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Blackish Dance  作者: ジュンち
182/208

182話 情誼

複雑に、織りなす。

 ヤンは滝壺の淵から投げ出した足を揺らしながら、満点の星空を眺めていた。何も予定がない日はこうして過ごす夜が多くなった。日増しに冷え込み、何もせずにじっとしているのが厳しくなっていく。それでもこうして座り続けるのは、シドの帰りを待っているからだった。

 ここはシドがよくいた場所だ。釣り糸を垂らし、ぼんやりと過ごしている姿を数えきれないほど見てきた。任務では鬼神が取り憑いたのかとさえ思えるほどの気迫を放つシドだが、ここにいるときはその片鱗さえ見せない。きっとどちらもシドの本質なのだろう。

 あの日、目の前で爆ぜたシドを連れ帰ったのはヤンだった。ヤヨイのもとへ辿り着いた時の安心感は今でも忘れられない。これで助かるという確信はあったが、その後のことは一切知ろうとしないまま時を過ごした。堅洲村(カタスムラ)にいるときも、何となくヤヨイやシドの宿は避けていた。当然、今シドがどこにいて、どんな状態なのかは知らされることもない。

 知ることは恐ろしかった。想定しうる「最悪」が現実になってしまったとき、自分の精神も共に崩壊してしまうようで、知らないままのほうが幸せだとさえ思えた。既死軍(キシグン)へ来てから幾度となく言われてきた「知らないほうがいいこともある」という言葉の重さが、今更ずしりとのしかかっていた。

 自分が一人心を煩わせたところで、何かが変わるわけではないことはわかっている。それでも何かしたいという思いがヤンをこの滝壺へと向かわせた。待っていればいつかは現れる。その時まで時間の許す限り待ち続けようと決めた。

 星は寸分も動いていないように見える。半纏を着ては来たが、さすがにこのままでは凍死してしまうと立ち上がろうとしたとき、人の気配がした。今まで聞いたことのないような足音で、ヤンは咄嗟に身構える。しかし、すぐに肩の力を抜き、自然と笑顔で「久しぶり」とこぼしていた。

 明かりと言えば月と星とランプの火だけだ。たとえ明かりが頼りなかったとしても、後ろ髪が短くなったとしても、足取りが覚束ない様子だったとしても、その「誰か」を間違えるはずがなかった。

 滝壺から続く道に立っていたのは待ち焦がれたシドだった。松葉杖はついているものの両足で立っている。それが義足であることはすぐにわかったが、ここまで回復したことにやっと心の底から安堵することができた。

 ゆっくりと歩みを進め、ヤンの隣に座ったシドは一息つくように前髪をかき上げる。この速度では、歩き慣れた道程でも相当な時間がかかったのだろう。その横顔には少し疲れが見えた。

 話したい事は山ほどあったはずなのに、いざこうして会ってみると何も言葉にならなかった。シドも話そうとする様子は一切ない。身を切るような寒さの中、しばらく沈黙が続く。

「シドがよくここにいた理由、今なら少しわかる、気がする」

 やっとヤンが口を開いた。

「考え事するにはちょうどいいな。一人の世界っていうか」

「俺がいる限りは誰も近づかないからな。わざわざ来るのはヤン、お前ぐらいだ」

 シドの声で呼ばれる名前は懐かしい響きがした。何となく恥ずかしい感じがして、ヤンはほんの少しだけ笑った。

「今日もわざわざ来たおかげで、やっと会えた」

「こんな夜に待つ必要もないだろ」

「でも、シドは俺の宿(イエ)になんて来ないだろ。俺も」

 行く用はないと言いかけたところでヤンは止まった。すぐにでもヤヨイやシドの宿(イエ)に安否を確認しに行きたい気持ちを抑え、ここで待つことに決めた。「シドはいない」と言われるのが、その意味を理解するのが怖くて、何も確かめられないままだった。

 何を言おうとしたのか、その空白がシドにはわかったらしい。その空気を汲み取り、「変わりはなかったか」と話題を変えた。

「ロイヤル・カーテスと蜉蒼(フソウ)の話、聞いたか?」

 短く否定の返事をしたシドに、ヤンはここ数日の出来事を話し始めた。もしかすると、ケイとミヤはシドを任務に行かせるつもりはないのかもしれない。そうでないにせよ、今、既死軍(キシグン)がおかれている状況を伝えていないのは、何か意図があるはずだ。しかし、今もきっとこの会話を聞いているであろうケイが何も口を挟んでこないのであればと、ヤンはどんな小さな出来事でも話した。ロイヤル・カーテスと手を組んだこと、風真煌悧(フウマオウリ)が現れたこと、そこから堅洲村(カタスムラ)での日常まで、話は尽きなかった。その間うなずくことも返事をすることもなく、シドはただ静かに耳を傾けていた。

