174話 疎通
万人心を異にすれば、則ち一人の用無し。
イチが無線で時刻を告げる。蜉蒼がダムの爆破を予告していた時間だ。そんな連絡もお構いなしに、午後の日差しは変わらずのどかな雰囲気を作り上げている。寒空ではあるが、任務でさえなければ、空を流れる雲を見ながらあくびの一つでもしたいぐらいだ。
既死軍とロイヤル・カーテスの持ち場は変わらす、ヒデは天端から川につながる下流を眺めていた。すると、大空に見たことのある飛行物体が再び現れた。
「また小型無人航空機が来ました。恐らく、さっきと同じ物です」
そう報告するや否や、この時を待っていたかのような声が返ってくる。耳元でそれぞれの息遣いと、武器を構える音すら聞こえたように思える。結局のところ、全員が手ごたえのない戦いには満足できなかったらしい。
『やっぱり、さっきのは前哨戦か』
『銃弾節約しててよかった~』
『さっさと終わらせるんだよ』
ロイヤル・カーテス同士がけらけらと笑いあいながら会話を弾ませているのを、ヒデは既死軍にはない空気感だなと耳を傾けていた。見ているものは同じなのに、住んでいる世界は遠く離れているように感じられた。
イチにとっては任務中の指示を取り仕切るのはこれが初めてだ。隣にケイがいることはいるが、ほとんどを一任されている。指令に忠実で、あまり無駄な会話もしない既死軍だけならよかったのにと思っているはずだと、監視カメラと無線越しのイチに思いを馳せてみた。
ちょうどそんな時、雑談を制するようにイチが口を開いた。
『見たところ、先ほどと同じく爆発物はないと思われる。この機に乗じて直接攻撃も仕掛けてくるはず。各々直接攻撃に備えろ。航空機は、まずジュダイが対処する』
ヒデは振り向き、貯水池のほうを見た。その景色は先ほどと変わらない。
ジュダイの担当場所は貯水池の一番端で、ここからもっとも離れている。そんなジュダイをわざわざこちら側まで来させるには、何か尤もらしい理由があるのだろう。
『蜉蒼、人海戦術使えるの羨ましいよな』
『えー? でも使い捨てってことじゃん』
『俺たちもだろ』
『そっかー』
『納得するな』
相変わらずロイヤル・カーテスはあれこれと会話を続けていた。しかし、しばらくすると、やっとロイヤル・カーテスだけの無線で話したほうがいいと気付いたのか、プツリと切れるように静かになった。
ヒデが再び貯水池の周囲にある歩道に目を向けると、ジュダイがこちら側へ走ってくるのが目に入った。既にこの距離に見えるということは、航空機が見えた頃から向かっていたのだろう。ヒデの姿を認めたのか、ジュダイが手を振って合図を送ってきた。もうしばらくすればこちら側につくだろう。
だが、どうもジュダイが来るのは納得ができなかった。ジュダイの得物といえば刀だ。飛んでいる物と一番相性の悪そうな武器なのに、いったいどういう風の吹き回しだろうと首をひねってみた。誰が言い出したのかはわからないが、当然持ち場を離れるにはケイの許可が必要になる。。ケイを納得させるだけの理由があったことは確かだ。それならば、自分はジュダイが来るのを待つだけだと拳銃を手にした。
無人航空機はこちらの活気づいた勢いを殺すためか、ノロノロと速度を落として近づいてくる。下流にいるディスとノーフが何度か発砲するも、先ほどよりも多い台数に攻撃が追い付いていないようだった。
ヒデも銃を構えて距離を測る。今はまだ遠すぎて、発砲したところで無駄弾になることは目に見えている。あと少し、あと少しと待っているところに、思ったよりも早くジュダイが到着した。
かなりの距離を走ってきたはずだが、大きく数回深呼吸しただけですぐに規則正しい呼吸になり、「遠すぎ」と笑った。
「ジュダイが来て、でも、どうするの」
「どうするって、攻撃するに決まってるだろ」
はぐらかしたように笑い、ジュダイは鞘から刀を抜いた。今日は全員が軍刀を持っている中、ジュダイ一人だけが軍刀ではなく刀を帯びている。
まるで鏡のように磨き抜かれたその刀身は光を反射し、美しく光る。
「俺にはやらなきゃいけないことがある。任務だから、っていうか、これは俺のわがままだけど」
徐々に近づいてくる航空機を真っすぐ見つめたジュダイにつられて、ヒデも同じ方向に目を向ける。
耳をすませば静かに動作音が響いている。
「あれ、切れるの」
「切るしかない。俺ならできる」
そう言い切ったジュダイの横顔は決意にも似た何かに満ちていた。目の前に飛んでいるのは、自分にとってはただの機械だ。しかし、ジュダイにとっては別の何かに見えているのだろう。
ジュダイはちらりと視線を落とし、ヒデの軍刀を一瞥した。
「それ、前にミヤにもらった軍刀だよな」
「うん」
「何か、必ず意味があるはずだ。希望か呪いか、何かが託されてる。大事にしろよ」
