171話 同心
忤ふること無きを、宗とせよ。
「聞け、既死軍ども」
堅洲村で思い思いに過ごしていた既死軍の面々は急に聞こえてきたケイの無線に思わず、慌てて姿勢を正した。ケイがこの言葉から話し始める時は重要なことだと決まっている。
「俺たち既死軍は本日、この時間より、ロイヤル・カーテスと手を組むことになった。蜉蒼を徹底的に叩き潰す」
隣と顔を見合わせる者、ただぽかんと瞬きをする者、静かに耳を傾ける者、その声の受け取り方は実に様々だった。
「期間は一年だ。この一年で必ず壊滅させる」
ケイは無線に向かってはっきりと力強く言い切る。
今まで既死軍はどんな組織とも協力関係を結ぶことはなかった。だからこそ、いくら蜉蒼を倒すためとはいえ、ロイヤル・カーテスと手を組むことになるとは誰も予想だにしていなかった。しかし、ケイの言葉は希望や依頼などではなく、必ずや成し遂げなければならないことなのだと、その語気から全員に伝わった。
「こうなるに至った経緯は割愛するが、関係は履き違えるな。既死軍が仲間ではない以上、ロイヤル・カーテスも仲間ではない。そして」
小さく息を吸う音が聞こえる。ケイがすぐ隣にいるかのようなその息遣いは鬼気迫るものがあった。いつものクマを作っている疲れきった顔ではなく、今、ケイは間違いなく情報統括官としての顔をしている。誰もが、一度は見たことのあるその表情を思い浮かべている。
「ロイヤル・カーテスからの申し出を受け入れてやったのは既死軍だ。いつ何時も優位に立て。頭主さまの顔に泥を塗るな。全ては、俺たち既死軍が支配する。以上だ」
無線を切ったケイは立ち上がり、手を組んで天井に向かって伸びをする。今も耳元では誓約書にサインを終えたイチとロイヤル・カーテスの話し声が聞こえている。概ねケイの計画した通りに話は進んでいるらしかった。
優位に立てというのは何も発破をかけたわけでも、例えに使ったわけでもない。実際にロイヤル・カーテスに使役されてはならないという思いからだった。シドが再起不能になった今、蜉蒼を潰すための協定は一年でも長いぐらいだ。蜉蒼の次にはロイヤル・カーテスと戦わなければならない。それは避けられない未来だ。
この一年を一体何人が無事に生き延びられるだろうか。
『久々の大演説、御見それいたしました』
そんな憂い事を考えているとき、嫌味ったらしく無線で話しかけてきたのはミヤだった。今はちょうど車内でイチたちの帰りを待っているところだ。何か一言言って来るだろうとは思っていたが、思ったよりも早かったなと嫌味を返す。
「どうせ、イチたちが戻って来るまで暇なんだろ」
『いいや。俺は今、治持隊に駐禁切られないか冷や冷やするのに忙しい』
「駐禁は十五円五十銭の罰金だ。もしもの時は自分で払ってくれよ。既死軍の財布は重くない」
『金なら腐るほどある。十五円だろうと三十円だろうと、痛くもかゆくもない』
「相変わらず、軍人ってのは儲かるんだな」
『相変わらず、地位がある人間だけだ。下っ端は今でもやり甲斐とかいう訳の分からん言葉でこき使われてる』
過去のミヤを想像したケイは少しだけ笑った。今はほとんどの軍人が頭を下げる嫌われ者の大佐にも、どうやら苦々しい下っ端の時期はきちんとあったらしい。
返事がない理由を察したミヤはそれを否定するように続ける。
『俺が軍に入ったのは戦時下だ。今とは時代が違う』
それでもケイからの返事はなかった。
ミヤは運転席のシートを少し倒し、頭の後ろで手を組んだ。こんな決断にも似た無線をした後は、どうせどうにもならない悩みに頭を支配されているのだろうと思って話しかけてみたが、どうやら思い過ごしだったようだ。こうなればケイが満足するまで笑わせておこうと、その声を聞きながら目を閉じた。
それから二十四時間と経たないうちに、既死軍とロイヤル・カーテスは再び顔を合わせた。太陽が出ているにもかかわらず、遮るもののない場所では寒さが一段と増している。
ヒデは天端と呼ばれる、ダムの一番高くなっている所を歩いていた。コンクリートでできた歩道は歩くたびにコツコツという軍靴の音があたりに響く。今日は既死軍もロイヤル・カーテスも、いつもダムを警備している陸軍の軍服だ。
天端から水を放流する側を見下ろすと、足がすくんでしまうほど遥か下に水が流れているのが見えた。後方にはなみなみと水を湛えた貯水池がある。ヒデがぐるりと周囲を見回して「想像していた通りの堰堤だな」という人並みな感想を抱いていると、誰かが天端の端からこちら側へと歩いて来るのが見えた。冷たい風になびくほどの長い髪はレナしかいない。
見回りを終えていたヒデは、レナが来るまでに報告を済ませておこうと無線に向かって口を開く。
「僕の探知機も反応ありません。やっぱり、新しい爆薬みたいです」
報告は最後だったようで、待ち構えていたかのように無線を介してすぐに声が聞こえてきた。
『残念だったなぁ、ケイ。まぁ俺たちに任せろって』
『いや、そんなことよりさぁ、僕、センの護衛っていうのイマイチ納得してないんだけど』
『うるせぇノア。黙って任務やってろ』
『すみません。僕が戦力外なばっかりに』
『た、大変だな、ケイも』
