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Blackish Dance  作者: ジュンち
183/208

183話 二律背反

解けて、綻びる。

 寒さが日増しに深まり、太陽が空を照らす時間も日に日に短くなっていく。堅洲村(カタスムラ)に比べれば多少寒さはマシに思えるが、それでも確実に季節は冬に足を踏み入れた。

 貫流(イヅル)水力発電所での任務終了を報告する書類を手にしたミヤは軍服姿で頭主(トウシュ)の私邸に来ていた。通い慣れた書斎で、低いテーブルを挟んで頭主(トウシュ)と向かい合ってソファに座っている。煌々と電気はついているはずなのに、どことなく室内は薄暗い。

 目の前に座る頭主(トウシュ)は受け取った報告書に目を通し始める。爆破計画が無事に阻止されたこと、蜉蒼(フソウ)を率いる風真煌悧(フウマオウリ)が現れたことなど、ケイが作った報告書はいつも通り簡潔にまとめられている。ケイからの話によると本人たちは激闘を繰り広げたらしいが、まとめてしまえばこんな紙切れ数枚にしかならない。うっすらと透けて見える文字の羅列をミヤは目で追った。

 しばらく無言で読んでいた頭主(トウシュ)だったが、蜉蒼(フソウ)に関して進展があったことに満足そうな顔を上げた。その表情にミヤが胸を撫で下ろすが早いか、頭主(トウシュ)はすぐにページをめくり直し、負傷者の名前を指差した。

(ヒデ)が骨折するとはな。全治一か月か。この一年しかないというのに、少しの負傷でも損害は大きい」

「ヤヨイ曰く骨形成促進剤もあるそうですが、必要なら使わせますか」

「いや、(ヒデ)には使うな。表向きはまだ動物実験が終わったばかりだと聞いている。重篤な副作用がないとも限らん」

「わかりました。伝えておきます。それよりも、シャルハラードへの派兵の件はどうしますか」

 既死軍(キシグン)の話を避けるように、ミヤは話題を仕事に切り替えた。

 こんな小細工がいつまで通用するかはわからない。だが、こうして頭主(トウシュ)をできるだけ既死軍(キシグン)から遠ざけておけば、シドが取り戻しつつある穏やかな日常が脅かされることもない。

 堅洲村(カタスムラ)に夜の帳が下り全員が寝静まったころ、義足を手に入れたシドが松葉杖を頼りにどこかへ出かけていることは知っていた。堅洲村(カタスムラ)をゆっくりと歩き、星空を見上げ、滝壺に座って釣り糸を垂らす。それがかつてのシドが過ごした夜だった。慣れない足取りではあるが、同じような時間を過ごしているのがミヤには嬉しかった。

 いつかはシドが既死軍(キシグン)を離れ、自分のように軍人として生きなければならない日が来ることは理解している。シドのためなら何でもしてやるとは言ったものの、実際は行動も時間も限られている。今はそのささやかな夜を守ってやることが正解のように思えた。

 頭主(トウシュ)がケイからの書類をテーブルに置いたのを見計らい、ミヤは続ける。このまま時間を稼いでおけば、その内秘書の橘がやってきて軍議へと連れて行ってくれる。そこからしばらく頭主(トウシュ)に会う予定はない。

「戦況は悪化の一途です。あの一帯の天然資源を当てにしてる国から何故か帝国が嫌味を言われる始末。軍内でも意見は真っ二つですし、派遣するなら年内にはしておかないと、これ好機とばかりに方々(ほうぼう)から何を言われるか」

「しかし、世界最高峰の軍事力を誇る我が帝国にわざわざ復興支援と安全確保支援を要請してくるとはな」

 腕組みをした頭主(トウシュ)はソファに深く座り、背もたれに身体を預ける。

 渦中の国が支援を求めてきたと聞いたときは喜び勇んだが、実際に求められたのは戦火を逃れた人々へ温かく手を差し伸べることだった。帝国軍の持つ圧倒的な力が世界にもたらすのは破壊でしかない。その力を恐れたことは容易に想像できるが、拍子抜けした要請に帝国内でも意見は分かれていた。

「俺としては同盟国とはいえ、そもそもシャルハラードを助ける必要性は感じませんけどね。あの国は旧軍を侵略者と侮辱した過去があります」

「そうはいっても、この国際情勢では要請は受け入れざるを得ないだろう」

「それはわかりますが」

「帝国といえども、世界との調和は図らねばならん。過去を水に流し、恩を売りつけるのも王者の責務だ」

 イラついた様子のミヤをたしなめるように頭主(トウシュ)は同じような言葉を付け足した。

「恩を売るなら前線にも派兵してはどうですか。泥沼化してる現状を打破するなら、帝国が軍事介入するのが一番早いです。それに、後方支援だけとあっては血気盛んな軍人どもは納得しないでしょうし、手を挙げるやつはいるはずです」

「前線か」

 渋るような声色で頭主(トウシュ)は顎に手をやり、思案顔をする。

「帝国の軍事力を見せつければ各国への牽制にもなります。それに資源を輸入しているのは我々も同じです。終戦が早いに越したことはありません」

「何とも手本のような意見だな。本音を言ってみろ」

「シャルハラードごときに、こちらから死傷者を出さなくて済むなら助かる、というのが俺個人としての意見です。前線に出て死体になってくれるなら戦後の処理は楽ですが、万が一生き残って身体的、もしくは精神的に」

