176話 峻厳
無情か薄情、どちらかをお前に。
堅洲村は相変わらず穏やかで、ケイたちのいる部屋は心地の良い室温に包まれている。仰々しい電子機器と無線から聞こえてくる不穏な音声さえなければ、平和な午後の昼下がりにも見える。
イチは名前を呼びながら隣にいるケイに顔を向け、画面いっぱいに様々な情報が表示されているモニターを指さした。
「真浦のこと、わかりました。確かに、ここ、表沙汰になっていない取引があるようです。それと、ミヤさんの言っていたとおり、軍ともまだ関係が続いています」
モニター上で指を滑らせながら、調べ上げた情報を抑揚のない声で説明していく。ケイは頬杖をついたまま少しだけ顔を動かし、イチの指を追う。
「もう少し調べますが、蜉蒼に航空機を売ったという証拠で間違いなさそうです。物と金の流れが不自然です」
「三年前か。今日のためにというなら、なかなか蜉蒼も用意周到だな。一世一代の晴れ舞台ってか」
「三年前であれば、真浦はちょうどお得意様を失った時期です」
「そうだな。その日付、確かに軍が処分の通達を出したあとだ。新しい商売相手でも探してたのか」
「真浦は割とすぐに軍との取引を裏で再開しています。不自然なのも、この一回きりです」
「そこまで特定できれば、当時蜉蒼の手に渡った航空機の型も割り出せるはずだ。もし、その航空機を模倣して量産しているのだとしたら、こっちでもできることがある」
ケイは視線を監視カメラの方に戻す。
まだしぶとく飛び交う航空機にノアたちはてこずっている。ディスたちはジュダイを助けに行ったセンから予備の銃弾を受け取り、まだ生きながらえている。しかし、早く終わらせてやるに越したことはない。
一機でも仕留め損なったら、その航空機はすべてを制御している管理室か、もしくはなみなみと水を湛えている貯水池の壁を破壊するために自爆する。ダムが決壊すれば下流にいるディスたちは激流に呑まれる。天端であれば逃げる隙はあるだろうが、下流はどこまで逃げても下流でしかなく、高い場所まで上る時間もない。考えるまでもなく助かる見込みはゼロだ。
今回任務で指揮を執っているのは既死軍だ。たった今、ロイヤル・カーテスを下流に割り当て、一方で既死軍は安全な場所に置いていたことに気付き、ケイは己の無意識を少し笑った。やはり、はっきり意識しないと、平等というのは難しいらしい。
あっという間に航空機の型番を割り出したイチからの報告を受け、今度はケイが出番だと言わんばかりにキーボードを打ち込み始めた。小気味いいタイピング音が聞こえる。
「やはり、財閥はしぶといな。鳥船みたいに軍に逆らいでもしない限り潰れないか。そのうち軍からもお許しが出るんだろうな」
「後継者争いで死人が出た程度では、痛くも痒くもないんですね」
「権力と金さえあれば、大抵のことはどうにでもなる。自分たちを中心に世界が回ってるようなもんだろうな」
「財閥って、悪者みたいですね」
「まぁ、時と場合と、立場による。俺から言えるのは、今、財閥が一つでも潰れたらこの国は立ち行かなくなるってことだ。潰された鳥船も、旧軍時代だったからこそだ。現代なら、真浦以上の制裁はあっても、潰れるまではいかなかっただろうな」
権力と金と聞いてすぐに思い浮かぶ言葉は「悪」だ。だが、ケイの言い分では、すべてがそういう物でもないらしい。要は使い方次第ということだろう。
いずれ自分はケイの跡を継がなければならない。その日が訪れるのは、ケイの意思で役割を譲られるからなのか、それとも自分がやらざるを得ない状況に陥るからなのかは、今はまだわからない。自分で成長したと感じても、すぐにケイの足元にはまだ遠く及ばないと痛感する出来事が起こる。「その日」が来るまでには、狭い視野ではなく大局を見るようにしなければならないと、安直に物事を結びつけてしまった自分をイチは心の中で戒めた。
「そういえば、真浦のことはジュダイに報告しますか」
航空機の出所を初めに口にしたのはジュダイだった。そして、その読みは当たっていた。助言がなければ、もう少し事の進みは遅れていただろう。
「いや、いい。テロリストである蜉蒼と関係があるかもしれないなんて、はっきりとは聞きたくないだろう」
何かを飲み込むように一拍おいて、イチは口を開く。
「胸の内にとどめていることが、ケイさんには、たくさんあるんですね」
「知らなくてもいいことがある以上、言わなくてもいいこともある。当然だ」