それは、それぞれの言い分をお構いなしにぶちまける誘たちだった。既死軍からはヒデをはじめ、ヤン、レンジ、ジュダイ、ノア、そして初めて任務に同行した医師見習いのセンがダムの爆破を阻止するために集められていた。こんな大人数の任務も久しぶりだが、ダムは範囲が広いうえに担当する区域が決められていて、互いにその姿は見えない。
『うるさい誘どもだ。そこまで言うなら、当然、頭主さまの望む結果は出せるんだろうな』
グチグチと聞こえてくる声をケイは一刀両断して鼻で笑い飛ばす。すると、すぐさま誰の声かもわからないほど重なった「当然!」という返事が返って来た。
『それなら結構。ロイヤル・カーテスとよろしくやってくれ』
ブツリと無線が切れた。ここからはそれぞれが事前に指示された通りに動くだけだ。ちょうどそのとき、レナがやっと話せるぐらいまで近づいていた。
「ヒデくん、久しぶり」
レナはまるで友人にでも会ったかのようにひらひらと手を振る。
「お久しぶりです」
「ちょっとだけ話そうよ」
そう言うが早いか、レナはひょいと放流口の方の手すりに座り、足を投げ出してゆらゆらと揺らす。ヒデは手すりにもたれかかり、レナと同じ方向に目を向ける。自分にとっては見下ろすのも気が引けるのに、こんなところに座るなんて度胸があるんだなと思わず感心する。
「いつぶりかな? 遊園地のとき?」
「そうですね」
「会わないときって、本当に会わないんだね」
「あの時は桜もまだ咲いてなかったと思います。半年以上ですね」
レナは長い髪を耳にかけ直しながら、「あっという間に寒くなっちゃったね」と笑顔を見せた。
「レナさんはこんな時期に任務に来てて、大丈夫なんですか」
一体何の話だと言いたげに、レナは「どうして?」とヒデを見下ろす。
「だって、レナさんって受験生じゃないんですか? もしかしたら、ケガとか、するかもしれないのに」
一条の風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。ヒデがまさか私生活を心配してくれるとは思ってもいなかったレナは、しばらく言葉の意味が飲み込めず、きょとんとしていた。ヒデは以前、偶然レナの通う高校に潜入したことがある。ちょうど一年ほど前で、その時は高校二年生だった。だからこそ、今レナがどんな時期かを知っていた。
穏やかな顔をしていたレナだったが、少しだけ表情が変わる。それは任務でよく見る凛とした空気を纏っている表情だ。
「みんなと同じこと言ってくれるんだね」
自分がわざわざ言わなくてもよかったと、ヒデは僅かに後悔した。ロイヤル・カーテスは既死軍よりも仲間意識が強いのは知っている。既に心配などされ尽くした上で来ていることは察するべきだったのかもしれない。
「本当は、みんなも今日の任務は行かなくてもいいって言ってくれたんだよね。自分の人生を大事にしろって。けど、私が自分で行くって決めたの」
レナは遥か遠くに目線を向ける。目に入るのは人工的な建造物と大自然だけだ。
「ここ、町が一番近い堰堤なんだってね」
「そうですね」
「もし私に何かあっても、来年があるでしょ。本当は浪人なんて嫌だけど。でも、ここが爆破されたら、失われるものは人の命だけじゃないから。私は、ロイヤル・カーテスと既死軍が手を組んだ意味を大切にしたいの」
「自己犠牲、ってやつですね」
「そんな大それたことじゃないよ。私にしか、ううん、私たちにしかできないこと、ちゃんとやらなきゃって思っただけ。ヒデくんだって、だからここにいるんでしょ」
「僕は任務だから来ました。それに、レナさんみたいに背負う物はありません。自分の人生も生きなきゃいけないレナさんは、僕より立派ですよ」
「そんなこと言われたら、照れちゃうな」
はにかんだレナはくるりと向きを変え、手すりから歩道に飛び降りる。
「呼ばれてるから、私、戻るね。ここ担当場所じゃないし」
「わかりました。また後で」
返事をしたレナは来た道を数歩戻り、立ち止まって振り返る。
「ねぇ、ヒデくん。もし、私が死にそうになってたらどうする?」
「助けます」
ヒデなら協力関係にある今は当然「助ける」という返事をするだろうと予想していたが、実際に言われると何となく嬉しかった。我ながらずるい質問だなと思いつつも、この一年しか享受できない喜びを噛みしめる。
「自己犠牲、ってやつ?」
先ほどの言葉を引用して、レナはいたずらっぽい表情をする。
「いえ、できる範囲でです。既死軍に不利益になる場合は助けなくてもいいと決まっているはずです。ロイヤル・カーテスも同じく、ですよね。僕は飽くまで既死軍の人間なので」
噴き出すように笑ったレナは「ヒデくんらしいね」と残して背を向けた。
「けど、私は命に代えてもヒデくんのこと助けるよ」
「それは」
レナはもう一度だけくるりと振り返り、ヒデを遮った。
「いいの! 私は私のやりたいことをやる!」
はっきりと言い切ったレナは、自分よりも余程覚悟があるように思えた。これを否定するのは今の自分にはできないことだった。少し間をおいてから、少し困ったような笑顔でヒデはうなずく。
「じゃあ、その時はお願いします」