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Blackish Dance  作者: ジュンち
179/208

179話 霄壌(しょうじょう)

戦いは、平和を守る手段のひとつである。

 仲良くしようという言葉とは裏腹に、煌悧(オウリ)が放つ威圧感にヒデは気圧された。軍刀を強く握ろうとするが、鎮まることを知らない激痛が波のように押し寄せる。さっき煌悧(オウリ)に左手首を打ち付けられたとき、骨が折れてしまったらしい。だが、今ここで対峙できるのは自分しかいない。季節に似合わない脂汗が額ににじむ。

「逃がしません」

「そうは強がっても、折れてるはずだよ、その手首は」

 十手でヒデの手首を指す煌悧(オウリ)にはそう言い切れるだけの手応えがあったらしい。優し気に笑っているその顔には何の感情もない。

「申し訳ないけど、君と戦うつもりはない。僕は戦うのがあまり好きじゃなくてね」

 その言葉の通り、十手をベルト代わりの細い帯に挿して両手を上げて見せる。だが、レナを攻撃した方法もわからない今、演技のようにさえ見える行動だけでは安心することはできない。

「丸腰相手に、卑怯だと思わないか?」

 挑発するようにそう首をかしげる煌悧(オウリ)にヒデは切っ先を向ける。周囲の人だかりはいつの間にか那由他とともに姿を消していた。遮るものがなくなり、急に空気が冷たく感じられた。

 返事などする必要はない。ヒデは軍刀を構え、足を踏み込んだ。だが、それよりも早く、疾風のようにヒデを追い抜き煌悧(オウリ)に切りかかった人影があった。かわされはしたが、すぐさま次の攻撃を繰り出す。その狙いは正確で、煌悧(オウリ)は徐々に後退していく。

 戦っている姿を後ろからただ茫然と見るのは初めてだった。

「怪我人は目障りだから、さっさと消えるんだよ」

 体勢を整えるために数歩後退し、ヒデの前に立ったのはユネだった。長らく管理室で監視役を務めていたその背中は、やっと戦いの場に出られたことを喜んでいるように見えた。

 ユネは少しだけ顔を動かし、視線をヒデに向ける。それは何度も向けられてきた冷たい目で、既死軍(キシグン)とロイヤル・カーテスが協力関係にあることなどはユネにとっては意味がないようだった。

「ここは今から僕の独壇場になるんだよ」

 そう言い切るだけの強さがあることは十分知っている。最強の名を冠したユネはロイヤル・カーテスの中でも他の追随を許さない。今、手負いの自分が無理をするよりも任せた方がいいことは確かだ。

 すべてを任せて、ユネの言うとおりに後退しようとしたとき、ふいにケイの「既死軍(キシグン)が支配する」という言葉が頭をよぎった。当然その考え方が既死軍(キシグン)である自分にとっては正しいことはわかっている。しかし、優先すべきはこのダムを守り切ることだ。

 今まですべてが謎に満ちていた蜉蒼(フソウ)を率いる人間、風真(フウマ) 煌悧(オウリ)をこの場に引きずり出せただけでも大きな収穫だ。

 ヒデは「わかりました」と軍刀を納める。

 自分の言うとおりに行動したヒデを得意げに鼻で笑ったユネは、自分の世界に入り込むように煌悧(オウリ)に向き直る。

「お前が誰かは知らないけど、蜉蒼(フソウ)なら倒すだけなんだよ」

 ユネの攻撃を避ける煌悧(オウリ)の手は空のままだ。だが、必死に避けているだけかと思っていたが、その表情はよく見れば、ユネを弄ぶようにわざとすんでのところでかわしているようだった。余裕がないのはユネのほうかもしれない。

 だが、今の自分では助太刀などできるはずもなく、ユネにお荷物扱いされることはわかりきっている。それなら、とヒデはユネたちとは逆方向に走り始めた。

 だんだんと倒れている人影に近づいて行く。それは希望が薄れていくような感覚で、近づきたくないというのが本音だった。また受け入れがたい現実を目の前に突き付けられるのかと、吐く息が震えているようだった。このまま立ち止まって目を背けてしまいたい衝動を振り切り、走った。

 血を吸ったコンクリートの地面は黒くシミになり、地獄への口を開けて今にもレナを飲み込もうとしているようだった。

 ヒデが上体を起こしてやると、レナはうっすらと目を開けた。間に合ったと胸をなでおろすも、このまま放っておけばどうなるかは考えるまでもない。

「セン、天端まで来て。レナさんが重傷です」

『わかった。今ノアとディスの治療中だから、終わったらすぐ行く』

 そういえば、と二人がこちらへ援軍として向かっていたことを思い出した。自分より先に煌悧(オウリ)に出くわし、やられてしまったのかと推測する。

 そんなやりとりをしていると、レナがか細い声でヒデを呼んだ。たった四文字の言葉を口にするだけで息も絶え絶えで、このまま腕の中で儚く散ってしまいそうに思えた。

 レナはもう一度「ヒデくん」と先ほどよりも消え入りそうな声を出す。頭がはっきりしていないのか、目が見えていないのか、焦点の定まらないレナの瞳は、それでも必死に何かを伝えようとしている。こんなにも死の淵をさ迷っているというのに、その瞳はいつもと変わらず吸い込まれそうなほどきれいだった。

 レナが何を言おうとしているのか、その言葉はヒデには容易に察しがついた。だが、そんな言葉が欲しくて来たわけではない。

「レナさんのため来たんじゃありません。僕は」

 ヒデは顔を上げる。このままレナを見ているのは何となく恐ろしかった。遠くではユネと煌悧(オウリ)が戦っている。

「わかってる。既死軍(キシグン)のためだったとしても、来てくれて、ありがとう」

 届くはずもない笑顔を見せたレナは静かに目を閉じた。

 それきり黙り切ってしまったことに一抹の不安を覚えるが、呼吸が規則正しく続いていることが抱き留めている腕から伝わる。今はそれさえわかれば十分だと、レナを抱き上げてセンのいる方へと歩き出した。