「既死軍全員の過去を知って、全部背負ってるんですか」
一心不乱にタイピングしていたケイが手を止めてイチに顔を向けた。
「それが俺の役割だ。死体を見つけてくるのはミヤだが、その人生を背負うのは俺の仕事だからな」
さらに何かを言おうとするイチを制してケイは笑いかける。
「聞くよりも手と頭を動かせ。今、イチには為すべきことがあるだろ」
我に返ったように「わかりました」と返事をしたイチは、いつの間にか手を止めていたことに気が付いた。やはり、まだケイには遠く、届きはしない。イチは一瞬こぶしを強く握り、すぐにキーボードを打ち始めた。
一方そのころ、貫流水力発電所では、変わらずそれぞれが敵と対峙していた。
刀を構えたジュダイは静かに息を吸う。すぐ隣には無数にも見える切り傷を負ったヒデがいる。
「刀の扱いなら俺のほうが慣れてる。俺が那由他に近づくから、ヒデは援護を頼む」
「わかった。来てくれてありがとう」
「ヒデのためじゃない。俺のためだ」
「それでも助かる」
視線だけをヒデに向け、ジュダイはうなずきで返事を返す。
流血跡の残る痛々しい見た目と、落ち着けようとしても音を立てる肺の動きとは裏腹に、ジュダイはどことなく余裕そうな表情をしている。それは任務遂行のための虚勢なのかもしれない。
離れた那由他に顔を向けたジュダイは声を張る。
「戦う前に一つ、聞きたいことがある」
那由他は不機嫌そうな様子でジュダイを睨みつけながら円月輪をくるくると回している。地面に散らばった使い物にならなくなった真っ二つの円月輪の枚数を見れば、その表情の理由は明らかだ。
「あの航空機、どこから手に入れた」
「そんなの、教えるわけないだろ。馬鹿か」
「それなら聞き出すまでだ」
足裏に力を込めたジュダイは那由他に切りかかる。あっという間に間合いを詰め、すんでのところで避けた那由他の髪の先がわずかに風に流されて消えた。両手に円月輪を手にした那由他はまるで舞っているかのようにジュダイの刀を弾いていく。那由他が動くたびに赤い羽織がひらひらと揺れる。優雅にも見えるその動きとは反対に、刃と刃がせめぎ合う硬い金属音が周囲に響く。
しばらくするとお互いの動きが止まり、刃を合わせたまま膠着状態になる。那由他は少し歯を喰いしばり、それから口を開いた。
「俺たちの邪魔をして、ただで済むと思うな」
「ご丁寧に犯行予告しておいて、よく言うよ。被害者面して、そんなに構ってほしいか?」
「弄ばれる人間が見たいだけだ」
「弄ぶ人間なら、大好きな黎裔とやらにいくらでもいるんじゃないか」
「俺たちの黎裔を馬鹿にするな」
後方に下がった那由他は新たな円月輪を手に取り、両手で一斉に投げつける。黒い感情を纏った那由他の内面と対照的に、太陽光を反射する円形の刃物はキラキラと輝く。那由他の強さは同時に多方面から襲ってくる円月輪にある。避けようがない状況だが、ジュダイは冷静に那由他だけを見つめ続ける。
「お前のさっきの話は全部聞いていた。人道的だ何だと立派な言葉を並べても、結局はただ、自己憐憫に陥ってるだけだ。認めてほしいんだろ。蜉蒼は正しい、蜉蒼は救いの神だ、ってな」
軽やかな金属音がして、雨のように円月輪が地面へと降り注ぐ。後方で構えているヒデの鍛え抜かれた集中力をもってすれば、この程度の攻撃など恐れるに足りない。
「知った口を利くな」
「それなら、何でわざわざ俺たちを呼びつける。どうせ誰もいないところで大々的に堰堤を爆破したって、それをするに至った心情を吐露する相手がいないからだろ」
再び円月輪が宙を舞い、そして再び落とされる。今度はジュダイではなくヒデを狙った攻撃だったが、距離さえあれば何枚だろうとヒデには関係がなかった。
「評価が、言葉が欲しいなら、言ってやる」
ジュダイは姿勢を低くして近づき、刀を右上に高く振り上げる。ちょうど那由他は円月輪を手から離したところで、その懐はがら空きだった。左肩から右斜め下の脇腹に向かって刀が滑るように動いた。
「蜉蒼は立派な悪だよ。同情なんてしない。お前の言い分は、ただの綺麗事だ」
那由他は崩れるように膝をつき、みぞおちあたりに手をやった。口から流れた血が顎からしたたり、地面に赤い斑点を作る。べったりと赤く染まった手を見つめた那由他は顔を上げ、口を開く。
「綺麗事は、犬も喰わない。当然、俺たちもな」
震える声でそう吐き出し、よろよろと立ち上がった。その血塗れの口元は、ヒデたちを嘲笑っていた。