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Blackish Dance  作者: ジュンち
187/208

187話 確固不動

手にむすぶ水に宿れる月影の、あるかなきかの世にこそありけれ

 目の前にはミヤが立っていた。血塗れの着物はなにがあったのかを物語っている。シドが死を迎えることも、それがミヤの手でなされることも、覚悟はしていた。だがその姿は見るに堪えなかった。すぐに言葉も出てこなければ、身体も動かない。ミヤも何も語らず、しばらく無言で目を合わせるだけの時間が流れた。

 やっとこのことで手を動かしたケイは傍らに置いてあった白い便箋を手にした。カサリと音が鳴る。

「これ、シドから、ミヤに」

 遺書を持つ手が震えている。渡そうが渡すまいが、過去が変わることはない。ミヤが纏っているのはシドの血で、それはミヤがシドを殺めたからに他ならない。シドの覚悟も、ミヤの覚悟も本物だった。それなら、シドの遺書を受け取った自分の覚悟も、本物であったと証明しなければならない。

「確かに受け取った」

 静かにそういったミヤに何と返せばいいのかわからない。ケイは静かに遺書から手を離すと、うなだれるように床に両手をついた。ミヤの顔を見ているのは辛かった。いつも通りの表情なのに、それがただ悲しかった。だが、二人が決めた未来を泣くわけにはいかない。大きく呼吸をする。

 ミヤが名前を呼ぶ。

(ミソギ)にしか頼めない。シドのこと、頼んでいいか。俺は」

 何を言おうとしているかはすぐにわかった。続きは言わせまいとケイは顔を上げる。その勢いで溜まっていた涙がこぼれ落ちた。

「自分でちゃんと終わらせなきゃ。それが親の務めだ」

 ミヤはこのまま頭主(トウシュ)のところへ罪を告白しに行くつもりだ。止めなければならない。頭主(トウシュ)のところへ行くのは今ではない。

樹弥(ミキヤ)くんはシドの親として、最後まで見届けなきゃいけない。樹弥(ミキヤ)くんが言ってた親として責任を果たすって、そういうことでしょ」

 ミヤの遺書を持つ手に力が入った。

 ケイの涙を見るのはメグルが亡くなったとき以来だった。それからたくさんの既死軍(キシグン)の人間がこの世を去ったが、自分と同じようにすべてを封じ込めた表情で死を悼むだけだった。そんなケイが感情を露わにしている。止めどなく流れる大粒の涙が床にぼたぼたとこぼれる。

「俺が代わりに泣いてやる。みっともなく、大人げなく、泣いてやる。だから、樹弥(ミキヤ)くんは最後まで、いつも通りシドのそばにいてくれ。頼む、頼むよ、樹弥(ミキヤ)くん」

 ミヤはしゃがみ込み、ケイと視線を合わせた。

「俺たちのために泣かなくていい、(ミソギ)

 今となっては見慣れた、時折見せるこの優しい瞳も、自分と出会ったころは一度も見せたことがなかった。冷徹だったミヤの心を溶かしたのは、間違いなくシドだった。シドはたくさんのことを教えてもらったと言った。それはミヤやケイにとっても同じで、シドが残したものは数えきれなかった。

「この感情は俺だけのものだ。俺だけが背負う。それでいい」

樹弥(ミキヤ)くん」

「けど、(ミソギ)、教えてくれ。俺は、俺たちは」

「間違ってないよ。樹弥(ミキヤ)くんも、シドも。間違ってない」

 目を閉じたミヤは眉間にしわを寄せ、深く息を吐き出した。しばらくそのまま、ケイの言葉を噛み締めるようにうつむいたあと、ゆっくりと立ち上がった。

「シドを、荼毘に付す。手伝ってくれ」

 ケイは袖で目をこすり、「わかった」とうなずいた。


 それから数時間、冬の太陽はあっという間に落ち、辺りは夕暮れに染まっていた。

 堅洲村(カタスムラ)の外れにひっそりと存在している墓地で二人は地面に座っていた。簡易的な火葬場の炎を黙って見つめている。何時間も燃え盛っていたのが嘘のように、今は勢いを失いつつある。

 お互いに何を考えているかはわからなかった。だが、恐らく同じことだろう。

「もうすぐ、消えそうだな」

 そうつぶやくミヤの横顔は火に照らされ、どこか儚げだった。

樹弥(ミキヤ)くんは、これからどうするの。頭主(トウシュ)さまから離れるって言うなら手伝うよ。俺なら安全に逃がせられる」

「逃げてどうする」

 ケイの申し出にミヤは炎を見つめたまま呆れたように小さく笑った。

 シドを手にかけたミヤがこれからどうなるかなど、考えるまでもない。きっと頭主(トウシュ)に殺されるだろう。生き延びたとしても、今まで通りの生活が送れるとは思えなかった。

「こんな形ではあったが、与えられた任務は終わった。だからこそ、頭主(トウシュ)さま、いや、元帥に報告せねばならない。それが、俺の軍人としての務めだ」

樹弥(ミキヤ)くんは、ずっと軍人でいるつもりなの」

「そうだな。今となっては、それしか生き方が残されていない。それに」

 ミヤの表情が和らぐ。様々な想いが混在しているように見えたが悔やんではいないようで、どこか明るさが感じられた。

「軍人だったからこそ、シドに出会えた。俺はこうして元帥を裏切りはしたが、憎んでいるわけでも、恨んでいるわけでもない。今もまだ恩義を感じている。だから、元帥になら殺されても構わない」