ヒデの返事を待たずに、ジュダイは柄を握りなおすと、手すりに足をかけて勢いよく蹴った。驚いたヒデが名前を叫んだが、その声はもう耳には届いていないらしい。
ジュダイは最接近していた一台を踏み台にし、さらに高く飛翔する。その軽やかな動きは、まるで羽でも生えているかのようだった。灰色の軍服でそう見えたのだから、真っ白な既死軍の制服であれば、天使にさえ見えたかもしれない。
不安定な体勢ではあったが、それぐらいのことではジュダイの動きは鈍らない。地上にいるときと変わらない動作で刀を構え手近なものから一刀両断にしたかと思うと、力なく落下しようとする航空機を足場に飛ぶように舞う。
先ほどまでは鳥の大群のように見えていた航空機も一つ、また一つと仲間を失っていく。しかし、想定していたよりも数が多く、切り落としたかと思えばまた山の合間から新しい鳥が顔を覗かせる。落ちようとする足場で徐々にジュダイの高度は下がり、その表情にも焦りがにじみ始めた。
自分の役目もここまでかと思ったとき、今までとは違う形をした航空機が向かってきた。明らかに何かを搭載している。ジュダイは身を翻そうにも、空中ではそれだけの勢いもつけられない。その「何か」と目が合ったような気がした。
『航空機に爆発物を確認。撃ち落とせ。堰堤に近づけるな』
戦況の変化を伝えるジュダイからの無線に近くにいた全員が銃を構え直す。だが、ジュダイがいる状況では無暗に発砲するわけにもいかない。
その周囲の反応を酌んでか、ジュダイが選んだのは落下だった。足から力を抜き、重力に身を任せる。ジュダイが航空機から離れてくれれば、下流にいるディス、ノーフ、それから近くの展望台にいるノアで撃ち落とすことは可能だ。地上に流れる川までの距離は少しあるが、ジュダイならうまく着水できるに違いない。
どうかこのまま、と願うような気持ちでヒデは照準を合わせる。しかし、願いは簡単には叶わない。まだ空中にいるジュダイの近くで激しい爆発起こったのと同時に、水音がして水柱が立った。安否を確認したい気持ちを抑え、ヒデたちはこれ以上の被害が出ないように航空機を喰いとめる。横目にセンが走り始めたのが見えたのがせめてもの救いだった。
『ジュダイは無事です。取り敢えず川からは引き上げました』
しばらくしてから聞こえたディスの声にヒデは胸を撫で下ろした。センが到着次第、二人の護衛をディスが引き受けるとのことだった。まさかこんなに早く協力関係の恩恵を受けるとは思っていなかった。借りを作るようなものだが、今はただ感謝するしかない。
だが、安堵したのも束の間、今の爆発を合図に蜉蒼が更なる攻撃を始めることは想像に難くない。貯水池の方にいた面々も身構えるように武器を手にする。雄大な自然の中にいるというのに、息が詰まりそうになる。
間もなく、地響きのような足音がし始めた。その音から推測するに、人数は先ほどの比ではないらしい。すぐに喊声を発して突入する様子が背後の貯水池の方面から聞こえてきた。
『無理無理無理無理! レナ、助けて!』
『あんた、自分でやりなさいよ! こっちだって手一杯なんだから』
『俺に返事する余裕あるじゃん』
『そんなに助けてほしいなら、僕が行ってやるんだよ』
『ユネには頼んでないし、借り作ったら後が怖いからやっぱり自分でやるー!』
『なら最初っからそうするんだよ、バカ』
相変わらず、既死軍も含めた無線でロイヤル・カーテスは実況をする。ケイをはじめ、他の既死軍は一体どんな表情でこの会話を聞いているのだろうかと、ヒデは苦笑いで受け流していく。すると、同じ気持ちだったのか、既死軍だけの無線で久しぶりに声が聞こえてきた。それぞれの声ははっきり聞きとれるが、周囲からは怒号とも悲鳴ともつかない声が上がっている。
『いや、何か、あいつらうるさすぎないか』
『いつもあぁなのかな?』
『よく喋れるよな、褒めてるわけじゃなく』
ヒデも「同感です」と会話に入ると、聞き慣れた笑い声が小さく聞こえた。一言二言会話をすると、それきり既死軍の無線は黙り込んだ。一方でロイヤル・カーテスは再びディスに制されるまでしばらく話を続けていた。
声と音が混じり合う戦闘の風を後方から感じていると、一人の影がゆっくりと近づいてくるのに気付いた。
「爆弾は見つかったか?」
ヒデがわざとらしい質問に振り返ると、そこには那由他が立っていた。肩ぐらいで切りそろえられた髪と、赤い羽織が風になびいている。その背負っている風景には似合わず、かすかに口角を上げている。
「久しぶりだな。お前とは黎裔以来か。爆発で粉微塵になったかと思ってたが、しぶといんだな」
「生憎、まだ死ぬつもりはありません」
「それも今日までだ」
那由他は腰につけた緑色の帯締めから武器である円月輪を手にした。