 そこまで言いかけてミヤは言葉を止めた。言おうとしたことはシドが今置かれている状況を的確に表している。心のどこかでは死んでくれていたほうがよかったと思っていたのかと、背筋が凍るような感覚がした。死んでいれば、希望を持つ必要も、こうして頭主(トウシュ)を欺く必要もなく、愚直に軍人をやれていたはずだ。シドとの約束を守るのか、それとも頭主(トウシュ)に忠義を尽くすのか。そんな心を引き裂かれるような板挟みになることもなかった。

 まさか自分がシドの死を願っているはずがないと、ミヤは眩暈がして思わず両手で顔を覆った。

 だがそんな心情を知らない頭主(トウシュ)は、ミヤが何を思って言い淀んだのか、別に思い当たる出来事があった。引きずっているらしい過去を払拭してやるように、代わりに言葉を続ける。

「精神的重圧障害は格段に治療法も薬も進歩している。完治とは言わないまでも、症状は大幅に改善される。私は今でも戦争が生んだ悲劇に対する一切の労力も費用も惜しむつもりはない」

 心を鎮めるように長く息ついたミヤは手を離し、顔を上げた。頭主(トウシュ)の話に頭をよぎらない顔がないわけではなかった。しかし、勘違いしてくれているならと話を合わせる。

「葉山さんのお心遣い、帝国民を代表して感謝します」

「償いのつもりはないが、軍事国家の元帥として当然の務めだ。そして、その一つが堅洲村(カタスムラ)であり、既死軍(キシグン)だ。その成り立ちはお前が一番よくわかっているだろう」

「そうですね」

 再び話題が既死軍(キシグン)に戻ってきてしまったことにミヤは内心焦りを感じた。逃れられない運命のようなものが遠くから片時も目を離すことなく、自分のことをじっと見ているような気がした。

「私たちは人を見送りすぎた。だが、樹弥(ミキヤ)。お前はどこにも行かず、いつまでも私に忠実でいてくれるな」

「当然です。俺は葉山さんだけの犬です」

「そうか。それならお前に問う」

 まっすぐに頭主(トウシュ)はミヤを見つめる。

 その運命は紛れもなく、目の前に形をもって座っていた。既死軍(キシグン)の話に回帰したのは、何も偶然ではなかった。

 頭主(トウシュ)が短く息を吸うだけの時間、空白が生まれた。嵐の前の静けさは、いつもこうだ。

樹弥(ミキヤ)は、私に何か隠していないか」

「いいえ。何故ですか」

 ミヤは少しも表情筋を動かさない。観察眼の鋭い頭主(トウシュ)が相手の心情を読むことなど造作もない。一挙手一投足に少しでも狂いがあれば、そこから真実に辿り着ける恐ろしい人間だ。だからこそ、この国を率いる元帥にまでのし上がった。だが、ミヤも伊達にそんな男のそばに居続けたわけではない。

 遠くない未来、それこそ今日にでもシドのことを追究されるのは想定済みだった。だからこそ、どんな角度から刺されても平然とやり過ごせるだけの技量はあると自負していた。それに、いちいち狼狽えてしまうような薄弱な精神力でもない。そう自分に言い聞かせはするものの、手足の末端から徐々に体温が奪われていく感覚がする。全身が這いずる氷に蝕まれるような感覚はやがて心臓をも喰い破るだろう。

「陸軍内で樹弥(ミキヤ)は暗躍する必要などない。そうなれば、既死軍(キシグン)か」

「葉山さん、疑心暗鬼はよくないことです。今、葉山さんが優先するべきは元帥としての務めで、それはシャルハラードへの派兵についてです。軍議の時間も迫っていますし、橘ももうすぐ迎えに来ます。既死軍(キシグン)のほうは俺とケイに任せてください。万事うまく進めておきます」

 ここでしくじれば未来がどうなるかはわかりきっている。数時間後にはシドがこの場所に座ることになるのは想像に難くない。どこで疑義を抱かれたのかはとんと見当がつかなかったが、一度疑われた時点で、葉山の中ではすべての決着はついているのかもしれない。それでも、抗わなければ終わってしまう。

「俺が望むのは葉山さんの理想とする世界。それだけです」

「本当に、隠し事はないんだな」

「俺が、俺のことが信じられないんですか、葉山さん」

 そう懇願してみるも、最早ミヤには自分がどの立場で話しているのかわからなくなっていた。軍人として元帥と話しているのか、秘書として頭主(トウシュ)と話しているのか、それとも、個人として葉山と話しているのか。軍服を着ている今の自分は、間違いなく元帥の忠犬だ。だが、軍服を脱いだ自分は頭主(トウシュ)に嘘をつき、シドを守ると決めた。一体自分は何者で、何を信じればいいのかと吐き気がした。

「いいや。樹弥(ミキヤ)のことは今までも、これからも、そして誰よりも信じている。だが、未だかつてないほど、今のお前の目には迷いが見える。お前が、樹弥(ミキヤ)自身が、信じさせてくれない。自分でわからないのか」

 息を呑む音さえ聞こえるほどの静寂が書斎を包み込んだ。このまま時間が止まってくれれば何も失うことはない。居心地の悪さなど取るに足らない問題だ。

 だが、無情にも時は止まらない。


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