 どこまでも似た親子だなと、ケイはそう言うミヤの表情にシドを見た。

 シドを失った原因も、出会えたきっかけも、頭主(トウシュ)だ。感謝や忠誠心、裏切ってしまった苦悩はまだミヤの中で混ざり合い、渦巻いている。そう簡単に割り切れるものでも、捨てられるものでもない。ミヤの人生はまだ終わっていない。

「俺は、何もできないのか」

「俺と元帥の問題だ。(ミソギ)が気に病むことはない」

 そう言われてしまっては何も言い返せず、ケイは黙り込んだ。再び静かな時間が流れる。

 いよいよ火も衰え、もうすぐお互いの顔も見えなくなるころ、ミヤが口を開いた。

「しばらく、一人にしてくれないか」

 ケイは短く返事をしてその場を去った。最後の時はやはり二人きりになりたいのだろう。次にこの場所に訪れる時には無機質な墓石とも呼べない石が増えている。私物も写真もないシドが生きた証は、それだけだ。シドだけではない。墓地に眠る幾人もの生きた証は、ただ記憶の中にしか残らない。

 自分もそうだ。行きつく先は、等しく、冷たい土の中だ。ケイはそこに眠る全員を順番に思い出しながら宿(イエ)へと帰った。


 日が暮れてしばらく経った。星が輝き始めている。もう埋葬もとっくに終わっただろうとケイは自室のわずかに見える窓から空を眺めていた。今までと同じ景色なのに、どことなく違う世界のようにも見えた。

 襖が静かに開かれ、イチが「ケイさん」と声をかけた。

「ミヤさんが来ています」

 ケイからは何も話していないが、イチはこの数日の出来事を察しているらしい。情報統括官を継ぐ者として、きちんと順を追って話さなければと思いつつも、まだ口にできるほどの心理的余裕はない。イチもその時が訪れるのを待っているようで、何も探ってはこない。それをいいことに、ずるずると決断を引き延ばしてしまう未来が見える。

 一歩室内に踏み入れたイチは、廊下に聞こえないほどの小さい声でつぶやく。

「ここは僕が代わります。お二人の会話は何も聞きません。だから、ちゃんと、話してきてください」

 ケイは「ありがとう」とイチの肩を叩き、役割を交代した。

 廊下に出ると、玄関の上がり(がまち)にスーツ姿のミヤが座っていた。その背中には先ほどまでの悲愴感はもうなかった。

 ケイに気付いたミヤは立ち上がる。

「俺は今から頭主(トウシュ)さまのところへ行く」

 その服装を見れば、堅洲村(カタスムラ)を離れることも、その行先がどこであるかもわかっていた。ケイはうなずくことしかできず、気の利いた事も言えない自分を呪った。

「もう、(ミソギ)にも二度と会えないかもしれないな。だが、俺はこの人生を何も後悔はしていない」

 シドとの別れとは違った感情が押し寄せ、言葉一つひとつが突き刺さる。うつむきそうになったケイだったが、ミヤの次の一言に顔を上げた。

(ミソギ)がそう言ってくれたからだ」

 今までどれほど感情を伝えてきたかわからない。それがミヤが人生を肯定するに至ったきっかけになっていたことが嬉しかった。出会ってからのすべてがこの一言に集約されているように思えた。

「俺たちのために尽力してくれたこと、何と感謝すればいいかわからない。どんな言葉でも足りない。(ミソギ)

「言わなくていいよ」

 その続きを聞けばすべてが本当に終わってしまうようで、ケイは首を横に振ってミヤを止めた。その意図を汲み、ミヤは続ける言葉を変える。

「俺にもしものことがあったとき、シドと既死軍(キシグン)を頼む。もちろん、頭主(トウシュ)さまのことも」

 ミヤがいない世界を想像するだけで苦しくなる。全身が脈打つようなのに、血の気が引いていくようでもある。きっとミヤには気付かれてはいるだろうが、精一杯隠し通して見せようとケイは口を固く結ぶ。

「俺たち既死軍(キシグン)頭主(トウシュ)さまの理想を実現するためにいる。頭主(トウシュ)さまのために手を汚してくれる人間がここまで増えたのは、(ミソギ)、お前のおかげだ。これからも俺の代わりに、頭主(トウシュ)さまを支えてくれ」

「守るよ。樹弥(ミキヤ)くんの大事なもの、全部。俺が守るから」

 ミヤは静かにうなずき、背中を向けた。一歩一歩、その姿が遠ざかっていく。

 きっと、これが最後だ。そんな予感がした。

 ケイは喉まで出かけた言葉を飲み込む。「行かないでほしい」など言えるわけがなかった。こんな陳腐な感情をぶつけるわけにはいかない。涙も叫びもすべて耐え、ミヤの後ろ姿を見送る。

 ミヤは振り返らないまま、暗闇にその姿を溶かした。

 出会ってからの日々が再び走馬燈のように駆け巡っていった。一人、また一人とその姿を消し、遂にはミヤの(ともしび)まで消えそうになっている。ケイは震える唇で息を吐き出す。自分が死ぬわけにはいかない。その日が来るまで、守らなければならないものがある。

 廊下を戻り、襖を開けた。

「イチ、話したいことがある。聞いてほしい」

 振り返ったイチは笑顔を見せる。

「はい、もちろんです」


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