 ユネは大きく息を吐き出した。久しぶりに戦い甲斐のある相手だと賞賛してやりたい気持ちもあるが、一向に反撃する素振りも見せないのは癪に障る。こちらは命のやり取りをするつもりで挑んでいるのに、相手はそんなつもりはないらしい。煌悧(オウリ)が動くたびにカラカラと鳴る一本歯の下駄が不愉快だった。

 だんだんと戦意が削がれていくように感じる。それが煌悧(オウリ)の作戦だとしたら、まんまと術中にはまっているようで、どちらにせよ、苛立ちが募るばかりだった。戦いたいのはこんな相手ではない。ロイヤル・カーテスとして来てはいるが、任務の遂行にはあまり興味がなかった。強い相手と戦い、結果的に任務が成功に終わっているのが理想的だ。

 そんなとき、視界の端にジュダイと、それからしばらく遅れて後ろにレンジが映った。

 ユネにとって既死軍(キシグン)は、全員と戦ったことがあるわけではないが、自分の足元にも及ばない人間ばかりだ。そんな中でも、戦闘相手をしてやってもいいと思えるのは数人いる。ジュダイはそのうちの一人だ。軍刀と刀の違いはあるが、同じ得物を使うからこそ、その洗練された動きがよくわかる。

 ジュダイなら共闘してやらんこともないと、やや喪失気味だった戦意を取り戻す。ゆうゆうと水を湛える貯水池と切り立った放水口側の壁に挟まれた天端では逃げ道はなく、挟み撃ちにしてしまえば、煌悧(オウリ)に勝ち目はない。ジュダイが刀を抜くのが見えた。

 自分の頭にジュダイの攻撃パターンが何となく入っているなら、ジュダイも同じく自分の戦法を体が覚えているだろう。わざわざ言葉で意思疎通をするほどでもない。

 煌悧(オウリ)も背後から近づく援軍に気付いたらしい。だが、その表情は焦りがにじむどころか、嘲笑しているようにさえ見えた。

 前後から迫りくるユネとジュダイの刃をしゃがんでかわした煌悧(オウリ)はそのまま地面に手をついて飛ぶように前方に回転する。二人は視線を交わし、次の攻撃に移る。

 平然と剣術に長けた二人を相手にする煌悧(オウリ)はまだどこか余裕そうだった。その様子にユネは舌打ちをして軍刀を振り上げた。その動きは、焦りか苛立ちか、わずかに狂いがあった。煌悧(オウリ)がその隙を見逃すはずがなかった。

 煌悧(オウリ)の体が回転したかと思うと、脇腹に下駄が叩き込まれた。鉛でも入っているのかと錯覚するほど一本歯の衝撃は重く、ユネはいとも容易く貯水池の方に吹き飛ばされた。

 それに怯むことなく、ジュダイは煌悧(オウリ)に切りかかる。だが、今の攻撃で煌悧(オウリ)は勢いがついたらしい。それまでは羽織と髪をなびかせて避けているだけだったのに、纏っている空気から変わっていた。

風真(フウマ)ある限り、蜉蒼(フソウ)は終わらない」

 その瞬間、ユネと同じようにジュダイも蹴り飛ばされた。だが、ジュダイが落ちるのは遥か下、ビル十数階分もある高さだ。受け身を取ったところでどうにかなるものではない。景色が飛ぶように移り変わり、穏やかに揺れる水面が急速に近づいてくる。

 自分は負けたんだなと理解するのは早かった。志半ばではあるが、運命は受け入れるしかないかと頭を下にして重力に身を任せたとき、急に視界がぴたりと止まった。

「まだまだ俺たちと遊んでくれないと困るんだよな」

 顔を上げずとも、声の主はすぐにわかった。どうやら助かったらしい。ジュダイは安堵したのか、その声に少し笑いながら答える。

「将棋か、釣りか、何がいい。レンジの言うとおりにするよ」

「何でもいいけど、とりあえずジライも誘おうぜ」

「そうだな。まぁ、ジライには土産話が先か」

「俺の、この武勇伝とかな」

 このまま他愛もない会話を続けていたいが、足首を掴まれているジュダイの頭はまだ水面を向いたままで、助かったというのに血が上って意識が朦朧とし始めたように感じる。

「ていうかさ、これ、ここから俺、体勢どうすんの」

「そこまで考えてなかった。頑張って体起こしてくれ」

 レンジはジュダイから少し遅れて天端に向かっていた。しかし、やっと着いたと思うが早いが、目に飛び込んできたのはジュダイが断崖絶壁の空中に蹴り飛ばされた瞬間だった。さっきまでいたはずのユネもどこかに行ってしまった。何があったのかはすべて察しがついた。

 去っていく煌悧(オウリ)の背中を一瞥することもなく、無我夢中で自分の武器である糸の端を手すりに括り付け、ジュダイのあとを追った。ケイには煌悧(オウリ)を捕らえろと言われていたが、どちらを優先するべきかは悩むまでもなかった。

「こんな宙づりの状態からかよ」

「その気になれば何でもできるって。俺だってこの高さ、自分の意思で飛び込んだんだからな」

「それはマジでありがとう」

「だから体起こして、自分で糸掴んでくれ。さすがにジュダイのこと落としたら夢見が悪い」

「それもそうだな」

 そんな話をしながらレンジは徐々に糸を伸ばし、水面へとゆっくりと降りて行った。


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