わかったことと言えば、この仕事が終われば高額な報酬が支払われる約束になっているということぐらいだった。ケイは話の端々から、今ヤンたちの目の前にいるのは、犯罪実行者の募集で集められたただの使い捨てだと判断した。この「仕事」が終われば、葬られる運命なのだろう。それなら、その運命の時が早いか遅いかだけの違いだ。

 本来であれば、ここは白波(シラナミ)機関と呼ばれる極秘機関の施設で、軍が取り仕切っているはずだ。元帥が指示を出し、選ばれた軍の人間が秘密裏に偽札を刷るのが正しい運営だ。だが、少なくともこの人間たちは軍人ではない。元締めも知らないのでは、これ以上質問をさせたところで埒が明かないだろう。白波(シラナミ)機関を私利私欲のため、元帥に断りもなく使った罪は重い。だが、ここから先を調べるのは自分の仕事だ。ケイはヤンに短く打ち切りを伝え、了解の返事が返って来た。

 ヤンは四人に真っ直ぐな視線を向ける。

葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク既死軍(キシグン)。通貨偽造につき、厳重に処罰する」

 悲鳴を上げる暇も与えなかった。ヤンの鞭がしなり、その軌道に沿うように血飛沫が飛び散った。ややあって、男たちの体が後ろ向きにあっけなく倒れた。

「案外早かったな」

 ヤンは制服の裾で鞭についた血を拭いながら、やっとヒデに話しかけた。白い制服に一本の赤い筋が浮かび上がった。

「僕が一人で燃やすには多すぎるんだって。だから堕貔(ダビ)に任せることになったよ」

「そんなにあんのか」

「何回か生まれ変わってもお金持ちになれると思う」

「それならさっさと燃やさせたほうがいいな。金持ちなんて碌なもんじゃねぇ」

堕貔(ダビ)も色んなことさせられて、大変だよね」

 それが仕事だろ、と当然のように返したヤンのところへ、ケイへの報告を終えたアヤナが参加する。

「そうそう、堕貔(ダビ)って何?」

「え、知らねぇのか?」

「聞いたことはあるけど、誰がやってるのかとか」

「死体処理してくれるやつらのことだ。けど、誰か、っていうのはケイぐらいしか知らないんじゃないか」

「あ、それ言うとケイさんに『堕貔(ダビ)の仕事は任務の後始末だ』って訂正されるよ」

「同じだろ」

 そう鼻で笑ったヤンにケイは『堕貔(ダビ)の仕事は任務の後始末だ』と一言一句同じ言葉を返す。ヒデは笑いながら「ほら」と得意げな笑顔でヤンを見た。

「ヒデが言わせたようなもんだろ。俺は悪くない」

 不機嫌そうに見えるヤンの怒りが飛び火するのを避けるように、アヤナは慌てて「それより、物壊してない?」と話題を変える。

「今のところ。ケイがうるさいからな」

『お前らが今回みたいに俺の言うとおりにしてくれれば、小言言わなくて済むんだよ。ヤンが言われてるのは自業自得だ。自覚ないのか?』

「あるから言う通りにした」

『素直で大変よろしい。堕貔(ダビ)が行くからさっさと帰って来い』

 工場に着いて一時間も経っていないだろう。あっという間に終わったなと三人は再び他愛のない話をしながら来た道を戻り始めた。


 ケイはまた小言を言う羽目になったなと無線を切った。

 白波(シラナミ)機関を知る人物は限られている。そこから私利私欲に走った元帥の裏切り者を炙り出すのはそう難しいことではないように思えた。少なくとも、工場で働く人員を集めるに至った求人は探せるはずだとキーボードを叩き始めた。


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