 やっと話を終えたヤンだったが、一つだけ聞きたいことが残っていた。速くなる鼓動を押さえつけるように服の胸元のぐしゃりと握る。

「またいつか、任務には出られるんだよな」

「どうだろうな」

 肯定を期待してはいたが、どちらでもない返事なのは当然だった。日常生活すらままならないのは歩く様子を見ていれば容易に想像がつく。まずはそれを克服してからだ。だが、既死軍(キシグン)には五体満足ではないキョウがいる。義肢と義眼を使いこなし、日常生活はもちろん、任務も難なくこなしている。キョウにとっては血の滲む努力で掴み取った「普通」なのかもしれないが、前例があるのは一つの希望だった。

「俺、まだシドに何も返せてないからさ」

 ヤンはぽつりとこぼす。体が切り刻まれるような感覚は、何も寒さだけが理由ではない。

「ほら、前二人で任務に行ったとき、言っただろ。シドのことは絶対に守るって。なのに、俺は守るどころか、助けられもしなかった。一瞬のことだったのに、この後悔は一生忘れられないんだなって、思った。俺はシドに助けてもらったのに、まだ、何も」

 言葉が熱を帯びる。自分が不甲斐ないばかりにシドの人生を奪ってしまった。シドには再び戦いの場に立ってもらわなければ、助けることも守ることもできない。独りよがりな後悔であることはわかっていた。それでも懺悔にも似た心情を吐き出すのは止められなかった。

「俺がお前を既死軍(キシグン)に連れて来たのは、そう命じられたからだ。俺にとってはただの任務で、ヤンがそんな恩義を感じるようなことでもない。どちらかと言えば、その感謝はミヤとケイにするべきだ」

「でも、『生きていい』って言ってくれたのは、シド自身の言葉だ。命令じゃないんだろ」

 数多くの任務を経験したシドだが、すべてを覚えているわけではない。終わらせてきた任務が増えれば増えるほど、印象的な場面は色の濃さを増す。

 それも静かな夜だった。誘導でもするかのように不自然に開け放たれた病院の屋上で、ヤンと名乗る前の少年と、まだ(イザナ)の制服を着ているルキが口論していた。フェンスに足をかけた少年を必死に引きずりおろそうとしているルキは、人の命がかかっているというのに何とも幼稚な説得を繰り返すだけで、辟易した。新しい(イザナ)を連れて来るという重要な任務だというのに、ケイは一体どういう理由で性格の真逆な二人を向かわせたのかと思ったほどだった。

 このままでは埒が明かないと、代わりに説得を試みたときにこぼしたのがその一言だった。会話にもならない、たったそれだけの短い言葉がヤンをこの時この場所まで連れて来た。

 結局、ルキが無理矢理引っ張ったからか、少年は足を滑らせてそれなりの高さから落下し、そのまま気絶してしまった。不思議とルキ本人は気付いていないようだが、ヤンがルキのことを毛嫌いしているのは、これが発端だとシドは確信している。

 シドは黙って聞いていた。何も言わないのは肯定を意味することをヤンは知っている。

「周りからは『死ぬな』とか『生きろ』とか言われててさ、その言葉が全部、全部嫌だったんだよ。励ましてるつもりだったんだろうけど、俺には命令に聞こえた。けど、何と言うか、上手く言えねぇけどさ」

 淀みなく話していたヤンだったが、続ける言葉を探すように口をつぐんだ。

「あの時、死のうとしたことは間違ってなかった。俺が生きてるのは悪いことで、生きてちゃいけない人間だってことぐらいはわかってた。だから、シドの言葉は生きるのは悪いことだけど大目に見てもらえた、っていうか」

 結局、まとまりのつかない語尾で言葉を濁した。感情を言語化するのはこんなにも難しいことだったかと自分で自分に呆れた。しかし、言いたいことは伝わったらしい。シドもヤンらしくない話し方を少し笑っているように見えた。

「つまり、俺は言葉だけじゃなくて、ちゃんと行動で返したいってことだよ」

「別に、俺は望んでないがな」

「前に勝手にしろって言われたから、俺は勝手にすることに決めてる」

 あの日、ルキの説得に応じず頑なに自分の意志を貫こうとしたときから、頑固なところは変わっていないようだ。シドは「勝手にしろ」と同じ言葉を繰り返し、ゆっくりと立ち上がった。

 本当は一人で考え事をするために来たのだが、ヤンと話すのも悪い時間ではなかった。

 (イザナ)になってからは、ただ愚直に与えられた任務をこなし、そこには必ずと言っていいほど屍が残っていた。任務というのは誰かの人生を終わらせることだとさえ思っていた。だからこそ、こうして自分がきっかけで生きることになったヤンは、シドにとって他の(イザナ)とは違う存在だった。はっきりとはしていなくても、言葉にして伝えることの重要性をヤンから教えられたように思った。いつかケイにも同じようなことを言われた記憶がある。

「俺、できる限りここにいるからさ、シドが好きな場所ぐらいはちゃんと守ってるから、また来てくれよ。待ってるから」

「気が向いたらな」

 返事をするなど珍しいこともあるものだと、ヤンは驚いたように去っていく姿を見つめていた。


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